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21.サイン記入の地獄

午後5時34分。

かなり微妙な時間帯に、未佳と長谷川は控え室の中へと入っていった。


中に入ってすぐ二人の目に飛び込んできたものは、言うまでもなく山積みにされた自分達のポスター。

このポスターには、例の新曲CDのジャケットを撮った場所で、まったく別のポーズをとっているメンバーが写っている。

最近のアーティスト撮影は、CD用と取材用の他に、こうしたポスター用も一緒に撮るのが当たり前になってきているのだ。

ちなみに今回のこの写真は、奈良の方のやや山奥な場所で撮ったもので、この時はかなり気温が低かったのをよく覚えている。


「あの時の写真だ・・・」

「CDで使わへんと思ったら、こういうことだったんですね・・・」


半分その写真を見た時は、二人とも『懐かしい』と思いはしたのだが、そのポスターの枚数を見ると、少々そんなことを思っていた気持ちも何処かへ飛んで行ってしまう。


とりあえず未佳は、実際に枚数が何枚あるのかを数えることにした。

このポスターは基本ゴチャゴチャにならぬよう、100枚ごとに粘着力のないテープで一まとめにされている。

予定通り1000枚なら、この束が全部で10束あるはずだ。


「1・・・、2・・・、3、4、5・・・」

「6・・・、7・・・、8・・・。これで9」

「それで9の下にまだ一つあるから・・・」

「10束・・・。1000ですね?」

「やっぱり1000あったかぁ~・・・」

「予想枚数よりも少ないことを願いましたけど・・・、ダメでしたね」

「キィ~ッ!!」


未佳は思わずその場で奇声を発したが、その後は素早く油性のサインペンを取り出し、サイン記入を開始した。

どうやらあれやこれやと文句を言うよりも、1枚でも早く書いてしまった方が早いと気が付いたらしい。

二人のサイン記入は、まず最初に未佳がサインを記入。

その後はそのポスターを、隣に座っている長谷川の方へ。

そして長谷川がサインを書き入れたら、そのポスターを用意されていた段ボール箱の中に入れる、という手動ベルトコンベア作業。


ちなみにサインを入れる場所は、ポスター写真の下の方にある縦10センチくらいの小さな余白。

元はメンバーのメッセージを入れるために空けていたのだが、本番ギリギリになって、それがサイン記入に変更になったらしい。


「まあ、実際・・・。まだこの下に入れる予定だったメッセージも、全然打ち合わせとかやってなかったですもんね」

「そうそう。いつやるんだろうなぁ~って思ったまんま、完全にそれをやることすら忘れてたし・・・。やっと決まったと思ったら、サインに変更って・・・。ねぇ?」

「うん! 急すぎます! しかも空は朝よりも余計にどんよりしてるし・・・。気持ち沈みますよ」


長谷川の言うとおり、今日の空は朝からやや雲が多めで、まったくもって晴れる気配を見せない。

そればかりか、午後になった途端その曇りの度合いがピークに達し始め、今にも一雨降りそうな感じだ。


そんな空をやや見つめながら、未佳はふっとこんなことを口にした。


「それに・・・。事務所もやり方が酷いわよね・・・」

「えっ?」

「だって・・・っ! オフィシャルサイトには『CDに数量限定でポスター券を同封』なんて言ってるくせに、実際には初回のやつにしか入れてないのよ? それに、イベントには確実にその券が入ってるCDを、一つの会場で300枚ずつ販売。しかもその会場ではなく、最初の時点で券を購入できた人は、その会場で券入りCDを何枚購入しても良し。基本的に最初から持ってる人っていうのは、ようは私達のことを10年以上も応援してくれてるファンってことでしょう・・・? やり方が汚過ぎるわよ!」


どうやら未佳は、いくらでも懐から払ってしまう追っ掛けファンを対象に、ポスターお渡し券入りCDの購入条件を決めた事務所側のやり方が『かなりえげつない』と言いたいようだ。


