政略結婚も悪くない
別のお話を書いている途中で思いついてしまったので、そっと。
ふわっとした設定なので、細かいものは気にせずお茶うけにどうぞ。
とある伯爵家の令嬢と、同じく伯爵家の子息との婚約が結ばれた。
子息は長身でがっしりしており、先日まで騎士だったのがよく分かる見た目をしている。
元々子息の家は子息が騎士を希望していたため次子の弟が継ぐ予定であったが、昨年流行り病で儚くなり急遽跡継ぎとなる事になった。
その為、社交や領地経営を支えてくれる才女を求めていたところ、令嬢との婚約が整った。
子息の名をジークハルトと言い、令嬢はアンジェリーナと言う。今日は2人の顔合わせの日だ。
騎士服に身を包み、見た目に凛々しいジークハルトは穏やかな笑みを浮かべるアンジェリーナを見る。
晴れの日に相応しい落ち着いた淡い紫のドレスはシンプルだが、刺繍やレースが華やかさを出しておりアンジェリーナのゆるく波打つ黒髪と似合っている。
何故こんな麗しい令嬢が自分と婚約など、と思っているとアンジェリーナがくすりと笑った。
「ごめんなさい。ジークハルトさまが、とても難しい顔されていたので…」
「これは失礼した。……令嬢、自分は武骨で気が利かないため、率直にお伺いしたいのだがいいだろうか?」
「もちろんですわ。わたくし達は婚約したのですもの、遠慮無用でお願いします。
あと、できましたらアンジェリーナと呼んでいただけると嬉しいですわ」
ホッとして「了解した」と笑顔で応えるジークハルトを見て、いつも笑顔でいらっしゃればいいのにと思いながら、ジークハルトが聞くであろう内容を想定しつつ待っていた。
「では、単刀直入に。アンジェリーナ殿、貴女のような美しい方が何故俺との婚約を受けてくださったのだろうかと。
正直もっといい話があると思うし、知っての通り俺は伯爵としての教育もこれからなので現在急いで学んでいる最中だ。
そんな状況だ…もちろん婚約者となったのだから大切にさせていただくが、苦労はかけると思う。
だから……その、貴女は本当に俺と将来結婚することになってもいいのだろうか?」
一気に話し切り、照れながらも自信が無さそうにまゆを下げるジークハルトに思わずアンジェリーナは驚いた表情を見せるが、一転すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そのように、まっすぐお話し下さるジークハルトさまだから、ですわ。
嘘偽りなくお話しされるのは、貴族社会においてはリスクも伴いますが、婚約者としては誠実な方が一番ですの。 …それにわたくしがお役に立てるなんて、喜ばしいことです」
「そう、か。ありがとう、貴女の言葉をとても嬉しく思う」
「わたしくもそう言っていただけると嬉しゅうございます。
ただ、1つだけ先にお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?
今後2人で社交界にでたら耳にされると思いますので、先にわたくしからお話ししたいのです」
「承知した。聞かせて欲しい」
そこからアンジェリーナが話したのは、半年前まで彼女が付き合っていた恋人との話だった。
もちろん貴族女性なので、手をつなぐ以上の接触はなく、アンジェリーナが乙女であることも医師が証明を出している。
◇ ◇ ◇
今からは半年前まで、アンジェリーナはとある男性と恋人同士だった。
アンジェリーナが恋人と出会ったのは5年前、当時は13歳で貴族が通う王立学園で出会い、恋に落ちた。
昨今は政略もまだあるものの、恋愛結婚も増えてきているため貴族の子息、令嬢も婚約していないことが多くなった。
アンジェリーナもその例にもれず、授業や実習で話している中で気が合い自然と付き合うようになった。
だが楽しい期間は短く、世間のよくある恋人同士のように喧嘩を繰り返しつつ、アンジェリーナも本当にこの人とこのまま付き合っていていいのだろうかと思ったタイミングで決定的な亀裂が入った。
それまでも、男女のいざこざはあったし、恋人である子息は研究所に入所するくらいの凝り性だったのですれ違いもあったが、2人は話し合いながら絆を深めていたはずだった。
その日、アンジェリーナは恋人との待ち合わせ場所に向かっていた。
午前中は仲間内ででかけるからと、午後からの待ち合わせに余裕をもって待ち合わせ場所のカフェに向かっていたアンジェリーナは途中パブのテラス席で恋人が友人たちと談笑する姿を見かけていた。
