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第7話「神速の拳と、努力の記憶が交わるとき」

静まり返った目線の先、不意に現れた黒衣の男が立ち尽くしていた。

不気味な笑みを湛えながら一歩も動かず、まるで獲物を値踏みするようにこちらを見下ろしている。


その目と視線が合った——まさにその瞬間、視界が歪み天地が反転する。


「ッ——!」


漣の身体が宙を舞う。全く視認できなかった拳が鋭く漣の腹部にねじ込まれていた。何が起きたのか理解するより早く衝撃により体は吹っ飛び、重力に逆らえず漣の身体は無防備な背中を石畳へと打ちつける。 その瞬間、肺から息が押し出され鈍い痛みとともにうめき声が漏れた。


「大丈夫か!」


叫びながら振り返ったエリザの背後にさっきまで漣の近くにいた男の影が、まる気配も足音も感じさせずまるで空間ごと切り裂いて入り込んだかのように忍び寄るっていた。


「戦闘中によそ見とはいただけませんね。命を落としたくなければ目の前の敵に集中なさった方がよろしいかと」


囁く声が耳元で吹き込まれた、その刹那——

風を裂くような殺気が背後から迸る。男の拳が疾風のごとく、寸分の無駄もなくエリザを狙って突き出された。

だがエリザは《多元思考》を用い、脳内に描かれた幾筋もの攻撃予測ラインその中から“最も生存率が高い一手”を瞬時に選び取る。

彼女は身をひるがえし、髪を風に舞わせながらしなやかに男の拳を躱した。

空を切った拳がエリザの頬を掠めるも、彼女の瞳は微塵も揺れていない。


「なるほど……思考を加速・拡張する系統のスキルですか。実に厄介ですね。反応速度と判断精度が並の相手とは一線を画しています」


男は丁寧な口調のまま淡々とエリザの身のこなしを観察しながら、慎重に間合いを取った。


その一方で——


石畳に打ちつけられた衝撃で呼吸もままならなかった漣は、呻きながらもゆっくりと体を起こしていた。腹部に残る鈍い痛みを堪えながら、膝を突いて体勢を立て直す。

視界がまだぼやけているが、視界の隅に映る男の姿がエリザへと意識を集中させていることに気づいた。


体勢を低く構え、その隙を逃さずわずかでも気配を殺し空気を裂くように右手を突き出す。


「《ウィンドカッター》!」


風の刃が疾走する。だが、男はその気配き気がつきほんの一瞬掌をわずかに動かすと、指先から黒い瘴気を放った。

その瘴気はウィンドカッターと接触した瞬間に渦を巻き、形状を乱すように巻き込んでいく。

まるで腐蝕するように、鋭利だった風の構成が崩れ、断片となって霧のように霧散した。


「……まだ動けましたか。まったく、耐久力だけはあるのですね。いやはや、実に面倒な。」


その隙にエリザは迷いなく剣を抜刀し、両足をしっかりと踏み締める。背筋はわずかに弓なりに反り、剣先はわずかに低く構えたまま、目線は敵のわずかな動きをも見逃さぬよう鋭く研ぎ澄まされていた。


一方、漣はスキルが掻き消された衝撃に一瞬眉をひそめるも《並列思考》を即座に展開。体勢を低く落とし、重心を整えながら地面を蹴って小さく位置を移動。敵との距離と角度を測りつつ、視野の端でエリザと呼吸を合わせる。


