9「新堀はしたくないと言ってた」
放課後になって、黒田と東海林は小学校の近くにある児童公園へと向かった。決してきれいとは言えない小学校低学年向けの大きな遊具と、年少児向けの小さな遊具が分かれて並んでいる。それはどれも丸みを帯びていて、高さもさほどない。落下防止のためか少しでも高い所には丁寧に柵が作られていて、まるで毒気を感じないつくりがこの町にはそぐわないようだった。
小さなテニスコートが二つあったが、欅に囲まれて幾分人の目からは目につかなくなっていた。それどころか、周りから地面を這うようにしてじりじりと草がコートまで浸食していて、それはまるで人間の文明に対する反抗のようにも見えた。その古びた様子は大人を遠ざけていったが、子ども達には大人の目を気にせず遊べるたまり場としてうってつけの場所となっていた。
放課後の早い時間ということもあり、子どもの数も少なかったが、やがて続々と子ども達が集まり、賑わってきた。黒田と東海林は公園の中でも一番目につく赤いロープで作られたピラミッドの遊具の前に立っていた。俄かに騒がしくなってきて、黒田は背負っていたリュックの中からヘッドホンを取り出し耳にあてた。そしてプラグの先をぷらぷらと回して遊ばせた。古いモデルなので遮音性はいまいちだったが、少しは周囲の音が気にならなくなった。
約束を取り付けていたほとんどの子どもが3PSをもって公園に姿を見せた。色とりどりのゲーム機が次々と黒田のリュックに放り込まれた。充電のためのコードがなかったり気を利かせてゲームソフトも付けてくれることもあったりと様々だったが、十個以上の3PSが最終的に揃った。約束していたうちの何人かは結局現れなかった。
「すごいな。これだけ集まればいいだろ」
東海林が成果を確認し満足気に言った。
「あの」
声を掛けられた方向を見ると、まだ姿を現していなかったうちの一人がそこにいた。少年は松野といった。東海林と同じクラスだったが、名前は覚えていなかった。
「ごめん、母さんに出かける前に声掛けられて、『あんたそれどうするの』ってさ。使わないからあげようと思ってって言ったら『なんだそれ。馬鹿なこと言うんだね。そんなの言うこと聞くんじゃない』
って怒られてさ。持ってこれなかった」
松野はそう言って「ごめん」と手でジェスチャーをして去っていった。
「うーん、親にばれたら少し面倒かもな。学校に通じて学園に電話とかこないといいけど。ま、ばれたところで頼まれたことやってるだけだし、気にすることないか」
そう言って東海林は口笛を吹いた。黒田は親にばれたらなんて考えてもいなかったし、ばれたところで心の底からどうでもいいと思った。何だかんだ言いながらそういうところに気が回る東海林は変に真面目なところがあると思った。
やすらぎ学園の正門を足早にくぐり、B棟の児童ドアを抜けた。白と灰を基調とした無機質な室内に入ると、まず職員達の部屋がある。病院の受付のような小窓を通じて子ども達の出入りや来客の様子を見ている。来客は施設の管理に関する人間や学校の関係者などが多い。
その小窓の近くに、申し訳程度に観葉植物とベンチが置かれていたが、利用する人間を黒田は見たことがなかった。自分の部屋がある棟以外には、原則移動禁止になっていたので、小窓の前を静かに、素早く通った。防犯カメラが一台天井にぶら下がっていたが、職員が熱心に監視しているわけではないようで、子どもたちは日常的に出入りを繰り返していた。パンパンに膨らんだリュックを隠すようにして東海林と黒田は小窓の前を通り、階段を上った。
四階に辿り着き、ドアが並ぶ廊下を奥へと進んだ。一番奥の非常扉のそばに「馬宮くん」の部屋がある。高校生の子どもは一人に対して一室があてがわれていた。普段は当然施錠されているが、脱走や他のトラブルを招きかねないその扉の近くに部屋があるということは、学園職員から信頼を得ているということを表している。
