7.傷隠し
翌朝。
昨日約束していた10時よりも40分早めに、未佳は1階の入り口付近に下りていた。
今日はPV撮影やジャケット撮影の予定はないが、一応イメージ作りのため、未佳はポニーテールとシュシュでつくるお決まりの髪型で、静かに栗野の車を待つ。
未佳のポニーテールは、耳元以外の髪を後頭部のやや上の方で止め、そこにシュシュを付ける、というもの。
耳元にだけ伸びている髪がカワイイと、ファンからの評価も高い髪型だ。
しかしながら、そのコメントのほとんどは関東のファン達からくるもので、関西の方ではかなりメジャーな髪型だ。
辺りを見渡せば、女性人のほとんどがそうである。
ちなみにあの未佳がこの髪型にしているのは、ただ単に輪郭を誤魔化せるのと、髪の毛の量が多いため。
至って単純な理由である。
ふっと栗野を待っていた未佳は、昨日の電話のことを思い出した。
(それにしても、昨日の栗野さんからの電話・・・。なんか気になるなぁ・・・)
今日の予定は、例の12月に渡した曲のアレンジとレコーディング。
昨日の栗野からの電話によれば、今回の曲は『CARNELIAN Eyes初のホラーソング』だとのこと。
考えてみれば、確かに今までになかったタイプの曲だ。
一体どんな曲に仕上がったのだろうかと考えていると、ようやく未佳の目の前に白い乗用車が見えてきた。
栗野の車だ。
(きた・・・!)
「未佳さん、お待たせしました! どうぞ」
「あっ、はい」
未佳はいつもの指定席に座り、シートベルトを締めた。
と同時に、車がやや早めに発進する。
少し時間が遅れ掛かっているのかもしれないが、未佳的には『そこまで急がなくても』と言いたい感じだ。
こんなに急いで事故でも起こったら、と思う。
「道が渋滞して遅れたので、ちょっと急ぎますよ?」
「は、はあ・・・」
それを聞いて苦笑しながら、未佳はふっと耳元の髪の毛を耳の後ろの方に掛けた。
「アアァッ!! ちょ・・・、ちょっと未佳さん!」
「えっ? 何?」
「何って・・・、その手首!」
「えっ・・・あ゛っ!!」
栗野のその言葉を聞いてハッとした未佳は、左手首の傷を見て『しまった!』と顔を顰めて溜息を吐く。
昨日の出来事もあり、今日は包帯を巻くなりして隠すつもりだったのだが、出掛ける直前になってすっかり忘れてしまっていた。
初めてこの傷を見た栗野は大騒ぎだ。
「ど・・・! どうしたんですか!? その傷!」
「ちょっ、ちょっとクリアファイルの縁で『シュッ!』っと・・・」
昨日の嘘をさらに詳しくしたもので誤魔化そうとしたが、栗野にはまったく効果がなかった。
「何やってるんですか!! 未佳さんは! いいですか!? 未佳さんはバンドのヴォーカルですよ!? しかもそんな目に付きそうな場所に・・・」
「すみません・・・」
「撮影がなかったからよかったですけど・・・。あったらどうする気ですか!?」
「見られないように・・・、します・・・」
「も~う! そもそもなんでそんなもので・・・!」
〔みんなが知りたいことだよね〕
(うるさい!!)
その後もしばらく栗野の説教は続き、ようやくそれが収まったのは、車が自宅と事務所の丁度中間地点を走っているところだった。
「未佳さん。しばらくこれで隠してください!」
そう言って栗野が手渡してきたのは、黄色と白の柄が入ったスカーフ。
奇遇なことに、今日の未佳の格好に合った柄だった。
未佳の今日の服装も、黄色と白の柄が入ったものだったのである。
「『結べ』ってことですか?」
「他に隠せるならいいですけど、大胆に包帯とかは止めてくださいよ! 目立ちますから!」
「あっ・・・、はい」
とりあえず言われたとおり、未佳は渡されたスカーフを左手首に結ぶ。
なんだか早い春を思わせるかのようなアクセントにはなったが、この下に傷があるなどとは口が裂けても言えない。
「ところでその傷・・・。カサブタになってるんですか?」
「あ、いや・・・、その・・・。見た感じ、まだ血が固まってないんじゃ・・・。あの、内出血なんです」
「内出血? っということは・・・、未佳さんの腕の体温で固まってないんじゃ・・・」
「あっ・・・、そうなのかも・・・」
『言われてみれば』と思った。
この血は内出血ではあるものの、所詮は未佳の腕の中に入っている。
つまり体温的には体内にあるのとまったく同じなので、出血した血は固まらないというワケだ。
(少し穴が開いたら、血は出るんだろうけど・・・)
「未佳さん。レコーディング終わったら、病院に行きますよ?」
「えっ!?」
「痕が残ったら大変ですから! いつもの病院で血を抜きますよ? いいですね?!」
「は、はい・・・」
もはや『嫌だ』とも言えないので、未佳はそのまま素直に頷いた。
