12.3月の病人
(家の中にいる・・・)
そう未佳が確信して奥へと進んでみれば、やや物の置き過ぎで狭くなっているリビングが見えてきた。
リビングのすぐ右側はキッチン。
そしてそのキッチンの前の方にはテーブル。
その周りにはギターが全部で4台ほど転がっていた。
さらにテーブルの上には、昨日の朝食と思われる食器が置きっ放しになっている。
その真下には、見たくはなかった着替えたままの服。
〔なんか散らかってるね・・・〕
「元々そういう人なんだけど・・・。これはちょっと・・・」
〔そういえば・・・、さっき通り過ぎた通路のドアは?〕
「左側の二つは、トイレとバスルーム。右側は・・・・・・寝室!」
言うが早いか、未佳は大急ぎで通路の方へと走り出した。
そして通路の右側にある部屋の前に立つと、未佳は迷うことなく、その部屋のドアノブを引き開ける。
「さとっち!!」
そう叫びながら中へ入ってみれば、そこにはベッドの上で丸くなっている長谷川がいた。
どうやら熟睡しているらしく、未佳の叫び声で起きる気配はまったくない。
「あ・・・呆れたぁ~・・・。さとっち!!」
「・・・ん? ・・・あれ・・・、坂井さん・・・?」
ふっとようやく眠りから覚めた長谷川は、徐にモソっと身体を動かし、目の前に立っている未佳の顔をジッと見つめた。
と同時に『何故彼女がここにいるのだろう』と言いたげな表情を浮かべている。
そんな長谷川の反応に、未佳は再び呆れ返ったかのような表情を浮かべ、口任せに長谷川を怒鳴り散らした。
「『坂井さん?』じゃないわよ! さとっちいつまで寝てるつもり!? もう事務所入りしてないとマズい時間・・・ううん。もうマズいどころの問題じゃない! 本当なら私が事務所に行かないといけない時間なのよ!? 分かる?! さとっちは4時間近くも寝てたのよ?!」
「あぁ・・・、もうそんなに・・・」
「はぁ~っ?! 何その返事!! さとっち、ことの重大さ分かってる?! 私だけじゃなくて、小歩路さんや手神さんにも迷惑掛けてるのよ!? しかもギター担当者が寝坊しただけでもよ!? 少しは周りのことも」
と言い掛けて、未佳はふっと長谷川のある異変に気が付いた。
どうも長谷川の様子がおかしい。
先ほどから目がしっかりと開かず、なんだかとても虚ろげだ。
おまけにここまで未佳に注意されているにもかかわらず、長谷川は布団から一切として出ようとしない。
むしろそればかりか、逆に布団を深く被り直している。
さらにその顔は両方の頬辺りがほんのりと赤く染まっていて、おまけに少し息苦しいのか、長谷川の口元からは『スー・・・ スー・・・』という荒く息を吐く音まで聞こえてくるほど。
明らかにいつもの様子ではなかった。
「さとっち・・・? 大丈夫? なんか顔赤いけど・・・」
「・・・ちょっと・・・、今日、身体怠くて・・・・・・。寒気がするん・・・、です・・・」
「えっ? ・・・ちょっといい?」
未佳はそう確認しながら、長谷川の額に右手を当ててみる。
そこから伝わってきた体温に、思わずゾッとした。
「っ!! ・・・ヤダッ! 凄い熱じゃない!!」
「未佳さーん! あれ? ドア開いたんですか?」
ようやく合鍵を持って戻ってきた栗野の声が、玄関の方から反響したように聞こえてくる。
未佳は即座に立ち上がると、栗野の元へと走り出した。
「栗野さん!」
「あっ、未佳さん。開いたんですか? ドア・・・」
「最初から開いてたの・・・。 ! それよりも大変!! さとっち熱が・・・!!」
「えっ!? 熱があるんですか?!」
ここでようやく、二人は長谷川が事務所にやってこなかったワケを理解した。
ただ単に、高熱のせいで動けなかったのだ。
「体温測りました?」
「まだ・・・。でも頭に手を当ててみたら、かなり熱くて・・・!」
「じゃあ・・・。未佳さんは体温計を! 私は氷枕を作っておきますから・・・!」
「あっ、はい!」
