38.出発前のアクシデント
朝8時。
未佳はいつもどおり栗野の車に揺られながら、他のメンバーがいる事務所へと向かっていた。
今日は待ちに待ったニューシングル『“明日”と“明日”と“昨日”』のリリース日。
と同時に、大阪での発売イベント当日でもあった。
「未佳さん。一応皆さんと事務所出入り口で落ち合ったら、すぐにロケバスに乗り換えて『大阪スター★フォーラム』に向かいますからね? 私が言ったら、すぐに移動してくださいよ?」
「分かってるわよ。私もそう何年イベントやってると思ってるの?」
「はいはい・・・。今回で丁度35回目でしたね」
「34よ・・・」
ややブスッとした表情でそう答える未佳に、栗野は『あれ?』という声を漏らす。
実は数日前に、未佳は栗野の車の中で『今回のイベントを入れたら、私発売記念イベント35回目よ?』と口に漏らしていたのである。
そのためてっきり栗野も『これで35回目なんだ』と思い込んでいたのだが、実際はまだ1回分足りていなかったらしい。
その理由は、実に単純なものだった。
「まだ東京公演の分は数に入ってないの・・・。それに、私『年』って言ったんだけど? なんで『回』になってるの?」
「だって『回』の方が『年』よりも回数が多いじゃないですか」
「それはそうだけど・・・」
一方未佳と栗野がそんな他愛もない会話を交わしている間、リオは一人車窓から見える景色に目を向けていた。
今日は昨日とまったく変わらないほどの青空が広がっていて、おまけに風も少ない。
ある意味イベントを行うには絶好の天気と言いたいところではあったが、残念なことに気温は予報通り、かなり冷え込んだものとなっていた。
今は車の中なので寒くはないが、一歩外に出てしまえば震え込んでしまうほどである。
〔今日・・・、晴れてるのに寒いのが残念だね〕
「うん・・・。もう少しくらい暖かかったら完璧だったんだけどね」
「えっ?」
「あっ、その・・・。『寒くなかったらなぁー』って、呟いただけ・・・」
「ああー・・・。確かに昨日の夜全然曇ってなかったから、その翌日なんでかなり冷え込んでますよねぇ・・・。あっ! 本番、ポケットにカイロ入れるのOKですからね? 寒かったら好きに使ってください」
そう言われてふっと視線を栗野の手提げカバンに向けてみれば、そこにはざっと60枚ほどのカイロが、ほぼ無理矢理と言った感じに押し込まれていた。
おまけによくよく目を凝らしてみれば、カイロは貼るタイプの大・中・小と、ポケットに入れるタイプの大・中・小、計6種類が詰め込まれていたのである。
普通一人の人間が60枚ほどのカイロを持っているというのはあまりないだろうが、こんな風に全タイプのカイロを持っているという人も早々いないだろう。
(すごい量・・・。もうすぐ春が本番になってくるっていうのに・・・、こんなに必要?)
そんな未佳が疑問を浮かべたのと、車が事務所に到着するのは同時だった。
出入り口付近には早くも、さほど大きくはないグレーのロケバスと、黒いワゴン車が1台だけ止まっている。
ちなみにこの黒いワゴン車は、長谷川や手神達の楽器を運ぶための専用車だ。
車が止まると、未佳はカバンの取っ手部分を『ガシッ』と掴み、急いで車から降りた。
見た限り何処にもメンバーの姿が見当たらないところからすると、どうやらメンバー達は一足先にバスに乗ってしまっているらしい。
その証拠に、機材用車の運転役として外に出ていた2~3人のスタッフ達は、ロケバスの方にやや小走りで向かう未佳を見て、代わる代わるに『早く! 早く!』と口にしていた。
(『早く!』って・・・。ちゃんと予定通りの時間にきたじゃない!!)
