第10話「踏み出す一歩」
早朝の冒険者ギルド支部には緊張が張り詰めたような異様な空気が流れていた。
「……まだ戻らないんですか?」
受付嬢の声にはもはや焦りが滲んでいた。彼女の目の前には同じ質問をすでに何度も繰り返している門番の男。
「はい……三日前に採掘場の調査に出たCランクの冒険者パーティーが未だ戻ってきていません。通信魔石も沈黙したままです」
受付嬢は手にしていた書類を震える指で置き、ぐっと眉間にしわを寄せた。
「三日……。たった一日で終わるはずの軽い任務のはずだったのに……」
ギルドの他の職員たちもざわつき始める。だが、彼女は特に心配だった。送り出したのは自分であり、そのメンバーの中には何度も窓口でやりとりを重ねた顔なじみの冒険者がいたからだ。
「何か……あったに違いない」
その呟きは、祈りかそれとも確信だったのか。
そんな彼女の背後から陽気な声が飛んだ。
「心配しすぎだって、ミルカ嬢」
振り返ると漣と親しいギルド所属の先輩冒険者3人組が立っていた。
「ほら、あいつらだったら大丈夫だよ」
「実力は折り紙付きだし、ちょっと森の中で焚き火でも囲んでぶらついてるんじゃないの?」
「すぐケロッと帰ってきて『いや〜迷っちゃってさ〜』なんて笑って報告書出してくるさ」
そう言って肩をすくめる彼らにミルカ——受付嬢は微かに笑みを返した。
「……そうだといいんだけど」
だがその笑みの奥にある不安はまだ完全には拭いきれなかった。
* * *
一方その頃、教会の裏庭にはまたしても乾いた木刀の音が響いていた。
「構えが甘い!腰が浮いてる!」
エリザの鋭い声が飛ぶ。
「は、はいっ!」
漣の横でミミがぎこちなく木刀を振る。体の動きにキレはあるがまだまだ安定しない。 それでも真剣なまなざしで木刀を握りしめる姿に漣も思わず口元を緩める。
「ふっ……!」
ミミが思い切り踏み込んだ瞬間、重心を崩して前のめりに転んだ。
「ミミっ!」
「だ、大丈夫……!」
泥まみれになりながらも立ち上がる彼女の手を、漣がしっかりと取る。
「次は模擬組手だ。軽くでいい。お互いに動きを覚えるのが目的だ」
エリザの指示のもと漣とミミが向かい合う。
最初はゆっくり、まるで踊るような間合いの探り合い。
だが途中で漣がバランスを崩しかけた。
「右足、遅れてるよ! 昨日と同じ!」
ミミがすかさず叫び、漣はハッとして左に体重を乗せ直した。
その回避に成功し、2人の木刀が軽くぶつかり合う。
「……助かった」
「えへへ」
ミミは満面の笑みでノートを木刀を掲げた。
この訓練を続けて数日、漣のレベルは4から6へと成長を遂げていた。疲労と汗にまみれながら積み重ねてきた日々の努力が確かな実を結んだ。
さらに——《努力模倣》のスキルの模倣可能なスキルの数が、プラス2枠分拡張された。
自分の手で掴み取った成長。その先にある“未知の強さ”を目指して、彼の瞳はより鋭く、前を見据える。
* * *
薄暗い部屋。
湿った空気が肌にまとわりつき、かすかに鉄と血の匂いが漂っている。
硬い藁の上で少女が身じろぎもせず、静かに目を開けゆっくりと起き上がる。 肩をすくめると藁がカサリと音を立て背筋に寒気が走った。
両手首には鉄の枷の痕。肌に食い込んだ跡が赤く残っている。目の前に広がるのは分厚い鉄格子と見張りの気配。その向こうに立つのは、黒衣をまとった背の高い男だった。
少女は彼を見上げたが怯えた様子はなかった。むしろ、その瞳には静かな怒りと諦めぬ意志が宿っていた。
「……目が覚めたか。なあに、手荒な真似はしないさ。お前は大切な“商品”だからな」
そう言うと男は部下から金属製のトレーに乗った豪勢な食事を受け取りノエルに与える。
「聞いたぞ。お前、フルーツが好きなんだってな。……お前を売った叔父さんが、痩せ細って価値が下がっちまうのは困るってよ。『あいつの好物でも食わせておけ』だとさ。ハッ、随分と優しい“家族”だな。せめて見た目だけでも保って、高く売りたいって腹だろうさ」
男は肩をすくめるように片方の口角を持ち上げ、不敵に笑った。
その表情には悪意というより、むしろ楽しげな軽蔑の色が混じっている。
まるでノエルの反応を引き出すこと自体が暇潰しの遊びであるかのように——
「……本当に優しい人なら……私の好物なんて思い出す前に、私を売るなんて絶対にしないはずです!」
少女の声は震えながらも力強く、目には怒りと悔しさが浮かんでいた。
男は少女の怒りの言葉を聞くと腹の底から吹き出すように笑い出した。
「はははっ!全くその通りだな!いやはや、本当に可哀想な身の上だねぇ、お嬢ちゃんは!」
