33.追憶の屋上
未佳達の衣装が無事決まり、長谷川達のいるライヴハウスに着いた頃には、時刻は既に午前11時50分になってしまっていた。
この時間帯では、おそらく今ライヴハウスの中に入っても、すぐに昼食の一旦休憩にぶち当たってしまうだろう。
「タイミング悪いなぁー・・・」
厘が自分の時計を見つめながら、ふっとそう呟いた。
「だね・・・。私達、午後から入ろうよ。練習に」
「それまでどないしてるの?」
「う~ん・・・。私はまだここにいるけど・・・。小歩路さんは先に昼食買ってきたら? そういう潰し方もあるけど」
「あぁ~・・・。なるほどね。ほな、ウチそうするわ」
「うん。じゃあまたあとでね」
「バイバーイ」
そう言って1階へと下りていく厘を見つめながら、未佳はしばらくその場の通路に立ち尽くす。
さっきは厘に何となく用事があるかのように言ったが、実際は何の用事も予定もないのだ。
ただ何となく、一人になりたいような気がしたのである。
この衣装を着た時に。
「・・・・・・はぁ・・・」
未佳はやや勢いのある溜息を吐いたと同時に、体の向きをくるりと変え、通路の先にあった階段を上り始めた。
そんな未佳に、リオは『?』マークを浮かべながら付いていく。
〔未佳さん、どこ行くの?〕
「屋上・・・」
〔・・・屋上?〕
「うん。なんか今はそういう気分・・・。きっとこの服着てるせいね」
と、半分寂しげな笑みを浮かべながらそう口にする未佳に、リオは小さく『あっ・・・』と、声を漏らした。
未佳が着ていたPV衣装用のブラックドレス。
あれは忘れもしない、未佳が屋上から飛び降りた時に着ていたあの衣装だったのだ。
上着やアクセサリー類などの変更は多少あるが、見た感じの印象としてはあまり変わらないその姿に、未佳もリオも一瞬だけ口を閉ざす。
再びリオが口を開いたのは、屋上へと繋がるドアの位置まで、階段を上った辺りからだった。
〔・・・・・・・・・分かってるだろうけど、今あそこから飛び降りても死な〕
「分かってるわよ。死なないんでしょ? ・・・もう随分前から知ってるし、覚えたわよ」
〔ならいいけど・・・。屋上行って何する気?〕
「空くらい・・・、見てもいいでしょ? 久々に屋上に行くんだから」
〔そういえば好きなんだっけ。空見に屋上に行くの・・・〕
その問いに軽く頷きながら、未佳は屋上のドアノブを回してみる。
やはりあの日同様、ドアには鍵が掛かっていた。
『そりゃそうよね・・・』などと思いつつ、未佳は自分の財布の中に仕舞っていた合い鍵を使って『ガチャリ』と開けてみる。
『ギィー・・・』という音と共に開け放たれたドアからは、やや肌寒い程度の風が少しだけ強く吹き込んだ。
未佳はその風に一瞬ぶるりとしながらも、そのまま奥の方へと進んでいく。
屋上から見上げた空は、昨日のように『雲一つない』とは言えないものの、快晴に近い空模様となっていた。
その景色は、まるで未佳が飛び降りたあの日と同じ天気である。
未佳はそんな青空を眩しげに見つめながら、ゆっくりと前の方へと歩いていく。
『コツッ・・・コツッ・・・コツツ・・・』というヒールの靴音が、あの日と同じ光景を思い出させた。
「ふぅー・・・」
天と地上ギリギリの位置まで移動して、未佳は深く深呼吸をする。
あの日のような少しだけ春の香りが混じっている風は吹かなかったが、そこから広がる景色は間違いなく、あの時と同じ町並みだ。
ふっと未佳は、そんなビルの真下に視線を向けてみる。
真下にあるのは、茶色と白のタイルが交互に並べられている遊歩道。
