13.疎遠ではないこと
未佳が長谷川の冷蔵庫からスポーツ飲料水を持って行くのと、栗野の事務所との電話が終わったのは、ほぼ同時だった。
長谷川の寝室に戻ったところで帰ってきた栗野に、未佳は恐る恐る問い掛ける。
「栗野さん・・・。事務所側はなんて?」
「えぇ。今日はギターがいないとどうにもならないから、未佳さんも事務所には来なくていいって。今日は一応大事を取って、長谷川さんを休ませた方がよさそうだから・・・」
「じゃあ、つまり・・・。今日は完全な『休み』ってことね」
「・・・すみません・・・・・・、こっちが風邪引いたせいで・・・、坂井さんや事務所のみんなまで・・・」
そう言ってすまなそうな表情を浮かべる長谷川に、未佳は再び呆れ返った。
「何言ってんのよ。人間生きてれば、風邪で高熱は当たり前でしょ」
「そうですよ。それに今日は元々、厘さんも手神さんも、バンド活動以外に用事があったんで、事務所には出勤しないといけなかったんです。だからあの二人のことを気にする必要もないですよ。ついでに本音を言わせてしまえば、私はあなた達がデビューしたばかりの頃が、一番大変でしたし・・・」
それを聞いた未佳の脳裏に、デビューしたばかりの自分達が浮かぶ。
あの頃は『「SAND」にNew Artist誕生』と騒がれ、しょっちゅうテレビやラジオ番組、音楽雑誌のインタビューや楽曲製作を、半場無理矢理にやらされた。
つまり今みたいに『自由な時に曲を作る』などのことができなかったのである。
そしてその忙しさのあまり起こった出来事が、メンバー達のパンデミック的な体調不良。
リーダーである手神は、吐血により一週間入院。
長谷川も少々疲れが胃に溜まってしまったらしく、それによって起こった腹痛などの体調不良で3日間入院。
そしてヴォーカルの未佳も、過労による眩暈などによって階段を踏み外し、右足を骨折。
一番何もなく製作に熱心だったのは厘だったが、やはり寝不足や過労が重なったせいで、歌詞がなかなか思いつかず、楽曲製作が大幅にスローダウン。
ようは遠巻きの死活問題が起こってしまったのだ。
そしてその時に一番苦労していたのは、確かにマネージャーの栗野である。
何せ手神と長谷川が過労でダウンしたのは、未佳が右足を骨折してすぐ。
つまり、未佳が骨折により入院し始めた時期と、長谷川と手神がダウンした時期はほぼ一緒に起こったのだ。
そのため栗野はほぼ毎日、同じ病院であるにもかかわらず違う階、違う病室で入院している3人の見舞いを、たった一人で行う羽目になっていたのである。
「あの・・・、その時にほぼ毎日・・・、小歩路さんと飲んでたって・・・、本当・・・ですか?・・・」
「そうよ? むしろ飲まないとやってられなかったわよぉー。だってあなた達、入院してる病院は一緒なのに、階と病室がみんな違うんだもの。未佳さんなんてただ一人、骨折のせいで整骨科がある最上階の病室で入院してたから、あの時は何回エレベーターや階段を上り下りしたことやら・・・」
「「すみません・・・」」
「まあ・・・、当時はそんな感じだったし・・・。だから今日は軽い方ですよ。それに、ほら。最近手神さんも風邪を拗らせて休みましたし・・・」
「あれ? でもアレって、確か・・・。インフルだったんじゃ・・・」
「あっ・・・、そう言えばそうでしたね・・・」
実は今年の初め頃に、リーダーでもある手神がインフルエンザによって倒れ、しばし新曲製作がストップしたことがあった。
それに比べれば、今回は単なる風邪。
多かれ少なかれ、インフルエンザほどの時間は取らないはずである。
「でも、熱自体は家に着いた時から出てたみたいだね」
「えっ・・・?」
「傘立ての中に傘は入ってなかったし、朝脱いだ服と朝食の食器は出し放し・・・。さとっち普段、朝起きて朝食を食べ終わったら、そのままギターを弾いてるんでしょ? それで時間がマズくなってから、服を着替えて慌てて家を出て行くから、片付けるのは家に帰ってから・・・。それがそのままになってて、傘立てに傘を仕舞う気力がなかったってことは、昨日帰った時から熱っぽくて、寝室にそのまま入ったから、リビングには一切行っていない。そうでしょ?」
