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名もなき悪役皇女その②に転生しましたが、どうやら、ゼラフィナと云う名前があったようです -- 転生皇女の公平で公正な一生 --  作者: 露無
序章

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重さと軽さ

 なんの重さもない、当たり前の空気が戻ってくると、ようやく人々は弛緩する。

 そして、静かな興奮だけが、細波のように細かい粒子となって神堂を満たしていく。


 皇帝が思わず半歩前に出た。


「二柱の御名、讃えん。——この日を刻め」


 第二皇妃は口の端を上げ、第一皇妃は瞼を静かに落とす。グライフェンフェルド大公は眉間に皺を刻み、ブレンハイム大公は顎を引く——眸に走る喜色は、どうしたところで隠しきれていない。


 皇国には大きく分けて三つの派閥と、各派閥に一定距離を置く派閥ではない派閥がある。

 農業漁業畜産など、皇国の食糧生産を背景にしたグライフェンフェルド大公派閥、貿易や流通、鉱山開発に工業商業など、経済活動を背景にしたブレンハイム大公派閥、騎士爵達を纏め上げている武門の辺境伯派閥、そして、"個別の集団人格"と呼ばれる、政治とも武力とも距離を置いている、しかし皇国の頭脳とも云うべき学術研究の徒達だ。


 グライフェンフェルド大公の反応そのままに、ブレンハイム大公の反応に呼応して、静かに、けれど質量を感じさせる吐息が、其処彼処(そこかしこ)で流れる。

 好奇心旺盛な"個別の集団人格"の者たちは、己の専門分野に引き当てて、今の事象を反芻しているようだった。

 それとは全く正反対に、只々、凪いだようにその場を護る武門の者たち。


 ゼラフィナは背筋をさらに伸ばし、その一瞬一瞬を見逃さない。誰の目が誰を測り、誰が呼吸を変えたか。


 この世界がFDEの世界の可能性があるなら、この先自分がどう動くべきなのか、どう動かないでいるべきなのか、慎重に考えるため、半信半疑だった今まで以上に、より多くの情報を記憶しておきたかった。


 だから当然のこととして、その対象に聖下と聖主も含まれ——双頂が微かに目配せを交わすのを、ゼラフィナは確かに捉えた。二柱が何を、誰を見たのか。互いに確認し合ったのだ、と。


「これにて、名付けの儀、閉式といたします」


 式次第進行役の声が、平常の高さへと場を引き戻す。

 鈴がひとつ、別れのように鳴る。


 人々は祭壇へ一礼し、侍女たちが人流を斜めに散らして渋滞を避け、列はなめらかに動き出した。

 皇帝とブレンハイム大公は第二皇妃の許へ向かい、揃って第三皇女の顔を覗き込む。柔らかい笑みが重なった。


 ゼラフィナは第一皇妃と第一皇女の退席を見届け、第三皇妃、第四皇妃の動きが収まるのを待ちながら、二柱の視線の意味を考える。そして、名前——エヴェリナ——を、反芻した。


『やっぱりFDEの世界……なのかも知れない。でも、どうしてこんなに重いの? あのスチルの一枚には、こんな息遣いなんて、どこにも……』


 マルタが静かに近づき、イングリットが軽い裾捌きで愛妾の進路をさりげなく止めるのに、ゼラフィナは気付く。


 愛妾は、元は第三皇妃付きの侍女で、ノルデランの女だ。

 もっと正しく云えば、ノルデランと皇国北辺の辺境伯領は長く国境を接し、下位から中位の貴族同士が、婚姻で家を縫い合わせてきたから、彼女の血には北辺の貴族筋も、当たり前のように混じっている。

 いまは皇帝の子——第一皇子を産んだ母として扱われ、“第一愛妾”と呼ばれている。


 この世界の貴族は、皇妃・正妃・正妻・皇配・正配・正婿・正夫の立場が与えられるのは、身分差が二爵位まで。それ以上離れると、立場は愛妾、臣妾(しんしょう)となる。

 第一愛妾は、ノルデラン国のシュタインベルク男爵息女のため、皇帝との身分差は二爵位では収まらない。

 国や家門、派閥などを背負う皇妃・正妃・正妻と違い、愛妾は何も背負わないが故に、出自を誇示する必要もない。

 だから、第一愛妾の衣装は、袖口にも裾にも、ノルデランで好まれる重い縁取りも深い土色も使われることはない。皇国仕立ての静かな色と薄い生地でまとめられていて、まるで彼女がもう第三皇妃の侍女ではなく、皇帝の内側に置かれた女だと示すように飾られていた。


