14.コーラスの仕事
長谷川が風邪でダウンした翌日。
この日も未佳は、栗野の車に揺られながら『SAND』へと向かっていた。
ちなみに今日の仕事は、この間の新曲製作の続きではない。
そもそも長谷川がいなくては、その仕事は出来ないのだ。
今日の未佳の仕事は、未佳にとっては久々である、他バンドのライヴコーラス練習。
誰のバンドのライヴかと言うと、昨日栗野が病院へ連れていった、あの人気女性シンガー、小屋木結衣のライヴだ。
実は今年の4月16日で、小屋木はアーティスト活動10周年目を突破する予定なのである。
そこで持ち上がった話が、10周年記念のライヴツアーを行おうというもの。
ところが、ツアーの途中までコーラスをやっていた3人組のスケジュールが、偶然にも小屋木のライヴ最終公演日と、同時進行で行われていた他バンドのライヴ公演日に重なってしまったのである。
その際、優先順位が他バンドのライヴの方になってしまったため、事務所内ではコーラス探しで大騒ぎ。
その甲斐あって、何とか二人は見つかったのだが、コーラスは3人いなければどうにもならない。
そこで白羽の矢が立ったのが、CARNELIAN・eyesの未佳だった。
何故なら、未佳はバンドが結成する前、何度も小屋木のライヴでコーラスを行った経験があったからである。
元々高い声を出すのは苦手だったが、マイクに響かせるように高音を発するのは得意だった未佳にとって、コーラスの仕事は造作もないこと。
ただ一つ不安なことと言ったら、コーラスの声が昔と変わっていないかどうか。
何せ、小屋木のライヴでコーラスを担当したのは、今からざっと10年前のこと。
しかもその後は、誰のコーラスも担当していない。
(出るかなぁー・・・。声・・・)
なんて心配している間に、車はいつもと同じように、事務所の前で止まった。
今日はいつもの4階ではなく、ライヴハウスがある6階。
予約死亡になったあの日、未佳がPV撮影のために入っていた部屋だ。
エレベーターで6階へ向かっていると、微かにギターとドラムの音が聞こえてくる。
やがて6階に着いて扉が開くと、その音はかなりハッキリとしたものに変わった。
「相変わらず・・・。ドラムとギターの音がよく響くはねぇー・・・」
「確かに・・・。これでも一応騒音対策はされてるんですけど、基準値よりもドラムとかの音の方が響くみたいで・・・」
「まあ・・・。ライヴ練習用の部屋だしねぇー・・・」
〔(うるさい・・・)〕
さらにその階の通路を奥へと進み、ライヴハウスの扉を開けてみれば、その騒音はピークに達した。
未佳と栗野はライヴで慣れているが、リオにとってはただの騒音。
思わずリオは、両手で耳を塞いだ。
〔~っ!!〕
「・・・ん? あれ? リオ、どうしたの?」
〔うるさいよ! これ!!〕
耳を塞ぎながら必死にそう怒鳴ってみれば、逆に未佳はそんなリオを見てクスクスと笑っている。
『本当にいい性格をしているな』と、リオは怒り眼を未佳に向けながらそう思った。
「考えてみたら、リオ。ライヴは初めてだったね」
〔初めてじゃなくても慣れないよ!!〕
「そう思うでしょ? でも1日に何回も聴いてると、慣れちゃうんだよね~。これが」
〔慣れないっ!!〕
「未佳さーん! 行きますよー?」
「あ、はーい! じゃあそこに居たら? 私あっちに行ってるから」
未佳はリオにそう伝え、栗野のいる方へと走り出した。
今のここは、お互いに大声を出さなければ会話すら出来ない空間だ。
少しでもお互いが離れてしまったら、いざ大声で相手の名を呼んでも、相手に届くころにはその声は小さくなってしまっている。
そして小さくなってしまった声は、たちまちドラムの音に消されてしまうのだ。
そのためメンバーやスタッフ達は、練習中はリハーサル以外、お互いの距離を最低1メートル以上は離れないようにしている。
栗野の今の大声は完全に、未佳が栗野の後ろを付いてきていなかったのが原因だ。