にもかかわらず、そこを通る人はほとんどいない。
(・・・今更なことだけど、私ここから飛び降りてもしばらく見つからなかったかなぁ・・・。丁度事務所の出入り口の反対側だし・・・)
〔どうしたの? ・・・また飛び降りる?〕
「・・・えっ?」
あまりにも唐突過ぎるその発言に、未佳はキョトンとした表情のまま、自分の左隣に立っていたリオの顔を見つめてみる。
その顔がこれまた冗談ではなく本気で問いている真剣な顔立ちだったので、未佳は思わずくすりと吹き出し笑ってしまった。
「ばかね・・・。飛び降りたって変わんないでしょ? どうせここにまた戻るんだから・・・・・・」
〔そりゃ分ってるけど・・・。なんかまた飛び降りようとしてるみたいに見えたから・・・〕
「・・・そう?」
〔・・・うん〕
『そんなにも顔に出していただろうか』と小首を傾げつつ、未佳は再びビルの真下の方に視線を向けてみる。
そしてふっと自分の右隣を見た瞬間、息が止まった。
未佳の右隣に突然現れた女性の姿。
その女性は耳元以外の髪を一つにまとめ、黒いレースドレスを風に靡かせている。
身体を立たせている足はしっかりしているというのに、その瞳には生気が一切として感じられない。
何処そとなく悲しげな表情を浮かべているその顔は、もはや誰の声も聞き入れようとはしないほど、頑ななものとなっていた。
そして何よりも未佳が驚いたのは、その女性の姿。
(あれは・・・っ! ・・・・・・私?!)
そう。
そこに立っていた女性は紛れも無く、あの日の“坂井未佳”その人だった。
ビルから飛び降りる寸前の自分の姿を見ているようで、未佳はしばしその光景に言葉を無くす。
これは現実なのか、夢なのか、それすらも曖昧になっていた。
(どっ・・・、どうして私が・・・!!)
そんなことを思っているうちに、隣に立っていた“坂井未佳”がゆっくりと道のない前の方へと歩き出し、フッと視界から姿を消した。
(落ちた・・・っ!!)
そう思った瞬間、未佳の耳にあまりにもリアルな『ズシャンッ!!』という音が響き渡る。
まるで何か硬いものが砕けるかのような鈍い音に、未佳は恐る恐るビルの真下を覗き込む。
そしてその視界に写った光景に、未佳は一瞬悲鳴を上げかけた。
未佳の見つめる先。
そこには、先ほどまで自分の隣に立っていたはずの“坂井未佳”が、あの茶色と白のタイルが並べられている遊歩道の上に横たわっていた。
体勢的には頭を右側に向け、右腕は自分の頭の近く、左腕はビルのある方向に向いている。
逆に両足の方は、まるで歩いている人を真横で見ているかのように、右足が前に、左足が後ろの方に投げ出されていた。
さらに、そんな彼女の頭部からはかなりの出血が見られ、みるみるうちに頭の下にあるタイルが真っ赤に染まっていく。
『真っ赤』と言っても、実際は『赤』というより『赤に近い黒』と言った感じの色だ。
ここにいてはよく分からないが、おそらくあのタイルの上にある頭部には、かなりの傷があるのだろう。
そして当然のことながら、飛び降りた彼女の両目は完全に閉じ切っていて、身動き一つしない。
つまり彼女は飛び降りた一発目で、完全に絶命してしまったのだ。
「う゛っ・・・!」
〔・・・えっ? ・・・!! 未佳さんッ!!〕
いきなりビルの真下から視線を反らして蹲る未佳に、リオは慌てて駆け寄る。
どうやら今の未佳の身に起こった出来事がまったく理解できていないらしく、口元を押さえたまま下を向いている未佳に、リオはオロオロと戸惑う。
