5.新しい明日
翌朝、未佳は壁側に寄るような形で、ベッドに寝ていた。
いつも寝相などによって位置が変わっていたのだが、今日は昨日と丸っきり同じままだ。
ふっと辺りに目を凝らす前に、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのに気が付いた。
どうやら今日は晴れているらしい。
(昨日は曇ってたのに・・・)
そう思いながら起き上ってみると、リオが一人で何かをやっている。
よく見てみれば、昨日の麻縄を交互にねじり、太い縄を作っていた。
だがそうしたところで、所詮首を吊るための長さは足りないし、逆に太すぎて使えない。
縄だって余計に短くなっている。
未佳がそんなリオを見つめていると、リオはいつから気が付いていたのか、未佳の方を一切見ずに口を開いた。
〔起きてたんだ・・・〕
「開口一番にそれ?」
〔他にないし・・・。今の未佳さんに『おはよう』って言っても、全然嬉しくないでしょ?〕
「よく分かってるじゃない」
『朝からこんな会話でいいものか』と思いつつ、未佳はテーブルの上にあったバナナを取り、適当に皮を剥いて口に頬張る。
朝はそんなに食べられないので、これで十分だ。
「それで? 個性的な死神さんは、今何をやってるわけ?」
〔・・・・・・死神?〕
「私からしてみたら、かなり珍しい死神よ。魂をすぐに持っていかないで、私を生かしておくんだから・・・」
〔・・・僕が死神に見えるの?〕
「見方によっては・・・。それで? 何やってるの?」
〔・・・遊び〕
それを聞いた未佳は、コップで飲んでいたお茶を思わず吹き出しそうになった。
どうにか吹き出しはしなかったものの、それと引き換えにあらぬところにお茶が入ってしまい、荒々しく咳き込む。
ヴォーカルとして一番大事な喉が、まさかお茶によってこんな危機に遭おうとは・・・。
しかしそれも、3~4回ほど咳込んだところでどうにか治まり、未佳は気管に入ったお茶が全て胃の方に流れたのを確認すると、再びリオの方に視線を向けた。
「あっ・・・『遊び』って、それが!?」
〔悪い?〕
「・・・・・・随分変わった遊びね・・・」
〔・・・これしかやったことがないんだよ・・・〕
「『やった』の『や』の字にもならないと思うけど・・・」
だが考えてみれば、この家には子供が遊んで楽しめそうなものがない。
元々未佳自身が『遊ぶ』よりも『見る』方が好きなのもあるが、それにしたって遊び道具になりそうなものが無さ過ぎる。
唯一あるので、ピアノやオルガンくらいだろうか。
ふっと軽めの朝食を食べ終え、歯を磨き終わった未佳は、キッチンの奥にあるスペースに置かれたビニール袋を見て、大きく溜息を吐いた。
袋の中には、昨日粉々になってしまったカッターナイフと、あらぬ形に折れ曲がってしまった包丁が入っている。
カッターナイフはともかく、包丁はこれからの生活上、なくてはならないものだ。
何せ未佳の家には今、あれよりもかなり小さい包丁と、パン用の包丁、そして手打ち麺などを切る時などに使う、刃がかなり大きい包丁しかない。
これではかなり不便だ。
「・・・余計な出費ね・・・。腹になんか刺すんじゃなかった・・・」
〔きっと一生言えない台詞だよね。それ・・・〕
「そうかもね・・・」
どうやら今日は仕事がない代わりに、昨日でお払い箱になってしまった包丁の代わりを買わなければならないようだ。
今の時刻は、午前9時53分。
どんなに遅い開店の店でも、10時になれば開くはずだ。
未佳は部屋に戻ると服を着替え、出掛ける準備を整える。
今日は昨日のような全身真っ黒の服装などではなく、袖が焦げ茶色で、上の部分に花柄が入っているマキシマムワンピを着込んだ。
個人的に気に入っているものである。
ただし、この服は半袖。
今はまだ2月の下旬。
まだまだ寒い日が続く時期だ。
現に今日だって、外は晴れているが、気温自体は低い。
そこで未佳は、ワンピースの下にオレンジ色の長袖を一枚着込み、さらにワンピースの上からも、赤茶色のベストを羽織った。
これで準備はOKだ。
「ちょっと出掛けてくる・・・」
〔基本的に付いていくよ?〕
「・・・あっ、そ・・・」
何となくそんな気はしていたので、特にそれ以上は何も言わぬまま、玄関の扉を開ける。
家から一歩外に出てみると、外は晴れているがやはり寒い。
これが暑くなるのには、まだ当分掛かりそうだ。
鍵を閉め、エレベーターで1階へ。
エレベーターの中は、相変わらず無言のままだった。
未佳はドア付近のボタンがある位置に。
リオはその後ろに立っている。
なのにお互い、やはり口は利かない。
だがよくよく見てみれば、リオの目線はあらぬ方向を見つめていた。
どうもエレベーターの上の方らしい。
未佳もそれに釣られて上を見上げ、そして『あっ・・・』と呟いた。
そこにあったのは、1台の防犯カメラ。
