プロローグ──フィンランド空軍ナカジマKi-43 (5)
「グランジャン大佐。この度は、ご無理をお願いして申し訳ございませんでした」
「いやいや。ドイツとソビエトが不可侵条約を結んだのだから、君達の対応は当然のことだと思うよ。あの予言通りに、ドイツとソビエトに分割されては、君達もたまらないだろう。ソビエト・ポーランド不可侵条約、ドイツ・ポーランド不可侵宣言、ドイツ・ソビエト不可侵条約と続けば、本来なら平和になるはずなんだが。何とも不思議な話だ。‥‥何れにしても、私達に出来ることがあれば、今後も力になろうじゃないか。大いに頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
最後に挨拶にきたポーランド空軍の中隊長は、グランジャンに心からの敬礼を残して去っていった。
アウヌー海軍飛行場は、首都コペンハーゲンのあるシェラン島南西の半島に位置している。
スピットファイアが着陸する前に、散水車には念入りに水を撒かせたが、七月の陽気と今日のこの風ではいつまで持つかわからない。この飛行場は、冬は冠水し、排水設備を整備したはいいが、面積を拡大しても九一五メートル四方ほどの飛行場だ。
舗装した滑走路を造るくらいなら、別の新しい場所にしたかった。
もっとも、そのような予算など認められるはずもなかったが。
スピットファイアは、編隊を組んだまま離陸していく。最初のスピットファイアの引き渡しだ。ポーランド空軍も腕利きを選抜したのだろう。実に見事なものだった。
SFaaBでは、ナカジマの新型Ki-44のライセンス生産が始まるという。Ki-43の配備も終わっていないのに、Ki-44を望むというのは、身の程知らずの願いなのだろうか。
第一次世界大戦から、航空機の発達する進み具合には驚かされるものがあったが、「第二次世界大戦」の話を聞いてからは一層早く感じられる。飛行場に駐機しているKi-43、ニムロッド共に、夏の日差しを受けて、昨年取り入れたばかりの新型迷彩は輝いていたが、グランジャンには色褪せて感じられた。
今年から、急降下爆撃も可能な軽爆撃機として導入が始まったばかりのホーカーヘンリーも、海軍工廠で一二機が生産される予定だったが、ハリケーンによく似た見た目とは裏腹の性能はどうしようもなく、すぐに生産打ち切りが決まった。
エンジンが余っているので、同じエンジンを用いているヘンリーの競合試作機だったフェアリーP4/34と契約するべきなのか、陸海の航空隊で新型戦闘機のエンジンとして用いるべきなのか、悩みどころだ。
少なくとも、現在のホーカーホースリーを水上機にした軽爆撃機、雷撃機兼用のホーカーダントルプや、多種多様の水上機等は、旧態依然といってもよかった。
「事と次第によっては、Ki-43の航続距離が短ければ、今でもニムロッドのままだったかもしれないな」
コペンハーゲンにある海軍工廠で製造した日本の空冷式星形エンジンのハ25は、オリジナル以上の品質に仕上がった。ヘンリーに搭載されたロールス・ロイスの液冷式V型エンジンに比べると、工作精度が違いすぎた。グランジャンは、そこに日本の航空機の設計技術と製造技術の落差を感じていた。
同じ空冷式星形エンジンでも、アメリカのものは、日本よりも工作精度がずっと高い。昔整備兵達から、エンジンからモーターオイルが漏れているならモーターオイルはまだ入っているという冗談はよく聞いたものだ。
今はまだ、フィンランド、デンマークなどの小国でも、ライセンス生産での軍用機の製造は可能だが、この先何処までそれが可能なのかはわからなかった。反動エンジンの開発などは、原子爆弾の開発と変わらないようにも思える。
渡邊光のニューヨークで公開した未来兵器、未来での戦争のあり方など、デンマーク政府の使節団の一員として参加したグランジャンは、それを目の当たりに見た。政府の手による記録映像も何度も見返し、今後の国防のあり方について、激しい議論にもなった。
海軍航空隊を率いるグランジャンには、デンマークを背負っている気負いもあったからだ。
そして、ニューヨーク沖に出現した一六インチ砲三連装四基一二門の巨大戦艦一六隻、ニューヨークでの未来兵器の公開、運用の実演などを纏めた、三色テクニカラー方式の米国映画『The War of the Worlds』を観ると、多数のカメラを用いたその内容だけでなく、白黒映像と鮮やかなカラー映像の差にも打ちのめされる。
わかっているつもりだったが、第一次世界大戦で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリア・ハンガリー、イタリア、ロシアといった列強諸国が争った総力戦という巨大な歯車の間では、デンマークという小国に出来ることは少ないと改めて思い知らされたからだ。
だが、グランジャンに祖国を守る義務を放棄するつもりはない。自分が最善を尽くすことには何の変わりもない。
グランジャンは、飛行場東側の建物に横付けさせた車に向かおうと振り返る途中で、南西方向にあるキール軍港の存在を強く感じていた。
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