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冷遇に気が狂った悪役令嬢ですが、社畜OLの私からすれば福利厚生付き別荘生活でした。普通に生活しているだけで周囲が勝手にチヤホヤしてくる件

掲載日:2026/02/21

耐えられない。

耐えられない、耐えられない、耐えられない――!


「どうして……どうしてわたくしがっ!」


石造りの小塔に、逃げ場のない叫びが荒々しく反響する。


豪奢だったはずのドレスはほつれ、床には割れた花瓶。

かつて『王太子の婚約者』と呼ばれた少女は、今や辺境の離れに押し込められた『追放令嬢』。


「もう、いや……舞踏会もない! 誰も会いに来ない! 侍女すら一人だけ! こんなの冷遇よ! 屈辱よ!! 私を誰だと思っているのっ!」


机を叩いた瞬間、胸の奥が軋む。

積もり積もった屈辱、抑え込んでいた怒りが一気に噴き上がり、制御の糸がぷつりと切れた。

魔力が逆流し、内側で暴れ狂う。

そして、溢れだした。


「いやあああああああああああ!!」


悲鳴と共に光が部屋を満たし、魔力が爆ぜる。

白い光が視界を塗り潰し、少女の精神が、ぷつりと切れた。


――その空いた器に、一つの意識が流れ込んでゆく。


……は?


満員電車。

未読メールの山。

やらなきゃいけないタスク。

終電。

『ただ、ぐっすり眠りたい』と心から願った、あの瞬間


……ああ、これは私の記憶だ。


え、待って『私』って誰?


私は――


三十二歳、独身、社畜OL、山本絵里。

王都を追放された悪役令嬢、エリザベート・ヴァレンティア。


頭の中に押し寄せてきた情報、記憶の津波に意識が奪われてゆく。


婚約破棄。

王子の冷たい目。

断罪。

冷遇。

絶望。

魔力暴走。

精神崩壊。


――全部、悪役令嬢エリザベートの記憶。


…………。


いや。

いやいやいや。


「……いやいやいやいや、ちょっと待って? 色々おかしくない? 私。」


私は思わず声に出していた。


だって、エリザベートの屈辱が、ほとんど自業自得。

『悪役令嬢ムーブ』をナチュラルに全力でやった結果としか思えない。


山本絵里視点で見ている状態だけど、『なんで被害者ぶってんの?』って印象しか持てない。

でも記憶を見る限り、エリザベートは、それが真っ当で当然だと思ってやっている。


『屈辱ですわ!』

「いや、そりゃ嫌われるよぉ……」


姿見に自分が映り、つい眺めてしまう。

顔の作りは美しい。

美しいけれど、100人に聞いたら100人が『性格悪そう』って言いそうな、なんというか高飛車さが顔に現れているような美しい顔立ち。


それも納得というか……記憶の中の彼女は、まず傲慢。

空気を読まない。権力者以外の話は聞かないし、絶対に謝らない。


彼女から見れば、他人は下衆。

身分が低いという意味はもちろん、卑しく心が汚い存在としか見てない。

『絶対正義の私が導かねばならない面倒な存在』と、本気で思っている。


唯我独尊。

好き放題しすぎ。


そりゃ断罪される。

そりゃ追放される。


むしろ軽くない?


こわ。

えっ、私こわー……


絵里として記憶を見て、ヒロインへの嫌がらせとかは、まぁ……立場的に嫉妬しても分からないでもないけれど、ただ行動しちゃダメじゃない? ヒロインのなんとか用意したドレスを魔法で切ったりとかやりすぎだよ。

王子の婚約者という立場があったんだから、尚のこと。

……その後も癇癪とか八つ当たりとか、この辺は人としてどうなの? って思わなくもない。


記憶を整理するほどに、エリザベートである自分自身へのツッコミが止まらない。


魔力暴走と精神崩壊のきっかけとなった心からの叫び、現在の境遇である『冷遇』。

この環境を見直してもツッコミを入れずにはいられない。


舞踏会に呼ばれない。

 ↓

飲み会が無い。無駄に社交しなくてよいって最高では?


離れの塔で自室完備。

 ↓

ワンフロア一人暮らし。

しかも環境は静か。自分はどれだけ騒いでも良いし、好き放題して良い。無敵。


侍女が一人しかいない。

 ↓

専属のお世話係まで一人ついてるなんて……神では?


仕事なし。

 ↓

働かないのに、3食食べられる――永久有給ってことぉ?


……天国では?


天国じゃん。

ここ、天国じゃん


私はゆっくりと床から立ち上がり、部屋を見渡す。


清潔。

広い。

静か。

窓の外は森。空気もおいしそう。


「……やはり最高では?」


コンコン、と扉が叩かれる。


「エリザベート様……ご無事ですか?」


扉の向こうから聞こえる整った声。


記憶が教える『うさんくさい』監視兼護衛。

王都から派遣された冷徹な騎士――レオンハルト・グランツ。

エリザベートの記憶の限り、うさんくさい印象が強い。

糸目で表情が読めず、裏で何か考えていそうな雰囲気。

ただ顔も、声も、整いすぎ。


……イケメンのお守り付き? だと?