だがこの事務所は、初めからこのようなやり方をやっていたわけではない。

『SAND』がこんな販売方法をやり始めたのは、わりかし最近のことだ。


理由はいくつかあるのだが、一番の大きな原因は、やはりCD自体を購入する人間が減っていることだろう。

最近では携帯の音楽サイトや未佳が持っている小さなフォークマンのように、直接CDがなくとも、音楽が手に入れるようになっている。


もちろんそれらのダウンロードなどにも、料金等はちゃんと付く。

しかしその金額は、CDの約半分以下くらいしかないものが多く、音楽会社からしてみれば赤字目前状態。

こんな今の時代を見てしまうと、それら流行りものが本当にいいものなのかどうか、かなり深く考えさせられてしまう。


さらにその他にも、CDを購入せずにレンタル屋で借りるだけ、と言う人間も増加する傾向にあり、今現在の音楽会社は、ほぼあちらこちらで火花を散らし合っている状態なのだ。


それら事務所側の変化には、さすがの長谷川も少々気が付き始めていた。

しかし自分達は、まだまだ微妙な位置にいるアーティスト。

事務所側に口を出すことなど、到底無理な話だった。


「・・・前々から、坂井さんがこのやり方を嫌っていたのは知ってましたけど・・・、でも仕方ないじゃないですか」

「『仕方ない』って・・・!」

「いつかまたブームが去ったら、CDを購入する人が増えてきますよ。『人間は気持ちが移ろうもの・・・』なんでしょ? 小歩路さんからしてみれば・・・」

「それはそうだけど・・・」

「それに、今こんな目に遭ってるのは僕達だけじゃないんですから・・・。色んな音楽会社のアーティスト達が、似たような目に遭ってるんですよ? それを言ったら坂井さんだって、あのウォークマン使ってるじゃないですか」

「しっ・・・、失礼ねぇ! 私はちゃんと買ってきたCDから入れてるわよ!! ・・・・・・自分の歌以外・・・」

「えっ・・・。自分の歌は?」

「・・・事務所でただで貰えるから・・・。それから入れざる負えない・・・」

「確かに・・・」


そんなことを口にしながらも、二人はいつの間にか20枚目のポスターにサインを書き込んでいた。


さすがはデビュー10周年目のアーティストということもあり、二人は一文字も書き間違えず、しっかりとした筆記体サインを書いていく。


しかしそんな二人の様子を、二人の丁度間にあるスペースから黙って見つめていたリオは、ふっと未佳のサインを書く姿を見てこんなことを呟いた。


〔未佳さん、早いなぁー・・・〕

「そお?」

「えっ?」

「あ、いや・・・。なんでも・・・。それよりさとっち。もう少し早くサイン書きなさいよ。さとっちのところに2枚もポスターがあるじゃない」


確かに未佳の言うとおり、長谷川と未佳の間にあるテーブルスペースには、既に未佳のサインが書かれているポスターが2枚も置かれていた。

というのも、長谷川は一つのサインを書き終えるのに3秒ほど掛かるのに対し、未佳の場合は大体2秒ほどで書き終えてしまう。

さらに長谷川は、書き終えたポスターを段ボール箱に入れるという作業もあるため、どうしても2枚分ほどの差ができてしまうのだ。


「そんなこと言われても・・・。僕サイン、ミスりたくないし・・・、それに段ボール箱の中にポスター仕舞わないといけへんから」

〔長谷川さんは、サイン一つひとつを真心込めて書いてるみたいだよ?〕

「何よ、それっ!? それじゃあまるで、私が雑にサイン書いてるみたいじゃない!」

「あっ・・・、いや・・・! そんなつもりじゃ・・・」

〔まあ、確かに・・・。長谷川さんの方が読みやすいけどね・・・〕

「ほら! 簡潔に言わないだけでそう言ってるじゃないのよ!!」

「えっ?!」

〔まあね・・・〕

「もういいわよ! あなたのことはしばらく空気同然に無視しておくから!!」

「そ、そんな・・・っ!!」

〔どうぞご自由に・・・〕

「〔ふんっ!!〕」


未佳はリオにそう怒鳴ると、お互いに顔を『プイッ!』と、相手の姿が見えない方向に反らした。

そんな未佳の態度を見て、長谷川はただただオロオロするばかり。


実際未佳が怒鳴っていた相手はリオだったのだが、生憎リオの声は長谷川には聞こえない。

さらに最悪なことに、リオの立っていた場所は、未佳と長谷川の丁度間にあるスペース。

そしてさらに最悪なことに、未佳とリオの会話に関する回答が、何故か長谷川の会話に対する回答と似通う形になってしまった。

そしてその結果、何気なく自分のサイン記入時間を口にした長谷川が、妙に未佳をキレさせたような感じになってしまったのである。


一体何が未佳の気に障ってしまったのか分からぬまま、長谷川はとりあえず『自分が怒らせたんだ』と我に言い聞かせ、未佳に言われたとおり『空気』になりながら作業を続けた。

