一戦
「リサイクル、ねえ」
買い物を終えて、ペットボトルの入ったビニル袋を手に提げて、志喜はポロリとつぶやいた。マイバッグを持って行かなかったので、スポーツドリンクとジュースの他にお菓子を買うと、店員からビニル袋には料金がかかると聞かされたのであった。ビニルの使用を極力抑え、またごみ処理にかかる費用の徴収のための制度。
「どうしたの?」
「いいや、何でもない。郷に入っては郷に従えってことだと思って」
前回来島した時にはなかったが、時流と環境対策なら仕方ない。
「よく分かんないや」
「だろうね」
並んで歩く二人はまるで本当の兄妹のようであった。
「なあ、チコちょっと寄り道するか」
「うん、する」
「と言っても、帰り道だけどな」
そう言って志喜は家路の裏道に向かった。そこには整備された海浜公園があり、志喜たちが本州から渡って来た海を臨めた。まだ強い浜風に防砂林の枝たちが揺れていた。波打ち際まで十メートルほどの所にアスファルトで幅広の段差が設けられていたので、そこに腰を下ろした。
「寒いな、やっぱ。帰るか?」
置いたビニル袋からジュースをワクワクしながら取り出しているチコは、
「ううん、いい。ここにいる」
と答え、ペットボトルのキャップを開けた。実に愉快そうに飲むチコの姿を、志喜は微笑ましく見ていた。
志喜はふと気づいた。妖怪のチコの一挙手一投足に目をたびたび見開いているのだ。今だってそうである。ペットボトルのキャップをひねって開けるという人にとってはごく当然な動作をいとも簡単にやってのけたのである。彼はチコの容姿から知的哺乳類とか、あるいは本当に幼児のように見ていたのかもしれない。その人間社会における学習という過程を目の当たりにしている、そんな気にもなった。
「シキは飲まないの?」
じっとの視線に気づいて、チコが不思議そうに志喜を見つめ返した。
「飲むよ」
ビニル袋から自分の分を取り出してキャップに手をかけた。そして彼はふと目を止めた。砂地に一人の女子が立っていた。どこかで見たようなデジャビュである。
ショートカットの彼女はセーラー服を着ていた。詳しくはないが、島内四校のいずれの高校の制服とは違っていた。よく見れば、その女子はジェスチャーをしていた。指先を自分の方に向け、それから志喜たちの方へ向けた。
「こっちに行っていいかって訊いてんのかな? ま、いいや」
志喜はペットボトルを横に置いて、両手で小さく丸を作った。頭の上で両腕でというのはさすがに恥ずかしい。女子はゆっくりとした足取りで近づいて来る。瑠璃色の髪が非常に目立った。志喜の目の前まで来ると立ち止まり、恭しく一礼をした。それから、
「私はあおゆきと申すものです。貴殿は都筑志喜殿とお見受けいたしますが、間違いございませんか」
言いの丁寧さよりも、芯の通ったしっかりとした口調から迷いなき確信めいた信条を持って生きているといった感が、たった一言から伝わって来た。
「そうだけど」
負けずに威勢よくというわけではないが、おどおどする必要もない。けれども、面食らってしまったのも確かだった。そんな風に初対面で言ってくる女子生徒などには会ったことが無かったからだ。しかも、先方は自分のことを知っている。どことなく居心地が悪い感じがした。
チコとともに立ち上がろうとしたが、彼女の言葉がそれを思いとどまらせた。
「憑かれていますね?」
どこかで聞いた一語があった。けれども、彼はその場しのぎにもならない返し方をした。
「そりゃ、疲れているけど」
「そうではありません。人ならざる者にとり憑かれておるのでしょうという意味です」
ぎくりとする。必然横のチコを見てしまう。すると、
「私に用事?」
チコは身構えているような口調になっていた。隠していた耳が立っている。
「チコ!」
その耳を見られてしまっては、
「イヤーほら、よくできてるでしょ。と言っても、英語のearと耳をかけたんじゃないよ。最近のイベントグッズって製品の精度が高いよね。ほら、これ何て本物そっくりに見えるでしょ。でもね、これは製品なんだよ。じゃあ」
と早口にまくし立てて、切り上げようとした。チコの手を握ろうとしたが、