「すみません・・・!」
「ところで・・・・・・。誰かと話してたんですか? 出入り口の前で、中腰になってましたけど・・・」
「えっ?! あっ・・・、いえ・・・。なんでも」
「そう? ・・・じゃあ、行きますよ?」
「あっ・・・、はい」
未佳と栗野が前の方へと進んでみれば、ようやくライヴステージの全体図が見えてきた。
現在未佳達が経っている位置は、当日観客席になる予定の場所だ。
そこから見て左側は、キーボード、ギター、サポートギターが並ぶ。
どうやら今回は、ストリングスがいないらしい。
ステージの真ん中は、当然のことながら小屋木の立ち位置。
そのやや左後ろの方には、先ほどからリオに不評だったドラムが置かれている。
そして右側の前の方にはベースギター。
その後ろの方には、設置された固定マイクが3本・・・。
「あれがコーラスマイクね・・・。なんか右側、スペース空いてない?」
「そこにひな壇を置く予定なんで・・・。今は少し空いているんです」
「あ、なるほどね・・・」
理由が分かったところで、未佳達はステージの裏へと回った。
ステージは段ボールや機材などが散乱し、かなり散らかっている。
何処のライヴステージのリハーサルでもそうなのだが、大半はこんな風になっていることがほとんどだ。
(こっちも相変わらずねぇ・・・)
「みなさーん! コーラスの坂井未佳さん、入りましたー!」
「はーい!! じゃあ、一旦休憩!」
「全員休憩!!」
未佳が入ってきたのとほぼ同時に、スタッフやサポートメンバー達は、一先ずの休憩となった。
実は朝の10時から、かれこれ30分ほど、楽曲演奏メンバーはやりっ放しだったのである。
その証拠に『休憩』と聞くや否や、サポートメンバー達は楽器から手を離し、その場に座り込んだ。
そんなサポートメンバーのほとんどは、未佳とはライバルで顔馴染みの人達ばかり。
未佳を見るなり、皆は代わる代わるに頭を下げた。
「あ、坂井さん」
「みかっぺ、おはようございます」
「おはようございます。今回はコーラス役ですけど、どうぞよろしくお願いします」
未佳も礼儀よく、サポートメンバー一人ひとりに頭を下げる。
彼女に声を掛けられたのは、その直後だった。
「あれ? 坂井さん・・・?」
「えっ? ・・・あっ」
声を掛けられた方に視線を向けてみれば、そこにはこのライヴの花でもあるヴォーカル、小屋木結衣が立っていた。
そんな小屋木の姿を見て、未佳は半分驚きのあまりその場に固まる。
彼女が病院ではなく事務所に来ていることにも驚いたが、それよりも捻挫をしている足で普通にその場に突っ立っていることの方が、未佳にはかなり衝撃的だったのだろう。
未佳が彼女に最初に発した言葉は、かなり意味深なものになってしまっていた。
「小屋木さん・・・!! 立てるの?!」
「えっ? ・・・いやだ、未佳さん。立てないと思ってたんですか?」
「だって・・・! 足捻挫して病院に行ったって聞いたから・・・。てっきり軽くても立てないんだと思って・・・!!」
「少しズキッてする程度ですから、松葉杖ですら病院でもらいませんでしたよ?」
とは言っても、やはり何もしなくていい程度のものではないらしく、小屋木の右足首には微かに湿布らしきものが貼られていた。
さらにその上からは、何重にも包帯が巻かれている。
少しその右足が床よりも浮いているのは、そのせいだろうか。
「そういえばひな壇、どうなったの?」
「あぁ~・・・。実は止めたんです」
「えっ!? でも栗野さんが『小さめのでやる』って・・・」
「・・・実は・・・、ちょっと今回ので恐怖心が・・・」
「でも・・・。これまでの公演全部、ひな壇を使ってたのに? いくらなんでも『最終公演で使うの止める』って・・・」
「それだけじゃないんです。そのひな壇も、かなり考えもので・・・」
そう言うと、小屋木は『こっちに来てください』と、未佳を小道具置場へと案内した。