「……はい。無事ですわ」


あ、令嬢口調出ちゃった。まあいいか。


私は一度深く息を吸う。

とにもかくにも状況整理、状況整理っと。


追放先は辺境の別邸。

生活費は公爵家持ち。

専属侍女一名。

護衛兼監視一名。

そして、自由時間しかない。


静かで環境良好、お財布の心配なし。

自分の意思で動いてくれる人的リソースまである。


……やはり『勝ち確』では?


うん。これは、とりあえず好きに生きよう。

なんの因果か『エリザベート』になってしまっているけれど、私は絵里。


私がエリザベートみたいにして、終始怒鳴ったり八つ当たりとかしたら、それがストレスになって倒れちゃう。ストレスを感じながら生きるのはムリ。

エリザベートには悪いけど、これまでの価値観は捨てて山本絵里の価値観で生活させてもらう。


だって、もうエリザベートは……いない? みたいだし?


整理がついたので、扉の向こうの騎士に向けて声を落ち着けて告げる。


「心配をおかけしましたわ。

少し取り乱しただけですの……お声がけ、ありがとうございます。」

 

沈黙。

扉の向こうで、気配が止まった。


「……エリザベート様?」


わずかに揺れ低くなった声。

記憶の限り、この騎士に対して私は感謝などしたことがない。

これまでにしていた対応は、怒鳴る・命令・八つ当たりのみ。


当然のように話は聞かないし、リップサービス的な礼なんて微塵も言わない日常だったから、いきなり『ありがとうございます』なんて言われたら完全に想定外よね。


というか……猛獣がいきなり猫撫で声を出してきたってことで『なにか企んでいる』『裏がある』って疑って当然だし警戒もして当然。


現状に、ついため息が出る。


「騒がしくして申し訳ありませんでしたわ。」


ちゃんと謝るのは大事。

些細なことでもお礼を口にだして伝えるのって、ほんと大事よ? エリザベート。


「……お加減が、悪いのですか?」


慎重さが滲んだ声が返ってくる。

監視役としての警戒の方が濃いけれど、その中に心配もあるような、そんな雰囲気の声。


『正気を疑うとは失礼な』とも思うけれど、これまでだったら癇癪をおこして八つ当たりしかしなかったでしょうし、それも仕方ない。


「いいえ。むしろ、頭はすっきりしましたの。」


エリザベートじゃなくて絵里としてね。

もちろん、そんなことは言えないけどね。言えば、完全に気が触れたと思われてしまう。


扉の向こうで、レオンハルトの気配がわずかに揺れる。


「……そう、ですか。

ただ……先ほどの魔力の暴走は、相当なものでした。お身体に変わりございませんか?」


仕事としての確認だけじゃなくて、心配の方が大きい声色な気もする。

エリザベートの記憶では、レオンハルトが、私の心配をしたことは一度もない……けれど、これは、ただ心配されるような態度をしていなかっただけじゃないかと思うけど。

そもそもエリザベートはレオンハルトに一切の興味が無かったみたいだし、心配されていても気がつかない。


でも、今の私は山本絵里。

社畜OLとしてやってきた。

上司の機嫌取り、取引先の地雷回避、同僚との調和に後輩のフォロー、全部経験済み。

話している雰囲気や声色からだけでも、色々と察することもできる。


日本人ってテレパシー使いって言われるくらいには察しが良いって聞くし、私も色々察する事はできる方だと思う。


それにしても、このレオンハルトさん。

こんなヒドイ態度だったエリザベートに対して、常に紳士な態度を崩さない上に心配までしてくれるんだから、うさん臭そうな印象だけど人格者なんだろうなぁ……護衛騎士として最高の人選なのでは?


「ご心配なく。環境の変化について、気持ちの整理がついただけですわ……本当に、ありがとうございます。」


丁寧に柔らかく。

人当たり無害モードの返事を発動する。


「……っ!? エ、エリザベート様が……そのように仰るとは……少々お待ちください! すぐに侍女を呼んでまいります!」


……これはいよいよ気が狂った扱いですか?

ま、エリザベートだもんね……

エリザベートだもんなぁ……


レオンハルトは護衛兼監視役ではあるけれど、騎士で紳士だから未婚の女性の部屋に一人で入るという選択肢が無いから人を呼びに行ったのでしょう。


侍女……侍女かぁ。

エリとして脳内にメイドを思い起こしていると、レオンハルトが呼びに行った侍女についての記憶が即座に補完される。


名前はミア。

十六歳。専属侍女。

記憶を辿る限り、純真……というか天然? 小動物系?

ただ、現状エリザベートの八つ当たり常連被害者なのよねぇ。


うーん、パワハラ被害者かぁ……加害者側の立場に立ったことはないけど、現状、そういう立ち位置になるのかぁ。

なんだか、純粋そうな子に対してそれってだけで、ちょっと気が重いなぁ……


でも過去は変えられないし!

私は絵里だし!


うん! これまでのことはエリザベートがやったこと!

