第2話「努力を模倣する者、初めて命を救う」
森を歩き回って1時間、
その間に、二体のモンスターに遭遇した。
最初の一体は、二足歩行の猿のような魔物。
硬い筋肉と鋭い目つき、鋭敏な嗅覚でこちらの気配を正確に察知していた。
俺は葉の陰に身を潜め、気配を殺しながら動きを観察する。
魔物が枝の上から跳躍した瞬間、地を這うように転がり、滑り込むように懐へ——そのわずか一瞬、腕に触れた。
《努力模倣:並列思考(努力値:5)》——取得!
視界が一気に広がる。目に映るすべてがレイヤーとなって流れ込み、敵の動き、足元の湿った地面、枝葉の揺れ、空気の流れまでもが情報として脳内で交錯する。
魔物は喉を鳴らし、地を蹴った。反応は速い。
——だが、今の俺にはそれ以上の思考速度がある。
前脚を振り上げて襲いかかる軌道と、次の行動パターン。
同時に掌にマナを集中させ、《ウィンドカッター》の形を構築。
(あと0.3秒……風向きが変わる。今——)
「——今だッ!」
風の刃が空気を裂く。斜め下から喉元を狙った斬撃は、魔物の咆哮すら許さず喉を切断した。
獣の巨体が背後の木に叩きつけられ、その場に沈む。
続いて現れたのは、細身の四足獣。
地を這うような姿勢から、突然バネのように跳躍して爪を突き立ててくる。
俺は即座に《並列思考》を稼働。
敵の関節の可動域、着地の角度、爪の軌道を解析しながら、肩を沈めて横にスライド。
ギリギリのタイミングでその前脚に触れた。
《努力模倣:ステップ(努力値:3)》——取得!
間を置かず、足元の起伏を利用し、地を蹴って敵の死角へ滑り込む。
《ステップ》で軽やかに跳ねるように身を捻り、間合いを詰めながら、並列思考で次の動きを構築する。
(この距離、この角度——いける!)
「——裂けろッ!」
風を纏った掌から《ウィンドカッター》が放たれ、まるで鋼線のような一閃が獣の体を斜めに貫いた。
細身のモンスターは断末魔も上げず、地に崩れ落ちた。
残されたのは、白く揺れる吐息と、勝利の実感だった。
結果として——
・《並列思考》(努力値5)
・《ステップ》(努力値3)
の2つのスキルを、戦いの中で手に入れていた。
歩き続けて疲労が足に溜まり、息も荒くなってきたころ——
薄暗い森の中に、急に視界が開けた。
木々の間を縫うように伸びる一本の道。
獣道とは明らかに異なり、人が通ることを前提としたかのような幅があった。
踏み固められた土には、湿った泥が乾きかけた跡が残り、その上にははっきりと人間のものと思しき足跡が刻まれている。
靴底の形は大きめで、成人男性のものだろうか。
それに混じって、車輪のような円形の跡もあった。
さらによく目を凝らすと、何か重いものが引きずられたかのような、浅く長い溝が地面に続いている。
(これは……馬車の通った跡か?)
途端に心臓が跳ねた。人間の痕跡。文明のにおい。
孤独と緊張に満ちた森の中で、初めて“誰か”の存在を確信できた瞬間だった。
この道を進めば——きっと、人がいる。
街がある。温かい食事と、屋根のある家と、誰かとの会話が待っている。
そんな想像が現実味を帯びて、胸が高鳴る。
だが同時に、警戒心も拭えなかった。
ここは異世界。人間の足跡や馬車の轍のように見える痕跡も、この世界では必ずしも“人間”のものであるとは限らない。
魔族や獣人、あるいは知性を持った他種族の可能性だって十分にある。
それでも、この痕跡が“誰か”のものであることには変わりない。
言葉が通じるかどうかもわからない。
だが、孤独な森の中をさまよっていた自分にとって、この道は希望そのものだった。
少し警戒しながらも、胸に期待を膨らませて、その道をたどることにした。
——しかし、歩き始めてから十数分が経ち、徐々に期待とは裏腹に焦りが胸をよぎり始めた。
道は確かに続いている。踏み固められた痕跡も、車輪の轍も絶えず残っている。
だが、周囲の景色は変わらない。
高く伸びる木々が空を覆い、葉の間からわずかに差し込む陽光がまるで進んでも進んでも同じ場所を歩いているような錯覚を与える。
(本当にこの先に街があるのか……?)
