26.ネズミ襲来
「「「寒っ!!」」」
3人がレコーディング室へと入ってまず発した一言は、まさかのコレだった。
というのもレコーディング室内の温度は、皆の予想に反して事務所内よりは寒く、外よりはややマシ程度の温度だったからである。
正直言って、期待を大きく裏切られた気分に等しい。
「全っ然暖かくないやん!!」
「いや・・・。僕にキレられても・・・」
「それよりも手神さんは?」
「・・・・・・ここです・・・」
「えっ・・・? え゛っ?!」
「へっ?!」
「あっ!!」
ふっと何ともか細い声が聞こえてきた方向に視線を向けてみれば、そこには黒いコートに身を包み、床にしゃがみ込んだまま震えている手神がいた。
そんないつもとは違う手神の姿に、未佳と長谷川は思わず手神の元へと慌てて駆け寄る。
「手神さん!!」
「手神さん! どうしたの?!」
「『どうしたの』って・・・、寒いんですよ。暖房もう30分前くらいに点けたはずなのに、全然部屋は暖かくならないし・・・。栗野さんは坂井さん呼びに出掛けちゃったし・・・。お二人はなかなか来ないし・・・!!」
「す、すみません・・・」
「すみません、手神さん・・・。でも僕達これでも、めっちゃ早く着いた方なんですよ?」
〔しかも『30分も前に』って・・・。早く来過ぎ・・・〕
「シッ!!」
「とにかく! 早く暖房をどうにかしてください!!」
会話の最後辺りでそう叫ばれ、未佳はとりあえずクーラーの真下へと向かってみた。
このクーラーは、天井の右端に設置されている排気口から、暖房・冷房が出るという仕掛け。
さらにその排気口の機体の後ろからは、壁伝いに黒く長いケーブルが伸びていて、丁度壁の高さの真ん中辺りに、空調や室内などの設定温度を表示、または設定操作を行うための電報掲示板。
そしてその掲示板の下辺りから再び伸びているケーブルの先に、ほぼ部屋の右角にフィットさせるような形で、巨大なクーラーの本体部分が置かれているのだ。
この特徴から言っても、クーラー自体はかなり古い機種の物なのだが、事務所側としてはまだ現役並みに使えるということで、未だに使用しているしだいである。
もっとも事務所内のアーティスト達からは、極一部で『巨大で邪魔』という意見もあるが、未佳達は別に差ほど思ってはいない。
ちなみにこの本体の中はと言うと、かなり入り組んだ配線などが大量に収納されている。
つまり、もしクーラーの調子がおかしくなったとすれば、それはこの本体の中にある配線の不具合によるものの可能性が極めて高いのだ。
しかしいくら長谷川がその本体を確認しても、特に変な音や臭いもなく、見た目的にも異常がある風には到底見えない。
一方の未佳も、そんなクーラーの構造を脳裏に挟みつつ、天井に取り付けられている排気口の様子を窺った。
するとどうやら、クーラー自体は微かに動いているようだ。
しかし真下に居ても熱を感じないのは、どう考えてもおかしい。
かと言って、代わりに冷気が出ている感じもしない。
(なんか変・・・・・・)
「どうです? 坂井さん」
「・・・・・・ねぇ。コレちゃんと出てると思う?」
「ん~・・・?」
未佳が半信半疑な面持ちで尋ねてみると、どうやら長谷川自身も、この動きが妙なクーラーに不審感を抱いたらしい。
『考えてから行動を取る』タイプの長谷川は、まず最初に排気口の真下辺りに椅子を置くと、その上に靴を脱いだ状態で立ち上がり、両手をその排気口の前でかざしてみた。
本来ちゃんとクーラーが点いていれば、やや手を引っ込めたくなるほどの温風が出ていてもおかしくないはずだったのだが、長谷川の表情はまったく変わらない。
そればかりか、かざしている両手を引っ込める気配ですらない。
「さとっち、どう?」