そうしてやり続けること1時間。


ここまでの時点でサインを書き終えたポスターの枚数は、少々最初に話しながらやっていたこともあり、予定枚数よりもやや少なめの233枚。

さすがにここまでやっていると、少々指が腱鞘炎けんしょうえんのようになってくる。

現に未佳も、先ほどからペンを置いては、指をグー&パーの形に動かして解していた。


「さすがにこれだけの長時間はキツイわぁ~・・・。指が曲がる箇所がかなりジンジンする・・・」

「・・・・・・・・・」

「さとっちは? ・・・指痛くないの?」

「・・・・・・・・・」

(・・・あれ?)

(空気や。空気。・・・僕は空気!)

「もしもーし?」


何故か何も答えようとしない長谷川に、未佳は理由も分からぬまま首を傾げる。

まさか長谷川が口を利かない理由が自分にあるなど、未佳は気付きもしない。


あまりにも無言のまま作業を続ける長谷川に、未佳は半分感心するかのような目で口を開いた。


「相変わらず真面目ね、さとっちは・・・。よく何にも言わないで書けるわよ」

「・・・・・・いや! あなたが言ったんでしょ!?」

「・・・っ!! ビックリしたぁ~・・・。いきなり大声出さないでよ! それに『私が言った』ってどういうこと?!」

「だってさっき言うたやないですか! 『私はこれからあなたを空気として見る』って・・・! だから僕空気のつもりでやってたんですよ!!」

「はあ? 私そんなこと言って・・・」


ここでようやく、未佳は何故長谷川がずっと黙っていたのかを理解した。

と同時に、未佳は思わず『あちゃ~』と、顔を顰める。


(そっかぁ・・・。さっきリオに怒鳴ったのを、さとっち自分が怒鳴られてるのと勘違いしたんだ・・・)

