18.カフェでのこと
昼食を食べようと未佳が向かった先は、よく駅の地下や駅ビルの中などにあるカフェだった。
店の名前は『マーメイド』。
看板が茶色と緑の2色だけで、大きく人魚が描かれているマークが特徴だ。
未佳はよく仕事の合間などに、このカフェにいくことが多い。
理由はいくつかあるが、強いて言うとしたら、ここの人気ドリンクの一つでもあるキャラメル・マキアートが大好きなのと、喫茶店やカフェなどが好きだからだろうか。
少し前まで『喫茶店で働きたい』と思っていた未佳にとって、ここは憩いの場に等しいのだ。
さて何を食べようかと、未佳が店の入り口付近で、レジカウンターの上に取り付けられているメニュー表を見ていた。
その時だ。
ふっと未佳の後ろで、微かに小さな気配が動いた。
基本、中学生以下の子供はやってこない北堀江のマーメイド店。
そんな場所で何かの気配が動くとすれば、それはもはや彼以外にありえなかった。
「・・・いつ出てきたの?」
〔今・・・〕
「今日は1日出てこないと思ってたわよ」
〔最初はそのつもりだったけど・・・。飽きたから・・・〕
「何よ、その理由・・・」
『姿を消すことに飽きた』『飽きない』はないだろうと、未佳はジト目でリオに返した。
だがそんな視線を向けてみても、リオは何も言わずにただただ未佳を見つめ返すだけ・・・。
結局折れたのは未佳の方だった。
「・・・ショックを受けたのなら、謝るわよ」
〔謝る? 自殺した理由と関係しているのに?〕
「『あなたにそんなことまで教えなくてもよかったのにね』っていう話よ」
〔・・・・・・〕
そう言ってみても、リオはずっと黙ったままだ。
何も言うことがないのか。
それとも何を言ったらいいのか分からないのか。
そんなリオの反応を見た未佳は、その後は何も言わず、スタスタと店の奥へと進んでいった。
そしてそのまま、レジカウンターの前で立ち止まる。
「いらっしゃいませ」
「・・・キャラメル・マキアートのホットTallと・・・」
ふっとそう言いながら視線を隣に向けてみれば、リオがレジの隣にあるガラスケースの中を見つめていた。
その中には、ケーキやパン、サンドウィッチなどが入れられている。
リオからしてみたら、どれも見たことがない人間の食べ物だ。
〔(うわー・・・)〕
まるで美しいアンティークを見つめているかのように、リオは瞳を輝かせた。
特にサンドウィッチに関しては、白や赤、緑や茶色など、まるで絵の具のパレットを見ているかのようで、しばし視線が釘付けになったまま動かせなくなっていた。
『こんなものが、人間の世界では食べられるんだ』と、少し羨ましくも感じる。
ふっとそんなことを考えていると、頭上から再び未佳のオーダーが聞こえてきた。
「サラダ生ハムサンドを2つ。以上で」
「はい。店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「かしこまりました。お会計が1190円になります」
未佳は財布から千円札と190円を取り出すと、それを店員に手渡した。
当然、返ってくるのはレシートだけ。
だがこの店では、このレシートがかなり重要なのだ。
何故なら・・・。
「あちらの黄色いランプがあるところで、こちらのレシートを見せて頂いて、お飲ものをお取りください」
「あ、はい」
〔(へぇー・・・。飲み物はレシートを見せないと受け取れないんだ)〕
リオはそう呟きながら、店員に指示されたとおり、黄色いランプが付いている受け取り口へと向かった。
よく見てみれば、未佳の方には3人ほど、前の客が並んでいる。
一応、受け取り口には店員が3人ほどいたが、何せドリンクのデザインやブレンドなどがかなり凝っている『マーメイド』だ。
未佳達の順番になるのには、まだ大分掛かるだろう。
リオは未佳の後ろに並ぶような位置に立つと、未佳と受け取り口を見比べるかのように目を動かし、口を開いた。
〔なんでレシート見せないと受け取れないの?〕
「ん? ・・・さあ・・・? ついでにレシートの回収もやってるから・・・、ゴミを出さないようにするためじゃない?」
〔レシートをゴミにするんだ・・・〕
「っ・・・。人は色々よ」
内心そうとしか言えぬまま、未佳は受け取り口で飲み物を受け取ると、一番奥の隅にある席に座った。