小道具置場には基本、ライヴステージの装飾品などが置かれている。
ミラーボールやシャンデリア、リボンや風船など、その数や種類は様々だ。
そしてその問題の代物は、小道具置場の一番奥の方にひっそりと、他の大きな飾りなどと一緒に置かれていた。
「これが捻挫したひな壇です」
「・・・高っ!」
未佳がそう言いたくなるのも無理はなかった。
そのひな壇は、高さ約5メートル。
横幅は大体2メートルくらいだろうか。
そして未佳をもっと驚かせたのは、そのひな壇の段数。
なんとほぼ直角に等しい形で、計17段もあったのだ。
その階段は確実に、このひな壇の高さに比例していない。
そればかりか、この階段に足を掛ければ、間違いなく身体は直角になるだろう。
そんな体勢で、この階段を上り下りできるかどうかも疑問なところだ。
少なくとも未佳自身は『私にはできない』と確信した。
「これ・・・、清水の三年坂よりあるわよ」
「さすが元京都在住者・・・。たとえが違いますね」
「あなたも京都でしょ? ・・・ところで、過去に使った人いるの? コレ・・・」
「えっ~と・・・。確かKatanaさんとか、DEELさんとかがライヴやプロモーションで・・・」
(全員男性アーティストね・・・)
内心、過去に使った人がいたという事実に驚いたが、使った人間のほとんどが男性アーティストなのであれば『まあ派手な演出として使うだろうな』と、少々納得してしまった。
それに、実際にコレを使用したにしろ、階段を下りたのかどうかは不明だ。
単なるPV撮影なのであれば、この階段に腰を掛けたり、足元を見ながら、1~2段下りるくらいだろう。
ライヴにしたって、実際は飾るだけだったという可能性もある。
「まさか全部の公演、コレ使ったの?」
「いいえ! 最初は普通の3メートルで段数8段の、横に大きなひな壇を使ってたんです」
「あぁ~・・・。一番みんなが使うやつ?」
「えぇ。でも最終公演の時に調べてみたら、コレを別の方がライヴで使うことになってて・・・。日にちが最終公演と被ってたんですけど、私の方が予約が遅れてたからって、向こうが優先されて・・・!」
「なんか事務所側もしっかりしてほしいわねぇ~。小道具の予約くらい、細かくメモっておけばいいのに・・・」
ふっとそう呟いた未佳は、その話の中に出てきたひな壇が、昔自分が使ったものと微妙に違うことに気が付いた。
確か未佳が以前使ったものは、高さが約5メートル。
横幅は約7メートル。
段数は計5段の、かなり横に広く大きなものだ。
見た目的に『ひな壇』というよりは、段々畑のような形をしていたが、アレを使うのでは駄目なのだろうか。
それ以外にも、手頃な高さと段数のひな壇はいくらでもあったはず。
「ねぇ。最初に使ってたのよりも、段数が少し多いのとか、少ないのとかはダメなの? いつか使えそうなの・・・、まだあるでしょ?」
「それがないんです。・・・ある方がライヴで全部使っているので・・・」
「はっ? 誰が?」
「・・・Z’bさん」
『Z’b』とは『SAND』で今一番売れている男性二人組のロックバンドのことで、未佳達の大先輩だ。
メンバーは作詞&ヴォーカルの藁草泰史と、作曲&ギターの杉本知弘の二人しかいないが、そのヴォーカルの高い歌声や、ギターやドラムなどの激しい且つノリのある曲は、国内だけでなく海外でも、多くのファンがいるほどだ。
また、彼らのCDやDVDの売り上げ枚数なども計り知れないほどで、これまでに何度かランキングなどで10位内を記録したこともある。
だが彼らのライヴスタイルと言えば、基本爆竹や花火などの火薬系のものをステージで爆発させ、一気に観客を沸かせるやり方が主流だったはず。
ライヴステージでひな壇を大量に使用するやり方は、どう考えてもこれまでの彼らのやり方ではない。
「いや、要らないでしょ?! あの人達ひな壇なんて・・・」
