神堂に集う人々
翠葉月の陽は柔らかい。薔薇窓のステンドグラスを透過し、色硝子の欠片が内陣の床に模様を落とす。赤、青、緑、黄色、紫——揺らぎは風の呼吸に歩調を合わせ、祭壇の金具を微かに照らしては去っていく。
神堂のそこかしこに第三皇女のためのスミレを散らし、スズランやムスカリなど可憐な花が低く添えられ、甘くパウダリーな香りが場を満たしている。
祝いの日の空気は少し浮き立つが、その香りがふわりと縁を丸くし、政治の思惑が生む張り詰めた糸も、ひと呼吸分だけ緩めてくれる。
招かれた貴族は席次どおりに動き、側廊の会衆席や二階席へ散って挨拶を交わしていた。
ざわめきは一巡し、やがて整う。合図を待つように、身廊の奥から静けさが戻ってくる。
皇族がゆるやかに入場を始めた。
皇宮内の神堂は、聖都エグリシュマ(Egrishma)の神殿と教会の両直轄と云う、稀な造りだ。
ゆえに祭壇は二つ。対になって並ぶ祈りの場は、光の角度で表情を変え、どちらの儀式にも、即座に衣替えができるよう仕立てられている。
皇都は、聖都と同じく二柱の司掌下にある。女神男神それぞれの最高神である、女神イシュメナ(Ishmena)と男神エグレオン(Egreon)。
この世界でも——魔族の版図を除き——祈りは、その地を司掌する女神と男神の二柱へ向くのが常だ。
皇都と聖都では、女神イシュメナと男神エグレオンがそれに当たる。
各地は、その土地の特色、人種、気候、産業などにより、似つかわしい二柱が司掌しているが、神が司掌していたからその地がその様になったのか、その地がその様だから神が司掌したのかは、もう古過ぎて、誰にも分からない。
とは云え、その神の持つ属性は、空気のように薄く漂うに過ぎないことも、よく知られた事実ではある。
本日は神殿が執り行う、名付けの儀。
主たる会衆席は女神側だ。
第二皇女ゼラフィナ(Zeraphina)は、その二列目に独りで座る。
乳母マルタと侍女イングリットは少し離れて控え、視線だけで幼い主の周囲を確認していた。
ゼラフィナは四歳。
家族のための儀式に限って参列が許される年齢となり、これが初めての公式行事。
それでも背筋はまっすぐ、花紫のドレスに皺は作らない。両手は膝の上にきちんと揃え、視線は騒がずに、広く場の呼吸を拾い続ける。
四歳らしからぬ静けさが、彼女の小さな肩に宿っているようだった。
対の男神側には、ヴィルヘルミナ・グライフェンフェルド・アストリス・イシュマルク(Wilhelmina Greifenfeld Astris Ishmalc)第一皇妃をはじめ、ゼラフィナ以外の皇族が席に着く。
窮屈とまではいかないが、余白は少ない。
豪奢なドレスの色が幾重にも重なり、場の華やぎは自然とそちらへ惹かれていく。
同盟国であるノルデランから輿入れした第三皇妃と、新しく同盟を結んだばかりの海の向こうの交易国リヴァノアからついひと月前に輿入れした第四皇妃が並ぶ。
第三皇妃の装いはノルデランの寒地仕立てをそのまま引き、重い布と落ち着いた土の色が際立っている。袖口や裾は少しだけ暖色系の赤が目を引くが、それも厚い縁取りで固められ、北方の防寒の名残がそのまま威厳に変わっていた。
対して第四皇妃は、リヴァノアらしい光沢のある青の織りと、異国の飾り紐や留め具でまとめられ、海の向こうの新しい縁組を示すような艶を添えている。
ふたりの並びは意識せずとも視線を奪い、場の華やぎは自然とそちらへ集まる。
致し方ないことだが、結果として、女神側の列に独り座るゼラフィナの孤が際立ってしまい、それは、淋しさとして人々の目に映った。
側廊の席取りは、派閥がそのまま形になる。
女神側はブレンハイム(Brenheim)大公家を筆頭に、その派閥に属する家の当主、夫人や、公式行事の出席を許された子息令嬢まで揃い、肩が触れ合うほどの密度だ。
男神側はグライフェンフェルド(Greifenfeld)大公家とその派閥が主だが、当主のみの出席が多いのか、ところどころに息抜きの空間が残っている。
二階席の廷臣や宮廷貴族も同じ配置で、勢力図は隠す気配なく露わだ。
ラッパが短く鳴る。
人々が一斉に起立して中央通路へ向き、視線が扉に収束した。
「ルキアヌス・アストリス・イシュマルク(Lucianus Astris Ishmalc)皇帝陛下の、御入堂です!」
式次第進行役の張りのある声。
扉が大きく開き、空気がひとつ吸い込まれる。
ゼラフィナは完璧な所作でカーテシーを取り、皇帝はゆったりと中央通路を進んで、女神側会衆席の一列目の席に着いた。
皆も、皇帝に倣い着席し、儀式を待つ。
祭壇脇の瀟洒な椅子から、神殿の聖下マルディナ(Mardina)と、教会の聖主グレオル(Greor)が立ち上がる。
若い侍祭と助教が影のように寄り従い、白の修道着が光を受ける。
侍祭は白レースのベールに女神の色の金の刺繍、袖口に小さな意匠が揺れる。
助教の斜め掛けストールには銀の紋が控えめに光り、男神の色を穏やかに示していた。
女神の司る儀式を執り行うのは、神殿の務めである。神殿聖職者最高位である聖下マルディナが内陣中央に進み、神堂全体を四顧した。
形は侍祭と同じ修道着でも、袖口や襟元の金の装飾は、使われている素材の質が高いのだろう、より華やかで、そして、手が込んでいる。ベールの金刺繍は全面に渡り、裾は床を引く。
教会聖職者最高位、聖主グレオルは一歩控え、聖下の斜め後ろで微笑を湛える。白の修道着の上に銀装の司祭服——押し出しは強くないが、目に残る静かな輝きだ。
この日のため、双頂は聖都から参じている。
通常であれば皇族といえど、神殿は大司祭、教会は大司教の派遣。
にも拘わらず、双頂が揃うのは、女神と男神がこの儀式——ひいては第三皇女に視線を注いでいる、と云う、明瞭な合図として受け止められる。
六年前のドラヴェナ(Dravena)第一皇女、二年前のヴェイナー(Veynar)第一皇子の名付け儀式への聖職者の派遣は、常例どおりだった。
もちろん、前例がまったく無いわけではない。
四年前、ゼラフィナ自身の名付けには、聖下と、聖主の補佐たる総監督が来訪し、皇都はざわめいた——と、ゼラフィナは自身のことだけに、噂だけは、よく知っていた。
そして、ゼラフィナと同じくブレンハイム家の系統に連なる第三皇女に、今回は双頂が揃う。この事実は、貴族社会の水脈を確実に動かす——ゼラフィナは内陣の二人を見つめ、胸の内でその予測を軽く並べ替える。誰が喜び、誰が眉を顰めるか。
神に政治の思惑などない。神が気紛れなのは、誰もが知ることではあるのだ。
しかし、それに意味を持たせたがる者たちは、当たり前のようにいる。それが、側廊にて儀式を見つめる貴族たちの、その表情に、よく現れていた。