私は私として接するくらいしかできないし、それで良い!

……かなぁ?


そんなことを考えていると、扉の向こうに人が近づいてくる気配がした。

レオンハルトだろう重い足音だけではなく、軽い足音も近づいてくる。


「エ、エリザベート様っ……お加減が悪いとのことで失礼いたします!」


なるようになるかなぁ……と思っていると、最低限のノックの後、勢いよく扉が開き、栗色の髪を揺らした少女が飛び込んできた。

可愛らしさを感じる小柄な子。そんなミアの肩は緊張で上がっている。


ああ……目を見れば分かるミアの恐怖。

これは完全にパワハラ上司に怯える部下の顔だ……

ミアは震える手でスカートをつまみ、深く頭を下げた。


「さ、先ほどの魔力の暴走……お怪我は……っ、あ、あの、申し訳ございません、私が至らず……!」


なんでミアが謝るの?


そう思うと同時に、エリザベートの記憶が、これまで通りであったなら当たり散らしていただろうことを容易に思い起こさせる。

今のミアの謝罪は、パワハラする人に、とりあえず先に謝っちゃうアレだぁ……


「はぁぁぁぁ……」


絵里では考えられない状況に、思わずため息が漏れた。

そんな私の様子にミアがビクッと肩を跳ねさせる。


「あっ、あのっ、申し訳ありませんっ! あっ、すぐに片付けを――」

「違うの、そうじゃなくて……自分が情けなくて……少し時間をちょうだい。」


私は慌てて動こうとするミアを制止しながら、自分の気持ちを落ち着ける。

エリザベートのしてきた行動、そして、していただろう行動でダメージを受けてしまい、ものすごく気が滅入る。


ただ、私のダメージよりも待機を命じられているミアのストレスの方が大きいだろうと思い、なんとか気を取り戻す。


「ミア、あなたは悪くありませんわ。むしろ……いつも働いてくれてありがとう。

そしてこれまでは八つ当たりばかりで……本当にごめんなさい。

これからは、そんなことはしないわ。」


ミアの動きが止まる。

石像のように、完全に。

レオンハルトも、細い目のまま扉の前で固まっている。


フォローに感謝、謝罪。

エリザベートなら絶対に言わなそうな言葉ランキング上位の言葉が一気に並んだものね。

ミアの瞳は、驚きと困惑に染まっている。

急に言われても、今の気分で言ってるだけだろうって思うでしょうし。


「……え、えり……エリザベート様……?」

「今ほど私は気持ちを改めたのですわ。」


社畜OLの必須技能、アルカイックスマイル。

言葉に過度ではない柔らかい笑顔を添えてみる。

私の笑顔を見たミアの顔が、また固まり、瞳が信じられないものを見ているかのように揺れている。

積み上げた業の深さを感じずにはいられず、少し悲しくなる。


「……そんな顔をなさらないで。」


悲しさから思わず苦笑が漏れると、ミアの肩がまた強張った。


「大丈夫、怒りませんわ。そう……そうね。今日は怒る元気がありませんの。」


怒鳴るくらいなら、ちょっと寝たいという本音が漏れる。

正直、頭の中もきちんと整理したい。二人分の記憶がゴチャゴチャ。


ミアはきゅっと唇を結んだまま、動かない。

言葉じゃ足りないくらいには信用が無いことも理解できてしまう。

さてどうしたものかと視線を落とすと、足元の破片に気づく。


割れた花瓶。

散らばった白い陶片。


あー、これね。

さっき私がやりました。


「ミア、危ないから少し離れて。」

「え?」


私はドレスの裾を持ち上げ、しゃがみ込む。


「エ、エリザベート様!?」

「お手を切られます!」


ミアとレオンハルトの声が響く。


「平気ですわ。こういうのは用心しながら丁寧に拾えば、滅多にケガなどしないものです。」


もう私は絵里だから、割れたグラスや食器の片付けくらい普通にします。

なんなら他人が割った物の世話までしてたもの。


そんなことを思いながら、大きめの破片を拾い上げていく。

顔を上げると、二人とも固まっていた。


「どうかなさいました?」


ミアもレオンハルトも、呼吸まで止まってない?


