105.移動中の最中で
準備を終えたメンバーが楽屋を出てみると、外の関係者用通路は、大阪の時よりもかなりごった返したような状態になっていた。
自分達のすぐ足元には、回線などの連絡用ケーブルが何本も伸びており、壁側には大量の段ボール箱。
さらにそこを行き交うスタッフの数や話し声と言ったら、それはもう人通りの多い交差点並。
もちろんこのような光景は、未佳達の場合初めて目にするようなものではない。
特に関東でのイベントやラジオの場では、こうしたごった返し光景は『たま』ではなく、毎度のこと。
もっとも何故毎回このような状況になるのかは、未佳自身もよく知らないが。
「すごい人・・・」
「まるで大晦日前の道頓堀っすね・・・。ん? ・・・! 小歩路さん、回線踏んでる!!」
「へっ? ・・・あっ! す、すみません! 踏んでもた!!」
ふっとその長谷川の注意により気が付いた厘が、慌ててケーブルを踏み付けていた右足を持ち上げる。
幸い、踏んでいたのはヒールのある踵側ではなくつま先側だったので、特別ケーブルを傷つけるまでには至らなかった。
「これちゃんと下見てへんとダメやねぇ~・・・」
「でも本当に、なんで関東は毎回こんなに人の出入りが多いのぉ~? しかも荷物も・・・」
「まあ・・・。ある意味関西よりも人材が多いっていうか・・・。荷物は持ってきてるからっしょ?」
「あと今すれ違ったスタッフの人が言ってたけど・・・。なんか・・・飛行機で運んでた機材が今来たらしい」
「あっ・・・、それで今こんなにごった返してるの?!」
「皆さーん! そこにいるとちょっと邪魔になるんで、一旦こちらに来てくださーい!」
ふっと何処からか聞こえてきた栗野の声に後ろを振り返ってみれば、楽屋扉からしばし右方向へと進んだ先。
途中、右側の壁に広いスペースが設けられているその場所に、栗野が大きく右手を振っていた。
さらにその隣りには、同じくこちらに向かって手招きをしている、日向の姿もある。
「あっ、あっちだ!」
「いた! いた!」
「みんな足元注意して。こっち、こっち~」
しばし人波を逆らうことなども考え、一番身長の高い手神が、先陣を切って栗野の元へと突き進む。
そしてその後ろを、今度は未佳・厘、そして長谷川が、まるで数珠繋ぎのようにしてついていく。
こうしてメンバー4人が二人の元へと到着したのだが、到着した早々、栗野からまさかの失笑を食らわされた。
「ハッ・・・ハハハ! おっかしぃ~!」
「えっ? ・・・な、何がです?」
「いえ、手神さんは普通だったんですけど。あとの3人が・・・」
「? 『3人が』??」
「すんっごい低姿勢で繋がってたんで・・・もうっ、おかしくって~、ハハハ」
実は手神に続いて未佳達が歩いて来ていた時、3人は人の多さや騒がしさに圧倒されてか、かなりの低姿勢で。
さらに、未佳は手神のシャツの背中部分を。
残りの二人はお互いの先頭。
つまり、厘は未佳の両肩、長谷川は厘の両肩に両手を乗せながら、手神のあとに続いて歩いていたのだという。
その姿は、まるで抜き足差し足で移動している泥棒のようだ。
「みんな揃いも揃って同じ格好だったから・・・ハッハハハ」
「「ほっといて・・・」」
「ほっといてんか・・・」
「そう・・・言われてみれば移動中、誰かにシャツを引っ張られてたようなー・・・」
「だっ・・・、だって人多くて恐かったんだもん!!」
「「うん! うん!」」
「関西人は関東人よりも人混み慣れてないのよ!?」
「「うん!! うん!!」」
「いや・・・。別に僕も人混み慣れてるわけじゃあ~・・・」
「・・・って! そんな笑ってる場合じゃなかった!!」
そう突然叫んだかと思えば、栗野はカバンの中からあの予定帳を取り出し、ペラペラとページを乱暴にめくり始める。
どうやらまた例の如く、ここでのランチに関しての注意事項があるらしい。
ただし今回は口頭だけでの内容であるらしく、メモの用意などの指示は出されなかった。
