プロローグ──フィンランド空軍ナカジマKi-43 (2)
ラジオでの玉音放送など許されるのか。オリンピックの「開会宣言」も、河野が、オリンピック開催に異議を唱えた理由の一つだった。
オリンピック憲章に従えば、東京での開会宣言を天皇がすることになるが、河野は、日本の国情からそれは不可能ではないかと問うたのだ。この時点では、オリンピック開催に反対する雰囲気はなかった。
河西は、当時、NHKの同僚とこう話したことを覚えている。
「反対している本当の理由は、ベルリン・オリンピックが凄まじすぎて、あれと比べられたら、国威は地に落ち、日本の国力が侮られるからじゃないか?ナチスは上手くやったよ。ユダヤ人差別からのベルリン・オリンピック反対の空気を打ち消すどころか、逆にプロパガンダに利用したんだ。我が国も、あれくらい宣伝戦に長けていると安心できるんだけどね」
「おいおい。美濃部博士みたいに撃たれても知らないぞ」
「撃たれるにしても犯人は捕まえて欲しいね。身代わりの出頭じゃあ浮かばれないよ」
「君を襲っても、名を揚げられるわけじゃないからなあ。身代わりどころか、犯人が捕まらないんじゃないか」
「そりゃあ、僕は、事務方だもの。君のような有名人じゃないさ」
「特高警察にしょっ引かれても、僕の名前は出さないでくれよ」
「友達がいのない奴だなあ。それにしても腹が減った。昼はまぼろし、夜は夢じゃ困るよ。忘れちゃいやよ。僕の飯だ」
あの頃は、東京オリンピックを返上することになるとは夢にも考えていなかった。
第一二回オリンピアード競技大会
ヘルシンキ・オリンピックスタジアム フィンランド
昭和一五(一九四〇)年 七月二〇日 午後三時三一分
「河西さん、お疲れさまです。河西さんは、あの曲芸飛行で五輪のマークが描かれることを知っていらしたんですか?」
「いや。鳩を放して、国歌斉唱が終わったら、六機の戦闘機で曲技飛行をするとは聞いていたんだが。事前に知らされていた内容は、先導機が一機と、その後に五機が続くとしか書いてなかった。びっくりしたよ。フィンランド空軍の大金星だね」
「あの曲芸飛行は、きっと語り種になりますよ。鳩といえば、ベルリン五輪の開会式ですね。僕も、リーフェンシュタール女史の『オリンピア』は観ました。凄かった。河西さんも、その場にいらしたんでしょう?三万羽、四万羽だかの鳩が、大砲の音に驚いて、選手だか観客だかに大爆撃を敢行したらしいじゃないですか。見たかったなあ。ああ。それで、今回は鳩の数を減らしたんでしょうか?」
「藤倉君。君も大概にしろよ」と、放送を終えた河西は用を足そうと、振り切るように足を速めた。
今回のヘルシンキ・オリンピックでは、NHKは、ラジオ・テレビ共に大部隊を送り込むことができた。放送後に纏わりついてきた若手など、今年入社してきたばかりだ。
ヘルシンキ・オリンピックの後見人のように振舞っている渡邊光が、前年一〇月の時点で、参加国の選手、役員、報道関係者への航空機での輸送を申し出たからだ。
今年四月に設立された日本ニュース映画社を筆頭に、新聞、雑誌の記者、文士等も含めて八百人運んでも良いとの連絡があった。その割当をどうするか、開会式二〇日前の六月三〇日に定められた出発日まで、だいぶ揉めることにもなった。
手を拭いたハンカチをポケットに戻して、ウォーター・クローゼットを出た河西は、実況中に固まった腰を伸ばすように背伸びをした。
開会式が終わると、皆、することは一つだ。人種、民族、国籍の区別はない。便器を目指して、真のオリンピック精神を体現することになる。文盲でも一目でわかる水洗式便所の絵文字を目掛けて、気持ちだけは、最後の直線を一所懸命の駆け競べだ。
用いられている競技、施設案内の絵文字だけで、何を意味しているのか理解できる。その工夫には感心させられた。そのモダンさは、あの壮大なベルリン・オリンピックと比べても引けを取らない。
「それにしても、『三等席症候群』とは上手いこといったもんだ」と、河西は呟いた。