「エリザベート様が……」

「自ら、片付けを?」


エリザベートだったら、しないわねぇ……こんな雑事。

メイドがやるようなことは無価値。

というかメイドなんて人とも思ってないから、気にせず、ただ、ふんぞり返ってるだけ。

でも絵里として生きると決めた私には普通のことだし。やりますとも。


「割ったのは私なのですから片付けるのも当然でしょう?」


沈黙。

すぐにミアが気を取り戻したように口を開く。


「い、いえ……そのようなこと、ございません……」


声が震わせながらも、ミアはすぐに私の片づけを手伝い始めた。

ある程度の破片を拾い終え、まとめて近くの卓に置く。


まだまだ二人には動揺が見て取れるけれど、慣れるのも時間がかかることは仕方ないと諦めておく。


「ミア、悪いけど、あとで」箒(ホウキ)を持ってきてくれる? 細かい欠片は手で拾うのは危ないわ。」

「……はい。」

「それと……」


ミアの正面に向き直ると彼女の肩がまた強張る。

うーん、すでに条件反射……


「それが終わったら、今日はもう休んでね。明日の朝まではゆっくり疲れを取ってちょうだい。」


「え……?」

「騒がしくしてしまったでしょう? それに私も少し横になって休もうと思うから。」


ミアが瞬きを繰り返す。

正直ミアの疲労はかなり深刻だと思うのよね。目の下にクマが出来てるようにも見えるし……若いから元気だけど、ストレス過多な環境で休みなしで働いているのは良くない。


ミアがどれだけ疲れていようと体調が悪かろうとエリザベートはお構いなしに言いつけてたし……レオンハルトが見かねて、時々フォローしてたみたいだけど、もう精神的にも参っているのは確実。


「で、ですが、お世話が!」

「あ、そうね……それじゃあ、お茶だけはいただこうかしら? 追加のお仕事になるけれど、お願いできる?」

「はい!」


急に仕事を取り上げるというのも、それはそれでクビとか不安になるものだものね。

『あなたが必要です』『頼りにしてます』というアピールも大事。

むしろ私のお世話をしてくれる大切な人なんだから、これからもよろしくお願いします。


そんな私を見ていた、レオンハルトが静かに口を開く。


「……本当に、お加減はよろしいのですか?」

「ええ。とても落ち着いていますの。」


疑念半分、観察半分。

この人も、サボらずにちゃんと仕事してるなぁ。


私は糸目イケメン(レオンハルト)にも、ゆっくりと微笑む。


「今まで、少し視野が狭かったのかもしれませんわ。」


偽らざる本音。

エリザベートの記憶は、常に被害者意識だった。

でも今の私は違う。

私はもう被害者ぶる加害者じゃないし、失った物を嘆くことしかできない子供でもない。


「この静かな場所で、しばらくゆっくりと……自分を見つめ直したいのです。」


私から見たら、本当に奇跡みたいな待遇なんだもの。

本当に、マジで最高の環境では?


糸目イケメン(レオンハルト)は、じっと私を見つめてくる。

その視線は鋭いけれど、困惑が多分に混じっている感じ。

やがて眼を伏せ、頭を下げた。


「……承知いたしました。ただ、異変があればすぐお知らせください。」

「ええ、頼りにしておりますわ。これからもよろしくお願いしますね。」


エリザベートが絶対言わない言葉を直接浴びせられ、ほんの一瞬だけレオンハルトの呼吸が乱れる。

やり取りを見ているミアもぽかん顔。

流石に二人の反応が恥ずかしいので、小さく咳払いして誤魔化す。


「……さあ、ミア。手間をかけるけれど箒をもってきてもらえるかしら? その後はお茶にしましょう。」

「は、はいっ!」


ミアが慌てて駆け出し扉が閉まる。

ようやく一人になり、一つ息を吐いて窓から外を眺めた。


――静か。


都会の喧騒など、微塵もない。


人が人と感じられなくなるような人混みもない。

朝の満員電車で押しつぶされることもない。

ストレス満載の仕事もないしメールも来ない。

誰かの機嫌を過度に伺って言葉を選ぶ必要もない。

夜遅くに鳴る通知音に心臓を跳ねさせることもない。

朝のアラームに怯え、浅い睡眠が強制されるようなこともない。

既読スルーの小さな罪悪感すらもない。


ここでは、時間さえも私を追い立てない。

呼吸をすれば呼吸した分だけ世界が広がっていくような気分。


胸の奥が、すっと軽くなる。


エリザベートの残滓は、もうほとんど感じない。

だけれど、ほんの少しだけ。


『……屈辱ですわ』


という声が、心のどこかで響いた気がした。


私は目を閉じて、ゆっくりと、その響きと風を感じる。

自然と口角が緩む。


「大丈夫。あなたの人生は、とっても素敵だよ――」


残響は風と一緒に流れていった



★ ☆ ★ ☆彡



絵里からエリザベートとなり一週間が過ぎた。


終始穏やかな態度の私に、専属侍女のミアが普通の笑顔を見せてくれるようになり、そして私も――


それはもう満喫していた。

めちゃくちゃ満喫していた。


なにせ、朝。好きなだけ寝ていて良い。

気が向いた時に起きて良い。

本当に最高。


リラックス休暇最高。

怠惰な時間最高!