ここなら、4面のうち3面が壁に隠されていて、横から覗いて見たりしない限り、誰からも未佳の姿は見られない。
ただ未佳自身の本音を言ってしまえば、別にファン達に見つかってしまっても、未佳としてはまったく構わなかった。
むしろ声を掛けてほしいくらいである。
ならば普通の席に座ってしまえばいいと思われるだろうが、そうしてしまうと、後々栗野にこっ酷く説教をされることになる。
理由はもちろん、危険だから。
そのため未佳はいつも条件反射のように、この席に座ってしまうというわけである。
ちなみにいつも昼食時などで同伴しているはずの栗野がいないのは、未佳が栗野の同伴を断ったためだ。
本当はヴォーカルの身の安全なども考え、外出時の場合は四六時中付いていなければならないのだが、未佳にだって、たまには一人でいたい時もある。
一応今回は『いつもの場所だし、近場だから大丈夫』とだけ言って、栗野からは渋々許可が降りた次第だ。
「でもこの席・・・。暗いんだよねぇ~・・・」
〔普通の方はダメなの?〕
「栗野さんに見つかったら終わりよ。『殺されてもいいんですかぁー!?』って・・・」
〔誰が殺されるの?〕
「私でしょ」
〔誰が殺すの?〕
「・・・ファンのストーカー・・・とか・・・」
実際芸能界やアーティスト達の実例で、ストーカーによる事件等の話は珍しくない。
むしろ当たり前に等しいくらいだろう。
現に未佳があの家に引っ越したのも、ストーカーによる盗撮や盗聴から逃れるためだ。
実際それらに遭ったことはないが、一応高層ビルでセキュリティが万全なのであれば、ある程度は防げると見込んで引っ越したのである。
〔その前に・・・、ファンの人とかにサイン求められたことあるの? 僕一回も遭遇してないけど・・・〕
「っ!! あるわよ! 失礼ねぇ~・・・」
まるで弾かれるかのように、未佳はすぐさまリオの言葉に反発した。
どうやら、あんまり人気がないように言われたことが腹にキタらしい。
まあ一応、怒鳴り返したということは、実際に声を掛けられることはあるのだろう。
そう思い、少々リオがそっぽを向いた時だ。
「あっ・・・、あのぉー・・・」
「えっ・・・?」
〔ん? ・・・〕
ふっと未佳の席の近くから小さな女性の声が聞こえ、未佳はそっと声のする方へ視線を向けた。
そこには、まだ20代後半ほどの若い女性客が一人、未佳達の席の方に立っている。
一瞬自分のことを言っているのかどうか分からず、未佳は人差し指で自分の顔をゆっくりと指差してみた。
すると女性は、何度も首を『うんうん』と頷かせる。
「もしかして・・・。『CARNELIAN・eyes』の・・・、坂井未佳さんですか?!」
「あっ、はい。そうですよ」
「~っ!! うそ・・・っ! 私っ、みかっぺの大ファンなんです! いつもCDとか、アルバムとか・・・! 毎日聴いてます!!」
「本当に? ・・・ありがとうございます!」
どうやらこの女性はバンドの、それも未佳の大ファンだったらしい。
その証拠に、女性は興奮のあまり、会話らしい会話ができておらず、もはや片言に等しいような喋り方になってしまっていた。
その光景を見て、リオが『声を掛ける側も大変だな』と思ったのは、内心の話である。
「あっ、あのぉ・・・。もしよかったら・・・・・・、サインとかって・・・」
「あぁ~。別にいいですよ。何に書いたらいいですか?」
「じゃ、じゃあ、これに・・・」
そう言って手渡されたのは、手のひらサイズの蒼いメモ帳だった。
おそらく仕事用のものだろう。
未佳はそのメモ帳で何も書かれていないページを開き、油性ペンを走らせた。
「お名前とかって・・・」
「あっ・・・! 『あやの』っと言います」
「あやの・・・さんへ・・・っと。はい、どうぞ」
未佳が女性に返したメモ帳には、未佳の筆記体サインと、今日の日付。
そしてそのサインの隣には『あやのさんへ』と書かれていた。
「わぁ~!! ありがとうございます!!」
「いいえ、どういたしまして」
女性は最後に未佳と握手をすると、そのまま店を後にした。
その後ろ姿を見つめた後、未佳はどや顔でリオを見返す。
「ほらね」
〔はいはい。でもあの女性、会話がごちゃごちゃになってたね。途中・・・〕
「仕方ないわよ。大ファンのアーティストが目の前にいるなんて、ライヴ会場にでも行かない限り、早々ないから。それに・・・。彼女とはかれこれ8年くらいの顔見知りだし・・・」
