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名もなき悪役皇女その②に転生しましたが、どうやら、ゼラフィナと云う名前があったようです -- 転生皇女の公平で公正な一生 --  作者: 露無
第一章

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名が降りて、遠くなる

 その日は、いつもと違っていた。

 普段なら、暖かい昼の時間にゆったりと沐浴するのだが、午前中——それも、かなり早いと思われる時間に。少し慌ただしく、かといっておざなりではなく、丁寧に頭や躰を洗われる。

 そして、オイルを慎重に塗り込まれ、粉をはたかれ、いつものサラリと肌ざわりのいい肌着ではなく、少しツルリとしたふわふわの長い服を着せられ、頭には、おそらくボンネットを被せられたのだろうと思われた。

 そして、ゼフィリーヌの部屋に向かうには早いだろう時間に、部屋の扉が開かれる音。


 ハルトマンが、「皇女殿下のご機嫌はよさそうですね。では、参りましょう」と言うと、いつもより少しばかり多い足音。

 十分は歩いただろう後に、既によく知っている薫りに包まれて、ゼフィリーヌに大切に抱きしめられた。


 ポンポンと背中を優しくたたかれ、「いよいよね」と、ゼフィリーヌの硬い声。

 薄ぼんやりと見上げれば、ハッキリと見える訳ではないが、ゼフィリーヌの輪郭がいつもより綺羅々々していた。


 やがて、鈴の音が聞こえた気がしたと思ったら、「これより、第二皇女殿下 名付けの儀、執り行います」と、男性の声が遠くから聞こえ、「第二皇女殿下。ご生母、ゼフィリーヌ・ブレンハイム・アストリス・イシュマルク(Zephyrine Brenheim Astris Ishmalc)第二皇妃殿下と共に、御入堂です」と続く。


 そして、ガチャリと扉の開く音が二つ重なって聞こえた。


 大勢の人々の気配。

 視線を向けられているのが分かる。

 ゼフィリーヌがゆっくりと歩む。


 自分が注目を集める場に連れ出されているのだと理解した。


『“名付けの儀”って言ってた。と云うことは、私が名付けされるってこと?』


 母親は”第二皇妃殿下”だし、自分は”第二皇女殿下”なんだから、そんな大仰な儀式も必要なのかと思うが、コレでやっとちゃんとした名前が付くのだと思えば、それはそれでいいかと思う。

 生まれてから三十回ほどの沐浴をすませた。つまり生後一ヶ月くらい経つと云うことだが、要するにその間、自分には名前がなかったと云うことになる。

 今から名付けなら、やっぱり、三十代女性の日本人名では、当然無いよねと諦めに似た気持ちにはなった。


 ゼフィリーヌが立ち止まったので、視線を動かしてみた。

 なんだか色の付いた光が、煌めいていた。

 けれど、それを背に、おそらくは人の形の影が差している。


「う?」


 疑問の声は、喃語として溢れ落ちた。


 何かが自分の額の少し上にある。

 まるで、薄膜を撫でるような感触が、肌に触れてもいないはずなのに分かった。


「皇国歴九八八年金緑月(きんりょくげつ)十二日、両新月、イシュマルク皇国に誕生せしライラックの皇女。今ここに、女神の祝福を与え、加護を祷る」


 まるで水面がさざ波に揺れるかのような声なのに——染み入るように響く声。

 そして、指先が額に触れる。


 その瞬間、額から全身へと何かが走る。

 熱とも、光りとも、衝撃とも言えないような何か。

 エネルギーが注ぎ込まれると云うよりは、もっと質量のない何かが、瞬間的に流れ込んできた感覚。


「女神イシュメナの神託により、ゼラフィナの名を与える」


 流れ込んでいると思った何かが、自分の躰の中で、スッと霧散した。


「ゼラフィナ・アストリス・イシュマルク(Zeraphina Astris Ishmalc)を、イシュマルク皇国の皇統、アストリス家に、新たな皇女として正式に記す」


 名付けをしたのとは違う声は、男性のもの。

 名を与えた誰かの隣に並んでいるようだった。

 そして、何かを掲げる。

 目がきちんと見えないのを、あまりにももどかしく感じた。


 どこかで聞いたことのある国名、家名……“ゼラフィナ”の名には、聞き覚えはないのに、知っているような気がした”イシュマルク”、“アストリス”。

 記憶の曖昧さが、もどかしさをいっそう助長しているようだった。


「お印はライラック。記憶と再生、運命を紡ぐ知の象徴。星座は紫光の雫。紫のしずくが大地に落ちるように、知性と優雅さを兼ね備えた者の象徴」


 そして、何か液体が降ってくる。

 影が動いているから、聖水的な何かを振り掛けているのかも知れないと思った。


 その後、暫しの間が開くと、何人もの人間が静かに動いているのが、足音と影の動きで分かる。

 コレも儀式の何かなのだろうと、ゼフィリーヌの腕の中で考えていた。


「女神イシュメナの慈しみ」

「男神エグレオンの知の庇護」

「ゼラフィナ皇女へ」


 その瞬間、時が止まり——まばゆい光があふれ出すかのように、ぼんやりした視界を照らした。

 ひときわ煌めく何かが、ヒラヒラと舞っているようだった。

 人々が息を飲む音は聞こえたが、なんとも言えない圧が、全体を支配しているようで、「うぁ?」と、小さな声が溢れる。

 躰全体で感じるゼフィリーヌの鼓動が、ひどく早かった。


『何かが起きてる? でも、よく分からない』


 暫しの後、綺羅々々はなくなった。

 だが、周囲にいるだろう大勢の興奮だけは伝わる。


「二柱の御名、讃えん」


 最近では聞き慣れた父親の、威厳に満ちた皇帝らしい声。


『“二柱”って、日本風の神の数え方よね? 日本語話者の人たちに、日本的な世界観? 異世界と云うより、それこそラノベみたいね。と言っても、ラノベによく出てくる、日本人に馴染みのある名前って訳じゃないのね。“ゼラフィナ”って、本当に、聞き馴染みのない名前……でも、そっか。これからは”ゼラフィナ”が、私の名前なのか』


 今しがた付けられたゼラフィナと云う名前の、ひどく遠く感じられる響き。

 記憶の中にある日本人の名前とは、随分違うなと、ゼラフィナは三十代独身女性の自分を、遠いところに置き去りにしてしまったような気持ちに、淋しさを覚えた。

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