「う~ん・・・。なんて言ったらいいんだろ・・・」
そう呟く長谷川の顔には、もはや苦笑しか浮かんでいなかった。
この様子からも、まったくもってクーラーの暖房機能が機能していないことは、もはや容易に想像がつくことである。
「もしかして・・・・・・。本当に点いてないの?」
「いえ、あのー・・・。なんか・・・、人の吐息レベル? ほぼ出てないに等しいです」
「じゃあ、設定温度上げてみたら?」
「そ、そうね・・・」
とりあえず厘に言われたとおり、クーラーの設定温度を最大の30度にまで上げてみたのだが、温風のレベルはほとんど変わらなかった。
ただ吐息レベルだったものが、少しばかりまとまった風になっただけ・・・。
「ビミョ~・・・」
「えっ? ほとんど変わらないの?」
「・・・うん。たぶんこれ・・・、下が暖まる前に、温風が完全に冷え切るパターンです・・・。はい・・・」
「『はい』って・・・。ウチらどうやって暖まったらええの?」
「暖房がダメなんじゃ、どうしようも・・・」
「そんなぁ~!!」
そう嘆く厘達を尻目に、未佳は壁に取り付けられているクーラーの温度表示に視線を向けた。
温度表示にはハッキリと『室内温度10度・設定温度23度』と表示されている。
(動いてはいるのに・・・、何なのよ! この身を切るような寒さは!!)
その表示されている温度差と言い、朝から寒さに見舞われていることと言い、少々未佳も我慢の限界だった。
そして次の瞬間。
「なんで点かないのよッ!!」
長谷川とは真逆の『考えるよりもまず行動』タイプの未佳は、そう叫んだと同時に勢いよく、右足を一番重要でもある本体部分に蹴りつけた。
『バンッ!!』というあまりにもド派手な音に、3人の口から思わず『ひッ!!』という悲鳴が上がる。
さらに未佳が蹴りつけてからわずか10秒後。
なんとクーラーは『ピー・・・』というか細い電子音を発した後、パタッと完全に停止してしまった。
もちろん設定温度などを表示していた表示画面も、先ほどまで微かに点いていた暖房もぱったり。
このあまりにも意外な暖房器具の最後に、4人は唖然とするばかり。
ようやく出てきた言葉は、蹴った本人を除いてそれぞれ一言ずつ・・・。
〔え?〕
「えっ?」
「え・・・?」
「えっ・・・?」
「・・・・・・こ・・・、壊れちゃった♪」
ドテッ!!
「『壊しちゃった』の間違いでしょ?! 今のは・・・!!」
〔しかも最後の『♪』は何!?〕
「だ、だって・・・。頭にキタから・・・、つい・・・」
「『つい』って・・・。僕いくつも壊してるから知ってるんですけど、電化製品ってかなり弱いんですよ!? ましてや蹴ったりなんかしたら直のこと・・・!!」
「それは知ってるけど・・・」
「・・・・・・・・・あれ?」
そんな未佳と長谷川があれやこれやと言い合っていると、ふっと厘は何かに気が付いたらしく、突然本体の後ろの方へと回り込み、あるものをゆっくりとつまみ出した。
厘がゆっくりと持ち上げたのは、本体の後ろに伸びていた白いコンセット。
「これ・・・」
「もしかして・・・。差し込みが甘くなってたってこと?」
「確かに僕・・・。後ろのコンセットまでは確認しなかったなぁ」
「じゃああとはこれを差し込んで、坂井さんが蹴った影響が出てないかどうか確認するだけですね?」
「一々私の『蹴った』言わないでよ!!」
「!!」
「いや、そうやなくて・・・。ここ・・・」
〔「「「ん?」」」〕
ふっと厘が指差したコードの一か所に、皆はジーッと視線を向けてみる。
そして思わず3人は『あっ!』と声を漏らした。
よく見てみると、そこにはあと少しで中の配線が切れてしまうほどの、大きな掠り傷が付いていたのである。
いや。
正確には『掠り傷』というよりも、何か人工的なもので齧られた感じの傷だ。