「・・・ご・・・、ご名答・・・」
まるで全てを見ていたかのようにピタリと言い当てた未佳に、長谷川はただただ目をパチクリさせた。
熱が出始めていたことを言い当てたのも凄いが、何より驚いたのは、長谷川のいつもの習慣を言い当てたこと。
未佳から言わせてもらえば、随分前に手神にそう話していたのを聞いていただけなのだが、それが長谷川には非常に驚いたことだったらしい。
「なんでそこまで・・・?」
「『なんで?』って・・・。前に手神さんとそんな話してたから・・・」
「でも未佳さん。あなたまるで探偵みたいよ?」
「えっ? ・・・・・・あぁ~、ほら! 私いつも『DETECTIVE ドイル』見てるから・・・、それのおかげで推理力が付いたのカモ?」
『DETECTIVE ドイル』とは、月曜の午後7時30分から放送されている探偵アニメで、かれこれテレビ放送が12周年目になる番組だ。
小学生探偵のドイル・エドガーが、自分の周りなどで起こった事件を次々と解決していくそのストーリーは、子供のみならず大人達の中にもコワなファンがいるほど。
もっとも未佳がそのアニメを見ている理由は、単にややドイルオタクなのと、そのアニメが『SAND』と契約を交わしている番組だから。
そのためよく『SAND』のアーティスト達が、このアニメの主題歌を担当したりしているのだ。
もちろん未佳達のバンドも、過去に何度かエンディングやオープニングを担当したりしたことがある。
さらに今年は事務所側とアニメ関係者側の意向により、映画版の方も初めて担当する予定だ。
「ところで人身事故って・・・、昨日ありましたっけ?」
「えっ?」
「いや、その・・・。実は昨日、さとっちが終電で帰ろうと思ったら、電車が止まって帰れなかったって・・・」
「電車・・・・・・! もしかして・・・!!」
栗野はハッとしたようにそう叫ぶと、何を思ったのか、一目散に玄関の方へと走り出した。
そこから栗野が引っ張り出してきたのは、長谷川の家のポストに入っていた朝刊の新聞紙。
「ここに載ってるやつじゃないかしら・・・。ほら、この記事!」
そう言って栗野が指差す小さな記事に、未佳は視線を向けた。
そこには、見出しにハッキリと『人飛び込み終電走らず』と書かれている。
日付は昨日の午後11時57分で、場所は大阪の西大橋駅と西長駅の間。
つまり、普段長谷川が事務所から帰る時に乗ってる電車で、この人身事故が起こったのだ。
それも、長谷川の自宅と事務所の間の駅で。
「ほら! ここに『処理時間で手間取った為、止む無く終電の運行を諦めた』って、書いてあるでしょ?! きっとこれよ! 時間も合ってるし・・・」
「『死亡したのは、大橋駅近くに住んでいた30代の女性。この女性の知人の話によれば、女性はつい最近リストラによって無職になっており、家族にも勘当されていたなどの情報から、警察は先行き不安からの自殺とみて、捜査を行っている』か・・・」
「リストラで飛び込みなんて・・・。まだ何かやれたはずなのに・・・」
(・・・もっとも私は・・・、人のことなんて何にも言えないんだけどね・・・。特にこの、自殺した女性のことは・・・)
記事を声に出して読んだ時、未佳には一瞬だけ、この女性が自分のように思えた。
もちろん、完全に似た者同士だと思ったわけではない。
自殺した理由に関しては、未佳のとはまるで異なる。
だがその半面、何処か自分と似たものを感じたのだ。
先行きの不安からの飛び込み自殺。
それが一番、未佳には親近性を感じさせられた。
(きっとこの女性も・・・、私と同じくらい・・・。あるいはそれ以上に悩んだんだよね・・・)
「未佳さん? どうかしました?」
「えっ? いえ、なんでも・・・」