「それが・・・。なんか今回のライヴで、ひな壇をピラミッドみたいに積み上げて、その上で歌うんだそうで・・・。それで、ひな壇を大量に使用するんだそうです」
(相変わらずというか・・・。派手だなぁ~・・・)
小屋木から聞かされたその内容に、未佳はただただ苦笑した。
というよりも、呆れた。
派手な演出などはデビュー当時から変わらないのだが、もう少しこちら側のことも考えてほしいものだ。
そしてそれと同じくらいに、事務所側ももう少し小道具を増やしてほしいものである。
基本スタジオ内で起こるいざこざは、大半が小道具によるもの。
それはとっくに事務所側も知り尽くしていることだとは思うし、知り尽くしているのなら尚のこと、小道具を増やすべきだと思う。
「そういう風に使う人も多かれ少なかれいるんだから、小道具の品数増やせばいいのに・・・」
「無理ですよ。今は予算的に全体が厳しいんですから・・・。これが事務所は精一杯なんだろうし・・・」
「ねぇ・・・。やっぱりZ’bさん達に、ひな壇返してもらうように頼んだら?」
「えっ? でも・・・」
「せっかくの10周年ライヴなのに、最終公演だけがひな壇使えないなんて悲しいでしょ? ・・・ファン達にとっても・・・」
この事務所にあるひな壇は、全部で8個。
その内の7個を使い占められて、しかも唯一残されているのが、一番扱いに困るひな壇なのはおかしい気がする。
ましてや今年は、未佳達や小屋木も含め、10周年目を迎えたバンドやアーティストが5組もいるのだ。
ただでさえ少ない小道具の争奪戦になることは目に見えているのに、それを使い占められるのは理不尽すぎる。
「・・・・・・ねぇ」
「・・・うん・・・。そうですよね・・・。私、マネージャーと二人で、Z’bさんにひな壇を返してもらうように頼んでみます。私は自分で納得しちゃいましたけど・・・、やっぱりファン達の気持ちだけは、絶対に裏切っちゃいけませんよね」
「そうそう。あっ、休憩終わった?」
ふっと視線をステージの方へ戻した未佳は、ステージの方へ戻した未佳は、サポメン達が再び楽器を弾き始めているのに気が付いた。
さらにいつの間にやってきていたのか、未佳の隣に立つ予定でもあるコーラス二人組までスタンバイしている。
そんなライヴメンバーの姿を見て、未佳や小屋木は大急ぎでステージ上へと向かった。
そして二人がステージに上がると、すぐさまベースギターの湯盛雅人、通称『まっちゃん』が、未佳達にコーラスの合図を送った。
「ここで『ha-・・・』をサビが終わるまで。サビの終わりとかは・・・」
「あっ・・・、分かります」
「じゃあ・・・、コーラスから入りますか?」
そう湯盛がサポートギターの小河雅修に尋ねると、小河はギターを弾きながら何度も頷いて見せた。
どうやら『はい』という意味らしい。
「じゃあ、みかっぺ! ここからね!」
「あっ、はーい」
「小屋木さんもスタンバイ、お願いします!」
「分かりました」
こうして行われたコーラスとヴォーカルの発声練習は、湯盛のイングリッシュカウントに合わせて、午後3時過ぎまで行われた。
『ブログ』
(2006年 2月)
※事務所 ライヴハウス。
小屋木
「そういえば坂井さんって、ブログとかやられたりしないんですか?」
みかっぺ
「うん。興味ないもの・・・。つまんないし、面倒臭いし・・・」
小屋木
「なるほど・・・。・・・実は私ずっと気になってたんですけど、なんでみんな、ブログをやるんですかねぇ~?」
みかっぺ
「さぁ? なんか自分の書いた内容に誰かが答えてくれるのとか・・・。そういうのが嬉しいんじゃない? あとは、他者からのお返事が面白いとか」
小屋木
「じゃあブログをやる人は、自分を色んな人達にアピールしたいってことなんですね♪」
みかっぺ
「・・・・・・・・・・・・」
※翌日。
さとっち
「へっ? 『ブログ』の作り方? ・・・分かるけど、なんで?」
坂井未佳、ブログを始めるんだそうです(笑)
(多分三日坊主・・・)