その笑い声はあまりにも無邪気でだからこそ残酷だった。まるで少女の怒りや悲しみを滑稽な劇でも見ているかのように愉しんでいる声音だった。
「まあいいや。お前はもうどうせ誰かの持ち物になる運命だ。せめて“優しいご主人様”に当たることを祈っておきな? そうすりゃ、もうちょっとだけマシな檻に入れてもらえるかもしれないぜ。ははっ!」
男は楽しげに、そして残酷に言い放ち闇の中に消える。
ノエルは小さく拳を握った。
「誰か...助けて....」
* * *
夕方。訓練を終えた3人がエリシアに入れてもらったお茶を飲みながらゆっくりしていると、慌てた足音を響かせてギルドの受付嬢エルナが教会に駆け込んできた。
「エリザさんっ、いらっしゃいますか!?」
ミミと漣が驚いた顔を向ける中、エリザが咄嗟に立ち上がり一歩前に出て応じる。
「私ならここにいるが、どうした?」
息を切らしながら、エルナは状況を説明した。
「三日前に採掘場へ向かったCランクパーティーが、まだ戻ってこないんです。通信魔石も通じません。……最初は軽い任務のはずだったんです。でも……さすがにこれ以上は……」
彼女の表情は不安と焦燥に満ちていた。
「……もし、Cランクの子たちでも戻れない状況だとしたら、ギルドとしては街に滞在しているAランクのエリザさんに正式に依頼するしかないという結論に至りました」
エリザは黙って頷くと、すでに準備を終えた二人に目をやった。
「タイミングとしてはちょうどいいな。依頼内容は採掘場周辺の調査。危険度はAからBランク相当。漣とミミ、お前たちも着いてこい。」
受付嬢は一瞬目を丸くしたあと、漣とミミの顔を交互に見つめ不安げに声を上げた。
「漣さんとミミさんも……本当に同行されるんですか? この子たち、まだ若くて経験も浅いですし……」
その声には彼らを気遣う気持ちと、心配を押し隠せない色がにじんでいた。
エリザは少しだけ眉をひそめたが、冷静な口調で応じた。
「この2人には私が責任を持って直々に稽古をつけている。単なる護衛ではなく訓練の成果を実地で試すいい機会だ。もちろん危険はあるがそれでも彼らは十分に戦える力を持っている」
その目には不安ではなく、自信と信頼が浮かんでいた。
受付嬢が心配そうにに漣とミミを見つめる。
漣は一歩前に出て、胸を張って微笑んだ。
「大丈夫です、ミルカさん。ちゃんと訓練してきました。スキルに頼らずとも動けるように仕上げてあります。俺たちに任せてください」
その落ち着いた口調に、エルナはわずかに目を見開く。
続いてミミも一歩踏み出し、小さく拳を握った。
「ミミも……がんばります! 漣と一緒に訓練したし、ちゃんと役に立てるようにがんばるから!」
笑顔を浮かべながら、彼女は真っ直ぐに受付嬢を見つめる。
「Cランクの人たち、絶対助けてくるね!」
エリザは背筋を伸ばし、静かに一歩前へと出た。そして全員の視線を受け止めるようにして、はっきりとした声で告げる。
「出発は明日の早朝!それまでにしっかりと睡眠を取っておけ。明日は、全員の力を試す日になる」
その声には迷いがなく、自然とその場に緊張と覚悟が生まれる。
まるで戦場へ赴く前の将軍のような厳しさと気高さが彼女の一言に宿っていた。
* * *
陽は沈みかけ空は赤黒く染まっていた。
石垣の上に立つ2つの黒衣の人影が、教会から漏れ出た会話を聞きながら夕焼けに染まる街を静かに見下ろしていた。 その視線は、訓練と任務の準備を終えた若き冒険者たちに向けられている。
「ふん……ずいぶんと覚悟のある声だったわね。」
どこか楽しげな声が、静かに風に混じって響く。
一人はすらりと細くしなやかな体を持つ女性。長い髪をフードの下にたなびかせ、月の光を浴びた刃のように鋭い眼差しを向けていた。もう一人は、岩のような肉体を持つ屈強な男。筋肉の塊のような両腕を組み獣のような目でじっと教会を睨んでいる。
「無事に採掘場の調査に向かうらしいな……まったく、自分から火の中に飛び込むとはな。飛んで火に入る夏の虫ってやつか」
その言葉を呟いたのは男の冷たく力のある声が静寂に響く。
2人は無言のまま笑い、風に揺れるフードの下で不気味な笑みを浮かべていた——。
名前:霧島 漣
種族:人間
職業:模倣者
レベル:6
HP:81/81
MP:46/46
■ 保有スキル
《努力模倣》
└ 触れた対象の“努力”に応じてスキルをコピー(最大8つ)
└ 模倣したスキルを固定化(模倣枠を使用せず永続的に使用できるようになるが、努力値の更新が不可能になる)
└他者のレベルを感知することができる。
【模倣済みスキル】
・《神速》
・《多元思考》
・《ウィンドカッター》
・《交渉術》
・《価格看破》
・《契約紋章管理》