「いいですよ・・・。僕は“空気”ですから・・・」

「ちょっ、ちょっと・・・。そんな自虐的にならないでよ」


そう未佳が言ってみても、長谷川はしょげ込むばかり。

実は長谷川には元々、何かあるとすぐ自虐的になってしまう悪い性格クセがあるのだ。

基本的にそこまで度の行き過ぎた自虐思考になることはあまりないのだが、一回こんな風になるとしばらくはどっぷり浸かったままになってしまうのである。


「どうせ僕は空気ですよ・・・。その辺にあるただの酸素ですよ・・・。H2Oですよ・・・」

〔いや、それは水分・・・〕

「・・・・・・そ、それにあれ、さとっちに怒鳴ったわけじゃないし」

「・・・・・・?! えっ? じゃあ誰に怒鳴ったんですか??」

「あっ・・・、あれは単なる独り言よ」

「人の方を向いて? それもあんなに怒鳴って?」

「ま、まあね・・・」

「・・・それって・・・。かなりアブナイ人やないですか?」

「うるさいわよ!」

「〔ッ!!〕」


さらに時が過ぎ、大阪公演分のポスターは残り187枚となった。

この時の時刻は既に、夜の8時半間近。

この時間帯になると、職員側やアーティスト側に用事等がなければ、早い段階で事務所を閉め始める頃だろう。


ふっと未佳は、今日ここに来ていたアーティスト達のことを思い返してみたのだが『残業する』と言っていた人達に心当たりはない。

ということは、そろそろ事務所ここを閉める時間だろう。


「・・・ねぇ、残業する?」

「ん?」

「そろそろ事務所、早ければ閉まる時間だよね?」

「・・・そっか・・・。今日残業する人いてへんかも・・・」

「栗野さん、まだいるかな? いれば『あと少しだから残業する』って言えるんだけど・・・。先に帰っちゃったかなぁ~・・・」

「ハハ。んなまさか・・・。マネージャーが先になんてことないでしょ?」


長谷川がそう笑いながら言った時だ。

突然誰かが二人のいる控え室のドアを『コンッコンッ』と、2回ほどノックした。

二人は一瞬『誰だろう』とお互いに顔を見合わせ、とりあえず『どうぞー』と、ドアの方に答えてみる。


するとドアの向こうから、栗野の『失礼しまーす』という声が聞こえてきた。

『噂をすれば』とは、まさにこのことだ。


「あれ? お二人ともまだいらっしゃってたんですか?!」

「『いらっしゃってた』も何も・・・」

「終わらないですよ」

「ですよ、ねぇ・・・。あの・・・、一応明日も仕事があるので、明日残りをやられても構いませんよ?」


そう言われてもどうしようかと、二人は再び顔を見合わせた後、首を横に振った。

お互いに分かっているのだ。

ここで一旦作業を止めてしまったら、次の時にはさらに時間が掛かる結果になってしまうことを。


「いいです」

「一回止めるとまったく進まない気がするんで・・・」

「そう・・・、ですか・・・」

「・・・?」


ふっと未佳は、先ほどからチラチラと、栗野が自分の腕時計を気にしていることに気が付いた。

栗野がこんな仕草をする時は、大体別の予定がある時のみ。

恐らくこのあとに、自分達のこと以外の予定があるのだろう。

未佳は栗野に尋ねた。


「もしかして栗野さん・・・。今日このあとに何か」

「えっ? えぇ・・・。ちょっとZ’bさんのライヴの件で、大阪グランディオホールに行かないといけなくなって・・・」

「あっ・・・、だったら行ってきて」

「えっ?!」

「私、バスでも帰れるから・・・。この時間じゃあ、もう誰もいないだろうし・・・。それに、あと数十分くらいで、この作業が終わるとも思えないんで」


確かにまだ軽く100枚近くも残っているこの状況で、到底早めに作業が終わるとは思えない。

少なくとも、あと2時間くらいは掛かるだろう。


未佳はそれを心配してそう伝えたのだが、栗野の方はなかなか『はい』とは言い出せないらしく、どうしようかと考え込んでいる。


「えっ・・・、でも・・・」

「大丈夫♪ 大丈夫♪ 誰も三十路の女性に手を出したりしないから」

「あ、あの・・・。それに何なら、僕の車で自宅まで送りますよ。・・・坂井さんを」

「えっ? さとっち、今日車?」

「うん。もうね、あれから電車は僕の中で極力避けたいものになりましたから」

「あ、そう・・・。ほら、そういうことだから。帰りの手なんていくらでもあるし」

「だから行ってきても大丈夫ですよ」


今度は長谷川にもそう言われ、栗野はようやく二人に『分かりました』と答えた。


「じゃあ・・・。すみません、長谷川さん。お任せしていいですか?」

「はい、もちろん」

「じゃあ・・・。事務所の人にお二人が残業すること、伝えておきますね?」

「「お願いしまーす」」

「あっ! 未佳さん明日、またいつもの時間に迎えに行きます」

「あ、はーい。バイバーイ」

「それじゃあ」


栗野は最後に2回ほど頭を下げると、そのまま事務所をあとにした。

この時の事務所内は、やはり自分達以外に誰もいなかったようで、普段ではありえないくらいの静けさに包まれていた。


「僕達だけ・・・、ですかねぇ?」

「面倒なんだよねぇ~。最後に残ると・・・。事務所閉めないといけないでしょ?」

「・・・・・・そうだった・・・」

「まっ、いいや。残り135枚! 早く終わらせちゃお」

「・・・ですね」


こうしてシャシャシャとペンを走らせること1時間50分弱。

予定よりも少し早めに、大阪公演分のサイン記入は終了した。

終わったと同時に、二人はその場にペンを放り投げ、椅子の背凭れに凭れ掛かる。


「終了ー!」

「疲れた~・・・」

「ハハハ。そりゃそうだよ。だって今・・・、9時過ぎだもん」

「はぁ~? ・・・・・・ホンマや・・・」

「ハハハ! ヘンに脱力し過ぎ」


そんなことを長谷川に言って笑っていた未佳は、ふっと残り500枚のポスターの束を見て、しばし考え込んだ。


今ここでサイン記入を一時中断してしまったら、東京公演の分はいつ書けるだろう。

本番まではもうほとんど時間がない。

そんな日程だと言うのに、別の日にサインを書き終えることができるのだろうか。

むしろそのことが心配なら、この一日を丸々犠牲にして、全部を終わらせてしまった方がいいような気がする。


(今日はもう家に帰るだけ・・・。それなら・・・)

