返事
冷蔵庫にあったうどんを茹でて、簡単な昼食を済まして自室に戻ろうとして、玄関の前を通るとガラス戸の向こうに動く影があった。気になって開けてみると、影はすでになく、巻物が一つ落ちてあった。
「どうやら届いたようです」
志喜はそれをあおゆきに渡した。自室に戻り、巻物をほどく。志喜には分からない記号の羅列だっただが、それらがみるみるうちに、ゆらゆらと揺らめき始めたかと思うと、中空に動物がぼんやりと浮かんで現れた。キツネのようにもアナグマのようにも見えるが、それらとは毛の色や顔の輪郭が違っているように志喜には見えたが、動物学に心得のない彼にとってはどう違っているのか判定がつかなかった。
「主様です」
「だろうね」
ぼんやりした映像は、まるでホログラフィのようであり、
「我が孫娘、あおゆき、そして都筑志喜殿に言葉を告げる」
低音で重厚な、それでいて威厳のある声が聞こえて来た。
「ちょうど良い機会のようだ。人間社会で見聞をし、我らが世界との相違を重々と学習せよ。また、業務がある場合には追って詳細を伝える」
「おじい様、相変わらず厳しいね」
「まだまだ手ぬるいくらいだ。分かったのか、分からんのか」
「分かりました」
チコの了承は実に渋々といった具合だ。それにしてもである。妖怪というと伝統的というかクラシカルなイメージだった。が、志喜がこうして目の当たりにしているのはヴァーチャルリアリティ真っ青なデジタル最新通信技術みたいである。というよりも、人が勝手にもっているイメージゆえの驚嘆であろう。妖怪という種にとっては、それは何の変哲もない文化の一つであり、むしろ人間がようやくなのか、とうとうなのかそれができるようになってきたぐらいなのかもしれない。
「あおゆき、護衛を任せた。そなたの力を頼りにしている」
「承知いたしました」
あおゆきは主からの要請に頭を下げた。
「都筑志喜殿。話しは聞いた。人間とこうして我が姿で話ができるとは、ずいぶんと久しぶりなのだが、そなたに無理強いをかけるが、我が孫娘の見聞の手伝いということで、そちらの社会を学習させていただきたい。勝手な望みと承知しているが、よろしく頼む」
映像の獣が頭を下げるものだから
「いえ、僕はチコといるのが楽しいので、何ができるかは分かりませんけど、一緒に過ごしたいです」
「そうか。ではな」
そう言い終わると映像は無くなり、巻物の上には記号が並んでいるだけになった。
「これってどういう仕組み?」
志喜が気になるのも無理はなかったのだが、
「人間には理解できないものです」
あおゆきには軽くはぐらかされるだけだった。
「あのさ、話しは変わるんだけど」
「何でしょう?」
「映像の……主様だっけ、チコのおじいさんは、獣の姿だったけど、二人は人間になっているよね? あおゆきさんはコスチュームも変わったし。これって……」
「適宜動きやすいようにということだけです」
彼女は、山に住む主は獣の姿でいた方が何かと動きやすく、人間と会ったチコや、そのチコを迎えに来た自分は人間の姿でいた方が動きやすいというような趣旨のことを言った。
「てことは、山に戻れば、二人も獣の姿ってこと?」
「いろいろ。人は、人の形態でコムニケーションしないと納得できないのでしょ。でも、この格好も好き。いろんな服が着られるから」
ケタケタとチコが愉快そうに答えた。滑舌がなめらかでないのは大目に見よう。
「そうそう。それ。妖怪……あやかしっていう日本土着の割に洋風な格好してるよね」
「当世風に今様なハイカラになってもいいじゃない。人間の姫をイメージしたらこうなったの! 着物もしてみたけど重いし。それにね、妖怪だから和服じゃないとダメっていう短絡的な思考は嫌いよ」
ご機嫌から一転して強い調子で、衣装のことを半ギレ気味にチコが主張するものだから、
「ごめん。そんなつもりじゃないんだ。ただ思っただけだから」
「シキが作ったおうどんがおいしかったから許す」
「ありがとう」
ほっと胸をなでおろす。姫のご機嫌を損ねて、あの重厚なボイスの主がここまでやってきたら、何をされるか想像すら浮かばない。
「私も同様です。動きやすい格好と思ったら、あのような衣装になりました」
「思うだけでなるんだ。何かやっぱりハイテクだね。そうだ。もう一つ」
「今度は何?」
チコが志喜に顔を接近させる。
「姫様、近づきすぎると都筑君の体調が」
「あ、ごめん」
居住まいを正すチコに、そしてあおゆきに
「格好が今風なのに、二人してなんで耳があるの? 完璧に人間に化けられるのなら隠しておけばいいのに」
チコとあおゆきは顔を見合わせてから、二人とも志喜と視線を合わせないように天井の隅に向いてしまった。
「ちょっと」
理由が分からない彼は、それこそ二人の機嫌を損ねたかと思い、慌てる。が、
「さあ、地球温暖化のせいかな?」
などと、チコがお茶を濁すような答え方をするものだから、
「それ、午前中に見ていたテレビ番組のことじゃないよね? もしかして、耳は残っちゃうの? 隠せないとか隠し方分からないとか」
志喜は解釈してみるものの、チコはまるでならない口笛を吹き、あおゆきは窓外に視線を送ったままだった。しかし、それがむしろ自身の解釈が当たらずも遠からずなのだろうが、そんな反応をする彼女たちを、志喜は微笑ましくも感じた。
「ま、いいか」
「何よ、シキ。そんな顔して」
チコが頬をピンク色にしてそっぽを向いてしまった。それが尚更に志喜の頬を柔らかくさせたのだった。
「じゃあ、あおゆきさんもここに泊まってね」
唐突な提案に、あおゆきは戸惑いを隠せない。
「いえ、私のことなら気になさらずに。どこででも寝泊まりできますから」
「そんなこと言わないでよ。チコの護衛でしょ。なら、近くにいた方がいいじゃない」
「けれど」
「けれどもへったくれもなし。チコもいいね?」
「いいよー」
「じゃ、決まりだ」
帰宅してきた父母、そして家主である祖父母に志喜は頭を下げた。
塾で知り合った子が一人で卒業旅行に来島したのだが、宿を予約したはずが取れてなくて困っている所に再会。見過ごすこともできずに呼んだ、という旨を告げた。
「ネット予約ってのも、完璧じゃないよね」
志喜のそんな愚痴っぽさが効いたのか、女子一人を哀れに思ったのか、祖父母も父母も了承し、あおゆきの宿泊が決定した。