もしもの時のために取り付けられているものである。
リオはこれを気にして話さなかったのだ。
防犯カメラには、リオは決して写らない。
昨日の車の影だって、実際には未佳にしか見えなかったものだ。
もしここでリオが未佳に話し掛け、未佳が返事を返してしまったら、防犯カメラには妙な独り言を呟いている未佳が写るだろう。
リオはそう言ったカメラなどに見える未佳のことを気遣って、話し掛けないようにしていたのだ。
だがあのカメラ、よくよく思い出してみれば、盗聴機能等は付いていない。
高い金額を出して取り付けたわりには、映像しか撮れないポンコツ品なのである。
つまり未佳がカメラに背を向けてしまえば、リオと話すことは可能だ。
未佳は視線をドア付近のボタンの方に戻し、顔をやや下の方に向けながら、ボソッと口を開いた。
「話し掛けてもいいわよ」
〔!・・・〕
「あのカメラ、音録れないから・・・。私がカメラに口元を撮られないようにすれば、別に怪しまれないわよ。私普段、この場所のこの位置にいるから・・・。今更怪しまれないだろうし・・・」
〔こんなに広いエレベーターなのに、立ち位置はそこなの?〕
「不審者から逃げやすいし、ブザーのボタンも押しやすいから・・・。監視してる人にも、そんなに自分の姿、見られたくないし・・・」
率直な感想だった。
未佳はライヴやイベントなどで見られるのは大好きだ。
昨日はあんなにライヴに対して色々と言ってはいたが、実際のところ、ライヴは大好きなのである。
単に練習期間が苦手なだけなのだ。
だがこういうものは、どうにも好きになれない。
その前に好きな人の方が少ないだろうか。
とにかく嫌いなのだ。
この時の人々の目は、ライヴの時とは違う。
どこか怪しいところはないか、おかしいところはないか、そう言った感情のみで人を監視する。
嬉しさや感動、期待などとは真逆。
似ても似つかない感情だ。
そんなもので見られるのなんて、正直言って不愉快だ。
寒気がする。
だが家の段数を考えると、階段はまるで上り下りのエスカレーターを、その流れに逆らって歩いているに等しく、ある意味エレベーターは已むを得ずなのだ。
未佳は1階へ下りると、昨日栗野の車が通ってきた通りとは逆方向の通り道へと歩き出した。
〔栗野さんは?〕
「一々買い物なんかで呼ばないわよ。家から近いんだし・・・。毎日こんなんじゃやっていけない」
〔危険じゃないの?〕
「この辺の人はみんな、私のことを知ってるから・・・。そんなに見ても騒がれないのよ。おまけに通りに交番があるから、あんまり悪さをしようとも思わないしね」
〔ふ~ん・・・〕
それを聞いて頷きながら、リオは未佳の後ろをついていく。
右へ左へと何度も曲がり、時々車の出入りを確認しては、また歩き進む。
そして交番の真隣りの通りへ出てみると、幾分かひらけた場所へと辿り着いた。
周りにいろいろな店屋が並んでいるところを見ると、どうやら商店街らしい。
そしてその商店街の一本道を進んでいくと、少し先の方にスーパーの看板が見えてきた。
どうやら、未佳が向かっていたのはここらしく、未佳は道を曲がって店内へと入る。
まだこんな時間だというのに、今日は土曜日のせいなのか、駐輪場は満杯状態になっていた。
〔すごい数の自転車だね〕
「よくお年寄りが買いに来るから・・・。おまけに今日、第4土曜日でしょ? 考えてみたらセールの日だったわ・・・」
確かに未佳の言ったとおり、入り口には『セール』の文字。
そして店内は、何やらセール品をせしめる気満々のおばちゃん達が、あちらこちらに目を光らせながら歩いている。
未佳はそんな人達を横目で見つつ、エスカレーターで最上階へと向かう。
包丁が売られているのは、4階の生活雑貨売り場だ。
向かってみれば、やはりセール品を狙ったおばちゃん達が目につく。
とはいえ、彼女達の狙いは洗剤や入浴剤であって、刃物類ではない。
(普通、包丁とかをセールにすることはないわよね・・・)
『なってればいいのに』という呟きはさておき、未佳はそそくさと刃物売り場へと向かう。
売り場を見てみれば、鍵付きのガラスケースに入れられた包丁がズラリ。
それもかなりいいお値段だ。
(安くて4000円代・・・。残り半年の命なんだから、もう少し手頃なのが欲しいのに・・・)
しかし、世の中はそう甘くはない。
そもそも余命などの事情を知っていて、安く売り出す商品などあるはずがない。
未佳は無理を言っていると思いながら、近くを歩いていた女性店員を引っ張る。
「あの・・・、すみません」
「はい」
「あそこにある、上から2番目のあの包丁を頂きたいんですが・・・」
「上の棚の・・・、右側ですか? それともひだ」
「右側の方です」
「かしこまりました。鍵を借りてきますので、少々お待ちください」
店員はそう言うと、半分小走りでレジへと向かい、レジの引き出しから鍵を取り出す。
