10.雨の日の過ごし方
未佳の人生で最後となる2月。
その月の終わりとなったこの日、未佳はセットしていた目覚まし時計ではなく、窓の向こうから微かに聞こえてくる雨音で、目を覚ました。
昨日予測した通り、今日は雨。
それもかなりの大雨だ。
こんなに降ったのは、正直言って久々だろう。
「やっぱり降ったかぁ~・・・。しかもかなり強いし・・・。これじゃあ、洗濯物は無理ね」
〔開口一番がそれ?〕
その声に反応して振り返ってみれば、リオがポツンと突っ立っていた。
〔この間のこと、未佳さん何も言えないじゃん・・・〕
「私・・・、この間なんか言ったっけ?」
〔覚えてないんならいいよ・・・〕
「・・・・・・」
そう言われるとかなり微妙な気持ちになってしまうのだが、考えてみたらそんな風なことを言ったような気がする。
確か一昨日の朝くらいに。
〔それで? 『洗濯物』って?〕
「えっ? あ、うん・・・。このところあんまり洗ってなかったから、やろうと思ってたのよ」
〔なんで日曜日にやらなかったの?〕
「まだそこまで溜まってなかったのよ。色々と忙しかったし・・・」
〔ふ~ん・・・。1日でそんなに溜まったんだ。ふーん〕
「・・・・・・」
実のことを言ってしまえば、前から洗濯物は溜まりつつあった。
ただ単に、未佳があまり意識していなかっただけのことである。
『そこそこ溜まっている』と気が付いたのも、昨日風呂に入ろうと下着などを洗濯カゴに入れていた時だ。
あまり意識していないでいると、未佳の周りはいつもこんな風になる。
「まあ、いいや・・・。起きよ」
とにもかくにも、起きなくては何も始まらない。
未佳はベッドから起き上がると、とりあえず紅茶のためのお湯を沸かし始めた。
ただでさえブルーな気分になりがちな天気なのだから、こう言ったもので気分を変えでもしなければ、おそらく今日1日はずっと気持ちが下向きになってしまうだろう。
それをなくすために、未佳はいつも雨の日には紅茶を入れて、少しながら気分転換を行うのだ。
お湯を沸かしている間に、未佳は上下の服を着替える。
今日は久しぶりに下はブルージーンズ。
上は赤・オレンジ・白・黄色などの色が横に並んだような模様の長袖を着込んだ。
これは完全に自宅にいる時のみの格好である。
〔今日は仕事はないの?〕
「うん。明日はあるけど・・・。今日はさとっちだけじゃない? 別のバンドのライヴが控えてて、そのライヴのサポギタ任されてるから」
〔へぇー・・・。長谷川さん忙しいんだね〕
「そうねー・・・。私や手神さんもかなり忙しい方だけど、さとっちはその中でも断トツね」
バンドやライヴのギターをやり、作詞・作曲を行い、挙句の果てにはソロ活動。
そのせいで、本家でもあるCARNELIAN・eyesの仕事がおごそかになることもしばしある。
熱心なのは別にいいのだが、もう少し本職と別の仕事の両立なども考えてほしいものだ。
(っと言っても・・・。事務所側が勝手にそう言ってやらせてるんだから、さとっちは悪くはないんだけど・・・)
〔未佳さん、お湯〕
「えっ? ああ、沸いた?」
そのあとはいつも通り、軽めの朝食。
今日のメニューはストレートティーと、前に事務所の近くにある喫茶店で購入したスコーンだった。
一昨日のバナナとお茶だけのメニューよりかは、こちらの方がまだまともな食事である。
「リオも食べる?」
〔・・・どうやって食べるの?〕
「そのままでもいいんだけど、ジャムとかメイプルシロップとかをかけて食べたりとか・・・。まあ、人それぞれね」
〔・・・・・・そのまま味見してもいい?〕
「えっ? うん。それでなんか物足りなかったら、そこにイチゴジャムとメイプルシロップがあるから、適当にかけて」
と言いながら、未佳はイチゴジャムを乗せたスコーンを口に頬張る。