そのコードを持ち上げ、長谷川は小さく声を漏らす。
「一体なんでこんな・・・」
「これ・・・。床と大体の間で擦れた感じじゃないよねぇ?」
「うん。何かに齧られた感じに見えますね・・・」
「『齧る』って・・・、虫?」
「や・・・! 止めてくださいよ、小歩路さん!! 僕、虫ダメなんですから・・・!!」
「いや・・・。『虫』というよりもこれって・・・」
未佳がふっとそう言い掛けた、その時。
突然未佳達の真後ろから『カタカタカタッ・・・』と、まるで小さな玩具が転がるかのような物音が聞こえてきたのだ。
その音に、思わず4人は顔を見合わせ、一気に表情を曇らせる。
『まさか・・・』という悪い予感だけが、皆の脳裏を一気に駆け巡った。
「今・・・」
「後ろから物音・・・」
「しました・・・」
「よねぇ・・・?」
半分パニック映画のワンシーンの如く、4人はそれぞれ一言ずつ言葉を発すると、無言でゆっくりと、自分達の真後ろを振り向いた。
そこで皆の目に飛び込んできたのは、自分達のすぐ足元でモソモソと動き回っている、小さな茶色い物体・・・。
そしてその小さな物体は、まるでぜんまいの玩具のように小刻みに動くと、突然未佳達の方を『キッ!』と見上げた。
その黒く大きな両目が、不覚にもメンバー全員の瞳とぶつかる。
もはや叫ばずにはいられなかった。
「「キャアアアァァァーッ!!」」
「「うわあああぁぁぁーッ!!」」
「ネズミっ!! ネズミぃ~っ!!」
「ワ゛ア゛ア゛ァァァーッ!!」
突然のネズミ登場に、未佳達は狭いレコーディング室内を、それこそ四方八方に走り抜ける。
結果最終的に、未佳とリオは出口のドア付近。
厘はそのドアに近い方の左角。
逆にその右角には、手神が一時避難。
そして靴を脱いでいたせいであまり走れなかった長谷川は、一人排気口の真下に置かれていた椅子の上に、ほぼ直立した感じで立ち上がっていた。
こうしてそれぞれの避難場所に身を置きながら、皆はネズミがこの場からいなくなるのをひたすら祈る。
だが本当の恐怖は、まさにこれからだった。
しばし近くを歩き回っていたネズミは、ふっと置きっ放しになっていた長谷川のスニーカーの元へと向かうと、いきなりそのスニーカーの足を入れる箇所の縁を齧り始めた。
その突然の出来事に、長谷川は何としてもネズミからスニーカーを取り上げようと、右手をビクビクしながら伸ばす。
「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁぁ~っ!! 僕のスニ・・・!! コ、コラッ! どっか行け!」
「チュウ!」
「ひぃッ!!」
このネズミが鳴く度にビビる長谷川の姿に、メンバー3人は腹を抱えて大爆笑。
その姿からは、先ほどのネズミに対する恐怖心は一切感じられない。
しかし、スニーカーを齧られている長谷川は必死だ。
何故なら、このスニーカーはやや最近に購入したものでもあり、長谷川の一番のお気に入りでもあったからである。
このスニーカーは、黒地に赤・黄色・緑・青・紫など、色取り取りの小さなドット柄が付いているデザインで、男女共々も人気が高い。
ただ今はまだ新作の枠から外れていないので、値段的に言えば決して安くはなかったが、長谷川はこれを一目で気に入り購入。
ようは衝動買いした代物なのだ。
それをたかがこんなネズミ如きに、ボロボロの不良品なんかにされるわけにはいかない。
長谷川はようやく意を決して、スニーカーをネズミから取り上げた。
「よ・・・、よし! 取ったっ!! ほら! あっち行け!!」
長谷川はそう叫びながら、器用にスニーカーを両足に履き『しッ! しッ!』と、ネズミを右手で掃うかのような仕草を取った。
その時だ。