絵里としての疲弊しきった精神が、どんどん回復していくのが自分でも分かる。

そして怠惰に過ごしている間にエリザベートとしての記憶の整理もほぼ完了した。


このエリザベートである私は王子の婚約者となる程の立場であり、上から数えた方が早い権力者――公爵の娘。


エリザベート自身にも国に関する知識が詰め込まれていて、周辺国の貴族についての知識も十分。

こと権力者については、王妃となった時のために詰め込み教育を受けていたから、それはもう凄まじい知識量だった。

それらの情報を整理して、絵里として理解しなおすまで三日必要なくらい。


その過程で分かったことがある。


エリザベートの態度は、高位貴族の立ち振る舞いとして考えれば、そこまでおかしくもないということ。


貴族とは『偉そう』なのではなく、事実として『偉い』から偉そうな態度も当然。

貴族は、やることが多すぎて忙しいから余裕がないし、態度如きで周囲がエリザベートを咎めることがなかったのだ。


エリザベートは本当に、運が悪かった。


ヒロインのような平民が、でしゃばってくる事が異常。

そしてそんな娘を見初める王子が異常。


二つの『あり得ない異常』が重なったイレギュラーのせいで、エリザベートはこんなことになってしまった。


多分だけど、あの王子は廃嫡路線に入っていることだろう。

王子は王子。

第二、第三、第四と『予備』が沢山いるのが王族なのだから。

ただ、第一王子専用として育ち、周囲に公言されていた私という存在も邪魔になる。


なぜなら第二、第三の『専用』は、もう既にいるのだから――


というわけで現状の私は、役目を失った貴族。

名目上、公爵家の一員ではあるけれど、ただ名前を連ねているだけ。

辺境の地で、血族の予備。いざという時の手段として生かされている状況。

華やかな社交界の中心で、次期王妃という立場に居たエリザベートからすれば、精神崩壊するのも分からないでもない。


――とはいえ、何の因果か階級なんか無い私が主人格となったのだから、もう私の好きにさせてもらう。


怪我の功名ではないけれど、絵里としての私にとって、最高の環境。


惰眠を貪ることも、好きに羽を伸ばすことも自由。

忙しい公務も無い。

あるのは癒しだけ。


その内、どこかとの権力繋がりで嫁に行くことにはなるだろうけれど、第一王子のことを誰しもが忘れたくらいにならないと、そうはならないだろうから、恐らく2年くらいはエンジョイできるはず。


天真爛漫なミアも、うさん臭い系糸目イケメンのレオンハルトも、私が絵里として接しているのを見ている限り良い人。とても良い人。

そして食事も悪くない。むしろ上等。


追放令嬢だけど、腐っても公爵令嬢よね。

辺境の地にあっても肩書の持っている権力は大きい。


もちろん、この地を治める辺境伯は追放令嬢など比較にならないほど、大きな権力を持っている。

お父様は辺境伯に迷惑をかけるつもりはないようで『関わらなくて良い旨』連絡済みなのだろう。


そう思う根拠は、まず、現地の人を一切雇っていないこと。

私につけられたミア、レオンハルト、そして裏方の人間は全て公爵家から来た者ばかり。


まぁ、前代未聞の公爵家の恥みたいなもんだし『そっとしといて』『触れてくれるな』て言う親の気持ちもわかる。


辺境伯は人を出さない分、食料品や趣味に使える品などの便宜を図ってくれている感じがする。

食事の質や、趣味で書き物でもしようとした時に、辺境の地だというのに不足が一切なかったことからも、それが伺い知れてしまう。


エリザベートだったら辺境伯の気遣いに気が付いても『私ですのよ? 当然のことでしょう?』の一言で終わりそうだけどね……ま、当然、公爵家からも便宜を図ってもらう礼はしているだろうけれど。


辺境伯……アシュレイ・ノクスヴァルト。


まだ会ったことも無いけれど、知識として、その人となりを把握している。

王都でも『禁忌を研究している』だとか『呪われている』だとか噂になる程に怪しい人となりと聞く。


でも、これは人の噂でしかないはず。

そもそも辺境伯とは国王様に信頼されているから辺境を治めているのだから、信頼されない人が出来る役目じゃない。


ただ辺境伯にも種類があって、


軍事的に有能。

統治能力が優秀。

忠誠心が高い。

一族としての実績がある。


なんてパターンがあり、この地を治める辺境伯は『一族としての実績』パターン。


この辺境の地ノクスヴァルトは隣接しているのが国ではなく海だから、争いの心配もない。

そして長年の統治の成果から、誰が治めても変わらないレベルで安定している。


つまり辺境伯の中でも比較的『楽』な立場なので、妬まれて根も葉もない噂を流されているのだと思う。


ただ、エリザベートの知識を辿っていると色々と気になる事はあるのよねぇ……


貴族の男性陣が忙しい理由も、エリザベートの記憶を整理して分かってきた。


戦争がある地域は軍事で地獄。

戦争がなくても、財政と行政で地獄。


――原因は単純。

情報がバラバラすぎるのだ。

地域ごとに単位が違う。

記録形式も違う。

口頭の報告も多い。


そんな不揃いの情報を無理やりまとめるから、ミスが出る。

そのミスを修正しようとして、さらにミスが増えていく。

末端は上がってきた間違った結論に合わせようとするから、ズレはどんどん拡大していく。


――つまり『書式と単位を統一する』だけで、かなり改善する。

でも、そんな当たり前のことを言う暇すらないほど、みんな忙殺されているのだ。


ま……私がそれに気づいたからと言って、特に何かする気もないんですけどね?