楽しそうな恋人を嬉しそうに見つつ、これはもしかしたら遅れるかもしれないな、と思い途中で本屋へより目ぼしい本を購入してからカフェへ向かう。
カフェで本を読んでいると、待ち合わせより30分ほど遅れて恋人が来たが、いつもより早いくらいだったので気にせず笑顔で迎えたのだが、恋人からの第一声は……
「ごめん、お待たせ! つい実験が乗っちゃって遅れちゃった」
「えっ…?」
聞き間違いかと、アンジェリーナはポカンとしてしまった。
間違いなく、さっきパブで談笑する恋人を見ていた。確かに小一時間前の話ではあるが、そこから研究室に戻って実験を行うような時間はないはずだ。
返事をしなければと思うが、「何故そんな嘘を?」と思うと言葉が上手く出てこない。
「ごめん、怒っちゃった?」
そう、言いながら眉を下げる恋人が知らない人間に見える。
「い、いえ、そうではありませんが…。実験でしたのね、友人と会われると伺っていたので」
さりげない一言への変化は劇的だった。
恋人は一瞬にして不機嫌に眉を寄せ怒りをあらわにする。遅れたことを謝っていた態度はどこへやら。
「なに? 私が嘘をついていると?」
「いいえ! そんな……」
「悪いけど気分が悪い、私は帰るよ」
冷たくそう言うと、足音を響かせてアンジェリーナを置いて出て行ってしまった。
後に残されたのは呆然とするアンジェリーナただ1人。やがて我に返ったアンジェリーナも諦めて帰宅した。
その後、恋人とはろくに連絡も取ることなくアンジェリーナから決別の手紙を書いて終わった。
もちろんその手紙にも返事はなかった。
◇ ◇ ◇
「こんな経緯がございましたし、相手の方も貴族なのでどこかでお会いすることがあるかもしれません。
まして、あちらも嫡男だったはずですし」
「そうか、苦労をされたのだな…。
よく分からん行動の男だが、俺はちゃんと誠実に向き合うことを貴女に約束しよう。
そしてその男が貴女に理不尽に絡むようであれば、確実に私が守るので気にしなくていい。貴女は何も悪くない」
そう言ったジークハルトの言葉にアンジェリーナは花がほころぶような美しい笑顔を浮かべた。
顔合わせの時間は穏やかに過ぎて行き、2人はそれぞれにこの婚約に間違いはなかったと満足していた。
それからデートを重ね、お互いの家にも行き来をし、徐々に距離を詰めていった。
ある日劇場へのデートの帰り、緊張して真っ赤になりながらジークハルトはアンジェリーナのことを愛称で呼びたいと伝え、アンジェリーナも嬉しそうに赤くなりながら「リーナ」と呼んで欲しいと返事した。
「アンジェ」は家族が呼ぶのでジークハルトには別の呼び方をして欲しいと。
これにジークハルトは大喜びし、自分のことも「ハルト」と呼んで欲しいと伝え、2人の距離は今まで以上に近づき、呼び名が変わったことにお互いの家族は温かいまなざしで見守っていた。
政略とはいえ、よき縁に恵まれた。
それが両家や本人たちの共通認識だった。
そこに水を差そうとしたのは、やはりアンジェリーナの危惧した通り彼女の元恋人であった。
ある日ジークハルトが伯爵の教育がひと段落したので、騎士団に改めて挨拶に向かった時だった。
王宮内にある騎士団用の離宮へ騎士服ではなく貴族らしいスーツで行くのは非常に面はゆいが、これが今はジークハルトの戦闘服だと意気込んで歩いていた。
騎士団の門の前には顔見知りの同僚と門番がおり、早速声をかけようとしたところを、見知らぬ男性に止められる。
「もし、人違いだったら申し訳ないのですが… 元騎士のジークハルト殿でしょうか?」
「ええ、そうですが。あなたは?」
文官と思わしき格好の男性はどこかこちらを嘲るような、悪意が見え隠れする笑みを浮かべているのにジークハルトの警戒が上がる。
「大変失礼しました。実は貴殿があのアンジェリーナ嬢と婚約されたと耳にしましたので、一言ご注意を申し上げねばと思いまして」
嫌な予感は的中したようだが、まずは情報を得るために続きを、と目線で促すジークハルトに一瞬嫌そうな表情が漏れそうになるが男はめげずに続ける。
「かの令嬢、見た目は麗しく楚々とした貴族らしい令嬢ですが、蝶のようにこちらの男性からあちらの男性へ移り歩くともっぱらの話です。どうぞ、今一度お調べされることをお勧めします」
「はあ、それはご親切に。