〔なるべく早めに現地に着きたいんじゃない?〕
(着いたところで何にもないくせに・・・)
「未佳さん、早くー!」
「はーい!」
半分『これのせいで喉が潰れたらどうする気なんだ』と思いつつ乗り込んでみると、読者をしていた厘やただ座っていた手神の二人が、こちらに向かって手を振っていた。
「みかっぺ、おはよう~」
「坂井さん、おはようございます」
「おはよう。・・・・・・あれ?」
ふっと約1名だけ何の反応も示さなかった男の隣に、未佳は恐る恐る状況確認も兼ねて向かってみる。
そしてその目に映った光景に、思わず未佳は口を開いた。
「さとっち!!」
「おぉっ・・・!! あー・・・、ビックリしたぁ~・・・」
「『ビックリしたぁ~』じゃないでしょ!? 何バスの中でゲームやってるのよ!」
未佳が怒鳴り散らしたとおり、長谷川の両手には真っ白のPSPが握られていた。
実はこうしたゲーム類も長谷川は大好きな人間で、時々仕事場でギターの出番待ちなどを行っている間などに、よくこうしたゲームで遊んでいるのである。
ただしそれはあくまでも順番待ちをしている時の話であって、このようなイベント直前の時などにやっているのはかなり稀な話だ。
「いや・・・。まだ坂井さん来そうになかったから、ええかなぁ~っと・・・」
「ふーん・・・。まあ、そんな風なゲームをやっててまたバスで酔っても、私は知らないから」
「いや、走ったらやらへんからね?」
「どうだか~。そもそもこんな大事な日にゲームをやってること自体、非常識だし・・・」
「言っときますけど、これ全然遊びなんかじゃ・・・あ゛っ!!」
ふっと突然ゲーム画面に向かって声を上げる長谷川に、未佳は『今度は何事だろう』と、問題の画面を横から覗いてみる。
するとそこには、巨大な翼を広げ、口から大量の炎を放つ赤茶色のドラゴンが、かなりリアルな画質でゲーム画面に映し出されていた。
さらにそのドラゴンの足元に目を向けてみれば、そこにはおそらく長谷川がプレイヤーとして動かしていたであろう人間が、その勝利の雄叫びを上げるドラゴンに成す統べなく踏みつけられている。
これだけでも長谷川が声を上げていた理由は十分想像がついていたのだが、ゲーム機の方はまるでそれを確信付けるかのように、ある英文を画面一杯に映し出していた。
ちなみにその映し出されていた英文は『GAME OVER』。
的確な日本語訳は『敗北』。
「あっ・・・ちゃー・・・」
「ほーら! やっぱりゲームやってただけじゃない!!」
「だからちゃいますって・・・!! ほら・・・。今日寒いでしょ? 寒いと指動かしにくくなるやないですか。だからそれを慣らすためにゲームを」
「うそだぁー」
半分長谷川の発言を遮るかの如くそう口にしてみれば、長谷川はやや地団駄を踏みながらそれを否定して、厘の方に視線をチラチラと向けながら口を開いた。
「だから真っ向から否定せんといてください!! さっき小歩路さんにも似た感じで否定されたんですから!」
「だって事実やったやん」
「〔あっ・・・・・・〕」
そのあまりにもサラッとし過ぎている厘の発言に、未佳とリオはそっと長谷川の方に視線を向けてみる。
すると案の定予測的中と言った感じに、長谷川は車窓の方に両手を組ませ、そこに顔を埋めたまま蹲ってしまっていた。
そんな長谷川の姿を見て、先ほどまであれやこれやと言っていた未佳自身もやや心配になる。
さらにそんな不安を一層増させたのは、リオの口から飛び出してきたこの一言。
〔未佳さん! 未佳さん! なんか今長谷川さんの方から『グサッ』っていう感じの音がしたよ?! 何か硬いものが刺さるみたいな・・・。気のせいかもしれないけど・・・〕
(あぁー・・・。それたぶん、小歩路さんの言の葉が胸に突き刺さる音じゃない? 私も感じたけどって・・・! 何イベント前にモメてるのよ!!)
『そういえばこのあとにイベントだった!』と、一瞬忘れかけていた本日の予定を思い出し、未佳は慌てて厘の方に指でバツ印を作る。
しかし厘はその意味が分からないらしく、頭に『?』マークを浮かべながら首を傾けていた。
そんな厘の反応を見て、未佳は簡潔に理由を説明する。
「これ以上言ったらマズイから・・・、ね?」
「あぁ~」
「分かった?」
「でも・・・。なんか雰囲気的に手遅れなんとちがう?」
「え゛っ・・・?」
そう言われて再び長谷川の方に視線を向けてみれば、長谷川はもはや誰が何処から見ても自虐オーラに包まれてしまっていた。
正直言ってこれはかなりマズイ。
「あ゛ぁ゛ぁー! ほら、さとっちも! そんなに塞ぎ込まないでよ」
「いいですよ・・・。どうせ皆が言ったみたいに、僕遊んでただけなんですから・・・・・・」
〔あ~ぁ、認めちゃったよ・・・〕
(・・・・・・ってことはぁー・・・。さっき言ってた『指慣らし』っていうのは本当だったってことか・・・)
だがそんなことを今更思っても、ここまで拗ね込んでしまっている長谷川の機嫌は直るはずもない。