 それでも皆が分かっていることがある。


 ゼラフィナの生母が、皇帝との実質的な婚姻生活を始めたのと、同じ時期に輿入れした第三皇妃が、数年経っても身籠もらなかったため、皇妃自身が薦め、皇帝の寝所へ上がった女だということを。


 第一愛妾は——そして第三皇妃も——第一皇子を、いずれ北方の辺境伯家に「預けたい」と強く望んでいると……幼いゼラフィナでさえ耳にしている。


 ノルデランと向かい合い、魔族との境を真正面から押さえるあの辺境伯領は、彼女にとって“ただの遠方”ではない。そこなら皇都と違い、大人の静かな水面下の争いから、第一皇子を守れる——というだけではない。皇帝の血を辺境に置けば、辺境伯領は「皇族を預かる前線」と名乗れる。

 魔族との諍いを理由に、兵糧も薬も武具も、中央から、そして海の向こうと新たに結んだリヴァノアからも優先して引き出せるはずだ……と、手を携えているらしい第三皇妃と第一愛妾は、本気で考えているのだろう。


 ゼラフィナはその女の横顔を一瞥し、胸の内で静かに線を引く。


 北方、防衛、補給、そして“皇帝の血”。——第一皇子ヴェイナーは、玉座とは別の形で国の要になるのだろう。そうしておけば、誰も文句を言いづらい。

 第一愛妾の傍付きである家臣侍女の半分は、ノルデラン国の者だが、残りの半分は辺境伯の息のかかった者たちだ。

 既に準備は整いつつある。


 皆が知っている。

 けれど誰も、はっきりとは言わない。


 第一愛妾の覚悟、そのまとう薄絹の軽さで覆い隠された重さを、ゼラフィナに感じさせた。

 二柱の振りまいた重さとは質は違っても、コレも同様に重いのだ。

 皇女付きの侍女が、裾捌き一つで足止めする程度の軽さではないと、先んじて扉に向かうことに、ゼラフィナは多少の割り切れなさを感じる。


 だが、それでも、多くの者が望み、見つめ、当然と受け止める順序は、どうしたところでついて回る。

 皇族という立場であればこそ、常よりもだ。


『本当にこの世界がFDEの世界なら、この先、辺境伯領、ノルデランには試練が待ってることになるわよね。北方から魔族の大侵攻により、辺境が蹂躙されたことが、のちに勇者と賢者になる、幼馴染みの男の子二人が旅立つきっかけになるのだもの』


 ゼラフィナは、シミュレーションRPG『The First Daimon Emperor』、通称FDEのオープニング映像を、心の内で回想する。


『あの蹂躙が起きなければ、そもそもゲーム自体が始まらない。避けようはないでしょうね……』


 だからこそ、第三皇妃と第一愛妾の覚悟の重さに期待したい自分もいるのだ。

 強制イベントだとしても、被害がごく小さなものになるために手を尽くすことは、できるのではないかと……。そして、その先に待つ、断罪イベントを避けることも……。


『プレイヤーは、前衛キャラ、後衛キャラのどちらかを選択して、ゲームを始める。その時どちらも十五歳。選択したキャラと、ヒロインである第三皇女が魔王討伐後に結ばれるのは、どちらのキャラを選んだとしても必ず起こる強制イベントだったけど、その婚姻時のエピソードに出てきた、選択キャラとヒロインの年齢差は七歳だったはず。なら、ゲーム開始まではあと八年前後ということなのかしら?』


 ゼラフィナは、自分の思考の重さに引きずられそうになる。

 先程まで舞っていた綺羅の質感、その名残はもう見えない。

 軽さすら感じなくなった空気を、ゼラフィナはすっと吸い込んだ。


 道が開くのを感じ取り、一瞬だけ愛妾へ、そして、内陣へと視線を流し、心の内とは違う、常と変わらぬ表情(かお)のまま、ゼラフィナは神堂の扉へ向かった。

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