「・・・はい! じゃあこれからレストランに出向く前に、ちょっと注意してほしいことを言います。時間の関係上一回しか言わないので、皆さん周りも騒がしいですが、よく聞くように!」
「「「「はい!」」」」
「ではまず移動中のことなんですがっ! ここからそのレストランまでは、このっ・・・。関係者用通路の中を通って、向かいます。外に出るのは、レストランの出入り口前付近のみです」
「「「「へぇ~・・・」」」」
「まるで新宿地下のサブナードみたいだな」
「へっ? 『新宿』??」
「さ、さぶなーど・・・って何?」
「えっ? ・・・あっ、いや。こっちの話・・・」
内心『東京の人間だったら通じるのになぁ~』と、手神は未佳達の反応を見ながらそう思った。
「それでこの中を移動して、お店前の扉に着いたあとなんですが・・・。お察しの通り扉の向こうは一般通路なんで、お客さん方がたくさん歩いています。当然ファンの方々も出歩いていると予想されます」
「「「「ゲッ・・・!」」」」
「なーのーで! ・・・ちょっと作戦なんですが」
そこで栗野達が考えた対策は、まず栗野が扉の外へと出て、辺りを確認。
周囲が移動できる状況になり次第、栗野が前方。
日向が後方を見張る形で、未佳達を一般通路へ。
そして栗野が前方を見張ったまま、そのあとを未佳達が急ぎ足で付いてゆき、最後に見張っていた日向が入店する、というもの。
「それでこの入店移動の際なんですが、間違っても! ファンの方々に手を振る、掛けられた声に返事を返す、そう言った行為は決して行わないでください!! 軽く一礼程度であれば許容範囲ですが、くれぐれもファンの方々を、現段階以上に興奮させないように・・・。おそらくレストランへの移動姿が目に入るだけでも、ファンの方々はキャーキャー・ギャーギャー騒ぎ立てますから」
「ハ、ハハハ・・・」
〔『ギャーギャー』って・・・〕
「シッ!」
「えっ? ・・・ってことは僕らー・・・、ファンに目撃されるんっすか? 十中八九??」
「ま、まあー・・・。完全にあの人目を避けるのは~・・・、おそらく無理だと思います」
「レストラン内にもたぶん・・・、時間潰しで入店してらっしゃる方もいるんでしょうし・・・」
「「「「・・・・・・エッ?!」」」」
ふっとさり気なく日向の口から零れた一言に、4人は一瞬その内容を聞き逃しそうになって、慌てて日向の方を振り返る。
「それ・・・ってどうゆうこと?!」
「『入店してらっしゃる』って・・・。まっ、まさかファンとレストラン混合っ!?」
「あっ、いえ! 別にそこまで一緒なわけじゃないですよ?」
「だってファンの方々がいるんでしょう?! お店の中に・・・!」
「いらっしゃることはいらっしゃいますけど・・・! ちゃんとそこは仕切らせてありますよ?! ちゃんと!!」
そう断言する栗野が言うには、そのレストランの店内は禁煙席と喫煙席で部屋を二つに分けており、両部屋の間は、壁や扉で仕切られているのだという。
そして今回、未佳達は元々室内が狭い喫煙席を丸ごと貸し切ってもらい、そこでランチを取る、という態勢にしてもらうとのことだった。
ちなみに喫煙席でのタバコの問題だが、そのレストランでは午後7時から全席禁煙設定。
つまり普段から臭いや煙が残らぬよう対策をしているので、それらを気にする心配はない。
また、今回はレストラン開店時から貸し切っているので、そもそも喫煙席ということを気にする必要もないのだ。
「で、でも・・・。じゃあ他のお客さんとかはどうしてるの?」
「・・・とりあえず皆さんの食事が済むまで、今は禁煙席だけで開店しています。店内も、禁煙のみ」
「ふ~ん・・・。なんか悪いなぁ~」
「ところでその貸し切り・・・、察するファンは察するんっすかね?」
「・・・でしょうね。何せいつもと状況が違うんですから・・・」
確かにレストランに入ろうとした際、いきなり店員に『本日は〇〇時まで、禁煙のみでのご案内となってしまうんですが』と言われたり、案内される場所が禁煙席のみ。