二人の間には一言も交わされないが、動きと目線だけで意思が通じた。

そして——漣とエリザ、それぞれ左右から敵を挟み撃ちにする構図が自然と成立した。


男は唇の端をゆがめながら、指先で軽く2人を招く仕草をする。


「さあ、お好きなようにどうぞ」


その挑発に、エリザが動く。


地面を蹴る音と同時に、彼女の剣が閃光のように走る。だがその剣先は男の身体を捉えず、まるで空気を裂くように虚空を切り裂いた。


漣も反対側から拳を振り抜く。

しかし——男は一歩先を読むように身を傾け、まるで滑るようにその攻撃を回避。


漣のその稚拙な攻撃に嘲るような笑みが溢れ、男の手から黒い靄のような瘴気が解き放たれた。その瘴気は弾丸のように真っ直ぐと漣へと迫る。


漣は即座に《並列思考》を展開しその軌道を計算し最適な避け方を求める。だが、その瘴気のスピードと自身の反応速度では回避が間に合わず、黒い瘴気は肩をかすめていった。


「っ……!」


焼けつくような痛みに、漣は歯を食いしばった。


「ふむ……貴女と同じく、思考強化系のスキルをお持ちのようで。ですが——少々粗削りですね」


男の口元が歪む。だが、次の瞬間——


「《氷刃乱舞!(ひょうじんらんぶ)》」


エリザが放った氷の剣が、周囲の空間を埋め尽くすように展開され、男を包囲する。


「おやおや……氷の装飾とは、なかなか見事な演出ですね。美しい。私の屋敷の応接間にもぜひ欲しいくらいです。」


男は一歩も慌てず、舞うようにその攻撃を回避していく。

スキルが回避されていることを確認し、エリザは男との間合いを見直すように後方へ移動する。その動線の先に、体勢を整えつつあった漣がいた。

気がつけば、エリザと漣は2人で並ぶように立っていた。


エリザは深く静かな呼吸を保ちながらも、額には細かな汗が滲んでいる。剣を構えた手は微動だにせず、冷たい瞳は敵を射抜いたままだ。


漣は視界の端に映るエリザの凛とした横顔を捉えながら、先ほどまでの戦闘を思い返していた。男の猛攻に晒され、何度も攻撃を受けてしまった自分。一方で、冷静沈着に立ち回り、一切の傷を負うことなく立ち続けているエリザ。その違いは明らかだった。


瞬間的な判断力、緻密な状況把握、そして迷いのない行動力——戦場における実力の差を、漣は痛感していた。


(……俺の《並列思考》じゃこの戦いにはついていけない..!)


息を整えながら、わずかに震える指先を押しとどめるように、漣は意を決してエリザの隣に歩み寄った。


「すまんエリザ...君の努力を力に貸してくれ」


漣の真剣な眼差しに、エリザは静かに頷く。戸惑いや問いかけはなく、ただその意図を黙って受け取ったかのように。

漣は彼女の肩へと手を伸ばし、そっと触れた。


努力模倣(イミテート)》発動。


エリザの《多元思考》が流れ込んでくる。 その瞬間、膨大な戦闘記憶と経験が脳内を駆け巡る。無数の戦闘、複数の視点処理、並行して行われる判断の枝分かれ。


漣は理解する。これは単なるスキルではない。数多の実戦と日々の積み重ねによって磨き上げられた“研鑽の果て”にある技術だと。


頭が焼けるような痛みに襲われ視界がブレる。


漣がエリザの肩に手を置いたその様子を見て、男は目を細めた。


「……おや、もう立っているのがやっとというところでしょうか?無理をせず素直に終わりを受け入れていただければ、こちらとしても随分と手間が省けるのですが」


嘲りを含んだその言葉と同時に男が再び掌を掲げ、そこから黒い霧のような瘴気を蠢かせる。

それはまるで生き物のようにうねりながら凝縮し、次の瞬間には漣を狙って弾丸のように撃ち出された。


だがその瞬間、漣は呼吸を止めるほどの集中——体をひねり空気を裂く感覚と共に、攻撃はわずかに彼の体をかすめることなく通り過ぎる。

その回避の瞬間、男の影が視界の端に滲むように現れた。気づけばもう至近距離——男の拳が漣の顔面めがけて鋭く突き出される。


漣はその行動を読みその拳を弾き落とす。次の瞬間、第二撃が脇腹を狙ってくるが、漣は肩を入れて流すようにいなした。

動きの迷いはなく、冷静に、緻密に、敵の攻撃を捌いていく。

まるで複数の視点から先読みしているかのように、漣の身体が自然と“正解の軌道”を選び続けていた。


男は拳が空を切る——その感触に、僅かに眉をひそめた。

(……いなされた? この間合いで私の攻撃を……?)


