3.なかったはずの帰宅
午後5時36分頃、未佳達のPV撮影会は、完全にお開きになった。
皆がそれぞれ、自宅や他に用のある場所へと向かっていく。
未佳達はというと、この日は珍しく、撮影以外は何もない。
なのでそれぞれ挨拶を交わした後、事務所をあとにしていた。
男性軍は、もう既に二人ともご帰宅中。
最後まで残っていたのは、女性メンバーの未佳と厘、そしてマネージャーの栗野だけだった。
「もう! なんで男って、ちょっとやっただけで疲れるん?! 手神さんなんか、リーダーやのに脱力しとったし・・・。あんなんライヴと比べたら、めっちゃ余裕やん!」
「仕方ないわよ。みんな、かなり緊張するみたいだし・・・。プレッシャーを感じやすいのよ」
「というより、男共はリラックス自体があんまりできないのよ。女子はそういうの強いからねぇ~・・・。自分が物差しになりガチなのよ」
「せやけど!」
「まあ・・・。納得できない気持ちも、分からなくはないけど」
栗野と厘はしばらくそう言い合いながら、未佳と一緒に事務所の正面玄関へと向かった。
正面玄関は、1階の長い渡り廊下を歩いた先にある。
正面玄関の外には6段の小さな階段があり、そこを下りた先は、車一台が何とか通れる車道があるのだ。
厘は毎回、車に乗って事務所にやってくる。
車はいつも、正面玄関の左側にある乗用車5台が収納できる程度の、比較的小さな駐車場に止めているのだ。
ちなみに厘の車は、小さくて丸い、藤色のワゴン車。
定員人数は4人だが、基本的にそこまで人を乗せたことはない。
多くても3人くらいである。
厘は正面玄関を出てすぐに駐車場へ向かうと、鍵を差し込み、車のエンジンを掛けた。
それとほぼ同時に、未佳達の方に視線を向ける。
「二人とも、今日は・・・。乗る?」
「あっ、今日はいいわよ。この間乗せてもらったし、まだ時間も早いから・・・」
「厘さん、お先にどうぞ」
「そ、そう・・・? ほな・・・。みかっぺ、また今度ね。栗野さんも、お疲れさまでした~」
「お疲れ」
「はーい、じゃあね~」
二人は厘の車に手を振りながら、その車が大通りに出るのを待った。
そして無事大通りに出て走り出すと、未佳は手を振るのを止め『さてと・・・』と、辺りを見渡す。
確かいつもこの辺に、栗野の白い軽乗用車が止めてあったはずだ。
そう思って辺りを見渡すと、案の定、厘の車が止めてあった場所の後ろに止まっていた。
「じゃあ、未佳さん。私達も帰りますか」
「そうね。またいつ仕事の連絡が入るか分からないし・・・」
それとは別に、未佳には色々と調べたいこともあった。
『本当に死ねないのか』とか・・・。
栗野が車の鍵を開けると、未佳は最後部座席の一番左側の座席に座った。
家に着いた時に、こちら側のドアからすぐに出られるからである。
いつも未佳が座る場所は、そこだった。
ちなみに送り迎えを栗野が行っているのは、自分達のファンに見つからないようにするため。
握手やサインを求めてこられるくらいならまだしも、調子にノって記念撮影や、連れ回し的なことに巻き込まれては危険だ。
仮にも未佳だって一人の女性。
ライヴの終わったあとの出待ちなどを見ていると、とても『ない』とは言い切れない。
厘の方もファンの多さを考えると、一人で帰らすのはかなり危険だとは思う。
だが彼女は車を持っている。
それで幾分か守られているのだ。
しかし未佳は、車どころか運転免許証すら持っていない。
だから毎回、栗野が車で送り迎えを行っているのである。
栗野がエンジンを掛けたと同時に、車はゆっくりと走り出した。
厘と同じように余裕で大通りに出て、まるで白いライトが流れるかのように走る車の列に入る。
茶色いライトが照らす車道の下を、車は突き進んだ。
「未佳さん、ところで新曲の案は? 今の時点でできてます?」
「やめてよ。今終わったばっかりなのに、仕事の話なんて・・・」
「スミマセン。実は厘さんが『作詞作業はまだなの?』って、訊いてきてて・・・。アレンジとかレコーディングの作業が長かったから、そう言ってきたんでしょうけど」
『CARNELIAN・eyes』の作業工程は、まず最初に未佳が曲を作り、それに厘が歌詞を付ける。
そのあとで、メンバー全員が顔を合わせて話し合い、アレンジ等を行っていくのだ。
つまり厘は『未佳が作った曲がなければ、作詞の作業はできない』というワケなのである。
栗野のその話を聞いて、未佳は溜息を吐いた。
というのも『もうその作業をやることはない』と思って、作曲のサンプルを全て消してしまったのだ。
一応メロディーやキーなどは、ある程度の把握はできている。
とりあえずそれ自体はどうにかなるだろうが、また一から撮り直さなくては・・・。
「一応・・・。サンプルみたいなのはできてるから『使えそうになったら渡す』って、小歩路さんに伝えておいて」
「はいはい」
半分微妙な反応で、栗野は未佳に返事を返す。
一方の未佳は、一応その返事を聞いた後、窓側に頭をコツンと傾けた。
何処を見ているとも言えぬ目に、次から次へと流れるように変わる景色や街灯が映り込む。
色々な部分で疲れた。
今は何処から何処までが現実なのかは分からないが、とにかく早く明日を迎えたい。