昭和一五年四月下旬、ヘルシンキ・オリンピックへ派遣されることになった河西の下へ『フィンランドへの快適な空の旅の栞』という小冊子が届いた。予定日の外には、二階建て飛行機の座席番号、ラバトリーなどの内部構造が表記されてあった。
・ 特別運航便 オリンピック・ニッポン号
・ 特別運航日 六月三〇日 日曜日
・ 東京市蒲田区羽田江戸見町 東京飛行場発 一〇時
・ 搭乗開始 〇九時一五分
・ 搭乗締切 〇九時四五分
・ 飛行時間 一三時間
・ フィンランド ヘルシンキ・マルミ空港着 同日一六時(日本時間 同日二三時)
・ オリンピック日本号 全長七三メートル 全高二四メートル 翼幅七九メートル
・ 全座席 三等席
・ 機内温度 摂氏二四度
ソビエト上空は飛行できないので、ソビエト北東端のチュクチ半島と,アメリカ、アラスカ準州のスワード半島の間にあるベーリング海峡を抜けて北極海に入る。そこから、ソビエトとノルウェーの間にあるウナギの寝所のようなフィンランド領土を抜けて、ヘルシンキ・マルミ空港へ降りる。
その他にも、搭乗口の側に、特等席、一等席、二等席の見本が設えてあり、自由に見学ができると記されていた。
「三等席症候群」とは、三等席のような狭い席に長時間同じ姿勢で座っていると、血流が阻害されて起こる疾患とあった。エア・ガールが、座席番号毎の乗客を誘導して、飛行機の通路を歩かせるらしいが、自発的に行動せよと。機内温度は摂氏二四度に保たれるので、機内では、厚着しなくてもいいという。これはありがたかった。
持ち込める手荷物以外の荷物は、期日期間内に、東京飛行場宛で送るようにともあった。事前の取り締まりがあるらしい。
六月三〇日は、三、四日続いた雨も上がり、河西は、気分も軽く羽田の東京飛行場へ向かうことができた。飛行場には、二時間前までに着きたかった。省線蒲田駅から、飛行場行きのオリンピック特別運行便の乗客向けの貸切バスに乗った。
特別運行便の八百人近い乗客が一度に押しかけるのでは、通常便を利用する乗客を考えると、飛行場の木造建設の旅客待合室には入りきれない。貸切バスは、旅客待合室がわりでもあった。搭乗時には、そのまま飛行機の側に乗り付けることも出来た。
小冊子には、仮設テント、仮設トイレも建てるとあったが、オリンピック選手団の見送りを考えると焼け石に水だろう。昨日到着した巨人機「オリンピック・ニッポン号」の見物客も溢れるだろうからだ。
河西も、実機を目にするのを楽しみにしていた。小冊子の絵や、今日の新聞の写真では想像がつかなかったからだ。
「これはどうかな。『漆黒の 機体の尾翼 日の丸が こぼれ落ちそな 五輪の上に』と、詠んだんだけどね」
「僕には、こう詠めるけどね。『人様の 褌に貼る 千住札 トウキョウだった 夏の幻』とね」
「君も、きついこというなあ。でも、『オリンピック・ニッポン号』の名前よりはまだましかな」
「あの尾翼のデザインは秀逸だよ。東京開催出来なかったことが本当に残念だ。なんで、フィンランドくんだりまで行かねばならんのだ」
「君、オリンピック取材に指名されて、あんなに喜んでいたじゃないか。どういう風の吹き回しだい」
「何故だかわからないが、無性に腹が立つんだよ」
近くの話が聞こえてきた河西は、「同感だ」と呟いた。
海老取川を跨ぐ橋を渡ってすぐ左、川沿いの飛行場正門前行乗合自動車線を塞ぐように、憲兵と警察による規制線が張られていた。規制線を超えると、河西の乗ってきた貸切バスは、本来の旅客送迎バスが潜る正門に入ることなく、正門右側のフェンスに車の前面を付けるように停まった。
バスを降りると、正門に近い方から、一一、二台が停まっている。正門を通った左側には、旅客待合室がある。待合室とフェンスの間には、人が鈴生りになっていた。
