プロローグ──フィンランド空軍ナカジマKi-43 (4)
給仕から書付を受取って一瞥したヒトラーが、親衛隊の通訳を通して、側にいるカッリオ大統領に声をかけると、カッリオは頷いて答えた。晩餐会の前に、両者の間で何らかの打合せがあったことがわかる。
チェンバレンには、東京からオリンピック開催権を奪い取ったカッリオは、彼の栄光の頂点を極めているように見えた。
どのような余興を見せてくれるのだろうか。ここは特等席だ。
世界は、二年前ミュンヘンでのイギリス・フランス・ドイツ・イタリア四カ国の協定が反故にされるのは時間の問題だとみなしている。
今回の開催式に参加することが決まると、フィンランド大統領府で道化師を演じているチェンバレンの風刺画が登場し、それを見た妻のアンは憤慨した。どこのミュージック・ホールでも、チェンバレンは義兄のウィリアム・ホレス・ド・ヴィアー・コール以上の道化者にされている。
政敵による反ファシズム運動の圧力でもあった。
ヒトラーは、取り出したハンカチーフを少しいじった後、テーブルに置いた。
「今日、ここにオリンピックが開催されたことを私は嬉しく思います。第一二回オリンピアード大会は、ヘルシンキのオリンピック開催を願う不屈の闘志があってこそ、実現したものです。前回のベルリン・オリンピックもそうでした」
ヒトラーの通訳が英語で訳していく。
第一次世界大戦の前ならば、訳されるのはフランス語だっただろう。第一次世界大戦がなければ、ドイツ語で喋り続けたに違いない。ヨーロッパの共通語、世界の共通語は、ドイツ語になっていたはずだからだ。
当時のドイツ帝国には、その勢いがあった。
もっとも、第一次世界大戦がなければ、ソビエトが主導する共産主義インターナショナルも、国民社会主義ドイツ労働者党も台頭することはなかっただろうが。
『オリンピックは、皆様も御存じのように平和の祭典ですが、平和とは与えられるものではありません。平和とは、我々が創りあげて、保ち続けなければ、たちまち消えてしまうものです。オリンピックの選手達は、鍛えあげた体と‥‥』
声を詰まらせたヒトラーは、下から口に手を当て、小さな咳をし、その後を続けた。
「オリンピックは、皆様も御存じのように平和の祭典ですが、平和とは与えられるものではありません。平和とは、我々が創りあげて、保ち続けなければ、たちまち消えてしまうものです。オリンピックの選手達は、鍛えあげた体と技をこのオリンピックで競います」
何事もなかったように、黒い制服の通訳は訳していく。
「しかし、スポーツとは、体と技を鍛えるだけであってはなりません。どのような困難にも打ち勝つような、鋼の精神を鍛えるのでなければ、何の意味もありません。平和を願うだけでは、平和は決して訪れません。平和を願って、平和を保つために、我々は困難と戦わねばならないのです。オリンピックが、スポーツが、その困難と戦うための一助になればと願っています」
ヒトラーは、ゆっくりと辺りを見回して、こう続けた。
「今日の良き日に、この報告が皆様に出来ることを、私は誇りに思います。先程、私達のドイツと、ソビエト社会主義共和国連邦の間で、不可侵条約が結ばれました」
一拍間を置くと、ヒトラーに聞き入っていた晩餐会の騒めきが大きくなっていった。
チェンバレンは、皆と一緒に驚いているカッリオを眺めていた。カッリオによる紹介から始まった、ヒトラーのアフター・ディナー・スピーチは続いていく。
渡邊光の予言から、イギリスとフランスは、ソビエトの取り込みを続けていたが、スターリンはヒトラーと手を組むことを決めたようだ。
スターリンは、ヒトラーと手を携えて、世界の現状を変更することを選択した。
第一次世界大戦の敗北で、ドイツは海外植民地を失った。第一次世界大戦は、海外植民地を巡る争いだった。
スターリング圏のイギリス、フラン圏のフランスと、マルク圏のドイツの対決だ。資源の獲得、経済圏の拡大を巡る争いだった。