二人はそう言って分かれ、未佳は寝室に。
栗野は奥のキッチンにある冷蔵庫の方へと向かい、それぞれ割り振った道具や材料を探し回った。
しかし、思いの外体温計が見つからない。
栗野の氷枕のように、何処にあるのかすぐに分かりやすいものと違って、体温計はどの部屋にあるのか分からない。
ただ風邪を引きやすい長谷川のことだから、きっと体温計は取り出しにくいところには仕舞っていないだろう、という予想くらいしかなかった。
「何処? 何処にあるの?! 体温計!」
本当は長谷川に直接訊くのがいいのだろうが、さすがに高熱で意識が朦朧としている人間に尋ねるのには、少々抵抗がある。
さらにあまり言いたくはないのだが、何となく先ほどの未佳の怒鳴り声で、長谷川の容態が悪化した気もしなくはなく、直のこと尋ねるのには抵抗があった。
だがそんなことを思っていたら、いつまで経っても体温計は見つからない。
「何処にあるの?! 部屋が散らかり過ぎてて分からない!!」
〔(・・・・・・ハァー・・・。仕方ない。使うしかないか・・・)〕
「あ゛ぁ゛っ! もうっ・・・!」
〔未佳さん。動かないで!〕
「えっ?」
その声に驚いて振り返ってみれば、そこには丁度寝室の真ん中に立つ、リオの姿があった。
「リオ・・・?」
〔シーッ・・・静かに・・・〕
リオはそう言いながら『静かにするように』と、口元に人差し指を一本だけ立てる。
と、それとほぼ同時に、突然リオの身体が青白く光り出した。
正確には、リオの服に掘られているワッペンのようなマーク。
まるで二つの黒い丸に、二本の細い線が交互に伸びて繋がっているかのような、そんな形のマークなのだが、それが激しく光っているのだ。
と同時に、リオの両目も青白く光り、辺りを時計回りに見渡し始める。
そして、もうじき寝室全体を見渡すであろうところで、ふっと動きを止めた。
やがて身体の発光が収まると、リオは視線を止めた場所をビシッと指差す。
〔あそこ! あの引き出しの2段目の奥!〕
「・・・えっ? えっ? あの奥?」
そうリオに言われ、未佳はとりあえず寝室の隅にあった引き出しの2段目を開けてみる。
するとそこには確かに、未佳が探し求めていた体温計が転がっていた。
「あっ、あった!!」
未佳は体温計を取り出すや否や、早速それを長谷川の脇に適当に当て、体温を測ってみる。
電子音が鳴るのを待っている間、未佳は微かに衣服の間から見える電号掲示板を何度も見つめた。
見つめる度に、どんどん表示される数字が変わっていく。
そしてそれからしばらくすると、栗野が氷枕を持って戻ってきた。
「体温計は・・・・・・あったんですね。体温は?」
「まだ・・・。今、測ってて」
ピピピッ・・・
「あっ・・・」
「鳴った」
〔何度?〕
未佳がゆっくりと長谷川の脇から取り出した体温計を、3人はそれぞれ身を乗り出しながら、表示された数字を目で追った。
「38度・・・・・・6分」
「マズいわねぇ~・・・。見た感じの症状から言って、インフルエンザではなさそうだけど・・・」
「仕事どころか、立つのですら無理よ・・・。これ・・・」
「未佳さん。私、事務所の方に電話入れてきますから、未佳さんはここにいてください」
「あっ、はい」
栗野は未佳にそう言い残すと、長谷川の自宅の外へと出て行き、外の通路から電話を掛けた。
そんな出て行く途中の栗野の後ろ姿を見つめた未佳は、ふっと長谷川の方に視線を戻す。
「それで? 何が原因でこうなったのか・・・。予測は付いてるの? さとっち」
「ん・・・? ・・・・・・多分・・・、風邪やないかと・・・」
「昨日から風邪気味だったわけ?」
「いえ・・・。昨日帰る時・・・、傘差して・・・、歩いてたんで・・・。それで・・・、濡れたから・・・」
途切れ途切れに返ってきたその意外な発言に、未佳は本日2度目の『はぁ~!?』を口にして、長谷川に聞き返す。