さらにその上すっからかんな喫煙席が目に入れば、それはもう『当たり』と言った状況になるだろう。
ついでにそれがロコモコ専門レストランともなれば『これはみかっぺが好きそうなメニュー』という流れになるかもしれない。
(『察する』通り越して『ビンゴ』よ・・・)
「あっ、それでトイレなんですが、トイレはその喫煙室の中にありますので、そちらを使ってください。そして食べ終わったあとの移動ですが・・・。こちらは私と日向さんが見張るところまでは一緒で、未佳さん達は走って! ・・・いいですか? 走って扉を開けて、通路の中に入ってください。私達は最後に入りますので。・・・以上ですが何かご質問などは?」
「はい」
「はい、長谷川さん」
「ランチは何時くらいまで?」
「えぇ~っと・・・。一応食べ終わったらすぐの予定に、なってはいるんです、が・・・。今12時ジャストなんで、ここからの移動も考えて、タイムアウト2時にしましょうか」
「はい」
「・・・他に質問!」
「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」
「・・・いないですね? ・・・・・・では移動します! ついてきてください!」
栗野はそう号令を掛けると、その空きスペースの奥にあった扉を手で押し開け、その奥にあった通路へと進んでいく。
扉の奥へと入ってみると、先ほどの楽屋通路の状況とは裏腹に、こちらはまったく人の姿が見受けられない。
おそらく楽屋通路側が会場出入り口と直進だったからなのだろうが、それにしてもかなりの人の差である。
おまけに通路の途中左手側には、関係者用トイレまで設けられていた。
「静か~・・・。私達以外誰もいなーい・・・」
「まあ関係者用通路の脇道ですから。ここ左に曲がりますよ~?」
「ハァー・・・。ある意味マップが欲しいわ、ここ・・・」
〔・・・・・・! ねぇ、ねぇ〕
「・・・ん? 何?」
〔アレなんて書いてあるの?〕
ふっと先ほどから隣を歩いていただけだったリオが、突然未佳のやや膝上ら辺のスカートを引っ張りながら、何かを指差し始めた。
その指差された方角に視線を向けてみれば、何やら天井の辺りに、何かの案内看板がぶら下がっている。
辺りが薄暗い関係でよくは見えないが、微かにその看板には『避難通路』と書かれているようだった。
さらに、その脇に書き込まれている矢印の方角は、先ほどの楽屋通路へ続く方角である。
「避難・・・通路・・・」
「ん? ・・・あぁ~、そうですよ。今皆さんが歩いている関係者用通路は、いざっていう時に避難通路として使われる場所なんです」
「今ちょっと手元にマップがないですけど、1、2階にはこうした通路がたっくさんあるんですよ? まるで蜘蛛の巣みたいに」
「そっか! それで窓がないんっすかね? 通路に津波が入ってこうへんように」
「そういうこと」
「へぇ~・・・」
ちなみに避難通路として使われた場合の出口は、朝に未佳達が会場入りした関係者用駐車場と、1階駐車場。
そしてヘリで救助されることを想定して設計された、3階屋上にあるヘリポートの、全3箇所。
ただし3階のヘリポートに関しては、あくまでも最終判断での避難場所であるので、実際の避難出入り口は、その2箇所だけだ。
「でもよく目に付きましたね、未佳さん。こんなに中暗いのに・・・」
「えっ? あっ・・・、う、うん・・・。まあ・・・」
「でもこんなに入り組んでるんじゃ、ちょっと迷いそうですね。初めての方って・・・」
「えぇ、そうなの。だから皆さんも・・・まあ、皆さんは4人だけで出歩くことはないでしょうけど、関係者用通路を歩く時は、くれぐれもはぐれないように注意してくださいね? 迷ったら大変ですから」
「「「「は、はーい・・・」」」」
それから歩き続けること、約5分。
途中いくつもの扉を開閉して通った後、ふっと直線通路の真ん中辺りに、小さな5段ほどの上り階段が目に入った。