そんな不安が喉元までせり上がったそのとき——
森の静寂が、まるで雷鳴のように引き裂かれた。
「うわあああああっ!!」
それは遠くから響いた、喉が裂けるような叫びだった。
ただの声ではない。
死を目前にした者が、助けを求めるように、恐怖を振り払うように放つ——命の悲鳴。
その声には理性も余裕もなく、ただ必死さだけが乗っていた。
喉の奥から絞り出されるような絶叫が、森の中にこだまし、胸をえぐるように突き刺さる。
俺は反射的に駆け出していた。
叫び声が頭から離れない。 足が勝手に動き声の方向へと突き進む。
心臓が鼓膜を打つように高鳴り、視界の隅が狭まっていく。
そして——
森の開けた先、視線の先に飛び込んできたのは、一台の馬車。
そしてその周囲に、異様な気配が渦巻いていた。
【スモークドッグ×3】
スキル:煙幕(努力値:4)/突進(努力値:6)
三体の黒い獣が、獲物を取り囲むように低く構えていた。
その配置はまるで連携を意識した戦術のようで、獲物が逃げる方向すら計算しているかのようだった。
それぞれの獣は全身を煙のような毛で覆われており、肉体の輪郭すら曖昧に揺らいで見える。
その足取りはまるで滑るように無音で、まるで幽霊のように森を漂っている。
その中心には、くたびれた服を着た中年の商人が身を縮めていた。
背中を丸め、肩をすくめながら、恐怖に硬直した身体を必死に動かしている。
手元に握りしめるのは革のバッグ。それを両腕で抱きかかえ、盾のように前へ突き出していた。
額からは冷や汗が流れ、唇は小刻みに震えている。
助けを呼ぶ余裕すらなく、目を見開いたまま、今にも崩れ落ちそうな表情で三体の魔獣を見つめていた。
「くそっ……やるしかないッ!」
右足で地を強く蹴り、《平行思考》を即時発動。
足元を駆け抜ける微かな風の流れを感じ取りながら、気配を探る。
スモークドッグの一体が咆哮し、煙幕を展開した瞬間、視界は灰色に染まり、熱く乾いた空気が喉と目を刺した。
「くっ……視界が——!」
初めての一対三。その重圧は想像を超えていた。
(まずは数を減らす……!)
苦し紛れに前方へ飛び出し、風の流れを読みながら右手を振り抜く。
《ウィンドカッター》発動。風の刃が煙を切り裂く。
視界の一部が一瞬だけ開け、煙の帳の向こうにぼんやりと黒い輪郭が浮かび上がった。
(いた……!)
その位置を記憶し、風の流れと魔獣の動きを同時に追いながら再び掌に力を込める。
「次は——仕留める!」
二発目の《ウィンドカッター》を放つ。
先ほど煙を裂いたことで確保されたわずかな視界、その狭間を正確に狙った風の刃が、一直線にモンスターの喉元を貫いた。
激しく身をよじった黒い影が、血のしぶきを撒き散らしながら沈んでいく。
だが、喜ぶ暇はない。二体目の気配が背後から迫っていた。
「くっ……!」
鋭い爪が肩をかすめ、肌を裂くような痛みが走る。だが怯んだら相手のペースに飲まれてしまう。
《ステップ》を発動。痛みに顔をしかめながらも、重心を斜めに傾け、滑るように地を蹴る。
魔獣の2回目の攻撃が空を切る。俺の体は弧を描いて飛び、地を滑りながら敵の懐へと滑り込んだ。
草と土を巻き上げながらの一瞬の移動。
その間にも《並列思考》は風の流れ、敵の動き、自らの体勢を同時に計算していた。
「——この距離、この角度なら……!」
地面を蹴って体勢を立て直すと同時に、掌にマナを集中させる。
風を纏った《ウィンドカッター》が、鋭い音を立てて放たれた。
その刃はまっすぐに空気を裂き、次の瞬間、モンスターの胴を斜めに貫いた。
まるで時間が一瞬止まったような静寂の中、斬撃の余韻が空を震わせる。
黒煙を纏ったその体がゆっくりとずれ、断面から血煙を噴き上げながら、重力に引かれるように崩れ落ちる。
二体目、撃破——。
残るはあと一体。だが、煙幕が濃く立ちこめ、視界を完全に遮断していた。
獣の姿どころか、気配すら感じられない。
静寂の中に響くのは、自分の荒い呼吸と心臓の鼓動だけ。
「……どこだ……」
俺は焦りを感じ始めていた。
先ほどまでの手応えとは打って変わり、敵の存在が霧に溶けたように消えている。
動けば気配を晒す。かといって立ち止まれば狙い撃ちされる。
(このままじゃ、やられる……!)
煙の中で身を低くし、風の流れを読み取ろうとするが、微風すら煙に遮られて届かない。
荒れた息を整え、《並列思考》に意識を集中させる。
まず、地面に広がる草の微細な揺れを複数の視点で解析。
一本だけ不自然に揺れている方向がある。風ではない、何かが踏みつけた動き——。
次に、煙の流れ。空気の渦がわずかに乱れている領域を抽出。
そこは他より密度が濃く、空気の流れが遮られている。何かが、そこに“いる”。
さらに、わずかに聞こえた、草を踏む音。わずかに湿った地面が鳴らした、足音。
三つの情報を重ね合わせると、一点に重なる地点が浮かび上がる。
(右前方三メートル、低く構えている……突進の構えだ!)