車が事務所に着くと、未佳は栗野が車を駐車場に停めている間に、受け付けを済ませる。
その際中に入っていった人の名簿を覗いてみれば、厘と長谷川の名前が書かれていない。
まだやって来ていないのだ。
(まあ・・・、いつものことね・・・)
基本的に長谷川は時間きっかりに。
厘は2~3分ほど遅れてやって来る。
現在の時刻は午前10時06分で、レコーディングまでは14分もある。
あの二人がまだやって来ていないのは、正直いつものことだった。
「じゃあ、未佳さん。傷が見えないようにお願いしますよ?」
「あっ、はい・・・」
さすがにそれはもういいだろうと思いつつ、未佳は4階のレコーディング室へと向かう。
仕事上、一番メンバーがよくいる場所だ。
おそらく今は、リーダーの手神だけがこの部屋にいるはず。
そう思いながら扉を開けてみると、案の定、キーボードをいじくり回している手神を発見した。
「ああ、坂井さん。おはようございます」
「おはようございます。やっぱり二人は遅刻?」
「あ、いや。まだ時間はあるし、長谷川君はもうじき来るんじゃ・・・」
「どーも!」
「うぁ゛っ!!」
手神がそんなことを言っていると、突然『バンッ!』という扉を開ける音と一緒に、ギターを背負った長谷川がレコーディング室へと入ってきた。
『噂をすれば』とはまさにこのことである。
「ビックリした~・・・。脅かさないでよ!」
「あ、す・・・、すみません・・・!」
「まったくもう~・・・」
そう言いながら、軽く後ろ髪を掻き毟る未佳。
実は先ほどの栗野の説教で、未佳は少々イライラしていたのである。
もちろん、朝からご機嫌だった長谷川に『それを察しろ』というのは無理な話だ。
だがどうやら長谷川は、今ので未佳の機嫌を損ねさせてしまったと悟ったらしく、未佳に対してすまなそうに頭を下げた。
一応会話が終わったのを見計らって、手神が長谷川に声を掛ける。
「長谷川くん、おはよう」
「おはようございます。で・・・、あれ? 小歩路さんは?」
「まだ」
「いつもみたいに2~3分遅れじゃない? あの人、自由人だから」
そう言ってみれば、長谷川は『あぁ・・・』と頷く。
ふっと辺りを見渡した長谷川は、未佳の腕のスカーフを見て、小首を傾げた。
「坂井さん。なんです? そのスカーフ・・・」
「えっ? ああ・・・、これ? ちょっとね」
「でもそれ、栗野マネージャーのですよね? いつもカバンの中に入ってる・・・」
「何でそんなに詳しく知ってるのよ」
「あ、いや・・・。よくカバン開けた時に『チラッ』と見えてたんで・・・」
実はいつも、栗野はカバンをギターの近くに置いていた。
そこに置く理由、未佳のやや左後ろで待機している際、置いてしまっても邪魔にならず、尚且つ手を伸ばせば、カバンの中から物を取り出せる位置だから。
基本的にメンバーの立ち位置は、手神・厘・長谷川が三角形の位置で固まり、その真ん中で未佳が歌う。
そして、未佳のやや左背中の位置にいるのは、いつも長谷川。
つまり、栗野が待機している場所自体が、長谷川の立ち位置の真後ろなのである。
そのため毎回栗野が長谷川の後ろでカバンを開ける度に、中からこのスカーフが見えてしまうというわけだ。
「でもそれいいね。『春』って感じで・・・」
「そ、そう?」
手神にそう言われ、未佳がやや満更でもない表情を浮かべていると、またしても長谷川からこんな声が飛んできた。
「でもこれ・・・、付け方違いますよ?」
「「えっ?」」
「だって普通それって、利き手の方に結びません? 女子って・・・」
「そっ・・・、そんなことないわよ!」
「それと結び目って・・・。ふつう外側に向けるでしょ? なんで真上にしてるんですか?」
妙なところで妙な洞察力が働く長谷川に、未佳は『よく見てるなぁ』と思うよりも先に、イライラが爆発した。
「別にいいでしょ! 人のアクセントくらい!! 女の子じゃないんだから、容赦なくズバズバ言わないでよ!!」
「すっ、すみません・・・!!」
慌てて長谷川は謝ったが、時既に遅し。
未佳はプイッとそっぽを向き、そのまま長谷川から離れた位置まで歩き去ってしまった。
そんな未佳の後ろの方からは、半分呆れたかのような言葉を口にする手神と、その発言にしどろもどろのような返事を返す長谷川の声が聞こえてくる。
内心のことを言ってしまえば、未佳だって本当はそういう風にしたい。
これが不自然なやり方だというのは分かり切っている。
利き手の方には結べなくとも、せめて結び目は真上ではなく、外側の方に向けたいのは山々だ。
(でもそうしちゃうと・・・)
だが試しに結び目を外側の方に回してみれば、やはり結び目近くの細くなっている箇所から、少しだけ赤い線が出てきてしまう。