それからしばらく経った後、未佳は一人慌てているリオに対して、ゆっくりと口を開いた。
「・・・リ・・・、リオ・・・」
〔・・・! 何っ?!〕
「私・・・。私が飛び降りるところ・・・、見た」
〔えっ・・・? 未佳さんが飛び降りてるところ?〕
「う・・・、うん・・・。まだビルの真下に、倒れてる・・・。血を流して・・・、倒れてる!」
〔・・・・・・で、でも・・・。誰もいないよ・・・?〕
「・・・えっ?」
そう口にするリオに、今度は未佳の方が慌てた。
あんなにもハッキリと目に映っていた自分が、あそこから姿を消しているなんて有り得ない。
「・・・・・・そ、そんなはず・・・ッ!!」
『ない!』と言い掛けながら、未佳は先ほど自分が倒れていたビルの真下を見下ろす。
しかしそこに、あの“坂井未佳”の姿は何処にもなかった。
さらになくなっていたのは、その“坂井未佳”の身体だけでなく、あんなにもタイル全体に広がっていたはずの血痕ですらなくなっていたのである。
未佳の目の前に広がっていた光景は、屋上に上がってすぐに見た人通りの少ない遊歩道と、茶色と白のものがチェック柄に並べられているタイルだけだった。
(・・・・・・・・・そっか・・・。きっと私が見たあれは・・・)
全ての状況を見た未佳の脳裏に浮かんできたのは『幻覚』という二つの文字。
こんなにもハッキリとしたものを見るとゾッとはするが、不思議と『幻覚だった』と思うと納得がいった。
丁度この屋上にやってきていてすぐ『あそこから飛び降りたら・・・』などと考えていたから、あんな幻覚を見てしまったのだろう。
だがそうは思っても、やはり今のはリアル過ぎる。
よく『自分を知るのは自分だけ』という言葉を耳にするが、あの幻覚はまさにその通りだったと思う。
飛び降りる前に、未佳が少しだけ予想していた死に方と、あの幻覚はかなり似通っていた。
ある意味、あれはあの日の自分がもっとも望んでいた死に姿だったのかもしれない。
「私、今・・・。死んだ自分を見ちゃった・・・・・・。ここで」
〔えっ? ・・・そんなはずないよ。だって未佳さんは〕
「違うの、リオ。あれは単なる幻覚・・・。私が見た、ただの幻覚だったの。・・・・・・・・・でも、すごくリアルだった・・・。私・・・『予約死亡』になってなかったら、きっとあんな風に死んでたんじゃないかなぁ~っていう感じの・・・・・・。すごくハッキリした幻覚」
〔・・・・・・でもそんなの・・・、未佳さんは慣れてるんでしょ? 実際に飛び降りる前にも、そんな想像してたみたいだしさ・・・〕
「・・・・・・・・・・・・」
平然とリオにそう言われてしまった未佳だったが、不思議と未佳はその言葉に『うん』と頷くことができなかった。
一体どういうわけか、あの幻覚の自分が飛び降りて死ぬ瞬間を見た途端、未佳は自ら命を絶つことが『恐い』と思ってしまったのである。
確かにここから飛び降りたあの日あの時は、死ぬことなど造作もないことだと思っていた。
現にあの日は、このビルの屋上でも自宅でも、色々なものを試して死のうとしていたほどだ。
そしてなかなか死ねない自分に苛立っていたほど。
でも今は、何故か自ら死ぬということが『恐い』のだ。
あの自分の本当の最後を見た瞬間、身体が心から凍り付いていくかのような感覚が広がって、あの現実から逃げ出したくなった。
『まだ死にたくない』と、本気で一瞬だけ、そう思ってしまったのだ。
(どうして・・・? なんで『死にたくない』なんて思うの? ・・・・・・まさかまだ、あそこに未練でも残ってるっていうの・・・?)