これまでの戦闘は、漣より一歩先を行き続けていたはずの男にとってそれは明らかな“異変”だった。

軌道を読まれ、力を殺され、正面から打ち返されることなく流される。明らかに漣の反応は先ほどまでとは別人のようだった。


(これは……何かが変わった。彼の中に“何か別のもの”が入ったような——)


男の心に、漣に対して初めてほんの僅かな警戒心が芽生えた。


警戒し始めた男に対し漣は意を決し、拳と拳の擦過をすり抜けるように身体を滑り込ませ、思い切って男の体へと手を伸ばす。


その一瞬——漣の掌が男に触れた刹那、《努力模倣イミテート》が発動する。


男のスキル情報と共に、その歩んできた“努力の記録”が漣の脳内に一気に流れ込んでくる。


少年時代、彼はただ速く走ることに取り憑かれていた。周囲を見下すために誰よりも前を走るために。純粋な楽しさなど微塵もなくそこにあったのは優越感への渇望だけだった。


毎日、誰も見ていない路地裏を走り続けた。自分の足音だけが響く夜道、擦り切れた靴と血豆だらけの足裏にさえ快感を覚え、周囲を追い越すたびに“自分は特別だ”と信じ込んでいった。


やがて、その速度は常人の限界を超え“神速”とすら呼ばれる領域に至る。だが彼は満足しなかった。さらに速く、さらに強く、そして誰よりも上に立つため——正面から誰かを叩き伏せる快楽を知った瞬間、彼の努力は快楽と殺意へと変質した。


強さは目的ではなく支配の手段へと堕ちた。純粋な執念は冷酷な傲慢と狂気へと変貌していった。


——その異常な歩みのすべてを漣は一瞬で知覚した。


スキル《神速》を獲得。代わりに《並列思考》を削除。


スキル《神速》を手にした漣の動きは、もはや常人の目では捉えられない域に達していた。

先ほどまで見えなかった動きが見える。拳が迫ってくるのをしっかりと見ることができる。その殺気を孕んだ一撃を漣は《神速》によって視認し、《多元思考》によって最適な回避ルートを即座に導き出す。


体をわずかに傾け、寸分の狂いもなくその拳を腕で弾き落とすと、間髪入れずに逆の手で《神速》によって速度をつけたカウンターを叩き込む。

肉体の制御と思考の演算が完全に一致したその瞬間、漣の動きはまるで未来を読んでいるかのような鋭さを放っていた。


男の拳を受け、弾き、すかさず繰り出す反撃の拳。その打ち合いが数手続いた頃には、男の動きには“防御”の色が見え始めていた。

そして、漣の拳が男の腹部を正確に捉えた一撃。

男の体が一歩下がり、その構えが明らかに“受け身”へと切り替わる。


戦況は完全に反転した。


その瞬間——背後からエリザが疾風のように剣を構えて迫る。

男がそちらに反応し、漣との間合いを取って退こうとする動きを漣はすでに読んでいた。


男が動き出した瞬間、漣はその背後にすでに回り込んでいた。空を切るような無音の一歩——


「——ッ!」


速度が乗った鋼鉄のような漣の拳が男の背中に深く沈み込み、鈍い衝撃音が夜の静寂を裂いた。


男は一瞬よろめきながらも、素早く後退し、漣とエリザの両者を同時に視界に収めるように大きく間合いを取った。


背中への衝撃の余韻を感じつつ冷静さを装いながら状況を整理しようとするその動きは、明らかにこれまでの余裕とは異なる“警戒”が滲んでいた。


(おかしい……本来、警戒すべきはあの女だったはず。最初の打ち合いでは力の差は歴然だった……それが今やまるで私と“同格”の域に達している。こんな短時間で常識ではあり得ない成長を遂げるとは...いや……まさか)


男は2人の前で初めて困惑した顔を見せる。


(……街で囁かれている“契約紋の解除”という噂。通常、あの紋を外すには我々専用の《契約紋管理》スキル、あるいは極めて限られたキーが必要なはず……。あれは、そう簡単に破られる類のものではない)


男の思考は、冷徹にいくつもの可能性を絞り込んでいく。術式構成の欠陥か?偶発的な魔力干渉か?それとも——まったく別の要因か?