そんなこんなでどうしようかと未佳が右往左往していると、前の方でまた何かが起こっていることに気付いた手神が、様子を伺いにやってきた。
「どうしたの? みんな・・・」
「あ゛あ゛ぁ゛ぁぁ~!! 手神さ~ん! 何とかしてよぉ~!! 小歩路さんの一言でまたさとっちがぁー!!」
〔自分もでしょ?〕
「私一人じゃ無理だから、手神さん何とかしてぇーっ!!」
そう口にして泣きつく振りをしてみれば、手神は厘と長谷川を交互に見渡しながら、とりあえず今のこの状況の確認をし始めた。
まず位置に手神が行ったのは、長谷川を撃沈させた張本人であるという厘の事情聴取だ。
「小歩路さん・・・。また長谷川君に何か言ったんですか?」
「いやね。さとっちがゲームで遊んどったから、みかっぺと二人で注意したんよ。そしたら『これは指を慣らすためにやってるだけだ!』って、言い訳してきたから・・・」
「まあ・・・、実際は本当に指慣らしのためにやってたみたいなんだけどね」
「なるほどぉ~って・・・。長谷川君・・・、いつにも増して負のオーラが」
「『いつにも増して』ってどういう意味ですかっ!! 僕普段から負のオーラむんむんの人間みたいなこと言わんといてください!!」
「だって! 実際さとっちドM・・・・・・あっ」
ふっとそこまで口にしたあとで『これはマズイ!!』と、未佳は口元を両手で押さえ付ける。
だがそんな衝撃発言を、現在負のオーラむんむん状態の長谷川が聞き逃すはずがない。
長谷川はその未佳の発言を聞いた途端、まるでメンバー全員に見放されてしまったかのような表情を浮かべ、再び窓枠の方に塞ぎ込んでしまった。
それも今度は『本気で泣き出す寸前』のような声を上げながら。
「うぅ~・・・。もうみんな知らん。僕は知らへんぞ。・・・みんななんか知らん!」
「坂井さん! 余計に落ち込ませてどうするんですか!」
「すみません・・・。つい内心で思ってた言葉が・・・」
〔あーぁ・・・〕
「今のはウチやなくてみかっぺやからね?」
「まあ・・・。それは当ぜ」
「どっちでも誰でも変わんないでしょー?! みんなで僕を攻め込んで・・・!!」
「いや、僕はそこまで言ってはいないんだけど・・・」
「そうや! えっ~・・・っと、“言の葉 胸に突き刺さり”・・・」
「「「〔・・・・・・・・・・・・〕」」」
ドテッ!!
「もうっ! 小歩路さんはここで詞を書かなーい!!」
「そして僕を歌の歌詞にするなぁーっ!!」
「ちょっ・・・、ちょっと皆さん・・・? もうそろそろ出発なんですけど?・・・」
そんな栗野の苦笑染みた声も届かぬまま、結局メンバー3人によって引き起こされたいざこざは、バスの出入り口扉が閉まる直前まで続いた。
そしてここから、CARNERIAN・eyesの長い4日間が始まったのである。
『まんじゅう』
(2002年 9月)
※事務所 控え室。
みかっぺ
「あっ、おまんじゅう!」
厘
「ホンマや! ・・・でも誰のやろ?」
さとっち
「え~・・・っと・・・。箱には『ワサビ饅頭』って、書いてありますよ?」
みかっぺ
「じゃあコレきっと、栗野さんからの伊豆旅行お土産よ! 栗野さん『伊豆に旅行しに行った』って言ってたから」
厘
「窪みは5つあるんに、おまんじゅうは4つ・・・。最初は5つ入ってたんやね」
さとっち
「じゃあこれは僕達4人の分ですね? ・・・食べますか!」
※というわけで、3人でおまんじゅうを食べてる間に、手神が入室。
手神
「あれ? ・・・皆さん何してるんですか?」
みかっぺ
「栗野さんのお土産のおまんじゅうを食べてるの~♪」
厘
「コレ、生地にわさびが入ってるから、普通のおまんじゅうより爽やかなんよ」
さとっち
「手神さんの分もありますよ?」
手神
「あっ、でも僕これからレコーディング室に行かないと・・・」
みかっぺ
「じゃあ行きながら食べてったら? ほいっ」
※そう言って手神におまんじゅうを渡すみかっぺ。
手神
「じゃあー・・・、そうします。では」
みかっぺ・さとっち・厘
「「「行ってらっしゃーい♪」」」
※その後、手神と入れ代るように栗野が入室。
栗野
「あら・・・? もっ・・・、もしかして皆さん! あのおまんじゅう食べちゃったんですか!?(驚)」
さとっち
「はい♪」
厘
「甘さ控えめやったから、めっちゃ美味しかったよ?(笑顔)」
栗野
「・・・・・・皆さん・・・、何ともなかったですか・・・?」
さとっち
「いや、別に何も・・・。どうかしたんっすか?」
栗野
「いえ、あのおまんじゅう・・・。一つだけわさびが大量に入った“激辛餡入りまんじゅう”が混ざってたんで・・・。あとで皆さんにロシアンルーレットさせようと思ってたんですけど・・・・・・」
みかっぺ・さとっち・厘
(((・・・・・・・・・・・・(蒼白))))
みかっぺ
「手神さーん!!」
厘
「リーダー!!」
さとっち
「食べたらアカーン!!」
なんちゅう土産だよ・・・(ーー゛)