なにせ、男性上位社会。

『女が出しゃばるな』『女に何が分かる』程度の感覚の時代ですから。はい。


わざわざ出る杭になって叩かれる必要もないので、私はのんびり心を落ち着け療養に励むだけなのです。


――なにしろ、私には持て余す魔力がある。


公爵令嬢であることの象徴のように、

大貴族であることを主張するように、

溢れるほどの魔力を有している。


そんな魔力を冷蔵庫代わりに使って、ミアとハチミツ牛乳アイス作る予定。

もし、運よく卵が手に入ったら魔力を蒸し器として使ってプリン作る。

こっちの方が重要。


ハチミツも卵も貴重品。

特に卵は数がないし輸送も大変だから、すごく貴重。

だけど、辺境は王都と比べて鳥も多いし、結構手に入るから期待しちゃう!


「お嬢様! 卵が手に入りました!」

「やった! プリン作れるね!」


ミアとプリン作りを楽しんで、今日も一日が過ぎていくのだった。


って、思ってたのに。

どうしてこうなるんだろう――


「エリザベート様っ! あ、あの、来客が……!」

「落ち着いてミア。どなたがいらっしゃったの?」


追放令嬢である私に来客なんて、親族以外に考えられないけれど?


「へ、辺境伯様です!」

「……ぇえ?」


辺境伯様?

事前に連絡もなく来訪するなんてマナー違反もいいところ。

折角プリンを食べようと思ったところだったのに。


ま、所詮は追放令嬢ですし?

辺境伯様を向かえないワケもないけれど……さすがに私の心象は良くないわ。


「もう応接室にご案内しているの?」

「は、はい! ご案内いたしました!」

「そう。それじゃあ向かいましょうか。」

「お、お嬢様! お召し替えを!」

「不要よ。こんな急な来訪なんですもの、当然急用なのでしょう。そんな方をお待たせしてはいけないわ。」


もちろん嫌みですけどね。

飾らなくて良い理由を向こうが作ってくれたんだから、着飾らずに行ってやるわ。

ミアが一目で分かるほど慌てている分、私は逆に落ち着いてしまう。


――この地を治める辺境伯。アシュレイ・ノクスヴァルト様。


禁忌を研究しているなんて噂が出る人。

さて一体どんな御方なのか、そして用件は……まぁ用件は少し想像できる。

十中八九、私が急に性格が変わって穏やかになったことが原因かな? と。

それ以外だったら知らない。


応接室の扉をミアがノックし、開いてくれたので進む。


「失礼します。エリザベート・ヴァレンティアでございます。」

「エリザベート嬢。突然の訪問、無礼を詫びる。すまない。」


あらま。

初手で謝罪なんて、辺境伯っぽくない……というか偉ぶらない人なのね。

王都にはいないタイプの貴族だわ。


そんなことを思いつつ、下げていた顔を上げる。


――若い。

若いのに、場を支配するような存在感を持っているイケメン。

ただ、顔色が悪い。寝不足? やつれ気味?