ネズミはしばらく長谷川の方を見上げていたかと思うと、突然長谷川の方に向かって飛び跳ねたのだ。
その高さは、軽々と椅子の上で立っている長谷川の脛の位置まで。
一応長谷川の身体に飛び乗ることはなかったが、予想だにしないネズミのハイジャンプに、長谷川と未佳達はただただ驚愕。
「!!」
「「「〔・・・っ!?〕」」」
「今飛んだよね?! そのネズミ!!」
「うん! 『ピョン』って・・・、あっ!!」
ふっと未佳と厘が顔を見合わせて話している間に、ネズミは例のクーラーのケーブルを上って、そのまま天井に空いていた小さな隙間の中に逃げ込んでしまった。
おそらく4階の通路下だろう。
未佳はその穴を下から見上げていたが、既にネズミの姿はなくなっていた。
「・・・ダメ。もういないみたい・・・」
「にしても驚きましたねぇ・・・。まさか事務所にネズミが現れるだなんて・・・」
「そんなに事務所、生ゴミ溜まってへんのに・・・」
「そんなことはもういいですから!! 早く事務所のスタッフ達に伝えましょう!! 『ネズミにクーラー壊された』って・・・! おまけに僕の靴までぇ~っ!!」
よっぽどスニーカーを齧られたことがショックだったのか、長谷川はまるで感情が爆発したかのようにそう叫ぶと、今度はさらに狂ったように『アアアァァァーッ!!』と大絶叫。
そんな感情のボルトが緩んだ長谷川を、未佳はとりあえず両肩を叩いて慰めた。
「さとっち分かった、分かったから! お願いだから一番の常識人が錯乱しないで!」
〔(ハハ・・・。これじゃあどっちが年上なのか分かんないよ・・・)〕
「とにかく・・・。みんなと一緒にスタッフルームに行こ。ねっ?」
「・・・・・・・・・はい」
「長谷川くん・・・。もしかして本当に泣きそうになってるの?」
「しーっ!! 手神さん! シーッ!! 今はソコ訊かないで!!」
「あ、はい・・・」
その後未佳達は、突然のネズミ襲来による被害報告をすべく、2階にあるスタッフルームへと向かった。
『健康診断』
(2006年 3月)
※身長測定。
看護婦
「え~っと・・・、身長はぁー・・・」
手神
「あのー・・・。測れぇ~・・・、ますか?」
看護婦
「あっ、はい。一応身長計では測れるんですけど(苦笑) ちょっとメモリが・・・。私の身長が低すぎて見えないんですよねぇ~。ハハハ(笑)」
手神
「ハ、ハハハ・・・(苦笑)」
※体重測定。
高野
「今体重測ったんやけどー・・・。ちょっと身長の割に軽すぎるなぁー」
厘
「えっ? 体重が?」
高野
「う~ん・・・。ちょいと食べなさ過ぎなんとちゃうか?」
厘
「ウチは食欲に関しては貪欲な方です!!(怒)」
高野
「さ・・・、さよか・・・(引)」
※視力検査。
みかっぺ
「右。上。斜め左下。左。・・・下。・・・斜め右下。・・・上。それは~・・・左!」
看護婦
「はい。視力はAですね」
みかっぺ
「・・・へっ? ・・・・・・『A』って?」
看護婦
「えっ? ですから視力ですよ。一番いいから『A』なんです。長谷川さんは、コンタクトを外してしまうと『D』でしたけど」
みかっぺ
(あっ、今そんな表記なんだ・・・(汗))
※問診。
高野
「はい。最近身体のどっかに不調は?」
さとっち
「いや、特には・・・」
高野
「ほな、運動は?」
さとっち
「まあ~・・・。ギターを持ってるだけで運動みたいな感じに(苦笑) 一応、歩いたりとかはやってる方ですけど」
高野
「・・・まああ、ええやろ。ただあんたはもう少し、外に出るようにした方がええなぁ~。そないに白くなるまで引き籠っとったら、かえって身体壊すで?」
さとっち
「あの・・・、元々こんな色なんです・・・(涙)」
みかっぺ以外は色々と大変な健康診断で(笑)