俺は噂などには疎くてな、とはいえ彼女については当家もちゃんと調査をした上で婚約を結んでいる。忠告はありがたいが、不要だったな。それだけならば失礼する」
不愉快さを隠さずそのまま背を向けると、男は舌打ちをしていたので根も葉もない単なる嫌がらせだな、とむしろ男を調べるように手配しなければと考えつつ、今度こそ騎士団へと向かった。
それから暫くして、社交界にはアンジェリーナのあらぬ噂がいくつか流れた。
曰く、彼女は男を手玉に取る悪女で身持ちが悪い。
曰く、彼女は表は令嬢らしく穏やかに見せているが、裏では酷い嫌がらせを他の令嬢にしている。
曰く、彼女は使用人などには高圧的で傲慢だ。
そんな悪意ある噂が流れるものの、元々令嬢としてしっかり社交を行い、人脈と信頼を築いていたアンジェリーナだったので噂はすぐに淘汰された。
アンジェリーナが恋人と付き合っていた頃は一途であったのが有名で、別れた後は常に女性同士または家族としかいないと知られていたため、噂を信じる者は少なかった。
むしろ、アンジェリーナに振られた逆恨みで嫌がらせの噂を流していると、返り討ちにあっていたが、アンジェリーナに悪意のある噂が完全になくなることはなかった。継続は力なりとはよく言ったもので、これだけ噂が消えないと言うことはアンジェリーナ嬢にも何かあるのでは、と一部では言われ中々状況が改善できずアンジェリーナを知る者たちは悔しがる中、当の本人であるアンジェリーナは冷静に状況を見ている。
そんな不穏な中、社交時期の最大の夜会が王宮で開催される。
婚約してから初めて一緒に出る王宮での夜会のため、ジークハルトもアンジェリーナも気合が入っていた。
ジークハルトの薄い金髪の色に合わせた淡い黄色のドレスは小さい碧い花の刺繡がされており、アンジェリーナの左手の薬指にも深い海のような緑がかった碧の指輪。
ジークハルトは黒のスーツに、差し色でアンジェリーナの薄い紫色の刺繍とクラヴァットで合わせている。
お互いの色を全身まとい、仲睦まじい婚約者同士であることをアピールするのだ。また2人共、婚約者の色をまとうのは婚約者の特権なので嬉々として準備をしていた。
ドレスアップしたアンジェリーナに見惚れたジークハルトは「リーナ、奇麗だ」としか言えなかったが、アンジェリーナはそれは嬉しそうにジークハルトにエスコートされて王宮へ向かった。
2人とも伯爵家なので、入場は中盤であまり緊張せずに入れるタイミングなので気が楽だと話しつつ、先に入場されている方々へ挨拶をしながらドリンクを取りに向かう。
「リーナ、アルコールは飲めるか?」
「少しだけ… でも、今日はノンアルコールにしておこうと思うの」
「ふっ、酔ったリーナも可愛いだろうが他の奴に見せるのは勿体ないしな」
蕩けるように甘い視線をアンジェリーナに向けると、アンジェリーナは照れて「もう!ハルトったら!」と少し甘えるようにふて腐る。
正真正銘の婚約者である2人の甘い空気に、令嬢たちはひっそりと黄色い悲鳴を上げ、周りの大人たちも微笑ましく見守る。もちろん2人の両親たちも、本当に良い関係を築けていることにお互い頷いている。
そんなほのぼのとした空気を割いたのは、突如発せられた怒鳴り声だった。
「アンジェリーナ!そのようなはしたない態度は淑女として許されない!」
そう叫んだ男の周りからそっと人が離れ、突如人ごみに空白ができる。王宮での夜会開始前とは言え、こんな所で大声で叫ぶ人間には関わりたくないのは尤もだった。
アンジェリーナとジークハルトも驚いて振り返ると見知った顔だ。そう、アンジェリーナの元恋人でジークハルトに忠告をしてきた男性だ。
「貴殿は先日の。
俺とリーナは婚約者同士で、腕を組んで談笑しているだけなのだが……教えてくれこの状況のどこがはしたないのか?」
「なっ!そ、そうやって密着しているではないか!!」
確かにエスコートしているのだから距離は近いが、ダンスをしている時ほどではない。何よりも抱き合っている訳でもなく、男性の腕に女性が手をかけるが身体には触れないエスコートをしている男女として適切な距離に、アンジェリーナとジークハルトだけでなく周りも疑問に思う。
「こいつ、単にジークハルト(俺)に嫉妬しているだけだな」と周りにいる人たちとジークハルトの気持ちが合わさったのも必然と言えよう。ただ、一部からの憐みのこもった視線に気づいた男は更に地団太を踏んで怒り出す。
「そのように破廉恥な女!伯爵家の当主となる人間の妻には相応しくない!