(……もし、彼が他者のスキルを“コピー”する能力の持ち主だとすれば?)


そう仮定した瞬間、すべてが繋がった。急激すぎる成長、スキルの質の変化、そして本来あり得ない契約紋の解除。


「なるほど、恐らくですが……あなたの能力はスキルの”コピー“でしょうか。なるほど、もしこれが正解なら“契約紋”を解除できたのも頷けます。」


男は背中の痛みにわずかに口を歪めながらも、楽しげに笑みを浮かべた。


「……これは想像以上でした。こんな芸当今まで一度も聞いたことががありません。いやはや素晴らしい」


まるで戦闘を楽しむかのように両手で拍手をすると、ふっと緊張を解くように礼服の裾を払う。


「もう充分です。これ以上は街の住民を起こしてしまう。……ここまで驚かされたのは久しぶりでした」


そしてそれまでの遊戯のような口調をわずかに改めると、鋭い眼差しで漣とエリザを順に見据え、静けさの中に確かな威圧感を帯びた声音で言葉を紡いだ。


「私の名前はマーグ・ダラン。“アスヴェル商会”より派遣され、この街の奴隷流通と契約紋の運用を統括しております。」


「アスヴェル……やはり」


エリザの声に、マーグは穏やかな笑みを浮かべて続ける。


「ふふ……。あなた方のような存在は、我々の商会にとって想定外の“障害”となり得るようです。ええ、これは実に面倒だ。」


面倒と言いつつもまるで舞台俳優が観客に挨拶するかのようにマーグは片足を軽く引き、上体をやや傾けながら優雅に腕を広げた。

その動きにはまるで戦闘そのものが一つの遊戯であるかのような愉悦すら滲んでいる。


「よって、ここに正式に——あなた方を“敵”として認定いたします。どうか誇りに思ってください。それでは、これ以上の騒ぎは我々の活動に支障をきたしますので...本日はこれで。次は、必ず貴方の命をいただきます。」


そう言い残した瞬間、音すら置き去りにするような速度で、その姿が掻き消えた。地面に靄が立つこともなく、空気すら揺れない。


そこにいたはずの存在は、まるで幻だったかのように、跡形もなく消えていた。


空気が落ち着いたように思えたが、漣は《多元思考》を巡らせながら周囲の空間に意識を張り巡らせた。視界の隅、建物の陰、気配の揺らぎ……だが、どこにもマーグの存在は感じられない。


「……終わったのか?」


エリザも《多元思考》を用いて周囲の動向を探っている。

そして数秒後、彼女はようやく小さく頷いた。だがその瞳はまだ油断していない鋭さを保っていた。


「ええ……完全に消えた」


二人は言葉を交わさず、互いに視線を交わすだけで戦闘の終了を確認し合った。

張り詰めていた空気がふっと緩み、緊張の糸がぷつりと切れた。


その瞬間、漣の膝がわずかに震え、地面が急に近くに感じられた。

全身を駆け巡っていた集中が一気に引き、視界の光が滲んでいく。

次の瞬間、漣はその場に崩れるように倒れ込む。


「漣!?」


慌てて駆け寄るエリザの声が、遠く響くように耳に届いた。

視界がゆっくりと狭まり、そして意識を失った。

名前:霧島(きりしま) (れん)

種族:人間

職業:模倣者(イミテーター)

レベル:4

HP:58/58

MP:28/28


■ 保有スキル

努力模倣(イミテート)

 └ 触れた対象の“努力”に応じてスキルをコピー(最大6つ)

 └ 模倣したスキルを固定化(模倣枠を使用せず永続的に使用できるようになるが、努力値の更新が不可能になる)

 └他者のレベルを感知することができる。


 【模倣済みスキル】

  ・《神速》

  ・《多元思考》

  ・《ウィンドカッター》

  ・《交渉術》

  ・《価格看破》

  ・《契約紋章管理》

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