〔! 観客の顔覚えてるの?!〕
「いつも来てる人とかは顔馴染みよ。ちょっと髪型変わってて、一瞬分かんなかったけど・・・。会社の休み時間とかで、ここに来たんじゃない?」
未佳が言うには、その彼女はいつもライヴ会場のセンターにいて、一番古いファン集団と一緒にいることが多い人なのだという。
当然、出待ちも常連グループの一人だ。
ただし、プライベートで会ったのは両者も初めてで、今回は顔馴染みであったことや『予約死亡』のことなども含め、特別名前&日付入りでサインを入れたのだという。
「でも彼女はまだいい方よ。ファンの中には感激のあまり、この場からまったく離れない人もいるから・・・。彼女は仕事中だったみたいだから、自分から離れてくれたみたいだけどね・・・。でも・・・・・・・・・。これじゃあしばらく、ここには来られないかなぁ~・・・。私が来てるとこ見られちゃったし・・・」
〔そんなことより・・・。こっちも戻った方がいいんじゃない?〕
「ん? ・・・・・・ア゛ァっ!!」
リオの言葉を聞いてふっと、腕時計に視線を落としてみれば、時刻は既に1時を回り、あと少しで半になろうとしていた。
明らかに昼休みが長すぎる。
未佳はまだサンドウィッチを一つしか食べていなかったが、今はそんなことを気にしている暇はないと言わんばかりに、大急ぎで荷物をカバンの中に仕舞った。
そして最後に、深緑色のトレーにコーヒーカップと使用済みお手拭を乗せ、その場をあとにしようとした時だ。
〔未佳さん! 傘! 傘!! 外、炎天下だよ!!〕
「えっ!? あ゛あ゛っ・・・!! 傘!」
うっかり置いて行きそうになった傘を回収し『今度こそ』と、店をあとにした。
一度外に出てみれば、外はリオが言ったとおり、かなりの炎天下だ。
空は雲一つない快晴で、先ほどまで雨が降っていたのが嘘のよう。
気温に至っては、まるで6月を思わせるかのような暑さだ。
しばし事務所へ続く道を歩きながら、未佳はトレンチコートでここにやってきたことを深く後悔した。
「あ~ぁ・・・。こんなに晴れるんなら、このトレンチコート着ないで、別の服を着てくればよかったぁ~・・・。軽く損ね」
〔でも午前中は寒かったよ?〕
「ま・・・、まあね・・・。でもこんな厚地のを着たのは失敗よ。ベージュだから色はまだよかったけど・・・」
そんなことをしばしブツブツと呟いたまま、未佳は事務所へと戻ると、そのまま控え室の方へと向かう。
というのも、レコーディングは午前中に終了し、午後は一切行わないということで、昼食後の集合場所が、事務所の2階にある控え室に変わったのだ。
だがその控え室は、楽譜などを置くためのテーブルや、座るための椅子、荷物を仕舞うためのロッカー型の棚以外、何一つとして物が置かれていない。
ようは質素すぎる部屋なのだ。
そんなことを思いながら控え室へ入ってみると、そこにあったものはやはり今言ったものと、メンバー二人分のカバン、そして小さなひな人形が置かれていた。
「あっ! ひな人形♪ かわいいー」
〔それにしても質素だなぁー・・・〕
「今日はひな祭りだもんねぇー・・・。あれ? 手神さんと小歩路さんの荷物がある・・・。じゃあ・・・、もう帰ってきてるの?」
未佳はそう独り言を呟きながら、隣の部屋の様子を確認しに行こうとした。
その時だ。
「それっ!」
「ほいっ!」
「えっ? 痛っ・・・!!」
ふっと突然、何か小さく白っぽいものが、未佳の後頭部を直撃した。
慌ててその謎の物体が飛んできた方向を見てみれば、そこには四角い箱を持った厘と手神が、何やらゲラゲラと笑っている。
「アハハ!」
「イエーイ! 当たった♪ 当たった♪」
「いっ・・・たぁー! もう! 二人とも何を投げたのよ」
半分キレ気味に投げられたものを拾い上げた未佳は、それを見て『あっ・・・』と、小さく声を漏らした。
それは、小さなおうど色の豆だったのだ。
正確には、多くの人達が『大豆』と呼んでいるもである。
そして『豆をまく』といえば、日本人で知らない人はいない、日本の古い恒例行事の一つ。
「もしかして・・・。これ、節分のつもり?」
「大豆なんやからそうでしょ?」
「何で今日やってるのよ?! 今日はひな祭りでしょ?!」
「だってぇ~・・・。2月忙しくて全然できへんかったんやもん」
「1ヶ月くらい遅れてやってもいいですよねぇ?」