しばしその様子を観察していると、どうも未佳はスコーンを食べる際、少しずつスコーンを契って、その契ったスコーンにジャムなどを付けて食べる食べ方のようだ。
リオはそんな未佳の食べ方を見ながら、未佳と同じように、小さく契ったスコーンを口に入れた。
バター風味がかなり出ているにもかかわらず、スコーン自体はあっさりしている。
しかも1回温め直されたことにより、かなり生地はしっとりとしていた。
とりあえず本来の味を確認したところで、今度はメイプルシロップを付けてみる。
名前こそ知っているものの、メイプルシロップ自体を見るのはこれが初めてだ。
リオは半分ワクワク、半分ドキドキという感覚のまま、再びスコーンを口の中に入れた。
〔(甘い・・・)〕
第一印象は、実に当たり前すぎるものだった。
何度も言うようだが、リオは人間の食べ物だのにはほとんど触れたことがない。
なのでこの味に関する情報はほとんど持っていなかったのだが、とりあえず今食べてみた時点での感想は『甘い』。
さらにハッキリ言ってしまうと、少々『甘すぎる』。
しかし向かいの席に座っている未佳は、普通にそのメイプル味のスコーンをさぞ美味しそうに頬張っていた。
〔(未佳さんには好きな味なんだ・・・)〕
次にリオが試したのは、もう片方のイチゴジャム味。
未佳が用意したイチゴジャムは、何故かかなり大きめのビンの中に入れられていた。
しかし妙なことに、そのジャムのビンには製造した場所や商品名、さらには賞味期限、消費期限などを記したラベルなども一切貼られていない。
おまけに大きめのビンの中に入っているというのに、ジャム自体の量はかなり少なめだ。
『もう何度も使った』というのであればそうなのだろうが、元々そんなに入れられていたわけでもないらしい。
とりあえずスコーンに塗って、一口頬張ってみる。
すると先ほどのメイプルシロップよりかは、少し優しいような感じの味がした。
一応メイプルシロップ同様『甘い』ことには『甘い』のだが、その甘さが何とも自然な甘さだ。
おまけにイチゴの果肉が少しばかり残っているのも、食べている側としては嬉しい。
〔美味しい・・・〕
「でしょ? 小歩路さんが作ったのよ? そのイチゴジャム」
〔えっ?〕
「この間イチゴ狩りでもらったイチゴを、家でジャムにしてビンに詰めたんだって。それをみんなで山分けにして、私が残ったのをもらったのよ」
〔ビンごと?〕
「そうよ」
つまり、最初はこのビンいっぱいに入っていたジャムが、後々皆と山分けにしたことによって、ここまで量が減ったというわけだ。
どおりでこんな大きめのビンの中に入っていたわけである。
こうして全ての味を確認したところで、リオは『どの味のものがよかったのか』をしばし考えてみる。
二つとも当たり前のことではあるが、違いは多くあった。
その中で『一番しっくりと来たもの』を言うとするならば。
〔僕・・・、そのままとイチゴジャムがよかったかも〕
「・・・確かにメイプルシロップって、もの選ぶよねぇ~。スコーンもものによっては合うけど、こう言うサクサク系じゃないのには微妙かも・・・」
〔でも未佳さんは好きなんだね〕
「甘いもの系は、女性の大好物よ。太り易くなるのが欠点だけど・・・」
〔ダメじゃん・・・〕
リオが冷たく突っ込むと、未佳はワザと鼻歌を歌いながら、食器類を流しの方へと片付け始めた。
どうやら今日は外に出られない代わりに、今しかできない家の家事を行った方がよさそうだ。
早速未佳は、下げたばかりの食器や昨日の夕飯などで使った食器などを洗い始める。
それが終われば、今度は室内の掃除。
散々散らかっていた失敗作の楽譜やらを二つ折りにして、そのまま燃えるゴミの箱の中に突っ込む。
それだけでゴミ箱の中は満杯になってしまった。