目算で、待合室の前のフェンスから一五〇メートルほど先までが、舗装されたエプロンと呼ばれる広場になっていて、そこから二〇〇メートルほどの芝生を挟んで、右から左に、北に向けて舗装された滑走路がある。「オリンピック・ニッポン号」は、機首を北に向けて、エプロンと芝生の境目にその漆黒の巨体を横たえていた。
「オリンピック・ニッポン号」の全長といい、胴体の高さといい、目の前の旅客待合室よりも大きいことは間違いない。
尾翼の高さになると、風向表示器や、三階建ての飛行場管制室の上にある吹き流しの旗竿よりも高く見える。
その垂直尾翼の上部前縁には真っ赤な日の丸が寄り添い、その真下にある金色の五輪のマークは日の丸と同じ幅に合わされており、少し離れた下には、五輪マークと同じ幅で、金色の「NIPPON 1940」の縦長の字体が、下部後縁に接していた。
河西の胸の奥底から、説明できない激情が込み上げてきた。
新聞の記事には、垂直尾翼のデザインの説明はあったが、それを見た記者が何を思ったかまでは書かれていなかった。
「キ44ですか?僕は、キ43だと思っていたんですが」
「いやいや。キ44は、今回向こうで新しくライセンス生産の契約をする新型ですよ。キ43とは全くの別物です」
「向こうでのライセンス生産というと、SFaaBですか。スウェーデンとフィンランドが、今年設立した合弁会社でやるんですか」
木造りの旅客待合室後ろにあるコンクリート建設の旧円形旅客待合室に向かう途中、川西は、中島飛行機の担当者達と一緒のNHKの記者に話しかけられた。
河西は、オリンピックの実況放送の他にも、陸軍、中島飛行機の関係者と、キ43を生産しているフィンランドのSFaaB第一工場、旧フィンランド国営航空機工場と、キ43が配備されているフィンランド空軍部隊の表敬訪問に、取材陣の一人として同行することになっていた。事前の勉強もしていた。
建物の中も外も、手荷物を手にした人、人、人の群れだ。昨日の間に、事前に送った荷物が飛行機に搭載されていなければ、どうなっていただろう。
「そうなりますね。去年の一月からキ43の審査をやっていたんですが、結果がよくなくて。最後には、治具ごとライセンス生産の権利を売却しました。いやあ。買い叩かれましたよ。そこまではご存知でしょう?キ44も、機体が組み上がってもいないのに、今年の一月下旬に向こう側から購入の打診がありましてね。あれよあれよといううちに、三月の中旬には、向こうでのライセンス生産が本決まりになっていましたよ。あれです。満州国のヘルシンキ・オリンピック参加。どうやったかは知りませんが、蒋介石を黙らせた見返りの一つらしいです。平沼首相の鶴の一声だったそうです」
「三月に決まったのに、契約するのは七月なんですか?」と、川西は尋ねた。
「河西さん。いくら何でも一度も飛んだことのない飛行機の契約は出来ませんよ。生産が本決まりになってから、六月一日大安の初飛行。大安だったのは偶々ですが、今でもうちはキ44にかかりきりです。今の出来具合で完成したとはまだいえませんね」
「それなのに、SFaaBは、キ44を買ったんですか。そんなに良い戦闘機なんですか?」
「‥‥重戦。重戦闘機ですね。キ44は重戦なんですが、重戦というのは、スピードを重視しているんです。そして、スピードを出そうとすると、飛行機の小回りが効かなくなるんですな。小回りさせようとすると、飛行機のスピードが出なくなる」と、右の掌を目の高さまで上げて、飛行機が羽を揺するように動かした。
「キ44は、まだ飛んだばかりですが、陸軍からはお叱りをうけています。着陸するスピードも速すぎて危ないと。うちの力不足で、スピードと小回りのバランスがうまく取れなくて。こっちで審査中のキ43は、どうも発動機を変えることになりそうです。例の千里眼のお陰で、キ43も、キ44も、国外ですが、そのままで買って貰えることになりました」
「助かりました」と、その技術者は続けた。
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