第9話「訓練開始!努力の意味と、迫る脅威」
朝の冷気が残る空気の中、漣は教会の裏庭に立っていた。
木刀を手に緊張感に包まれた面持ちで、エリザの指示を待つ。
今日から始まるのはただの訓練ではない。
彼にとってそしてエリザにとっても——本気の“地獄の鍛錬”の初日だった。
「スキルは禁止。今日からが本番だ。素振り、回避、反応速度……全て徹底的に叩き込む」
エリザは一歩踏み出し木刀を構える。
漣が構えを取りきる前に風を裂くような一撃が飛んできた。
「っ……!」
反射的に後ろへ跳び下がった。 本来なら《多元思考》で軌道を予測し《神速》で最適な回避行動を選べた。 だが今は違う。スキルの補助がなければ直感と反射神経だけでは限界がある。
その証のように、肩をかすめる鋭い痛みが走った。
「目で見てからじゃ遅い!体に叩き込め!軌道を読むんだ!」
エリザの声が鋭く響く。
訓練は苛烈を極めていた。
回避訓練では予測不能な角度から打撃が容赦なく飛んできた。
スキルに頼れば防げる。
だがそれを縛り、肉体と意志だけで挑む地獄の鍛錬。
「スキルなしじゃこんなにも……動けないのか……」
木刀を握る手が震える。息が上がり視界がにじむ。
それでも——
(……そうだ。俺はこれまでスキルに任せてただ反射的に動いていただけだった。だからこそスキルに頼り切ってしまう。…だから基礎的な戦闘の訓練をするって決めたんだ。ここで逃げたら、あのときの自分と変わらない)
そんな漣を、エリザはじっと見つめていた。
その視線に気づき顔を上げた漣にエリザは言葉を投げかける。
「意味があるのかと問うな。意味を持たせるのが“努力”だ」
漣は、その言葉を噛みしめるように胸の内で繰り返した。
(……意味を持たせる。自分で、自分の足で——この努力に価値を刻むんだ)
* * *
その頃、教会の一室ではミミとエリシアが並んで机に肘をついていた。
ミミは指先でペンをくるくると回しながら、少し唇を尖らせるように呟いた。
「ねぇエリシア……わたしにも何かできることってないかな?」
視線を上げた先でミミの大きな瞳がエリシアをじっと見つめる。
その瞳には「漣を支えたい」というまっすぐな気持ちが込められていた。
「漣が毎日頑張ってるのに……私だけ何もできないなんてすっごく悔しくって……。置いていかれちゃうみたいでやだなって……」
そう言いながらミミは両手でぎゅっと胸元の布を握りしめた。
エリシアは一度そっと微笑み、視線を机へと落とした。
「……なら、漣の訓練をそばで記録してみたらどうかしら? ミミちゃんは観察眼は鋭いし誰よりも漣のことをよく見てるわよね。動きの癖やバランス、疲れのサイン……客観的な視点から気づけることがたくさんあると思うの」
ミミは驚いたように瞬きをした後、ぱっと顔を明るくした。
「わたしが……漣の役に立てる……!」
くるくると目を輝かせながら、ミミは力強く頷いた。
「うん、それやる! 全力でサポートするもん!だって……漣のこと守りたいもんっ!」
その言葉にエリシアもくすりと笑って、柔らかく頷いた。
「ふふ。ミミちゃんがいれば漣様もきっと……もっと強くなれるわ」
* * *
訓練を終えた夕暮れ、漣は中庭の地面に倒れ込んでいた。
全身が痛みで軋み腕は上がらない。
その傍らに小さく膝をつく足音。
「……漣、大丈夫?」
ミミだった。
手には煎じた薬草と包帯、そしてノートが一冊。
「もう無理しすぎだよ。……でもすごかった」
そう言いながらミミはそっと漣の腕を取り優しく包帯を巻き始めた。
「今日見てて思ったんだけど、漣って回避のとき左に重心かけすぎてるかも。だから右足が遅れちゃうんだよ」
漣は思わず目を開き、ミミの顔を見た。
「……よく見てるな」
ミミは照れくさそうに笑って小さく頷いた。
「えへへ、ちゃんと見てたもん。ほら、ここにもメモしてあるよ」
ノートを開いて見せるその表情は、どこか誇らしげだった。
「私も本当は一緒に戦いたい……でも、今の私じゃきっと足を引っ張っちゃう。だからね、こうして少しでも漣の力になれることを見つけようと思って。」
ミミは包帯を巻く手を止め、漣の顔をじっと見つめた。
「だから私なりの方法で……漣の隣にいたい。強くなるための支えになりたいの」
その真剣な眼差しに漣は一瞬目を見開き、そして静かに笑った。
「……ありがとうミミ。その気持ちがいちばん力になる」