「う~・・・。指がもうアカン」

「さとっち」

「ん?」

「ちょっと酷いこと言っていい?」

「・・・ダメです」

「いや、ちょっとだけ・・・」

「展開読めます」

「じゃあ話が早いじゃない」

「早くない! 明日でいいでしょ?!」

「今日中に終わらせれば、大変なのは今日だけよ? あとは普通に夜になったら休めるんだから」

「そういう問題・・・!!」

「はい、決定! 東京分もやるよぉー?!」

「・・・・・・鬼!!」

「鬼ですが何か?」


一方その頃。

二人の作業の邪魔にならぬよう控え室の外に出ていたリオは、とりあえず未佳から借りたウォークマンで音楽を聴きながら、控え室のドアに寄り掛かっていた。

外の通路は既に、明かりの大半が消されていて、やや薄暗い感じだ。

そんな通路の真ん中で、なかなか控え室から出てこない二人に、リオは欠伸をしながら『まだかよ・・・』と呟く。


するとそれからしばらくして、誰かが控え室に向かってきていることに気が付いた。

どうやら、事務所内の見張り警備員らしい。

警備員は片手に懐中電灯を持ちながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。


そしてその警備員は、何やらドア元でいくつかのチェックをすると、腰に付けていた大量の鍵の一つで、控え室の扉を閉めてしまった。

別に鍵を閉められてしまっても、未佳達は中から開けられるので問題はないのだが、リオからしてみればかなり驚くことだ。


さらにはほんの少しだけ点いていた通路の明かりでさえも、警備員は『カチャリ』と消してしまった。

完全に未佳と長谷川がまだここにいることに気付いていない。

仕事を終えた警備員は、そのままこの場をあとにしてしまった。


〔おーい!! まだ二人いるよー!! 『CARNELIAN・eyes』の二人が残ってるよぉーっ!!〕


そのリオの叫び声は、鍵を閉めた警備員どころか、リオの声が聞こえる未佳でさえも、届くことはなかった。




翌朝。

いつものように車で事務所にやってきた厘は、待ち合わせ場所でもあったライヴハウスの中へと入ってみて『あれ?』と首を傾けた。

何故ならそのライヴハウスの中には、リーダーの手神の姿しかなかったのだ。

手神はしばしキーボードを触っていたが、途中で厘の気配に気が付いたのか、厘の方に視線を向けた。


「あぁ、小歩路さん・・・」

「あれ? みかっぺとさとっちは? ・・・まだ来てへんの?」

「うん・・・。いつもなら坂井さんがとっくにやってきてるはずなんだけど・・・。今日はまだ長谷川くんも来てなくて」

「遅いやん・・・。何してんの? あの二人・・・」


厘はそれを聞いて腰に手を当てながら、ふっと辺りを見渡す。

すると今度は何故か、いつも未佳の送り迎えを行っている栗野が、たった一人でライヴハウスにやってきのだ。

それもやってきた早々、未佳の名前を呼びながら。


「失礼しまーす! 未佳さーん!! いますかー?!」

「あれ? 栗野さん?」

「あぁ、手神さんに厘さん・・・。あの、未佳さんは?」

「えっ・・・、まだ来てへんよ」

「えっ?!」

「そもそも・・・。なんでここにおるの?」


一人でここにやってきたことを不思議に思った厘は、何故栗野が一人でここにきているのかを尋ねる。

すると栗野は、朝早くに未佳の自宅を訪ねた時のことを話し出した。


「実は・・・。未佳さんの自宅に迎えに行ったんですけど、いつまで経っても出てこなくて・・・。携帯も繋がらないし・・・。それで先に来てるんじゃないかって」

「でも・・・。ここには来てへんよ?」

「それに、長谷川くんも・・・」

「えっ!? 長谷川さんもなんですか!?」


これはさすがにおかしいと感じた栗野は、とりあえず事務所内にいた職員全員に事情を説明。

その後スタッフ5人と警備員1人、そして厘達を含めた計9人掛かりで、事務所内や二人の自宅などを手分けで捜索し始めた。


しかしいくら辺りを探し回ってみても、二人の姿や痕跡は何処にもないまま。