〔未佳さん・・・? どうしたの?〕
「・・・分かんないよ・・・。分かんないけど・・・、今ね。一瞬・・・『死にたくない』って・・・・・・、思っちゃった・・・」
〔え・・・?〕
「き、きっと・・・。『死にたい』って思った日から、日にちが経ち過ぎたせいね。それでちょっと・・・、気持ちが乱れちゃったのかも・・・」
〔・・・・・・・・・・・・〕
「・・・? リオ?」
ふっと何故か無言でゆっくりとその場から立ち上がるリオに、未佳は声を掛けてみる。
しかしリオはその呼び掛けには一切として答えようとせず、そのままその場から歩き出してしまった。
そんなリオにムッとしながら、未佳はしゃがみ込んだまま声を張り上げる。
「ちょっ・・・、ちょっとリオ! 呼び掛けてるんだから、返事くらいしてよ! リオ!!」
〔時間が経って怖気づくくらいだったら・・・〕
「・・・・・・・・・えっ?」
〔・・・時間が経って怖気づくくらいの自殺願望だったら・・・、自分で死ぬ資格なんかないよ〕
あまりにも唐突過ぎるその言動に、未佳は小さく口を開いたまま言葉をなくす。
一方のリオは、まるで『当然のことを言ったまで』と言いたげな表情を浮かべながら、未佳を半分冷めきった瞳で睨み付けていた。
未佳が初めて聞く、リオのあまりにも冷た過ぎる発言。
そのあまりにも突き放し過ぎる発言に、未佳も堪らずその場から立ち上がった。
「ちょっと・・・、待ってよ!!」
〔・・・・・・?〕
「少しくらい・・・」
〔・・・・・・・・・〕
「少しくらい『死にたくない』っていう気持ちくらい、持っちゃってもいいじゃない! 『今じゃ無理だ』って思うことも・・・。『生きてこうしたい・ああしたい』っていう希望も・・・、少しは望んでてもいいでしょ?! ・・・・・・今はまだ、ここで生きてるんだから・・・・・・。死なずにここで生きてたら、小さな夢くらい。希望くらい・・・・・・見たくなるときだってあるに決まってるじゃないっ!!」
そう声を張り上げる未佳の瞳から、音もなく一筋の涙が零れ落ちる。
しかしそれでも、リオの冷たい表情は何一つとして変わらなかった。
そんな相変わらず冷たい表情を浮かべるリオに、未佳も少しだけ赤くなってしまった瞳で睨み返す。
もちろんリオが口にした言葉も、別に間違っていたわけではない。
こんなに数日経ったくらいで変わってしまう感情なら、むしろ死んでしまう方が馬鹿だ。
それも分かっている。
しかしそれでも、何か楽しいことや嬉しいことが続いてしまうと、そのままその流れに乗りたくなってしまうのだ。
たとえその願いや希望が、いつかは最悪な結果を運んでくると分かり切っていたとしても・・・。
「私がどんな想いで死んだのかも知らないで・・・、言葉だけで押さえ付けようとしないでよ!!」
そう言い残して屋上を飛び出すと、未佳は階段を二段ほど下に降りた辺りで再び蹲る。
両膝を抱え込みながら一人泣き出す未佳に、少しだけ冷たい春の終わりの風だけが、そっと周りに吹き付けていた。
まるで、未佳の様子を時々、確かめるかのように・・・。
『肝試し』
(2009年 8月)
※近くの神社。
みかっぺ
「も~う・・・! なんでこんな真夜中に森の中を歩かなくちゃいけないのよぉ~・・・」
さとっち
「仕方ないじゃないっすか。『真夜中の神社にお参りをして帰る』っていう、肝試しテレビの企画なんですから・・・」
みかっぺ
「嫌だなぁ~・・・。暗いし、怖いし、暑いし・・・」
さとっち
「・・・暑い分には別にいいんじゃないっすか?(苦笑)」
(普通に霊がいると『寒い』って言うし・・・)
みかっぺ
「ねぇ・・・。もしもスタッフの人とかが何か仕掛けてても、ぜぇ~ったいに逃げないでよ?!(念入)」
さとっち
「逃げませんよ!(否定) というかむしろ、坂井さんの方こそ、いきなり逃げ出したりしないでくださいね?」
みかっぺ
「・・・っ! しないわよ! そんなこと・・・!!」
さとっち
「どうっすかねぇ~? 坂井さん、普通に『ギャアー!』とか言って逃げ出しそうやし・・・」
みかっぺ
「だから『ない!』ってば!!(否定)」
さとっち
「いきなり目の前から腕とかが伸びてきて走り出すとか・・・」
みかっぺ
「・・・・・・・・・・・・」
さとっち
「火の玉とか見て泣き出すとか・・・」
みかっぺ
「・・・・・・・・・・・・」
さとっち
「坂井さん、そういうの普通にありそうですもんね」
みかっぺ
「・・・・・・・・・ねぇ、さとっち?」
さとっち
「ん?」
みかっぺ
「もしかしてさとっち・・・。私が逃げ出して一人になっちゃうのが怖いから、そんなこと言ってる?」
さとっち
「・・・・・・・・・・・・」
本当は自分が一番怖がっているという・・・(笑)