『ガチャリ』と素早くケースを開け、未佳が言っていた包丁を手に取った。
「お買い物は・・・」
「えっ? え、えっ~と・・・」
まだ買い物を続けるかどうかを尋ねられ、未佳は少し考える。
一応今日はセール日。
少しぶらぶらしていてもいいかと考えた。
「まだ、ちょっと」
「かしこまりました。カゴはどうしはりますか?」
「あ、じゃあ・・・、お願いします」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
買い物カゴと包丁を店員から受け取った未佳は、ふっと洗剤売り場に目を向けた。
前に何かの本で読んだことがある。
塩素系の洗剤と酸素系の洗剤を混ぜると、かなり強力な塩素ガスが発生し、それを密室環境で吸い込み続ければ、人間はすぐに死亡すると・・・。
最初の階段で没にした毒ガスだが、考えてみれば、あれなら誰にでもできる。
ただ単に、その二つを混ぜ合わせればいいのだ。
未佳は洗剤売り場へと向かい、塩素系と酸性系の洗剤を探す。
ところが、塩素系のものは思いの他いくつも見つかったが、もう片方の酸性系がなかなか見つからない。
何となく記憶にあったもので『キラリ』という洗濯用洗剤があったはずだが、それがいつもあるはずの棚のところにないのだ。
いつもここには売られていたものだったので、未佳は『あれ?』と首を傾げた。
その時。
「未佳ちゃん? 何探してるん?」
「えっ?」
ふっと後ろから聞こえてきた声に驚き、後ろを振り返ってみれば、そこには一人の老婆が立ち尽くしていた。
彼女の名前は、西本カナエ。
未佳の家の隣に住む住人で、時々家の前の通路などで会っては、よく世間話などをしていた人である。
いつも未佳のことを孫のように接してくれていたのだが、つい最近自宅で倒れ、ここしばらく病院で入院していたのだ。
だが退院したとは聞いていない。
いつの間に戻ってきていたのだろう。
あまりにも唐突かつ久しぶりだったがために、未佳は驚いたまま声を掛けた。
「か、カナエおばあちゃん・・・!」
「久しぶり。元気にしとったか?」
「え?・・・ええ・・・。それよりカナエおばあちゃん、もう大丈夫なんですか!? 家で倒れたって・・・」
「アッハッハッハッ! そない簡単に死んだりせぇへんわ。4日くらい前に、家に戻ってきたんや」
「そうだったの・・・。私、なかなか戻ってこなくて心配してたから・・・」
「ハハ。ところで、何か探しとったんか? 洗剤売り場ウロウロしよって・・・」
そう問い掛けられ、未佳は西本に探している洗剤名を言った。
カナエも時々あの洗剤を使っていたので、商品名だけでもモノは分かるはず。
尋ねてみると、何とも意外な返事が返ってきた。
「回収中やで?」
「かっ・・・、回収!?」
「んだ。なんでも、なんかイケンもんが入とったとかで・・・。その会社が作った洗剤、全部そうやと」
「そ、そうなの?!」
「ニュース、見てないんか?」
「・・・・・・」
これが自分絡みで起こっていることなのかどうかは分からないが、未佳からしてみればタイミングが悪い。
とにかく、しばらくは死のうとしてもこうなのだろう。
さすがに諦めて踏ん切りを付けるべきか。
(・・・・・・分かったわよ・・・。とりあえず期限が切れるまで・・・、こうやって生きてればいいんでしょう・・・?)
「ん? どないした?」
「えっ? ううん・・・、なんでもない。そうなんだ・・・。ありがとう! じゃあカナエおばあちゃん。また今度ね」
「ん。んじゃな」
西本と分かれた未佳は、結局包丁しか買わず、レジへと並ぶ。
すると何故か、店員はわずかな時間の間に何度も、未佳の左腕をチラチラと見つめているのだ。
気になった未佳がそちらに目を向けてみれば、そこには昨日リストカットに失敗し、内出血が起こっていた左手首が、きれいに袖口から露わになっていた。
どうやらレジ係りの店員は、未佳がリストカットを行ったことがあるのだと気がついたらしい。
しかも、そんな女性が買いにきた品が包丁というのは・・・。
「これ! ・・・ファイルで切っただけですから・・・」
咄嗟に嘘を吐くと、店員はそれを信じたいのか、はたまたその傷を見続けていたことに気が付いたのか、慌てて包丁を袋に入れ、レシートと一緒に手渡す。
それを受け取った未佳も、そそくさとその階を後にした。
恥ずかしくて居てもいられない。
その後は不自然ながらも、問題の傷のところを押さえながら、階段を駆け下りていった。
※第6話からはこちらの欄にて、CARNELIAN・eyesメンバーによる文章コントが掲載されます。
興味のある方は最後の方まで、是非覗いてみてください。
なおこちらに書かれている文章コントの設定は、坂井未佳が『予約死亡』になる前の2010年2月から、バンドとしてデビューした2000年8月までの出来事をネタにしています。