乙女心?は複雑。だけど単純
視点:冬夜
トウコは何やら落ち込んで三角座りで顔を伏せている。
「なんで落ち込んでんの?」
「リトマスマトリックスに勝ったことを褒めてもらいたかったんじゃない?」
ギャルっぽい少女——リナの言葉に、なるほどと思うけど、相手が血を流すどころか骨まで折れて、それでも立ち向かってはトウコにぼこぼこにされる姿を見たら、相手に同情心が生まれてもしょうがないと思うし、やりすぎじゃないかと思ったってしょうがないと思う。
「っていうか死んでないのあれで?」
「トウコはあれでも手加減してるし、あと数時間もしたら起き上がって元気に遠吠えして帰っていくと思うよ」
「めちゃくちゃ頑丈だな。リナも骨を折られても平気なの?」
「あれ、名乗ったっけ?」
さっきのつり目の少女がリナと呼んでいたのを聞いていた。
「いや、まあ私は、あんまり戦うのは得意じゃないし、骨を折られても死なないけど痛いし嫌。それは君もそうでしょ?」
そりゃそうだ。
「とにかくこの世界では天使たちが土地を奪い合っていると。だからこんな光景も日常茶飯事ってわけだ」
「別に日常茶飯事ってほどではないけど、この領域はあんまり価値もないし、戦いを仕掛けてくる物好きもあのリトマスマトリックスってチームだけ」
「負けたらそこに住んでる天使はどうなるの?」
「負けたチームの勢力下に置かれるよ。トウコが負けたら、私たちも晴れてリトマスマトリックスだね」
へえ。
リナはこちらを窺うような視線を向けてくる。そして、わずかに言いにくそうに話した。
「どう? 冬夜はあっちのチームのほうに行きたかったりする? 別に私たちの領域に現れたからって、私たちのところにいる必要はないし。ここよりも良い場所なんていくらでもあるから暮らしはそっちのほうが快適かも」
リナがぐいっと距離を近づけてくる。自然と顔も近くなる。その後、リナは悪いことをしていないのに弁明するように言葉をまくし立てた。
「でもでも、他の場所が絶対安全とは限らないし、役に立たない人間はいらないっていう過激な天使もいるって噂あるし、ここが絶対に安全とも言えないけど、少なくとも私たちは冬夜のことを傷つけたりしないしさ」
リナはこれ以上言葉を紡げずに、近づけてきた距離を離して上目づかいでこちらの言葉を待つ。
「どう、かな?」
リトマスマトリックスは血気盛んでなにをされるかわかったものではないから、正直行く当てはここ以外にない。トウコもリトマスマトリックスと同じく血気盛んだが冬夜を巻き込まないように戦っていたし、ミツクはツンデレで面倒くさい性格をしているが暴力的な手段には訴えてこないし、リナは一見するとギャルのように見えるがちゃんと話が通じるいいやつだ。
それに悪意も感じない。
結論は考えるまでもない。
「改めてよろしく」
リナの表情がみるみる明るくなった。こちらが差し出した手を握り、上下に振った。
その横で、ミツクがこちらに指を突きつけてくる。
「ちょっと、まだ認めてないって言ってるでしょ。でもまあ、そこらで野垂れ死にされても困るから、ちょっとぐらいならここにいてもいいんだからね」
あれ、デレるの早くない?
「あと、ここにはもう一人天使がいるからちゃんと挨拶しなさい。ちょっと人見知りだから接し方には気をつけるのよ。わかった!?」
もう一人いるのか。
冬夜はこくこくと頷いた。
じゃあついてきなさい、とツインテールを振り乱しながら歩くミツクの後ろを、冬夜、リナ、三角座りから立ち上がったトウコの順番で歩く。トウコはなんだかうなだれて幽霊みたいな足取りだった。リナに手を引かれている。そんなにショックだったのか。少しぐらい褒めてあげればよかった。
ミツクが扉を開けて、階段を降りる。それに続く。
長く続く廊下を歩く。窓がずらりと並んでいて、いくつか教室が見える。どう見たって学校の内装だ。屋上に降り立つ時に、建物の外観は見ていなかったが、周囲に運動場とか校門が見えていたからおおよその見当はついていた。ここは校舎だ。
「自室は一人一部屋だからね。私は三階のこの教室」
ミツクが指をさした教室を覗くと、規則正しく並んだ机の中心に、布団が敷いてあった。布団以外に生活感がない変な空間だった。スペースを持て余しているような気がする。
「あんま覗くんじゃないわよ。変態。あとこっち」
廊下の奥へ小走りで走っていくミツクを追う。奥に部屋がある。教室札には音楽室と書いてある。
「こっちがリナの部屋」
「へえ、中見てもいい?」
さっき教室を覗いたら変態呼ばわりされたので、リナに事前に許可を得ようとする。
「だめ。散らかってるし」
リナがドアの前に立ちふさがった。
「でも、片づけたら入っていいよ」
「そっか。じゃああとで。でも音楽室っていえばあれだよな。音楽家の顔の絵が夜に動いたり喋ったりみたいな」
「あれは不気味だから燃やしといた」
「余計に化けて出そうだな」
「はやく次行くわよ」
ミツクがいつの間にか階段を降りて踊り場で手を振っていた。リナと顔を見合わせて、トウコに行くぞと声をかけて階段を降りていく。そのまま二階に通り過ぎ、一階まで降りていく。どうやら二階には誰も住んでないみたいだ。
保健室の教室札が見えてくる。
「ここが一応トウコの部屋よ。憶えとかないと承知しないんだからね!」
「ツンデレってずっとこんなテンションなのか?」
しれっと保健室の中を見てみる。薬品瓶の代わりに漫画が並んだ棚と、靴置き場になっている体重計と、半開きのカーテンに囲まれたベッドが二つある。小っちゃいタイヤで移動できる椅子、その背もたれにだらしなく服がかけられてる。ミツクの自室に比べるとずいぶんと生活感がある。
トウコを見る。
こちらに目もくれない。ミツクのように変態と元気に罵ってくると思ったが、そんなことなかった。
「えっとさ。トウコ。さっきは俺たちを助けてくれたんだよな」
わざとらしく咳払いをしてから話しかける。
トウコが俯いていた顔を上げる。
「あれだけの天使を相手にして一方的に勝っちゃうなんてすごいよな。トウコがいなかったらあの声のでかいやつに殺されてたかもしれないし。さっきは言えなかったけどさ、助けてくれてありがとう。空を飛んで、敵を倒してさ、ヒーローみたいでかっこよかったよ」
ちょっとわざとらしかっただろうか。まあ嘘は言ってないし、潤滑な人間関係を築くには相手を称賛することも大事だと思う。
トウコがどう出るかが問題だ。
トウコの様子を眺めていると、トウコの口角が徐々に上がっていき、それはやがて満面の笑みとなる。
「そうか?」
どれだけ褒めてほしかったんだ。
トウコは背筋を伸ばして、腕を大きく振りながら先頭を歩き始めた。心なしか歩幅も広い。先導していたのに順番を抜かされたミツクが、ちょっとあんたは後ろにいなさいよと文句を言っていた。トウコはそれを笑って流してどんどん前に行く。それに負けじとミツクはどんどんと早歩きになっていく。
彼女たちが校舎を出たので、慌ててその後ろを追いかけたが二人の後ろ姿はどこにも見えなかった。
ただの人間の冬夜は彼女たちの早歩きにすらついていけない。
「どうせ行く場所はわかってるんだし、私がちゃんと案内するから安心してよ」
結局リナに案内してもらうことになった。