そう言い返して新聞を栗野に手渡すと、未佳は『そう言えば』と、再び長谷川の方に視線を向けた。
「あっ、そういえばさとっち。風邪薬か何か、家の中にある?」
「・・・一応・・・、救急箱の中に・・・。今までもらった薬の余り・・・、入ってますけど・・・」
「救急箱は? どこ?」
「リビングの・・・、茶色い箪笥の・・・、上の引き出し・・・。その中に、・・・入ってます」
「分かった。取ってくるね」
さすがに薬くらいは飲ませなければ、風邪の回復は早まらないだろう。
そう思った未佳はリビングへと向かい、長谷川に言われたとおりに、茶色い箪笥を探し始めた。
『箪笥』と聞いて、てっきり漆塗りの大きな箪笥があるのだと思っていたのだが、リビングをいくら見渡してみても、そんな家具は何処にも見当たらない。
おかしいと思い首を傾げつつ、ふっと真下の方に目をやると、テレビの隣にようやくそれらしいものを発見した。
しかしその大きさは、未佳の膝くらいの高さしかない。
『箪笥』というよりは『物入れ』だ。
「これが箪笥ぅ~? どう考えても黒い物入れ箱じゃない」
〔『漆塗り』は当たってたけどね〕
「しかもこんな小さな入れ物じゃあ、中に入ってる薬道具とかも・・・」
そう思い引き出しのあちらこちらを開けてみると、なにやら色々詰まっていた。
引き出しは全部で4つ。
その内の上二つは、下の段の引き出しの半分くらいのサイズしかない。
そして順番に開けてみると、1段目は包帯や消毒液、ガーゼやアルコールなどが入っていた。
緊急時の時などに開ける引き出しなのだろう。
2段目の中には、ティッシュやクリーム系のもの、そして虫刺され用の薬などが入っていた。
「・・・夏用?」
〔さぁ?〕
さらに上の半分になっている右側の中には、ピンセットやハサミ、綿棒や何故か待ち針が入っている。
どうやらこれは、手当て用の道具入れらしい。
「待ち針なんて何に使うのよ」
〔棘が指とかに刺さった時じゃない? 人間ってそういう時、針で取るんでしょ?〕
「畳すらないこの家で一体何が刺さるのよぉ」
そんなことを呟きつつ、最後の左側の引き出しを開けてみると、開けた瞬間大量の白い紙袋が出てきた。
その一気にドサッと出てきた薬袋の数に、未佳は一瞬ドキリとする。
「なっ・・・、何よ?! これ・・・?」
〔長谷川さん。風邪引く度に、病院で同じ薬もらってたんだね。みんな中身同じやつだし・・・〕
リオの言うとおり、薬袋の中に入っていたのは、みな同じ風邪薬だった。
その時々で残量は違っていたが、どうやら薬を残しておいたまま、また次の薬をもらいに行っていたらしい。
〔これを渡せば? 全部風邪薬だし・・・。早めに下がると思うよ。それに、また病院なんかでもらってきても、結局余りの薬が溜まって困るだけだろうし・・・〕
「も~うっ!! さとっち器用なくせに、ホーントにだらしないんだから!!」
などとブツブツ呟きつつも、ちゃんと薬を持っていくところが、未佳のいいところだ。
早速未佳は、長谷川に持ってきた薬を飲ませようとしたのだが、ふっとあることが脳裏を過り、その手ピタリと止める。
確か長谷川はさっき『昨日は帰ってから、一切リビングには行っていない』と言っていた。
ということは、長谷川は朝から食事を取っていないという計算になる。
「さとっち。朝ごはんとか、何か食べた?」
「いいえ・・・。食欲ないんで・・・、さっきの、スポーツドリンクしか、今日は・・・」
「何か食べてからじゃないと、薬は・・・。飲ませられないんじゃない?」
確かに栗野の言うとおりだ。
朝からドリンクしか口にしていない長谷川の身体に、いきなりこんな風邪薬を飲ませてしまったら、かえって風邪の病状を悪化させてしまうだろう。
飲ませるためには、とりあえずなのかを食べさせなければならないのだが、そう上手くいかないのが風邪のとき。
特に高熱で食欲が落ちている時は、かなり厄介だ。
何せ食欲がないだけでなく、胃の分解消化作用でさえも弱まってしまっているので、食べられそうなものはかなり限られてしまう。