「ねぇ」
「いや、ダメでしょ?!」
確かに言われてみれば、今年の2月3日はライヴやらイベントやらラジオやらでかなりバタバタしていて、よく恒例でやっていた豆撒きができなかった。
個人的にこの手のが大好きな厘にとって、これは時期外れでもやりたかったのだろう。
「・・・えっ? ところで二人とも何処にいたの!?」
「「・・・あそこ」」
そう言って二人が指差す先にあったのは、掃除道具などが仕舞われている用具入れ。
確かに、人二人分は余裕で入るスペースはある。
「!! あんなところに・・・っ!!」
「「イエーイ!!」」
「『イエーイ』って・・・」
「じゃ、そういうわけで。えいっ♪」
「えっ!? 痛っ!」
一体何が『そういうわけで』なのか分からぬまま、厘と手神は再び、箱の中に入っていた豆を未佳に投げ付けた。
未佳はその攻撃に、ただただ姿勢を低くして逃げ回る。
「ちょっ・・・、ちょっと!! 私・・・! 豆持ってないのにぃ~!」
「そんなん関係ないも~ん♪」
「小歩路さんっ!! あっ・・・、そういえばさとっちは?」
未佳がそう尋ねた瞬間、二人の攻撃はそこでストップした。
この反応からすると、どうやら長谷川はまだ戻ってきていないらしい。
「それがまだなんよ・・・」
「長谷川くんにもぶつけたいんだけどね」
「ふ~ん・・・・・・・・・! ねぇ、ちょっと」
「「?」」
ふっと何かを思い付いたのか、未佳は棚の上に置いてあった段ボールを取り出すと、一面にだけマジックで何かを書き始めた。
スラスラと素早く何かを書く未佳を、しばし見つめる厘と手神とリオ。
そしてその書き終わった絵を見て、3人はほぼ同時に『あぁー』と、声を合わせた。
「それやったらみかっぺ。ウチ、赤いマジック持ってるよ?」
「僕は緑と青のマジックを」
「あっ、ホント!? じゃあ、3色とも貸して! それから、誰かハサミと紙持ってる?」
「ウチ全部持ってるけど・・・」
「じゃあ、それも貸して!」
〔未佳さん、何する気?〕
まったく以て目的が読めぬまま、とりあえず二人はマジックを、厘はそれ以外にハサミとメモ帳を手渡した。
未佳はそれらを受け取ると、そのマジックで先ほど描いた絵に色を付け、目の部分をハサミでくり抜く。
これでこちらの準備はOKだ。
「あとは・・・。小歩路さん。これから私が言うことを、このメモ帳に書いて」
「へっ? ええけど・・・。何書くん?」
「まあまあ。それはこれから言うから・・・。それから手神さんは、豆全部拾って、先に隠れてて」
「は、はぁー・・・」
なんだか誰がリーダーなのか分からない感じにテキパキと指示され、二人はとりあえず言われたとおりに行った。
『酔い』
(2008年 8月)
※居酒屋 ビール1杯目。
みかっぺ・さとっち・厘・手神
「「「「乾~杯!!」」」」
ゴクッ
さとっち・手神
「「うまーい♪」」
みかっぺ・厘
「「おいしー♪」」
※ビール2杯目。
さとっち
「今回のイベント、上手くいったどー!!」
みかっぺ・厘
「「(笑)」」
手神
「長谷川くん、なんかもういい気分になってない?」
さとっち
「えぇ~、そうですか~?」
※ビール3杯目。
みかっぺ
「小歩路さんって、シャンプーのあとにリンス使う人?」
厘
「うん。だって使わんとすぐゴワゴワになるし」
みかっぺ
「だよねぇ?! なのに栗野さん『えっ? 私3日に一回程度ですよ』なんていうのよ!」←(若干酔ってきた(笑))
厘
「へっ? それなんに髪の毛ゴワゴワにならへんの?!(驚)」
手神
「・・・それは髪質じゃないですか?」
みかっぺ
「それを言ったらそうだけど・・・。ところで約1名静かじゃない?(笑)」
さとっち
「Zzz・・・(寝)」
※ビール4杯目。
厘
「せやから事務所はもう少し! もう少しだけこういうところに気配りせなアカンのよ!!」
さとっち
「Zzz・・・」
みかっぺ
「まあでも・・・。所詮は小さな音楽会社だから・・・。そこまで『ちゃんとしろ!』と言ってもね」
さとっち
「Zzz・・・」
手神
「限度ってものが常にあるかと思いますけどねぇ~?」
みかっぺ
「でしょ~? だから私的には」
さとっち
「Zzz・・・」
みかっぺ・厘・手神
「「「うるさいっ!!(蹴・叩・殴)」」」
さとっち
「ぐはっ・・・!! ・・・・・・へっ?」
お酒が入ると、大体こんな感じ・・・(笑)