明日にはきっと今よりも、今日の出来事がハッキリしていて、多少は落ち着けるようになっているかもしれない。
ふっと厘が前に言っていた『人間は寝ている間に、物事を考え続ける』という言葉を思い出した。
(私は明日・・・、どんな結論で納得するのかしら・・・)
そんなことを胸中で呟いていた未佳は、ふっとトンネル内の街灯からなる影が、やや奇妙な形をしていることに気が付いた。
ついさっきまでは、この影は車内に置いてある道具、所々の凹凸からなる突起、未佳のシュシュ、輪郭、髪の毛のみだったはず。
なのに何故か今は、その影と一緒に別の影が混ざり、余計に車内が暗くなっているのだ。
気になった未佳は、ふっと自分の隣の座席に目を向け、そして目を見開いた。
「ッ!!」
「! 未佳さん・・・っ!? どうかしました!?」
いきなり小さな悲鳴を上げた未佳に、心配した栗野は慌てて声をかける。
しかし今は車の運転中。
しかも後ろには、バンドの命でもある大切なヴォーカルがいて、おまけに車は今トンネル内。
後ろを振り返るなどと言ったよそ見行為は、今は到底できなかった。
栗野は未佳に声を掛けながら、頻りにバックミラーを覗き込む。
しかし、バックミラーから見た限りでは、何処にもおかしなものや、怪しいものは見当たらない。
もちろん、この二人以外の人の姿もない。
「未佳さん! どうされたんですか!?」
「・・・・・・! あっ・・・、大丈夫です。なんでもないので・・・」
「えっ・・・? でも・・・」
「窓に虫が付いてて、それに驚いただけですから・・・」
「もう・・・。脅かさないでくださいよ。まあもっとも、長谷川さんがいたら、こんなもんじゃないですけどね・・・」
「で・・・、ですよね・・・」
未佳は栗野の話に苦笑いを浮かべながら、再び隣の座席に目を向ける。
いつからそこにいたのだろう。
そこには、蒼い目を光らせたリオがひっそりと、車の座席に座っていた。
未佳の自宅に着いた時、時刻は午後5時半過ぎから、午後6時40分くらいになっていた。
未佳の自宅は『SAND』の事務所がある場所と同じ、北堀江にある。
もっともその場所は、少々北堀江と南堀江の間辺りの、かなり微妙な地区だ。
未佳はそんな場所にある25階建ての、超高層マンションで暮らしている。
高級かどうかはさておき、未佳がそのマンションを住まいに選んだのには、ある大きな理由があった。
それは、楽器の騒音やマイクを通した声などが、隣近所の方に聞こえない構造だったからである。
楽器演奏や歌手など、音楽関係の人間が多い大阪では、そんな人達を意識した建物なども多い。
ましてや音楽事務所などが近くにあるこの地域では、この手の建物の数が尋常ではないのだ。
未佳を含む他のメンバー達も、皆その手の建物で暮らしている。
生憎、皆バラバラの建物ではあるが。
車がマンションの出入り口で止まると、未佳は左のドアを開け、車の外に出た。
一方のリオは扉を開けず、そのまま車をすり抜けて降りる。
今更ながら、リオの存在が『怖い』と感じた。
「じゃあ、未佳さん。また連絡が入りましたら、迎えに行きますので・・・」
「あっ・・・、はい。今日はどうもありがとうございました。それじゃあ・・・」
「はい、また」
そんな会話を最後に交わし、車は再び大通りの方へと引き返す。
しばし誰もいない空間となったマンションの真下で、未佳は横目でリオを見つめた。
「付いてきてたの?」
〔僕は未佳さんの見張り役だから。姿は見えなくても、近くにいるよ〕
「まるでストーキングね。されたことは一度もないけど・・・」
未佳がそう言い捨てると、リオは一人でスタスタと、マンションの中へと入っていった。
その後あとを付いていくかのように、未佳もマンション内へと歩き出す。
中は明るい感じの茶色いライトで照らされ、床は大理石をイメージした感じのタイルで覆われている。
見方によっては、ホテルの受け付け風景などに近いだろう。
上の階へ行く手段は、エレベーターと階段のみ。
そして1階の入り口には、鍵を入れなければ扉が開かない、まさに最新のシステムが導入されている。
はずなのだが、リオにそんなものは通用しない。
余裕ですり抜けて入ってしまう。
未佳はその姿を見てやや呆れながらも、自宅の鍵を扉の鍵穴に差し込んだ。
『ガチャッ』という音と共に、扉が数センチだけ手前に動く。
未佳はその扉のドアノブを掴み、奥へと進んだ。
ふっと視線を上に向けてみれば、リオがエレベーター前でピタッと止まっている。
何をしているのかといえば、エレベーターの扉の上に並べられた1から25までの数字を、ただただ首を上にあげて見つめていたのだ。
「・・・何見てるの?」
〔部屋、何階?〕
「えっ・・・。あぁ、そういうこと・・・・・・」
未佳はようやくリオが何をしたいのかが分かり、エレベーターのボタンを押した。
「21階の一番端。なるほど・・・。部屋がどこか分からなくて、ここから全然動けなかったわけね・・・」
〔探そうと思えば出来たよ? 一つひとつ部屋の中を見ればいいんだから・・・〕
「無理だと思うわよ・・・。私と似た仕事をしてる人、結構いるから・・・」
〔・・・・・・〕
チーン・・・
そんな二人の冷めた会話を止めさせるかのように、エレベーターのベルが静かに、二人の間で鳴った。