『どうにか、食欲がなくても食べられそうな料理はないものか』と、未佳はひたすら頭を捻り続け、そして唐突に小さく『あっ』と声を漏らした。
「なんならさとっち。私がお昼ご飯作るよ。玉子がゆ。それなら食べられるでしょ?」
「えっ・・・? でも材料」
「大丈夫! 冷ご飯と卵と小ネギさえあれば、ちゃんと作れるから。ごめんね。さっきドリンク取りに行った時に、冷蔵庫とお釜の中見ちゃった♪ すぐ作るから、ちょっと待ってて」
そう言うが早いか、未佳はすたこらさっさと、キッチンの方へと走り出す。
後ろでリオと長谷川が『抜け目ない』と、口を揃えて呟いたことにも気付かずに・・・。
しばし未佳がキッチンで材料を取り出していると、先ほどまで長谷川の看病をしていた栗野もとやってきた。
「手伝います。私は一応、お二人のマネージャーでもありますから」
「あっ、ありがとうございます! じゃあ・・・、土鍋の方を。お粥の時よりも、水を少し多めに」
「多めに・・・、ですか?」
最初から水を多めにしなくてはいけないのは分かっていたのだが『お粥の時よりも多めに』とは、一体どういうことだろう。
そもそも『そんなに水を多めにして大丈夫なものなのか』と、栗野はやや不安になった。
少々その指示が心配になった栗野は、未佳に指示の内容を聞き返す。
「あの・・・、未佳さん。でもお粥って・・・、元々水が多いでしょう? それなのに、余計に水を多めにするんですか?」
栗野が不安げにそう尋ねると、未佳はこんな意外な答えを返してきた。
「水を多めにすると、玉子が少し硬めの塊じゃなくて、玉子スープみたいにフワッてなるんです」
「ああ~っ! よくなります!! 土鍋で普通に卵を入れると、それが硬くなって落し蓋みたいに・・・」
「そうそう。それが水を多めにするとならないから、私よく家で雑炊とか作る時にやってて。今のさとっちには、そっちの方が食べやすいだろうし・・・」
「へぇー・・・。私かれこれ20年以上自炊してるけど、玉子が落し蓋にならない方法なんて、初めて聞いたわぁー・・・」
「単にこっちも、偶然知ったんですけどね。偶々間違って水を多めにしたら、そうなっちゃったんで・・・」
「へぇー。今度家でやってみよ」
「はい。是非参考にって・・・・・・あ゛っ! それよりも作るのやらないと・・・!!」
「あっ・・・。そうでしたね・・・」
ハッと本来の目的を思い出した二人は、お互いにそれぞれアイデアを出しつつ、急いで玉子がゆ作りを再開させた。
そしてそれから約1時間後。
長谷川が風邪薬を服用したのを確認した後、二人と一人は、長谷川の自宅をあとにした。
予約死亡期限切れまで あと 175日
『曜日』
(2007年 10月)
※ある日の事務所。
厘
「さとっち~。今日何曜日やったっけ?」
さとっち
「今日は火曜日ですよ、小歩路さん」
※翌日。
手神
「長谷川くーん。一昨日って何曜日だったっけー?」
さとっち
「月曜日でーす!」
みかっぺ
「さとっち~! オフィシャルサイトのdiary、最後に更新したのって何曜ー?」
さとっち
「えっ~・・・と・・・、オフィシャルサイト開いて確認してくださーい!」
※さらに翌日。
厘
「この間晴れたのって何曜日やったっけ?」
さとっち
「えっ? 木曜じゃありませんでしたっけ?」
みかっぺ
「さとっちー。前にこのラジオ出たの、何曜だったかわかるー?」
さとっち
「事務所の予定帳見てくださーい!」
手神
「長谷川くーん。この店って、休館日」
さとっち
「毎週水曜。火曜から水曜に変わりましたよー」
みかっぺ
「さとっちー! 今日の日にちって、去年何曜だったー?」
さとっち
「・・・・・・・・・・・・カレンダー見てください!」
みかっぺ
「(苛) なんで私の時だけ答えらんないのよっ!!(怒)」
さとっち
「んな昔のことまで覚えてませんよ!!(怒)」
人間、記憶には限界があります・・・。