鋭い金の瞳と整った顔立ちがある分、その負の部分が、より強く感じられて『禁忌を研究している』とか言われても納得してしまいそうな雰囲気になっている。


絵里視点で見る限り『すっごい疲れてる?』って感じに見えるなぁ……

そんなことを内心で思いつつ返答する。


「とんでもございません。

アシュレイ・ノクスヴァルト様のお越しを嬉しく思います。お急ぎのご用件かと思いましたので、取り急ぎこのような格好で参りました。見苦しい姿で申し訳ございません。」


アルカイックスマイルに毒を添えてお届け。

イケメンでも社交辞令と嫌みは伝えておく。

だって貴族だもん。エリザベートだもん。


「ふっ……気負いがなく自然体で、とても好ましい姿です。

いや、むしろ簡素な服の方が、あなたの美しさが際立つようにも思える。不思議なものだな。」

「まあ。では、ドレス姿はお好みではないと? まだお見せしたこともございませんのに。」


笑みを浮かべて言うと、辺境伯の表情が一瞬だけ固まった。


「大変失礼いたしました。余計なことを申しましたわね。

さて、アシュレイ・ノクスヴァルト様、本日はいかがなさいましたか?」


下手なお世辞はいらないから早く本題入って。

だって先触れも出せないくらいに忙しいんでしょう? それに顔色悪いの気になるし。


「んんっ、そうだな……ところでエリザベート嬢は何をされていたのか?」

「えぇ……まぁ少々雑事ですわ。」

「ほう、どのような?」


答えたくないから濁したのに、わざわざ掘るのね。

そうなると答えないといけないじゃない……


「料理を少々。」

「……料理?」


怪訝な顔。

そうよね。

貴族のやる事じゃないわ。


でも料理好きなんだもん。

時間があるなら美味しいもの作りたいじゃない。


「メイドに指示を出す……ではなく?」

「そうですね。お恥ずかしながら手ずから料理をしておりました。」

「……ちなみに、何を作っておられたのか?」

「プリンです。」

「……プリン?」

「プリンです。」


首を捻る辺境伯。

思わず溜息が漏れそうになるのを堪えて笑顔を作る。


「ミア……さっき作っていたプリンを持ってきてちょうだい。」

「は、はい!」


ミアが慌ただしく出ていき、そして慌ただしく戻ってきた。

さっきできたばかりのプリンを手に。


「ハチミツと卵、牛乳で作ったデザートですの。」

「……本当に作っていたのか。」


蒸すのに公爵令嬢の魔力。

冷やすのにも公爵令嬢の魔力を使った高付加価値特製デザートですよー。


今のところ私の料理はミアしか食べてないけど、ミアは良い笑顔見せてくれる出来だし、味見をする限り十分美味しい。


辺境伯がレオンハルトに視線を送る。

糸目イケメン(レオンハルト)はわずかに目を伏せた。


なるほど。ピーンときた。

この2人、旧知の仲なのでは?

もしかして、レオンハルトが辺境伯に相談を持ちかけた?


私のあまりの変わりように『どうしたらいいか分からない』とか『そういった奇病などの風土病がないか』とか、そんな感じの相談したのかな?


なんとなく辺境伯が来た理由を察したので、棘を抜いて穏やかに微笑んでみせる。


私の雰囲気をみた辺境伯が顎に手を当てながら口を開く。


「……レオンハルト。聞いていたよりずっと落ち着いているのだな。」

「……はい。ここ数日の変化があまりに大きく、正直なところ戸惑っております。」


レオンハルトの弱い声。

よくよく見てみるとその横顔には疲れが滲んでいる。

お父様に報告するかとか、数日間悩み続けたのかもしれない。


辺境伯は深く息を吐き、私に向き直る。


「エリザベート嬢。体調に問題は?」

「ええ、とても。むしろ以前よりずっと健康ですわ」


辺境伯よりは健康ですわ。


「……そうか。ならば良い。」

「辺境伯にもご心配をおかけしてしまったのですね。申し訳ございません。

何もない身ですが、せめてものお礼に、プリンでよろしければお召し上がりいただけますか?

実は自信作ですの。なんでしたら毒見いたしますが?」

「そうだな……折角のご提案だ。いただこう。毒見は不要だ。」


ミアが慌てて器を差し出す。

辺境伯は受け取り、ぷるんと揺れるプリンを静かに一口。


――沈黙。


次の瞬間、彼の瞳がわずかに見開かれた。


「……うま。」


その一言に、ミアが『そうですよね!』と言わんばかりに胸を張る。

だけど私は、余りに素直な賞賛に、少し恥ずかしくなってしまい視線を逸らしてしまう。


「うまい……な。それに魔力も感じる……もしや冷却などで魔力を?」

「え、えぇ。冷たくした方が好みですので。」

「ここまで均一に、そして繊細に冷やすのは、訓練を積んだ魔術師でも難しいが。」

「え、そうなんですの? ただ冷やしただけですけれど……」


と言いつつも、そうできた理由に心当たりがないでもない。

私は日本で学んだ様々な概念や知識を持っている。

その知識が魔力に影響している可能性は高い。


辺境伯は器を置き、真剣な目で私を見る。


「エリザベート嬢。あなたは……本当に、以前と同じ方なのか?」


その問いに、私は少しだけ笑ってしまう。


「ふふ、辺境伯様――人間は日々成長するものですわ。

昨日の私と今日の私は同じかと問われれば、それは『違う』と答えるものでは?」


誤魔化しの言葉だけど、あまり嘘はつきたくない。

辺境伯はしばらく私を見つめ、やがて静かに息を吐いた。


「……それもそうだな。」


辺境伯はプリンをもう一口味わい、雰囲気を変えるように静かに息を吐いた。


「……これは、本当にうまい。まるで身体に染み渡るようだ。」


プリンを食べ終えた辺境伯は、器を静かに置き、ふと視線を落とした。

その横顔は、やはりとても疲れている。


「……辺境伯様。お顔色が優れませんわ。

無理をなさっているのでは?」


思わず声をかけていた。

辺境伯の肩がわずかに揺れ、目が『そんな言葉を掛けられるとは思っていなかった』と言わんばかり。


「なに……いや。大したことはない。ただ……最近は、夜遅くまで仕事が続いていてな。」


そう言ってから、辺境伯はハッとしたように口を閉じた。

貴族が、しかも辺境伯が、弱音を漏らすなど本来あり得ない。


それだけ疲れてるのね……


「眠れないほどお忙しいのですね。」


社畜のOL絵里が顔を出しちゃう……ま、それも良いか。


「辺境伯様。耳にしただけのことで恐縮ですが、睡眠時間を削っても効率は上がらないと聞きます、いったん書類を『緊急度』と『重要度』の2点で選別されるところから始められてはいかがでしょう? 我が家ではそうしていると聞いておりますし。」