《ステップ》で横に跳び、空中で掌にマナを集める。
煙の中から三体目が、音もなく滑るように飛び出してきた。
その牙を剥き、低く構えて突進してくるその姿に、反射的に身体を横に捻りながら掌にマナを集中させる。
突進してくるモンスターの気配を紙一重で感じ取り、《ステップ》で横へ跳ぶ。
空を裂くように鋭い爪が目前を掠め、頬に冷たい風が走る。
紙一重で回避した俺は、すぐさま体勢を反転させ、地面を蹴って体を捻る。
視界の端に、突進の勢いで無防備になったモンスターの背中が見えた。
「ここだッ!」
掌を突き出し、全身のマナを一点に集中。《ウィンドカッター》を発動。
風の刃は唸りを上げながら射出され、背後からモンスターの首筋を斜めに裂いた。
その切っ先は迷いなく肉を裂き、骨を断ち、噴き出した黒煙と共に体を真っ二つに切り裂いていく。
モンスターは最後の咆哮すらあげる暇もなく、突進の慣性のまま地面へ叩きつけられ、沈黙した。
地面に手をついた俺は、肩で息をしながらようやく実感する。
(……勝った、のか……)
初めての一対三。
まともにやり合えば確実に負けていた。 腕は震え、呼吸は乱れ、身体中から力が抜けそうになる。
スキルの存在がなければ、あの三体のモンスターに飲み込まれていたのは間違いない。
自分の力だけではない。 この手に宿る努力が、今の俺を生かしたのだ。
血の匂いが鼻を刺し、全身に重たい疲労がのしかかる。
けれどその痛みが、確かに“生きている”と教えてくれていた。
* * *
「た、助かったぁぁぁ……!」
中年商人が馬車の陰から転がるように出てきた。
彼は戦闘の最中、恐怖に震えながらも馬車の隙間から様子をうかがおうとしていた。
だが、視界は濃密な煙幕に覆われ、何も見えなかった。
ただただ耳に届くのは、風を裂く鋭い音と、獣の唸り声、そして時折こだまする人間の叫び声。
そのすべてが恐ろしく、何が起きているのかまるでわからなかった。
だからこそ——
煙が徐々に晴れて、視界が開けた瞬間、彼は目を疑った。
そこには三体のスモークドッグがすべて倒れ、荒い息を吐きながら立ち尽くす青年の姿があった。
商人はその場に崩れ落ちそうになりながら、ほとばしる安堵の声を上げたのだった。
背丈は俺より一回り低く、樽のように丸みを帯びた体型。
白髪まじりの短髪に、柔らかな頬肉が年齢を物語っている。
鼻は丸くやや低めだが、神経質そうに小刻みに動き、常に周囲を観察しているのが分かる。
金縁の眼鏡は鼻先に少しずり落ちており、その奥の目はくたびれているが理知的な光を宿している。
仕立てのいいが少し着古した茶色の上着を羽織り、腰には小ぶりな道具袋が下がっている。
手には高級そうな革の帳面をしっかりと握り締めており、それがこの男の“仕事人”としての矜持を象徴していた。
「……助けてくれて本当にありがとう。命を賭してまで……あんな化け物たちに、たった一人で……」
商人の声は震えていた。
「あんな濃い煙の中、何が起きてるのか何もみえませんでした。ですが……風の音と獣の悲鳴、そしてあなたの叫びだけは、ずっと聞こえておりました。何があったのか分からなくても……君が必死に戦ってくれていたのは分かっております。あれは、誰にでもできることじゃない」
彼の目は俺の全身を見回し、肩の傷や泥まみれの服にしばし視線を落とした。
「あなたには……底知れない何かを感じる。これは私の商人としての直観です。君は、ただの若者じゃないですな」
「……いえ、俺は普通の一般人ですよ」
そう口にした俺の声には、どこか照れ隠しのような響きがあった。
商人はその言葉を一瞬だけ受け止めた後、目を細めて小さく笑い、ゆっくりと一歩近づいてきた。
「一般人……ね。だが、それでもあなたは私を救ってくださった。命をかけて戦ってくださった。そんなお方を、私は“普通”とは呼べませんな」
商人は一拍置き、ふと表情を柔らかくしながら、軽く頭を下げた。
「礼を言うのが遅れましたな。私は、べラム・ガルネスと申します。しがない商人ですが、今日のことは一生忘れませんよ」
一呼吸おいて、彼は真っ直ぐこちらを見つめた。
「よろしければ……あなたの名を伺っても?」
「……俺の名前は霧島漣だ」
俺の名前を聞いて承認がにっこりを微笑む、温かい手が差し出される。
その手の温かさに俺も苦笑しながらしっかりと握り返した。