「私も同じです」
セーラー服の彼女が言うものだから、志喜の動きは止まるというものだ。
「同じって……?」
波風のせいで寒く感じているのではない。嫌な予感。凍えそうな予想が自ずから頭をよぎったからである。
「あやかし、妖怪です」
反応が鈍くなる。先方の言うことが正しければ、チコの憑依を認識しているのも道理だろう。とはいえ、密接な関係というわけでもなさそうだ。となれば、先方の出方なり身分なりを問えばいいのだが、うまい質問が浮かんでこない。
「その方はこちらに」
志喜が何も言えずにいると、セーラー服の袖がチコに伸びてきた。
「ちょっと、どういうことか説明してくれないかな」
思わずその手首をつかんだ。
「人が関わることではありません。邪魔をするのであれば」
袖から志喜の手を反転させ、手首の関節を決めた。必然その女子との距離が縮まる。
――なんだ? この匂いは
痛みの中で、その女子の漂わせる空気を嗅ぎ取った。湿った草のような、媚薬のような、その香りに包まれ続けると酩酊してしまうような。
「ちょっと、シキを痛くしないで」
チコがそれこそ目の色を変えた。青い瞳は紅色に変わった。右手の人差し指と中指を立て、他の指は握って、昨日の祖父宅でのとは違った、これまた志喜には分からない文言を並べた。瞬間、空気感が変わった。冷たい自然風とは違う、ヒンヤリとした気流。志喜は背筋からしゃんとするくらいだった。
「これって……」
一方で事態は、志喜を驚嘆させた。波は打ち返すことなく、鳥は空で翼を広げたまま飛行の継続をせず、自動車はエンジン音を響かせなくなった。
「世界が止まった?」
志喜はそれをしたのがチコの術であるとしか思えなかった。それ以外にない。セーラー服女子に関節を決められている痛みなど驚嘆が忘れさせていた。その女子はその様子を事も無げに見やっている。
チコの文言は続いた。すると、海上に防波堤として設けられていた、テトラポット群の中からその一つが、空中浮遊をしたかと思えば、セーラー服少女に向かってえらいスピードで飛んで来た。
「ちょっ!」
恐らくはチコがテトラポットを操って、志喜を拘束しているこの女子への攻撃としたのだろうが、拘束されているということは、必然的にその攻撃を志喜自体も受ける危険性がある。それを食らってしまったら、ミンチ状態になることは想像に難くなく、少なくともその場から逃げなければならない。だから、短い単語で「やる前に一言言ってもらいたい」の意味を含ませたが、次の瞬間。身体が自由になった。セーラー服女子が手を離し、彼を押し退けたのだった。
「ちょっと、君危ない!」
砂地に足を取られよろめきながら、その女子に向かって回避を促す。が、セーラー服の女子は飛来するテトラポットをにらみつけている。
確か名を教えられたが、瞬時に思い出せず、
「君!」
志喜がそう叫んだ瞬間、彼女の容姿が一変した。瑠璃色のショートカットの髪が腰辺りまで伸び、同じ色の動物の耳が立った。瞳が真紅となり、女性騎士のようない装いとなった。マントが翻り、右腰には剣が収まった鞘まである。
彼女は迷いなく抜刀。跳躍し、テトラポットを迎え撃つ。左手にした剣を何度か振るう。着地すると、飛来してきたテトラポットが、まるで雪のように粉々となって空から降って来た。彼女の身のこなしや剣術の腕前に絶句。チコの口が止まることはなく、立て続けにテトラポットが二つ飛来。だが、彼女は剣を自在に振る舞い、それらをも粉砕してしまった。
「なんなのよ、もう!」
いきり立つようにチコが地団駄を踏んだ。剣を鞘に仕舞い、彼女がチコの方を向く。
「待って!」
志喜にしてみれば、彼女がチコに標的を変えたようにしか見えない。だから、制止させなければならなかった。砂地でダッシュを試みる。が、
――あれ? ヤバい
志喜はそう思った次の瞬間、力なくその場に倒れ伏してしまった。
「シキー」
叫ぶと、チコが作った制止した世界は活動を再開した。波は打ち返し、鳥は鳴きながら優雅に飛び、自動車のクラクションが遠くで響いた。
「シキ、ねえってば。シキ――」
砂浜に伏す志喜を揺り動かすチコ。その様子をセーラー服姿で女子は見つめていた。