「ふふ、なら良かった!」
その会話を後ろから聞いていたエリザが、静かに2人に近づいてきた。
「ミミ、そのノートを少し見せてもらってもいいか?」
思いがけない声にミミは少し肩を跳ねさせ、慌ててノートを胸に抱きしめたが、漣に頷かれると照れくさそうに手渡した。
「えへへ……まだ途中だけど……」
エリザはノートを開き、数ページを丹念に目で追った。
そこには漣の動きの癖やタイミング、体の軸のブレまで丁寧に書き込まれていた。
「……ふむ、これは思った以上に鋭いな。動作ごとのタイミングも記録されているし、視点も的確だ。ここまで書けるなんてただの観察力ではない。」
エリザは感心したようにノートを閉じ、ミミの方へと視線を向ける。
「確か、ミミも少しだけ戦闘訓練を受けていたんだよな?」
「うん、私の村で……護身術みたいなものだけど」
「なら、明日からミミも訓練に参加してみないか?私ひとりじゃ組手のバリエーションが偏るし、何より君の獣人としての動きは漣にとって大きな刺激になるはずだ」
ミミは目を丸くした後、ぱっと笑顔を咲かせた。
「ほんとに!?うんっ、やってみたい!頑張るからよろしくね!」
「こちらこそ。……ただし、ミミだからと言って容赦はしないぞ」
エリザの目元がわずかにほころんだ。
ミミもそれに笑い返し、両手で拳を作って小さく構える。
その光景を見ながら、漣は胸の奥が少しあたたかくなるのを感じていた。
ミミは漣の腕を取り、包帯を巻き始めた。
漣はその手の温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
「……ありがとう、ミミ」
* * *
その頃、アスヴェル商会の奥深く。重厚な扉の向こうで会議が開かれていた。
「……“解き放つ者”と接敵しました。私が夜間に身柄を引き受けに向かった際、既に契約紋は解除されておりました」
そう報告したのは、漣と戦ったマーグ・ダランだった。彼は冷たい目で資料を見下ろしながら続けた。
「彼の身体能力は決して高くありません。しかし“戦いながら”スキルを習得していくような動きを見せました」
会議室にざわめきが広がる。
「彼は恐らく“コピー”のスキル保持者です。戦闘中に私のスキルの一部を真似、短時間で適応してみせました」
マーグが深く息を吸い、低い声で口を開く。
「”コピー”……それ自体も厄介ですが、最も看過できないのは、その者が《契約紋管理》のスキルをコピーしている可能性があるということです。」
再び、重苦しい沈黙。
会議に参加している者たちが沈黙を割いて発言し始めた。
「《契約紋管理》さえ掌握されていればこちらの支配構造が一気に崩れることになる。つまり……解除は容易いということか」
「……ならば、その男を排除するまでだ」
静かに告げられたその言葉がまた一つ、運命の歯車を回した。
* * *
月夜の教会裏庭。
エリザとの訓練が終わった後、誰もいない裏庭に漣の姿があった。
今度は自主的な修練。誰の指示もなくただ己の意志で木刀を振り続けている。
全身に残る鈍い痛みが、昼間の訓練の過酷さを物語っていた。
それでも木刀を握る手は離さず、繰り返し、繰り返し空を裂くように振る。
筋肉が悲鳴を上げる。
手は豆だらけで足元もふらついている。
(まだだ……こんなもんじゃ足りない。あいつらを守るには、もっと……)
「借り物の力だけじゃない。俺自身の努力でノエルを取り戻す」
そう呟いたその背後、静かに灯りが揺れる。
ミミとエリシアが、教会の柱の陰からそっと顔を覗かせるようにして、漣の姿を見守っていた。
「…...漣様……」
エリシアがぽつりと漏らす。
その声にはどこか心配のような響きが混ざっていた。
その瞬間、漣がふと顔を上げる。
視線の先、雲間から現れた満月が、冷たく、そして美しく夜空に輝いていた。
名前:霧島 漣
種族:人間
職業:模倣者
レベル:4
HP:58/58
MP:28/28
■ 保有スキル
《努力模倣》
└ 触れた対象の“努力”に応じてスキルをコピー(最大6つ)
└ 模倣したスキルを固定化(模倣枠を使用せず永続的に使用できるようになるが、努力値の更新が不可能になる)
└他者のレベルを感知することができる。
【模倣済みスキル】
・《神速》
・《多元思考》
・《ウィンドカッター》
・《交渉術》
・《価格看破》
・《契約紋章管理》




