4.『予約死亡』の期限
エレベーターに乗り込んだ未佳とリオは、その後は一切として、会話を交わそうとはしなかった。
正確には、未佳がリオに話し掛けないから、リオが話さないのである。
リオは基本、未佳の問い掛けや言動などに答えているだけ。
自分から率先して話そうとは決してしないのだ。
結局そんな状況が数秒ほど続いたところで、エレベーターは未佳の家がある21階へと到着した。
無言の中で鳴る『チーン』という音が、何とも空しく虚しい。
扉が開くと、未佳はリオには目もくれず、スタスタと自分の家の方へと歩く。
そして家の前に着いた時、いつの間にかリオが足音もなく、未佳の後ろに立っていた。
「いきなりいると怖いんだけど?」
〔別に幽霊なんかじゃないから、未佳さんには何にもしないよ・・・。むしろ・・・、今は未佳さんが幽霊だし〕
「余計なお世話よ」
先ほど出入り口で使ったのと同じ鍵で、未佳はドアを『ガチャッ』と開ける。
そして奥へ進もうとした未佳は、ふっと玄関で足を『ピタッ』と止めた。
明かりが点いていないとはいえ、室内は異様に暗い。
半分どころではなく真っ暗な家の様子に、未佳は『何があったのだろうか』と宙を仰ぎ、そしてハッとあることを思い出した。
「そっか・・・・・・。カーテン閉めたまま出て行ってたんだっけ・・・」
〔夜はともかく、昼間は変だよ〕
「開ける必要ないと思って、そのままにしてたのよ! 開ける人もいないと思ってたし・・・」
〔じゃあ・・・、遺書とかも書いたの?〕
「書いてたらもうとっくに奥に進んで破いてるわよ。誰にも見られたくないし・・・。それに、その日その日で文章の文字が変わるの。6ヶ月後なんて言ったら、文章や内容だって大分変わってるわよ。元凶的な内容は除いてね・・・」
『変わる』と言っても、文章の語尾や内容の順番などの話だ。
内容自体は大きく変わらない。
そしてそんなことがあって色々と面倒臭いから、遺書はだらし無いながらも書かなかった。
こういう場合、下手をすれば死亡内容が『自殺』ではなく『他殺』になってしまうこともあるが、正直今日の未佳から言わせてもらえば、そんなのはどうでもよかった。
巻き込まれたら巻き込まれたで、それは『まあ、頑張って』程度しかこちらは言えない。
どうせこの部屋を調べれば『他殺』という線は薄くなる。
家を出て行ったのがかなり早かったわけでもないのに、窓のカーテンが全て閉まっていて、さらにサンプル用の曲を入れていたテープが全て消されていたら、それを不審がらない人はまずいないだろう。
あのメンバーであれば、それこそ頭に『絶対』の2文字が付くほどだ。
未佳は靴を脱ぐと、右側の壁にある電気のスイッチを押し、部屋の明かりを点ける。
室内の明かりも、下と同じ茶色掛かった電球なので、明るさ的にはやや暗い感じだ。
玄関の先にある扉の向こうが、自称『楽曲の誕生場所』。
正確には家のリビングで、そこには楽曲の曲を作るための楽器などが大量に置かれている。
実際にリオがその部屋に言ってみると、普通の日常生活用品の他に、電子ピアノや電子オルガンなどが数台。
床には何も書かれていない楽譜の束が、纏まってはいるものの置きっ放し。
だがそれよりもリオが気になったのは、バンドの役割上、彼女には関係ないはずの楽器が置いてあったこと。
〔あれ・・・。アコースティックギターだよね?〕
「・・・それがどうかしたの?」
〔未佳さんは作曲とヴォーカル担当でしょ? アコースティックギターなんて、バンドの活動なんかじゃ必要ないんじゃ・・・〕
「趣味で好きな楽器くらい、持ってても別にいいでしょ?」
〔ギター、好きなの?〕
「・・・全然弾けないけどね・・・。指が思うように押さえ付けられないの」
〔ふーん・・・〕
(! ・・・・・・っというかあの子・・・、自分から話すことはないんじゃなかったの?)