——その瞬間、視界が変わる。
【職業:商人】
スキル:交渉術(努力値:51)/価格看破(努力値:49)
俺の頭の中に、“交渉”にかけた人生が流れ込んできた。
——日々、数えきれない取引の場に身を置き、相手の性格、価値観、言葉の裏にある真意を即座に読み取ってきた。
——価格交渉では一円の攻防に命を懸け、相手の表情の変化、声のトーン、視線の揺れすら見逃さず、瞬時に対応を変える。
——客に逃げられた数、裏切られた数は星の数。しかしそれを糧に、言葉で相手の感情を制し、信頼を勝ち取る術を磨いてきた。
——握手ひとつにも意味がある。手の温度、圧の強さ、差し出すタイミング。すべてに「誠実」を込め、相手の警戒心をほどいていく。
——目線の角度ひとつ、わざと沈黙を置く数秒の間、そのすべてが緻密に計算された“武器”となる。
積み上げた経験と技術は、ただの商人の枠を超え、“交渉という戦場”に生きる職人の域に達していた。
《努力模倣:交渉術(努力値:51)、価格看破(努力値:49)》——取得!
代わりに《乾燥耐性》、《風耐性》を削除。
「……っ、すごいな……」
思わず、声が漏れた。
頭の奥でまだ脈打つように残るのは、数えきれない交渉の記憶。
何百、何千というやり取りの中で研ぎ澄まされた観察力、反射のように働く言葉の応酬、そして一つひとつの判断に積み重ねられた“選択”の重み——。
「手から伝わってきたよ。あんた、中々凄い経験をしてきたんだな……」
「ホッホッ、分かってしまいましたかな?まあ、それほどでもございませんぞ。すべては投資、すべては経験なのですから」
べラムは眼鏡の奥の目を細め、こちらをじっと見つめた。
「それにしても……君のような若者が、まさかあの状況を切り抜けてみせるとは。驚きましたぞ、本当に」
顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべる。べラムはそっと問いかけるように言った。
「そうだ、もしよろしければ……このまま街までの道のり、護衛をお願いできますかな?」
その提案は、まさに願ってもない申し出だった。
異世界という未知の土地で、どこへ行くべきかも定かでなかった俺にとって、“街”という目的地が与えられることは、それだけで心強かった。
何より、自分の力で誰かを救い、その誰かに頼られる——その事実が胸の奥に温かく灯るものをくれた。
「もちろん、任せてくれ!」
* * *
馬車に揺られながら、俺は森の木々が後方へと流れていくのをぼんやりと眺めていた。
交渉術の効果なのか、道中で出会った商人の同業者たちにも丁寧に挨拶され、俺の言葉は自然と信頼を引き寄せていた。
そのとき——
馬車がゆっくりと丘の上に差しかかった瞬間、木々の切れ間から遠くの光景が目に飛び込んできた。
視界の先に現れたのは、灰色の石で築かれた堂々たる城壁だった。
その外周は果てしなく広がり、重厚な石造りはどこか威圧感すら感じさせる。
崩れかけた装飾や補修の跡がその歴史の長さを物語っている。
城壁の上からは尖塔がいくつも覗き、街の存在を確かに知らせていた。
赤茶色の屋根が重なり合い、白壁の建物が日の光を反射して淡く光っている。
かすかに鐘の音のような響きすら風に乗って届いてくるような錯覚さえした。
(あれが……街?)
まだ遠い。距離にして、歩けば30分はかかるだろう。
それでも、はっきりと“そこにある”と目で確認できるだけで、胸の奥に火が灯る。
人が住む場所——文明——次なる舞台が、確かにそこにある。
馬車の車輪はコトコトと音を立て、街へと続く道を確かに進んでいる。
この世界で、俺は他人の努力を、背負って生きていく。
視界の彼方に広がる城壁の影が、次なる試練と出会いを予感させながら、ゆっくりと近づいていた。
名前:霧島 漣
種族:人間
職業:模倣者
レベル:2
HP:32/32
MP:18/18
■ 保有スキル
《努力模倣》
└ 触れた対象の“努力”に応じてスキルをコピー(最大5つ)
└ 模倣したスキルを固定化(模倣枠を使用せず永続的に使用できるようになるが、努力値の更新が不可能になる)
【模倣済みスキル】
・《ウィンドカッター》(努力値:23)
・《交渉術》(努力値:51)
・《価格看破》(努力値:49)
・《並列思考》(努力値5)
・《ステップ》(努力値3)