そしてその階段の上には、これまでにもいくつか目撃した、青い扉が一つ。
またその扉の真ん中辺りには、ペンキで大きく『1E-4』と書かれている。
「1E・・・の4?」
「たぶん~・・・。『1階East側の4番扉』っていう意味じゃないっすか?」
「あ゛っ・・・さとっち鋭い!」
「イエイ♪ ・・・ところでここなんっすか?」
「えぇ。一応、ここなんですけど・・・・・・。じゃあちょっと様子見てきますね?」
会話もそこそこに、栗野は事前に考えていた作戦通り、一人外の様子を伺い出向いた。
外に出てみると、やはりそれなりのファンと思しき人の姿はあったが、まだ時間帯も早く、ついでに会場のある2階でもなかったためか、一般客の方が人数的には多く感じられる。
とりあえずある程度の人の波を確認して、栗野はレストランの方へと向かった。
一つ目の扉の中へと入った辺りで、微かに二つの目の扉から見える客席に目を向ける。
(1・・・、2・・・、3、4・・・5・・・・・・ざっと見た感じ5組13人。ちょっと多いわね・・・)
ちなみに店内の人数は、ただ今の時点でほぼ満席状態。
一応事前に聞いた情報で、喫煙席の最大収容人数は32人。
その内店内にいる人数はざっと20名ほどで、その中の約13人がCARNELIファン。
さらにもっと最悪だったのは、その店内にいたファン達の傾向層。
(よりにもよってベテラン集団がたむろってるわ~・・・。おまけに未佳さんと厘さんのファンが多いし、ベテラン集団以外はほとんど学生っぽい・・・)
この店内状況に、栗野は『ふぅ~・・・』と息を吐きながら宙を仰ぐ。
一応、自身が考えていた最悪条件は『店内の人間全員がCARNELIファン』という状況だったので、それよりはまだマシな状態である。
だが店内ファンの大半が女性陣ファンで、おまけにこれまで何度も会場で目にしていた常連組が多い。
さらにまだ学生と思しき若い人達がいるというのも、栗野としてはかなり心配だった。
何故なら。
(厘さんはともかく・・・。未佳さん若い人に弱いからなぁ~。手振り返しちゃうだろうなぁ~・・・)
一応ここで言っておくが、栗野は未佳のことを信頼していないわけでがない。
ただ相手が学生などの若いファンであった場合、少々未佳は他よりも甘くなってしまうところがあるのだ。
(まあ・・・。私も気持ち的には分からなくもないんだけど・・・)
そんなことを胸中でボヤきつつ、栗野は二つ目の扉も開けて、店内へと進む。
するとすぐさま来客に気が付いた女性店員が、栗野の方へと駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ。お客様1名様でいらっしゃいますか?」
「あっ、いえ。昨日ご連絡させていただいた、SANDスタジオの栗野なんですが・・・」
「・・・! あっ、はい! お受けしております」
店員はそう言って数回頷き返すと、横目でチラリと喫煙室の方を見つめた。
「すぐー・・・皆さん来られますか?」
「はい。今向こうの扉まで連れてきてはいるんですけど・・・。ちょっと店内、ファンの方が多いみたいなので」
ちなみにレストランの出入り口から喫煙室までの距離は、ざっと3メートル。
レジから左手に曲がり、そこから2メートルほどの直線通路を進んだ先にある。
一応通路側のテーブルには低い敷居があり、興奮したファンが走ってやってきてしまうなどということはないが、だからと言って安心はできない。
「お店の方でも出入り際に・・・。ちょっとガードしていただけますか?」
「あっ、はい。こちらも一応・・・、色々聞いてはいますので・・・・・・。ではすぐに」
「はい。色々すみません・・・。ありがとうございます」
ふっと最後にそう伝え、店員に対して深々と頭を下げたその時。
すぐ横のテーブルに3人掛けで座っていた常連ファン達から、微かにこんな声が聞こえてきた。
〈なぁ? ・・・なんかあの人、みかっぺのマネに似てね?〉
(ギクッ・・・!)