さらにその後は掃除機かけやトイレ・風呂場掃除など、完全に大掃除にような状況になったところで、未佳はテーブルの椅子の上に座り込んだ。
こうした家事をやっていただけで、時刻はもうじき昼間近・・・。
時計を見る限りでは、最高の1日の使い方だとは思う。
だがヘトヘトの未佳を見ていると、少々微妙にもなってくる。
「はあ~・・・。疲れた~・・・」
〔なんで一気にやったりなんかしたの? 少しずつの方がいいのに・・・。『身体に負担が掛からないくらいに』って、よく言うじゃん〕
「えぇ? ・・・それだと、仕事が続いた時に、余計に大変でしょ? だから、やれる時に全部やっちゃった方が楽なの。そうすれば、近いうちに休みが取れた時に、何にもやらずにのんびりできるしね」
〔未佳さんも充分目敏いね・・・〕
「あ~ら・・・。リオ、この間の私の呟き、聞いてたわね」
〔・・・地獄耳だからね〕
どう考えても威張って言うことではないが、とりあえずリオはそう言い返してみる。
だが意外なことに、未佳はそれに対して何も言い返そうとはしなかった。
そればかりか、再びピアノの前に座り込み、鍵盤を指で弾き奏で始める。
〔また曲作り? この間やったばっかりじゃない?〕
「この間のは、前から出来てたのを入れ直しただけ・・・。それにあの様子じゃあ、小歩路さんが詞を書き終わるのも早いだろうし・・・。一から弾くのをそろそろやっておかないとね」
〔ふーん・・・〕
確かに言われてみれば、一昨日の作曲録音の時よりも、こちらはキーが決まっていない分、妙にぎこちない。
一度キーを決めると、その先を決める時もそのキーを弾いていくのだが、作業工程はまるで『3歩進んで2歩下がる』である。
そんな未佳をしばらく見つめていたリオだったが、さすがにただ見ているのも飽きる。
何か他に時間潰しはないものかと、リオは辺りを見渡した。
すると何やらテーブルの上に、白いケーブルが繋がれたピンク色の小さな薄い機械が置いてある。
『ピンク色』と言っても、色的には紅色に近いピンクだ。
気になったリオが、よくよくその機械とケーブルを見つめてみれば、白いケーブルだと思っていたものは、単なる白いイヤホンだった。
そしてそのイヤホンが繋げられているピンク色のものは、人間の手の平ほどの大きさしかない、薄い長方形の機械。
表側だと思われる方には、大きな丸いボタンと液晶画面。
その丸いボタンの両サイドには、小さな丸いボタンが付いていた。
〔(なんだろう・・・?)〕
興味本意でボタンを押してみるが、何の反応もない。
『ならば』と右側にある小さな丸いボタンを押してみれば、何かのメニュー画面が映し出された。
だが、いくらボタンを押してみても、何故か選択できない。
そればかりか、再び液晶画面は暗い画面に戻ってしまう。
その後何度やってみても変わらない画面に、次第にリオはイライラし始めた。
〔もう! なんでだよ!!〕
「『HOLD』になってるのよ。それ・・・」
〔えっ?〕
突然真上から聞こえてきた声に驚いて見上げてみれば、そこにはまるで覗き込むかのように、中腰になった未佳がいた。
未佳はリオが持っていた機械を取り上げ、その横のスイッチを指差す。
「これは『フォークマン』って言って、音楽を聴くための娯楽道具なの。それで、ここの『HOLD』が入っていたら、音楽が再生されていないままの場合、いくら他のボタンを押しても、音楽は流れないから」
〔再生されていた場合は?〕
「いくら真ん中のボタンを押しても、音楽は止まらないでずっと流れる。だからすぐに電池がなくなったりするから、音楽を止めてからスイッチを入れないと、ちょっとマズくなるわね。・・・音楽が聴きたかったの?」
〔・・・ううん。何なのか分からないから触ってただけ・・・。これ、未佳さんの歌とかも入ってる?〕