海外植民地を争い、ヨーロッパを戦場にし、あれだけの損害をだした結果が、戦後世界でのアメリカの台頭と、共産主義国ソビエト誕生では、とても引き合うものではない。
ヒトラーが要求しているのは、ドイツ帝国、オーストラリア・ハンガリー帝国の旧領土であり、海外植民地は含まれていないが、ドイツ帝国が復活すると、海外植民地を巡る第一次世界大戦という悲劇の再演は間違いない。
二度目だからといって、喜劇になることはないだろう。機会主義のソビエトが、イギリスとのグレート・ゲームを争うつもりがあるかどうかは、これからわかることになる。
だが、フィンランドが中立を保てるとも思えない。チェンバレンには、カッリオの表情から純粋な驚きしか読み取れなかった。
スペインは、ドイツとオリンピック開催権を争い、ドイツの開催権返上も要求していた。去年まで、三年近く続いたスペインの内戦では、そのドイツからの軍事援助を受けたフランシスコ・フランコ・バアモンデ首相が勝利した。
フィンランドは、日本とオリンピック開催権を争い、日本の開催権返上を要求して、ヘルシンキでのオリンピック開催を実現した。フィンランドは、その日本からの兵器をライセンス生産している。
ドイツとイタリアと日本は、ソビエトの主導する共産主義に対して、共産主義インターナショナルに対する協定を結んでいたはずだ。
チェンバレンは思わずにいられない。
フィンランドに幸いあらんことを。
アウヌー海軍飛行場 ストーストレム県 デンマーク
昭和一五(一九四〇)年 七月二一日 午前一〇時二二分
日曜日だというのに御苦労なことだ。
まあ、開会式の晩餐会で、オリンピックが霞むように、ドイツとソビエトの不可侵条約が発表されたのだから仕方がない。一日でも早く、ポーランドに軍需物資を運び込みたい気持ちはよくわかる。
日曜日に、それに付き合わされる我々の気持ちも考えて欲しいが。
アスガー・エミール・ヴァルデマール・グランジャン海軍大佐は、何ともいえない思いで、給油に立ち寄ったポーランド空軍のヴィッカーズスーパーマリンスピットファイアMk.Iaを眺めていた。飛行学校としても利用していたアウヌー飛行場だったが、「第二次世界大戦」の予言により、飛行場の面積を拡大していた。
その飛行場で、格納庫の側にある地下タンクから、オランダから飛んできた一二機のスピットファィアが給油を受けている。ある程度のスピットファィアがイギリスの海外領土にまで行き渡ったので、ホーカーハリケーンが主力のポーランドにも漸く回ってきたからだ。
去年「第二次世界大戦」が始まっていたら、一機のハリケーンもポーランドに届いていなかったかもしれない。一九二一年から続くフランス・ポーランド軍事同盟は兎も角、ポーランド分割の予言の後、直ぐに締結された連合王国とポーランドの相互援助協定は上手く機能しているようだ。
一方、我が麗しのデンマーク政府は、渡邊光の出現以降も、ドイツに気を使っている。
ドイツの侵攻があった場合、無抵抗で国を開け渡すつもりのようだ。
海軍工廠でライセンス生産しているナカジマKi-43を採用した理由は、政府の要人を乗せた旅客機を護衛して、イギリスに亡命する為の航続距離を評価したからだという笑い話になっている。
今の所、空冷式星形エンジンのライセンス生産は技術的に問題はない。Ki-43の機体が、ハリケーンのように鋼管羽布張り構造だったなら、もっと製造は簡単だっただろう。
グランジャンは、海軍航空隊の長として、陸海軍の四個ある飛行隊を六個にするよう働きかけていたが、ずっと却下され続けてきた。一二機のホーカーニムロッドMk.llが、Ki-43に置き換えられるだけましなのかもしれなかった。
陸軍航空隊のフォッカーD.XXIも、Ki-43での更新が始まっている。
日本の陸軍航空隊では、今でも固定脚の戦闘機が最新型としてソビエトと戦っているというのが、グランジャンには信じられなかった。
不定期更新です。