〈えっ? そぉ?〉
〈あんなヘアスタイルだったっけ? ・・・前、髪ショートじゃなかったか?〉
〈お前ソレ何年前の目撃情報だよ。『髪ショート』って初期じゃん! 初期!〉
〈マネージャーみかっぺよりも身長高いから、結構目立つよね?〉
〈〈うんうん〉〉
(ウソ・・・。私の姿まで把握してんの!? ベテラン組って・・・!)
何故かその会話を聞いて妙に恐くなり、栗野はまるで逃げるように店内を出ると、未佳達が待つ扉の方へと戻る。
とりあえず周囲を歩いている人々は一般客が多かったので、扉からレストランまでの道のりは安全と判断した。
(これくらいなら大丈夫ね・・・。よし!)
「あっ。栗野さん、どうでした~?」
「店内はちょっとファンが多いけど、出向くのは大丈夫そう。レストラン側には~、とりあえず喫煙室までのガード頼んできたわ」
「あっ、分かりました」
「じゃあ皆さん、作戦通りに・・・。あっ!」
ふっとたまたま未佳の姿が視界に入り、栗野は一応念のため、再度未佳にあのことを忠告する。
「そうだ、未佳さん!」
「あぁ、はい」
「ちょっと店内若いファンの方が数人いるんですけど、間違っても手を振り返したりしないでください! いいですね?!」
念には念を入れて忠告してみれば、薄暗い通路の階段下にいた未佳の顔は一気に暗く。
そして栗野を睨むかのようなジト目へと変貌していった。
隣に立つリオから言わさせてもらっても、明らかにヘソを曲げたのだと分かる。
さらにその証拠と言わんばかりに、未佳の口からはかなりドスの利いた聞き返しが返ってきた。
「・・・・・・それどういう意味?」
「そのまんまの意味です! 特に未佳さん学生とかが相手だとかなり甘いんですから・・・。いいですね? 絶対に手を振り返したりしないでくださいよ?!」
「・・・・・・・・・」
「返事は!?」
「は~い」
この軽い感じの返事がまた栗野の不安を掻き立てるのだが、どうやらこれは、栗野にまったく信用されていないように言われたことへの反発からであるらしい。
事実その発言の直後、未佳はジト目のまま長谷川の方へ視線を向け、ボソッとこんなことを言い零す。
「なんか余程信用されてないんだけど、私・・・」
「そう・・・っすね」
「どう思う? このマネージャーからの信用の無さ」
「いや、でも・・・。そりゃ~そちらの日頃の行いが悪いからっしょ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ぁっ・・・」
自分に同情してもらいたかったのか。
はたまた栗野に『そりゃないよ』の一言でも言ってほしかったのか。
いずれにしろそのどちらでもない長谷川の発言後。
狭く薄暗い通路全体に、未佳の『バシッ!!』という平手打ちが響いたのは、そのすぐあとのことであった。
「じゃあ皆さん、行きますよ? 未佳さん、厘さん、長谷川さん、手神さんの順番で一列ですからね? いいですか~?」
「「「は~い」」」
「・・・長谷川さん、大丈夫?」
「は、はせがわくん・・・? ねぇ。返事できる?」
ふっと最後尾に並んでいた手神が心配して、長谷川の方へと様子を伺い掛け寄る。
この時長谷川は、未だ未佳に叩かれた左頬に両手を当てて、俯いているような状態になっていた。
「だ、大丈夫?」
「さとっち、平気~?」
「・・・・・・痛い・・・」
〔まあそりゃそうだよな・・・〕
「あの・・・、泣きそうな声で『痛い』って言ってるんですけど・・・」
「フッ・・・。じゃあ“居れば”?」
未だ怒りが収まらない様子の未佳が、思わずそんな言葉を長谷川に対して吐き捨てる。
するとさすがの長谷川も、これには怒りを堪え切れなかったのか、俯いていた顔を『ガバッ!』と上げ、未佳に言い返す。
「そっちの『いたい』違うわ!! 『激痛』の方の『痛い』や!」
「もうそこまで痛くないでしょうよ! これでも手加減したんだから」
「んじゃ自分でやってみろや! そんな2分そこらで痛みが引くわけないやろっ!!」
「そんなの1分もあれば十分でしょっ!?」
「!! それに見ろや! コレ!! まだ真っ赤っかやで?! しかも客側の頬が・・・!」
「ずっと両手で押さえ付けてるから赤くなるんでしょ~!? 私そんな広範囲叩いた覚えないわっ!!」
「痛いから押さえてるんやろが!! この赤いのどないしてくれんねん!!」
「『日焼けした』とでも言えば~!?」
「こんな変な焼け方あるかァ!!」
「あぁ~、そう?! じゃあもう片方も同じようにやったげよぉかぁ~?! ん゛ん~?!」
「何やてェ~ッ!?」
「何よぉ~ッ!!」
ガンッ!!