即刻婚約破棄し、縁を切るべきだと言っている!!」
あまりに酷い一方的な言いがかりに流石に周りがざわつくが、そこで初めてアンジェリーナが動いた。
「大変失礼ですが、あなた様はどちら様でしょうか?」
「はあ?」
「申し訳ございません、服装から当家よりも上位の方かと存じますが……お名前を伺えていないものでして。ご挨拶もできませんゆえ、お教え願えますか?」
あくまでも淑女らしく、でも困ったように言うアンジェリーナに男性は怒りなのか、屈辱なのか顔を赤くしながら拳を握りしめる。
「お前はこの私が分からないと言うのか!」
「大変申し訳ございません、寡聞にして存じ上げません。どこかでわたくしは失礼な事をしてしまったのでしょうか?
そうでございましたら、心よりお詫び申し上げます」
「クソ!もういい!」
そう言い捨てて男性は足音大きく去って行くのだった。巻き込まれた周りは実に迷惑だったが、男性が誰だったか理解している者はあまりにアンジェリーナに相手にされていない彼に憐憫を抱くものや、彼の非常識さに彼の家へ苦情を言わねばと思っているものなどがいた。
いずれにせよ、彼の未来は明るくないことだけは明確になったと言えよう。
一方ジークハルトは婚約者の真意がどこにあるのか気になっていた。
「リーナ、さっきの男性だが本当に知らないのか?」
「ええ、親しい学園からの友人達にもさっきの方は当たらなかったので… もしやと思う方はいるのですがあまりに風貌が違いましたのよ」
「そうか、俺はてっきり貴女の元恋人かと思ったのだが…」
「まあ!そうでしたのね… でも、わたくしの元恋人は蜂蜜のような金髪に緑の目をされていましたが、さっきの方こげ茶でしたわよね?
それに、いつも困ったような笑顔の方でしたので、先ほどの方とはちょっと」
確かに光の加減を加味しても金髪ではなかったが、目は緑だった。表情もずっと怒っているような表情をしていたので雰囲気は違うだろうが……と思ってアンジェリーナに視線を向けると、彼女は扇を開いて穏やかに微笑んでいた。
つまり、これ以上は不要だと暗に告げていた。そう、アンジェリーナは単に先ほどの男性を認める気がないだけなのだ。自分とは無関係な男性が一方的にいいがかりをつけてくる、非常識な人間でしかないと言外に言っているのだった。
それにやっと気付いたジークハルトがそっと周りを伺うと、同じように目くばせをしている令嬢、夫人たちが目に入る。なるほど、これが女性の社交なのだな…と冷や汗がでる。
自分の知っている騎士の世界とは全く違う世界だ。
その後は特に問題もなく夜会は平和に終わり、ジークハルトもアンジェリーナとのファーストダンスも無事こなせたことにホッとしていた。
帰りの馬車の中では適度な疲労と達成感で力が抜けた。
「ハルトさま、お疲れ様でした」
「リーナもお疲れ様。やはり社交界は難しい…」
「ふふ、ハルトさまちゃんとご挨拶も会話も立派にこなせていましたわ」
「リーナのフォローがあってこそだから、本当に助かる。ありがとう」
「どういたしまして。ハルトさまのお力になれてなによりですわ。
……それよりも、夜会始まって早々のトラブルに巻き込んでしまって申し訳ございません」
「やはり、彼は?」
「ええ」
アンジェリーナは改めて、言いがかりをつけてきた男性が元恋人であること、その彼は最近社交界で非常に評判が悪く、アンジェリーナの悪意ある噂の発信源である事、彼は実家からも見放されつつあることなどを話した。
さらに彼はアンジェリーナと疎遠になった後に複数の令嬢に手を出しトラブルになっていたようで、女性の社交であるお茶会でまことしやかに、彼の家に関わってはいけないと伝わっていた。この情報は彼の家にはもちろん伝わらないように弾かれ、その為彼の婚約者探しは難航を極めている。
その全てを彼はアンジェリーナのせいだと責任転嫁していたので、益々女性陣の警戒は上がっていたのだった。
「…そうか、そういうことだったんだな」
「ふふ、社交界は本当に戦場ですのよ」
少し遠い目をしているジークハルトに思わず笑いかけると、ジークハルトは敵わないなぁとアンジェリーナの手を取る。
「この優美な手は、力強い手なのだな。
リーナ、俺も学ぶのでこの先も共に居て欲しい」
「ええ、喜んで。ハルトさまはお優しいので、社交界の荒波はわたくしにお任せくださいませ。
でも… こんな可愛げのないわたくしでも、心細いことはございますので一緒に居てくださいませね?」
「リーナはいつも麗しいし、可愛いよ。