内心自分の予想とは違うと思いつつ、未佳はカバンを赤茶色の縦縞が入っているソファーに放り投げると、そのまま自分の部屋へと入ってしまった。
やや部屋の奥から物音がする。
やがて戻ってきた未佳の手には、何故か太さ3センチほどの長い麻縄が握られていた。
何をしようとしているのかは、未佳が上ばかりを見つめている時点で、もう分かり切っている。
〔・・・死ねないよ〕
「試すだけよ」
〔止めた方がいいと思うけど・・・〕
「・・・うるさい」
〔それにあそこで死ぬんじゃなかったの?〕
「うるさいっ!! 死ねるならこの際何処でもいいわよ!!」
〔じゃあやれば・・・〕
「ッ・・・!!」
頭にきた未佳は思わず、リオの頬目掛けて平手を伸ばした。
だがいざ叩いてみても、未佳の右手の平には痛みも感じないし、平手打ち特有の『パンッ!』という音もしない。
未佳の右手は、リオの顔をすり抜けていた。
「っ・・・っ・・・これじゃあ時間の無駄ね・・・」
〔そうだね〕
「・・・・・・あそこなら・・・、渡せるかしら・・・」
未佳が目を付けたのは、リビングの天井の中心部。
実はそこには、天井の平らな面に一か所だけ、直径10センチほどの凹みがあり、その凹んでいない両隣からは、太さ5センチほどの長方形の長い板が渡されている。
まるで首吊り用の凹みに見えるだろうが、実はそれも強ち間違ってはいない。
あの凹みは元々、ぶら下げ式の飾りやシャンデリアなどを取り付けるためのもの。
その証拠に、板の裏にはコンセントも付いている。
ちなみにそれを知ったのは、住人でありながらごく最近だ。
前から変な凹みだと思ってはいたが、そこまで深く考えなかった。
そもそもこの家が音楽関係者だけでなく、インテリアなどもそれなりに考慮した創りだというのを知ったのも最近のこと。
ここで自殺の練習やらをやらなければ、おそらく一生気付かなかっただろう。
未佳は縄で小さな輪を作り、そこの円の中に縄の尾を通した。
これが首を入れる土台。
さらに椅子を使って、天井のその凹みのところにある柱に、しっかりと縄を結ぶ。
これで準備はOKだ。
ただ一つ心配なのは、柱が未佳の体重に耐えられるかどうか・・・。
『シャンデリア』と言っても、基本的にあんな巨大なものではなく、インテリア用の小さなモノだ。
重さで言ったら、大体重くても4キロほどだろうか。
買った試しがないので、そこまで詳しくは分からないが、おそらくそれくらいだとは思う。
そして未佳の現在の体重は、痩せてはいるものの身長の関係もあるので、大体50キロぐらいだろう。
持ち堪えられるかどうかとなると、可能性的に駄目なような気がする。
(折れたら折れたで、別のやり方にすればいい・・・。ここで考え込む必要なんてない・・・)
未佳はそう自分で復唱しながら、縄の輪の真下に椅子を置く。
その上に乗ってみると、少々縄の輪の位置が頭ではなく、首の下辺りになってしまった。
少し長めに設定してしまったようだ。
しかしこの長さでも、輪の中に首を入れてぶら下がったところで、足は床には届かない。
それも見越していたので、未佳は首を縄の輪に通し、椅子を右足で倒した。
「うっ・・・っ・・・くっ!」
『ギリッギリッ』と、縄が上の方で小刻みに鳴る。
柱のこともあったので、未佳は足をジタバタさせながら『まだか!』と何度も上を見上げた。
ふっと、その時。
「キャッ!!」
『バタンッ!!』という大きな音と共に、未佳は床に叩き付けられた。
正確には、落ちたのだ。
さらにそんな未佳の頭の上に、今度は折れただけでなく、釘も抜け、内部に埋め込まれていたコンセントのコードも切れてしまった柱が落ちてきた。
運が良かったのは、その柱が角から落ちなかったことではあったが、今の未佳からしてみればツイてないことである。
「痛っ、たーい・・・。・・・・・・やっぱり柱がモタなかったか・・・」
折れた柱を見ながら、未佳は縄の痕が少しだけ付いた首元を摩り、問題の縄を持ち上げる。
そしてその行動により、またしても未佳は驚いた。
なんと柱だけではなく、何故か麻縄まで、真ん中辺りでざっくりと切れていたのである。
ただでさえ丈夫な麻縄が、こうも簡単に切れるはずがない。
よく漫画などの首吊りシーンで使われているのだって、モノはこれのはずだ。
そうそう簡単に切れるものとは考え難い。
「なんで縄まで・・・。切れ目なんて何処にも・・・!」
しかも縄が切れている位置は、未佳が首を通した部分と、柱に結んでいた部分の真ん中。
つまりぶら下がっていた個所になる。
そこから切れているということは、首吊りのリベンジは不可能ということだ。
縄の長さが足りない。
「っ! ・・・もう!! じゃあ別のやり方のなら・・・!!」
続いて未佳が取り出したのは、こともあろうにカッターナイフ。
どうやらリストカットをするつもりらしい。
未佳は単純に、その場で息を深く吸い込み、カッターナイフを左手首に当てたまま、勢いよく引いた。
「っ・・・!! ・・・あ、れ?」
てっきり『切れた』と思ったのだが、手首には傷一つ付いていない。
その代わり、何やら手首に赤茶色のカスが付着している。
においを嗅いでみると、微妙に血のようなにおいはしたが、血ではない。
サビだ。
「なんでサビてるのっ!? 取り出した時は普通だったのに・・・!!」