「「ッ!?」」
ふっと辺りに鳴り響いた高く大きな音に、未佳と長谷川は同時に肩をビクつかせる。
音の発生源は、ちょうど言い争っていた二人の間辺り。
そしてその間には、両腕を組み、壁に寄り掛かっている人物が一人。
「あぁ~、すんまへん。ちょっとヒールの足が滑って鳴ってしもたわ・・・」
やんわりとした京都弁と顔の微笑とは裏腹に、厘の両目は言葉を無くすほど冷め切っていた。
未佳達の知る限り、これは厘が怒った時での最終段階である。
(ま、マズ・・・)
(アカン・・・。もう目がマジや・・・。めっちゃイッてる! めっちゃキレてる!!)
「ふたりとも知ってはる~? 人一人挟んで怒鳴り合うのって、フフッ、まあ・・・。怒鳴っている方は分からんのやろうけど、間の人間はめっちゃ・・・鼓膜破れそうになるくらい煩いんよねぇ~」
(ゲッ・・・!)
(ヤバイ・・・。ガチで殺される・・・!)
「京都の人間は、そういう騒がしいのがめっちゃ苦手やて」
ギロッ!
「あんたら知ってるやろ?」
『「心臓が止まりそうになる」とはまさにこのことだ』と、この瞬間、未佳と長谷川は強くそう思った。
やんわりとした京都弁から一変、ドスの利いた低い声へと声色が変貌し、二人は思わず厘の元から一歩ほど後ずさる。
もはや頬の痛みがどうだとか、大親友だとかは関係ない。
一刻も早く厘の機嫌を直さねば、間違いなく殺される。
そう判断した未佳は小走りで長谷川の隣へと駆け降り、二人同時に深々と、頭を下げた。
「「ごめんなさい。小歩路さん・・・」」
「もっと別に言い方ありますやろ?」
「「・・・・・・騒ぎ立ててしまって、申し訳ありませんでした・・・。小歩路さん」」
「そっから?」
「「以後・・・・、気ヲ付ケマス」」
「ほな栗野さん、早よ行こ~? ウチめっちゃお腹空いた~♪♪」
ドテッ!!
ズルッ!!
ズベッ!!
「へっ? ・・・なんでみんな倒れてんの??」
「にっ・・・、二重人格なんと違いますか!? 僕らの作詞キーボニストッ!!」
ふっとうつ伏せに倒れたままそう叫ぶ長谷川に、同じく横向きに倒れていた未佳もまた、首を縦に振り返した。
『お盆?』
(2000年 8月)
※さとっちの実家。
さとっちの父
「智ー。これから初盆のじいちゃんの魂、迎えに行こうや~。お墓のトコ行って」
さとっち
「ん? おじさんの? ・・・・・・あぁ~、提灯(迎え火)やりに行くのね(納得)」
さとっちの父
「そうや。それに今年は『智がバンドやり始めた』っちゅう報告もせなアカンし」
さとっち
「いや、それは別に・・・(ーー;)」
さとっちの母
「ハァ?! そんなん別にいらへんやろぉ~う。わざわざ(冷)」
さとっちの父
「何言うてるんや~、母ちゃん! 初盆で亡くなった人迎えに行くんわ当然やろ~?!(苛)」
さとっちの母
「だって別に家変わったわけやあらへんし」
さとっちの祖母
「せやせや。しょぉ~学生やあるまいし! あの人なら一人で帰ってこられるっしょ~(爆)」
さとっち・さとっちの父
「「ドテッ!!(倒)」」
冷てぇ~なぁ~。
どこの家庭も・・・(ーー;)