「早かったな。入れよ」
部屋のドアをノックするとドアすれすれの巨体が姿を現した。黒田が噂で聞いたところでは「馬宮くんは小学生のときに担任と同じくらいの身長だった」ということだった。それも間違いではないのだろうと黒田はあらためて思った。
馬宮は背が高かったが、決して肉付きの良い方ではなかった。かといって細いということでもなく、小学生の体を等倍で拡大したような妙な佇まいをしていた。顔つきも目元に幼さが残っていたが、ぎょろりと動く目は爬虫類のようだと黒田は感じた。「大人小学生」とでもいうような、幼さと迫力と不気味さが同居するそんな見た目だった。
狭いながらも、部屋の中には一人用のパイプベッドと洋服棚、簡易な机椅子と収納棚と充分な家具が備え付けられている。黒田は学園の一人部屋を見るのが初めてだった。「ここ座れよ」と言われてベッドの上に東海林と黒田は腰かけた。馬宮は二人を見下ろすように立ち続けた。巨体がなおさら大きく見えるようだった。
「それで、どうだった。集めてきたか」
「うん、だいぶ集まった」
学園内の子ども達はたとえ相手の年齢が上でも互いに敬語を使わずに話した。敬語を学ぶ機会がない子どもが多かったためか、親しげに話すことで連帯感をもつためか、理由ははっきりとしていないが自然とそうなっていった。
東海林は黒田のリュックを逆さにして、色とりどりの3PSをベッドの上に広げた。
「おお、すげえな。一世代前のゲーム機だからいらない奴が多いとは思っていたけどここまでとはな」
そう言って馬宮はにまりと笑った。
「これだけあれば俺らで使っても余るな。お前らも一つずつ持ってけよ」
馬宮はいくつかある中でも特に塗装が剥げてぼろぼろの二つを黒田と東海林に渡した。充電コードは数が足りなかったので一つだけ渡された。「俺ら」というのは馬宮が特に親しくしている中学生から高校生の学園の仲間のことだ。親に引き取られたり、別の施設に移動したり、里子として迎えられたりして高校生以上の子どもは数が少なかったため、仲間意識が強かった。
「なんかあったら言えよ。また今度バスケでもやろうぜ」
「ありがとう。じゃ、俺たちはこれで。行こうぜ黒田」
「あ、そういえば」
思い出したように馬宮が言った。
「新堀にも集めるよう言ってたんだった。黒田、同じ部屋だよな。あいつに会ったら3PS集まったかどうか聞いとけよ」
東海林が黒田の腰の辺りを馬宮に見えないように軽く小突いた。「適当に返事して早く行こうぜ」という合図だった。
「新堀はしたくないと言ってた」
突然の出来事に、一瞬部屋が静かになった。
今起こった出来事が何だったのか、誰の発した言葉なのか、東海林も馬宮も反芻して確認しているようだった。
間違いなく、黒田の言葉だった。
「どういうことだ」
「新堀はしたくないことはしたくないって言っていた」
「そうか。わかった。よくわかった」
馬宮はそう言って持っていたゲーム機を力任せに壁に投げつけた。
「行こうぜ」
と東海林が黒田の手を引っ張って部屋を出た。
「何余計なこと言ってるんだよ。ってか何で変な時にだけ声出るんだよ。新堀がどうなっても知らないぞ」
部屋を出て、速足で歩きながら東海林が言った。
「ちゃんと、伝えたかったから」
「はあ?」
「新堀が堂々としてて、いいなと思ったから、それを伝えたいと思ったから」
「伝えたいのは勝手だけど、相手を選べよ」
黒田の流暢な言葉に東海林はため息をついた。
「まあでも3PSが手に入ったのは収穫だったな。これ使ってやってみたいこともあるし、もしかすると家出にも役立つかもしれない。黒田、家出のことは当然忘れてはないよな」
こくんと黒田はうなずいた。「また連絡する」と言って東海林は去っていった。