もちろん大事で愛しい婚約者を一人で戦わせるほど甲斐性無しではない、せめて盾役くらいはできるようになるさ」
本当に、政略結婚で素晴らしい人と出逢えたとアンジェリーナは心からの笑顔で「嬉しい」とジークハルトに応えていた。
その後2人の婚約期間は問題なく過ぎていき、1年後無事結婚した。
白いウェディングドレスには淡い紫と碧緑の刺繍と宝石が彩り、髪を複雑に結い上げた花嫁姿のアンジェリーナはまばゆいほどに美しくジークハルトはまたもや語彙を失っていた。
「すまない、言葉に出来ないほど美しい。リーナ、貴女と結婚できる俺は本当に幸せだ」
ジークハルトの一言に心から喜び、アンジェリーナは嫁いだ。
結婚後も2人は常にお互いを尊重し、領地経営も問題なくこなして行く。アンジェリーナの細やかな心遣いは領地の隅々まで届き、領民の評判も上々。当主夫妻とも仲良く、更に実家との連携で特産品などの開発も始めた。
翌年2人の間に念願の子供が生まれ、男児だったことからラインハルトと名付けられた。初孫が跡取りとなる男児で当主夫妻は喜び、孫との時間を取りたいからと当主はジークハルトへとさっさと引き継いでしまう。ジークハルトは自分の子との時間が取られて実の両親を恨めしそうにするが、アンジェリーナに慰められて当主としての業務にも奮起した。
更に翌々年には娘が生まれ、アンジェリーナによく似ている娘にジークハルトは大喜びしてこの子は一生嫁には出さない!と叫び両親に笑われていた。
その後も一家は仲良く、忙しくも楽しい日々を過ごし、子供たちの成長を見守りつつ時間は過ぎていく。
気付けばアンジェリーナも老年といっていい歳になっていた。
子供たちは結婚し、孫たちの成長も見れた。婚家の両親も、実家の両親も見送り、息子に既に当主も引き継いでジークハルトと2人領地の別邸で穏やかな時間を過ごしている。
本当に幸せな人生だった、政略結婚をして、旦那様と会えて本当に良かったと思いながら陽だまりの中アンジェリーナは眠るように息を引き取った。
数か月後、ジークハルトもまた亡き妻と同じように孫たちに見守られつつ穏やかに亡くなる。
2人の遺品を整理している中で、アンジェリーナの独白のような日記が見つかる。
それは昔彼女が付き合ったという恋人についての内容だった。
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なんで、あの方があんな無意味な嘘をつかれたのか今でも分からないのです。
すぐばれる上に、特に嘘をつく必要のない内容でしたのに。
それだけに、自然と嘘をつかれるあの方に不信感が募りました。もしや、今までも都合が少しでも悪い事には嘘をつかれていたのでは、と。
そう思ってしまったら、虚しくて。
少し嫌味を言ってしまいましたの。
そうしましたら、あの方とても怒って仕舞われて。
わたくしが悪いのだろうかとも悩みましたが、あの方から先日は申し訳無かった、明日そちらに伺うので話したいと連絡をいただきましたの。
とても嬉しかったのですわ、時間指定が無かったけれど、わたくし一日中待っていましたの。
ええ、あの方はいらっしゃいませんでしたわ。
翌日になって、急な体調不良だったとご連絡いただきましたわ。
その翌日に体調が回復したので先日のお詫びも兼ねてカフェにお誘いいただきましたの。
思う所はありましたが、外でのお約束ですし、大丈夫かと思って了承しました。
結論から言いますと、いらっしゃいませんでしたわ。
わたくし、恥ずかしいやら悔しいやら、本当に辛い思いをさせられましたの。
その後はご連絡しても返事はなく、でも夜会等ではお見かけしましたが、お話ししたくなかったのでわたくしも避けましたの。
そのまま今に至りますわ。
ね、愚かな恋の結果なんてこんな虚しいものなのですわ。
わたくし、恋なんてもう結構なので、誠実な方と政略結婚したいのです。
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日記の内容はこれだけで、空白のページが数ページ開いた後一言「政略結婚にして大正解でしたわ」とあった。
この日記を見つけたアンジェリーナの娘は、確かに以前父より母に絡む不躾な男性がいたとの話を聞いたなぁ、と思い出したが、母も人目に触れることは望んでないだろうとそっと処分した。
むしろ大事なのは、最後の一言だろう。
アンジェリーナはジークハルトと共に幸せに生きた。2人はいつまでも仲良く、穏やかで温かだった。
読んでいただきありがとうございました!