「『傘差して』って・・・。あなたいつも電車に乗ってるじゃない! なんでそんな雨が凄い中を徒歩なんかで・・・」
「・・・終電の電車・・・・・・、人身事故で・・・、止まってしもて・・・・・・結局・・・、走らなかったんですよ・・・」
「えっ・・・。・・・・・・人身・・・、事故? ・・・じゃ、じゃあ、車は? いつも乗ってる、黒い大きめの車は?」
「・・・実家にちょうど・・・、貸し・・・、てて・・・。だから、歩いて・・・、ここに・・・」
その後の長谷川の詳しい話によれば、長谷川の実家夫婦がつい最近、広島の方に住む親戚の家に用事でいかなければならなくなったのだという。
しかし、その実家夫婦の家にある車はかなり小さいため、その用事で運ぶための荷物を乗せた段階で、人間が乗る分のスペースが完全になくなってしまう。
そこで一週間くらい前から、長谷川は少し大きめでもある自分の車を、実家夫婦の方に貸していたというわけだ。
そう言われてよくよく思い返してみれば、確かにそのくらいの時から、仕事場で長谷川の車を見掛けなくなったような気がする。
いつも事務所前の駐車場では、栗野と厘の車の隣辺りに止まっていたが、ここ1週間くらいはその二人の車以外は誰の車も止まっていない。
(・・・私・・・、何も考えずに怒鳴っちゃった・・・)
今の話でようやく全てを理解した未佳は、黙って長谷川の体に布団を掛け直すと、少し申し訳なさそうに口を開いた。
「・・・・・・ゴメン・・・。なんか・・・・・・、大変、だったんだね・・・」
「えっ・・・? ・・・・・・・・・別にいいですよ、坂井さん。そんな・・・・・・。こっちの不注意ですし・・・。それにこうなるのなら・・・、終電前に帰ればよかったんだし・・・・・・」
「あのねぇ~・・・。予知能力持ってる人間じゃないんだから、予測なんてできるわけないでしょ? まっ、終電に乗るような時間帯まで居残るのも、いいとは思わないけど・・・」
でもその半面、なんだか長谷川らしいとも思えた。
いつも真面目に練習やら、曲製作やらを行っている長谷川は、基本的に事務所にいる間は無駄な時間を作らない。
そして仕事がほぼ無限大のように長引く場合には、とりあえず居残りできる時間帯まで居残る。
そういう人間だからこそ、今回のような予期せぬ事態が起こったのだろうとは思う。
「まあ・・・。今度からはこういうのを反省すればいいんじゃない?」
「・・・車ある時は・・・・・・、残ってもええとか・・・?」
「・・・・・・それもちょっと・・・。あっ・・・。そう言えばスポーツドリンクとかは? 冷蔵庫の中とかにある?」
「え? ・・・えぇ・・・。扉開けるところの、左側の扉の裏に・・・。飲みかけのが・・・」
「分かった。じゃあ・・・、取ってくるね」
未佳がそう言って冷蔵庫の方へと向かうと、長谷川は少しだけ開けていた瞼を再び下した。
本当は未佳だけでも、事務所の方には行かなければならない日ではあったのだが、今は状況も状況だ。
(看病だけで1日が過ぎるのも・・・、別にいいかな・・・)
長谷川に言われた方の冷蔵庫の扉を開けながら、未佳は少しばかり、そう思った。
『10回ゲーム』
(2005年 10月)
※事務所 控え室。
厘
「みかっぺ~♪ 『みか』って10回言うて♪」
みかっぺ
「え~? ・・・みか・みか・みか・みか・みか・みか・みか・みか・みか・みか!」
厘
「この間さとっちが食べてたんは?」
みかっぺ
「りんご」
さとっち
「ちょっ・・・!」
みかっぺ
「あ゛っ・・・!!」
さとっち
「!!」
厘
「やーっぱりウチのりんご食べたん、さとっちやないの~っ!!(激怒)」
さとっち
「うわーっ!! 痛っ・・・! いででででっ!!」
厘
「りんご返せー!!」
みかっぺ
(ごめん、さとっち・・・。口止めできなかった・・・)
『みかん』と言わないように気を付けてたら、モロ本当のことを言ってしまったという・・・。