家のせいにしちゃった。

だって、私が言っても聞かないと思っちゃったし。


「……ふむ、緊急度と重要度、か。

確かに、私に上がってくる件は全部が緊急で重要に見えてしまっているのかもしれないが、そうでないこともあるな。」

「緊急度も重要度も低いような物は……そうですねレオンハルトにでも振ってやらせれば良いのです。」

「お嬢様っ!?」


糸目が見開いた気がしたけれど、糸目。

辺境伯も驚いている。


「お二人は旧知の仲なのかと思いましたし、それに辺境伯様の統治のおかげで私は護衛の必要性を感じておりませんし。」

「く、っくく……」


辺境伯が笑う。

やつれてるから雰囲気は悪だくみをしているみたいに見える気がする。


「くっくっく、いや、大丈夫だ。さすがに公爵家の護衛を雑務に駆り出すワケにはいかんよ。だが、確かに人に振れる物は振れば良いな。

いや存外参考になった、一度試してみよう。」

「お役に立てたのなら嬉しいですわ。」


なんとなく柔らかい声をかけてくれたので、私も微笑んでおく。


「今日はありがとう。また……近いうちに顔を出そう。次は前もってしらせるとも。」

「あら、どちらでも構いませんわ。もうこのような姿を晒しておりますもの。」

「くくっ……そう言ってくれるな。エリザベート嬢、面白い人だな。」


その言葉を残し、辺境伯は去っていった。


「お嬢様……」


不満そうな糸目イケメン護衛を残して。


「プリンをあげましょう。」


プリンで誤魔化すことにした。

冗談ですからね。冗談。


とりあえず、ハプニングはあったけど、これはこれで楽しかった。


★ ☆ ★ ☆彡



「エリザベート嬢。先日の助言……驚くほど効果があった。」


前回より明らかに顔色が良い辺境伯が、淡々と報告してくれる。

けれど、その声にはわずかな嬉しさが滲んでいて、思わずこちらまで頬が緩む。


「『緊急かつ重要』な案件は、一日に二件もなかった。

『緊急だが重要でない』ものは部下に任せられる。

『重要だが緊急でない』ものは計画的に処理できる。

……おかげで、久しぶりにゆっくり眠れたよ。」


「それは……本当に良かったですわ。」


仕事のストレスって、本当に質の悪い敵よね。

眠りの質まで奪っていくんだから。


「……ところで、今日は料理はしていないのか?」

「あら? 私がドレス姿だとご不満ですか?」

「いや、そうではないのだ。先日のプリンがとても美味だったので、つい期待してしまったのだ。」


少しクマが薄くなって『禁忌の研究者』から『闇が深そうな青年』くらいには印象が変わっていたのに、そこに『犬っぽさ』が混ざった気がした。


……絶対に言えないけれど。


「ご安心ください。プリンではありませんが、作ったデザートがありますわ。」

「プリンはないのか……」


やだ。ほんと犬みたい。

そんな目でしょんぼりしないで。


「オホン、海が近いですから寒天――紅藻を使ったデザートです。」


危うく吹き出しそうになった感想を誤魔化し、なんとか微笑みに変える

ちょうどミアが寒天ゼリーを運んできた。


「紅藻? スープに入れる事は聞いたことがあるが……デザートになるのか?」

「煮ると固まる成分が出てくるので、簡単ですのよ。

ベリー入りのハチミツミルク寒天ですわ。」


「ほう、これは……美しいな。」


光を受けてぷるんと揺れる白い寒天に、赤いベリーが宝石のように映える。

本当は水ようかんを作りたかったけれど……餡子が大変で断念したのよね。


辺境伯はスプーンを手に取り、静かに一口。

金の瞳がわずかに揺れる。


「……優しい味だな。……これもうまい。」


プリンの時と同じような反応なのに、どこか違う。

少しだけ、柔らかい。


「ミルクとハチミツは相性が良いですもの。ベリーは辺境の森で採れたものですわ。」

「そうか……君は、本当に不思議な方だ。」


その言葉の内に優しさが感じられ、胸がふわり温かくなる。


「不思議、ですか?」

「……ああ。君と話すと頭が軽くなる。

君の料理を食べると身体が軽くなる……そんな気がする。」

「それは……光栄ですわ。」


瞬間、辺境伯の表情が『しまった』と言わんばかりに固まる。

私を見る目が雄弁に『私は何を言っているんだ?』と語っていた。


「ごほん! 今日は礼を言いに来たつもりだったが催促したようになってしまった! すまない。また出直そう!」

「あ、そうですか。」


少し慌てたように立ち上がる辺境伯に合わせて、私も立ち上がる。

玄関までの道のりは、なぜかお互い無言だった。

外で見送ると、ようやく彼が口を開く。


「エリザベート嬢。その……なんだ。

君がここに来てくれて、良かった。」


その言葉は、静かに私の胸に染み込む。


「……私も、そう思いますわ。」


辺境伯が貴族らしく礼をし、去っていく。

部屋に戻る途中、ミアが弾む声で寄ってきた。


「お嬢様っ! 辺境伯様、絶対に――」

「ミア……プリン。作りましょうか」


私は小さく微笑む。


――追放令嬢の生活は、思っていたよりずっと悪くない。

むしろ、少しだけ。


これからが楽しみになってきっていた。

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― 新着の感想 ―
いいところで終わってしまった…… それが良いところです?
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