「えっ? うん・・・。一応今までのはみんな入ってるけど・・・」
〔聴いててもいい?〕
「いいけど、程々にね。充電が色々と面倒臭いから・・・」
未佳はそれだけリオに伝えると、再びピアノの前へと座り、ピアノを指で弾き始めた。
ここで聴いていては邪魔だろうと思ったリオは、一人気を利かせて、未佳の部屋の方へと歩き出す。
一昨日と同じように、ベッドと布団の上に倒れながら、器用に横に寝そべるような形で、イヤホンを耳に入れた。
『アーティスト』欄から『CARNELIAN・eyes』を選び、そこから映し出された曲一覧の中から、適当に気になった曲名のものを選択して視聴する。
少し長めの前奏の後に響く声は、紛れもなく坂井未佳の声だった。
曲のメロディーやアレンジなどによって七変化する未佳の声に、リオは思わず目を閉じて聴き入る。
ふっとリオは、それぞれの曲の中に、その曲の世界観が広がっていくかのような錯覚に襲われた。
哀しみを歌った歌には、凛とした主人公の強さが。
生命の神秘を歌った歌には、その者達の想いが。
ただ小さく些細な幸せを歌った歌には、ほのぼのとした男女の姿が。
たった1曲5分程度しかない曲の中に、これだけの世界が一瞬にして広がるのだ。
彼らのバンドのファン達はきっと、こうした曲や歌詞などに込められている想いや感情、何処か哀し過ぎる曲にも見え隠れする人の強さなどに惹かれたのだろう。
気が付けばリオは、耳に意識はあるものの、そのままベッドの上で寝息を立ててしまっていた。
1曲5分なのだから、当然時間が過ぎるのも早い。
結局リオは、再び寝ている姿を未佳に見られることになってしまったのだ。
作曲作業を終えた未佳は、ふっと自分の部屋のベッドの上で眠っているリオを見て、思わず苦笑いを浮かべた。
「何よ・・・。結局聴いてる途中で寝てるじゃない・・・」
とは言っても、耳だけはまだ意識があるようで、リオは時折足や指をピクピク動かしていた。
よくもまあ、こんな器用なことが出来るものである。
ふっと壁に掛けられている時計を見つめた未佳は、再びそっと溜息を吐いた。
時刻は既に2時過ぎ。
作曲作業に没頭し過ぎて、すっかり昼食の存在を忘れてしまっていた。
「あっ・・・。またお昼食べ損なった・・・」
時計を見つめながら、思わず未佳は思っていたことをそのまま口にする。
実は一昨日も、未佳は昼食を食べ損なっていたのだ。
理由は、作曲の録音に没頭していたから。
もっともこうした出来事は、未佳の周りで何度もあったことで、別に今更とやかく騒ぐことではない。
ただ個人的に、今日は普通の生活リズムを送りたかったのだ。
人生最後の、2月だったのだから・・・。
「まっ、いっか・・・。・・・・・・あと5ヶ月ちょっとね・・・」
未だに雨脚の勢いが収まらぬ空を窓越しに見上げ、未佳は静かにそう呟いた。
予約死亡期限切れまで あと 176日
『ヒット曲』
(2010年 1月)
※事務所 控え室。
みかっぺ
「最近、人数多いアーティストグループとかが1位取ること、やたらと多くない?」
さとっち
「あぁ・・・。あと若い人達のユニットとか、韓流とかね・・・。なんか若い人達が毎回売れてると、僕らもやる気無くしますよねぇ~」
みかっぺ
「うん。・・・別に『いけない』っていうわけじゃないんだけどさぁ・・・。ビミョーだよね?」
厘
「二人で何の話してるの?」
みかっぺ
「ん? ・・・最近若い人達のアーティストがよく売れてるじゃない? そういう類の話・・・」
さとっち
「ほら。つい最近も『ヘ○ー・ローテーション』っていう歌が」
厘
「えっ? 『ヘビの脱皮』って、英語でそう言うん?!」
みかっぺ・さとっち
「「(@□@;)(@□@;)・・・!!」
たっ、確かにヘ○ー・ローテーション・・・。