結局探し始めて20分後くらいには、捜索メンバー全員がお手上げ状態になってしまっていた。



「栗野さん。最後に二人を見たのはいつ?」

「えっ? え~・・・っと。昨日は小屋木さんのライヴ練習のあと、二人にポスターサインを・・・」


そう手神に説明したその瞬間、栗野の脳裏に『ハッ!』と、何かが過ぎった。


「・・・!! まさかあの二人!!」


栗野は『もしかして』と思い、大急ぎで控え室の方へと走り出した。

ところがいざ着いてみると、控え室のドアには鍵が掛かっていて、いくらドアノブを回してもびくともしない。


「あの・・・! ここの鍵は!?」

「わ、私が持ってますけど・・・。でも誰もいませんでしたよ?」


そう口にする警備員に、栗野は半分怒鳴る感じの声で尋ねた。


「『誰もいない』って、開けて確認しました?! 電気は?! 話し声は?!」

「えっ、あ・・・。いや・・・」

「とにかく今すぐ開けてください!!」


そう栗野に怒鳴られ、警備員は半分慌てながら鍵を開けた。

その光景を隣で見ていた栗野は、一気に鍵の開いたドアを引き開ける。


「未佳さん!!」

「さとっち!!」

「二人・・・と、も・・・。あっ・・・」

「・・・えっ」

「うそ・・・」


そこで皆が見たのは、ペンを握り締めたまま机に突っ伏すして眠っている、未佳と長谷川の姿だった。

その隣には、積み上げられたサイン入りのポスターの束もある。

そんな二人の寝顔を見た栗野達は、半分苦笑いを浮かべながら二人の元に近付いた。


「未佳さん・・・」

「長谷川くんまで・・・」

「昨日帰らなかったのね・・・」

「おい! このポスター・・・。サイン全部書いてあるぞ?!」


男性スタッフのその言葉に、栗野達は『まさか』とポスターの方に視線を向けてみる。

すると確かに、そのスタッフ達の言うとおり、1000枚全てのポスターに二人のサインがしっかりと書き込まれていた。


「この二人・・・。寝るギリギリまでやってたみたいね」

「ああ。見ろよ、このサインペン・・・。キャップ嵌められてないぞ」

「・・・ホンマや」

「ちょっと無理させちゃったかなぁ~・・・」


栗野はそう言いながら、スタッフ達の方を少々睨みつけた。

その恐ろしい視線に、スタッフ達は思わず身を強張らせる。


「でぇ~・・・。どうします?」

「もう少し寝かしといたら? ねぇ?」

「そうね。手神さん達悪いけど、隣の部屋から毛布持ってきてもらえますか?」

「あぁ、はい」

「あっ・・・。それとあとで二人も、ポスターのサイン記入、お願いしますね?」

「「・・・えぇっ~!?」」

「シー・・・ッ! 起きちゃいますよ!!」


しかし心配していた二人はまったく起きる気配を見せず、本来の事務所での仕事が始まったのは、それから約3時間後のことだった。



予約死亡期限切れまで  あと 172日


『男の話』

(2003年 11月)


※事務所内 ライヴハウス。


まっちゃん

「で。こことここの温泉は『混浴』として有名な場所なんっすよ~!」


赤ちゃん

「おぉ~!!(興奮)」


小河

「まっちゃん! ナイス情報!!」


さとっち

「何マズイこと想像してんだか・・・。それに『混浴』だからって、そんなに若い娘がいるわけじゃあ・・・」


まっちゃん

「まぁ、20歳前半は望み薄だけど・・・。まだ出てるトコしっかりしてる年齢の姉ちゃんは、たーくさんいるんだってさ♪」


小河

「おぉーっ!! つまり20代後半から40の間っすね?!」


赤ちゃん

「熟女♪ 熟女~♪」


さとっち

「・・・・・・・・・」


(妄想)


みかっぺ・厘

「「さとっち~♪」」


(妄想終了)


さとっち

「いや・・・。胸ならまだあっちの方が」


まっちゃん

「オイッ! 長谷川!! お前が一番マズイこと想像してんぞっ!!」



でもあのメンツならやらなくもない・・・。


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