傷が見えてしまっては、スカーフを巻いて隠している意味がない。
(やっぱりできないのよね・・・)
この悲しすぎる結果に、未佳は思わず溜息を吐いた。
と同時に、再び出入り口の扉が『バタンッ』と大きく開く。
誰かと思い視線を向けてみれば、そこには黒の長袖Tシャツを着込み、濃い色のブルージーンズを履いたあの厘が、車を仕舞い終えた栗野と共に立っていた。
「お待たせ~♪」
「小歩路さん!」
「小歩路さん、遅い! 一体いつまで・・・。あれ? 今日は早めだったの?」
ふっと壁に掛けられている時計を見ながら、未佳は厘に問い掛けた。
というのも、まだ時計の針は10時20分を差していない。
いつも遅刻しがちの厘にしては、かなり珍しいことだ。
「実は・・・。渋滞で車が引っ掛かって、途中で捨ててきたんよ」
「すっ・・・、捨てた!?」
「あ、いや・・・。近くの駐車場に止めてきたんやけど・・・。そこから歩いてきて」
「何時に家出たの?」
「出たのは9時半ちょっと過ぎたくらい・・・」
確か厘の家は、この事務所から車で20分くらい走ったところにある。
そこを徒歩で計算すると、色々と面倒な道もあるので、約50分。
そして今ここに着いた時刻が、午前10時16分。
ということは、厘は車で自宅から半年も走っていない計算になる。
「かなり歩いたんじゃない?」
「うん。途中お気に入りのお茶屋さんとかにも寄ったけど」
「寄ったんですか?!」
「寄ったら悪い?」
説教をしたつもりが、逆に厘に睨まれ、長谷川は少々小さく縮こまりながら『いいえ』と返した。
毎度のことなのだが、長谷川はいつも女子軍に怒られてばかりだ。
(もう少し威張るようになりなさいよ・・・)
「もしかして厘さん・・・、素顔出したままこちらに!?」
「あっ、でも誰にも声掛けられへんかったし・・・」
「そういう問題じゃないでしょ! 厘さん!!」
「そうよ! 小歩路さん、私よりもファンの人多いんだから・・・。もう少し変装して、顔を隠すとかしないと・・・」
そう言ってみても、厘は軽く頷く程度。
しかもその表情は、かなり面倒臭そうと言いた気な表情だ。
確かに考えてみれば、普段『自由人』や『猫』というあだ名が付いている女性からしてみれば『変装』というものはありのままを拘束されているのと同じことなのかもしれない。
ふっとそんなことが、未佳の脳裏に浮かんだ。
「じゃ、じゃあ厘さん。今日これが終わったら、車のところまで送っていきますよ」
「えっ?」
そう言い出したのは、厘の後ろに立っていた栗野。
その栗野の発言に、厘は思わず聞き返したが、栗野は笑顔で言葉を続けた。
「私は未佳さんの専属マネージャーであるのと同時に、皆さんのマネージャーでもありますから・・・。それに、この間は車がパンクした時に送ってくれましたし・・・」
「えっ? ええの? やった! すごい助かる!」
(あれ? でも・・・)
ふっとここで、未佳の脳裏にある疑問が浮かぶ。
確か今日の仕事が終わったあと、栗野は未佳を病院へ連れていく予定だったはず。
厘の家は、普段未佳が行っている専門の病院とは逆方向だ。
どう考えても、厘を乗せてしまっては、病院へは行けない。
二人の会話が終わったのを見計らい、未佳は栗野に尋ねた。
「栗野さん。でも今日・・・、私病院じゃ・・・」
「厘さんを送ってから、車で向かいます。それにその方が、時間帯的にも人が空いてますし」
「目敏い・・・」
「えっ?」
「いえ・・・、なんでもないです!」
雑談も程々に、メンバー達は新曲のレコーディングを始めた。
『携帯』
(2008年 5月)
※事務所 控え室。
みかっぺ
「ねぇ、ねぇ、手神さん。手神さんって、どんな携帯が好き?」
手神
「えっ? 携帯? ・・・・・・う~ん・・・。そりゃあ・・・、やっぱり機能が沢山付いてるのとか・・・。あとはパカパカ式かな?」
さとっち
「やっぱりパカパカ式はいいっすよね?! 手に馴染みますし」
手神
「うん。それにボタンが付いてるだけのやつだと、何かの拍子に何処かのボタンが押されちゃいそうだし・・・」
さとっち
「そうそう!」
みかっぺ
「ふ~ん・・・。私最近スライドが気になる」
さとっち
「あぁ~。アレってどうなん?」
手神
「この間スタッフが使ってたやつ借りてみたけど、あれもそこそこよかったよ?」
さとっち
「あっ、ホンマにっ?!」
厘
「みんな何の話してんの?」
手神
「あぁ、小歩路さん」
みかっぺ
「今みんなで『携帯』の話してたの」
厘
「あぁ~っ!!(納得) でもアレって、パンの方はおいしいんやけど、お菓子の方はイマイチやよねぇ~」
みかっぺ・さとっち・手神
「「「えっ・・・?」」」
多分それ・・・『携帯食』のことだと思います(苦笑)