その後も何回も引いてみたが、結果は同じ。
そればかりか、挙句の果てにはカッターナイフの刃がボロボロに折れかけていく始末。
まるで、ポテトチップスで手首を切ろうとしているようだった。
「フッ・・・。何がなんでも死なせないつもりね・・・。だったら、こっちだって・・・!!」
未佳はそう言って、カッターナイフを床に投げ付けると、今度はキッチンにあった、刃渡り20センチほどもある包丁を取り出した。
その包丁で、右手首を切ることにしたらしい。
やや手首に冷たい感触を感じながら、未佳はカッターナイフの時とは違い、目を背けながら引いた。
「いっ・・・!!」
今度は『痛い』と感じたが、血が手首を伝う感触はない。
その前に、血が出ている感触がない。
未佳は恐る恐る、自分の手首を見てみる。
一瞬派手な赤い色が見えて、未佳は再び目を背けたが、やはり流れている感じはしない。
もう一度見てみると、血は出ているものの、切り口からは流れていなかった。
内出血だ。
「えっ!? なっ・・・、なんで中が切れてて、外側は一切切れてないのよっ!!」
カッターナイフ同様繰り返し切ってみたが、それ以上の変化は起こらなかった。
普段は硬い肉類もしっかり切れる包丁だというのに・・・。
「ああっ!! もうっ! こうなったら・・・!!」
未佳はそう叫びながら、両手で包丁の柄を持つと、それをなるべく上へ持ち上げ、息を整えた。
腹に刺す気だ。
未佳の手が微かに、その行動を取る上で震える。
恐怖はあるはずなのに、死ぬためなら何でもやりだす自分が、初めて『恐い』と感じた。
私の心はこんなにも、ズタボロなのか、と・・・。
「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛・・・ッ!!」
未佳は一気に腹部に包丁を突き刺し、その場に倒れた。
それからどれくらい経っただろう。
しばらくそうしていた未佳だったが、意外なことに意識自体はハッキリしていた。
あとどれくらい血が流れれば、私は死ねるだろう・・・。
そう思いながら、未佳は右手を見てみる。
血は付いていない。
最初は驚いたが、考えてみれば傷口を触っていなかった。
触るのは少し抵抗があったが、未佳はゆっくりと傷口付近に手を伸ばす。
何か硬いものに触れ、一瞬手を少し引っ込める。
どうやら包丁のようなのだが、どの部分なのか分からない。
ただ触れた個所が冷たかったので、刃先の方だとは思う。
だがその包丁の刃先が、何だか曲がっているような感じがしたのだ。
(気のせい・・・?)
そう思いもう一度手を伸ばしてみる。
やはり曲がっている。
しかも、刃先を触っているのに、指に血が付いていない。
さすがにただならぬ予感を察した未佳は『バッ!』と、その場から起き上がった。
と同時に、腹部の上から『カランッ!』と、何かが転げ落ちる。
目を向けてみると、そこには刃がグニャリと潰れて曲がった包丁が、床に転がっていた。
日常生活等では絶対にあり得ない現象である。
「うそ・・・。曲がるわけ・・・っ!!」
腹部にも触れてみるが、当然刺さってなどいなかった。
死なせないようにするためなら何でもやるつもりなのだろうか。
未佳は思わず、その場に力尽きたように座り込んだ。
「・・・・・・・・・・・・」
〔気が済んだ?〕
「・・・・・・えぇ・・・。もう十分よ・・・」
〔予約が切れれば死ねるよ。『予約死亡』と同じで、死んだ事実は取り消されないから・・・〕
リオのその言葉を、未佳は聞き流すように聞いていた。
体力を使い果たしたような錯覚にあっていた未佳にとって、今のリオの言葉は、正直な話どうでもいい。
ふっと未佳は、聞き流すようにして聞いていた『予約死亡』の単語で、あることを思い出した。
そういえば一番気になっていたことを、未佳はまだ聞いていない。
「・・・ねぇ? 『予約死亡』の期限が切れるのは何時なの? 『6ヶ月後』っていうのは把握してるけど・・・。細かな数字は聞いてないわよ」
〔『6ヶ月』は単純に、1ヶ月30日が6個ってことだよ〕
「・・・つまり、死ぬまであと180日・・・。今日が2月の25日だから・・・・・・・・・8月の・・・・・・23日!? 10周年記念日の2日後じゃない!」
ふっと自分の後ろの壁に掛けてあったカレンダーを見た未佳は、思わずリオに向かってそう声を上げた。
10周年記念日が期限の切れる2日前に控えているような時期では、もしかしなくともライヴは行われるだろう。
それも、10周年記念日が最終日になるようなツアー日程で。
それを考えただけでも、未佳は気が滅入ってしまいそうな想いだった。
そもそもこの日に死のうとしたのだって、ライヴなどが始まってからではやりにくくなってしまうと思ったからなのだというのに。
カレンダーの日付けに言葉を失った未佳の隣で、リオはやや冷たく言い放つ。
〔別にこの日付けは、僕が決めたわけじゃないから・・・。ただ未佳さんが飛び降りた日から逆算したら、この日になっちゃうんだよ〕
「・・・・・・・・・・・・はぁー・・・・・・。もういいわ・・・。あと6ヶ月間、生きてればいいんでしょう・・・」
ようやく諦めが付いた未佳の横で、テーブルの上に乗っていた目覚まし時計が『カチャリ』と、12時を差した。
予約死亡期限切れまで あと 179日