日系の渡邊帝国は満州国を外交上承認するのか(3)
前回の『日系の渡邊帝国は満州国を外交上承認するのか(2)』は、だいぶ改稿しているので、よろしければご一読いただけると幸いです。
読まなくても、特に問題はありません。
ダウニング街一〇 ウェストミンスター区 ロンドン県
昭和一四(一九三九)年 七月九日
「ソビエトが要求するその対価を考えると、ヒトラーのポーランドに対する要求を飲んだ方がましでしょう。もっともヒトラーは、その次も要求してくるでしょうから、飲むだけ無駄ですが」
三代目ハリファックス子爵エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド外務大臣は、ヒトラーの破った、チェコスロバキアのズデーテン地方帰属問題を解決したはずのミュンヘン協定に触れた。
「欧州で、コミュニズムに対抗するなら、ヒトラーと手を組まねばなりません。ファシズムに対抗しようとするなら、スターリンと手を組まねばなりません。モスクワで、モロトフ外務大臣を相手に、我々とフランスの代表団は苦戦をしています。反ファシズムの為に、イギリス・フランス・ソビエトによる三国同盟を成立させようとするなら、閣外からの応援として、エッピング選挙区代表【ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル】を送るのも、一つの考えだと思います」
ウッドは、アーサー・ネヴィル・チェンバレン首相に不平を並べた。自由都市ダンツィヒ・ポーランド回廊をドイツから守る対価に、ソビエトが要求しているのは、フィンランド・バルト三国・ポーランド・ルーマニアの領土だったからだ。
チャーチルは、反共主義者として知られているが、実際は、ナチズム叩きの急先鋒だ。コミュニスト・インターナショナルの代理人かと疑うほどだ。
コミュニズムよりは、ファシズムの方が遙かにましだ。ナチズムでさえも、まだコミュニズムよりましだろうと、ウッドは考えていた。
「極東の方は?」と、チェンバレン首相が尋ねる。
「日本陸軍による天津の租界封鎖は、継続中です。租界を出入りする際の同胞に対する取調は、屈辱的なものになっています。日本による中国支配が受け入れられないのは、我が国だけではなく、アメリカ、ソビエトも一緒なのですが、現地の日本陸軍は理解していないようです。上海総領事館のスピアーズ中佐の拘束も続いています」
今年の六月一四日から、大日本帝国陸軍の北支那方面軍により、中国北部地域でのイギリスの拠点である天津の租界封鎖が続いていた。イギリスによる中国国民党の蒋介石援助がなければ、中国全土を日本の影響下に置けると考えているようだ。
日本による中国支配など、認められれるはずがない。ヒトラーと同じで、日本も、中国の次は、中国の外へ手を伸ばすだろう。仮に、日本が、中国全土を手に入れたとしても、日本が必要とする資源がないからだ。
「やはり、アメリカ側の協力は得られそうにないかね」
「天津の租界封鎖に対して、アメリカが、我が国に協力することはないと思われます。ですが、今年の二月に、日本海軍が、海南島を占領しました。日本海軍は、援蒋ルートの封鎖を目的としているようですが、アメリカは、フィリピンに対する脅威として独自に対処するでしょう。蒋介石に対する支援も、アメリカ独自に続けるはずです。日本陸軍も、日本海軍も、日本政府の統制下にあるとは思えません。電信と無線の時代に、大航海時代の現地軍よりも、勝手気ままに振舞っています」
うんざりしながら、ウッドは答えた。
日本の枢密院も、イギリスの枢密院同様、条約の締結といった重要な外交は、枢密院の審議を経るべきだが、「現地での問題解決」は、条約ではないという屁理屈で、現地の日本軍が独自の外交をしていた。去年、日本の枢密院で、外交に関する法改正があったが、その効果は疑わしかった。
今の日本の外務省には、軍部を後押ししている感すらあった。
「満洲国とモンゴル人民共和国の国境線近くにあるブイル湖周辺で、ソビエト・モンゴル軍と、日本・満州国軍の間で、戦車・航空機を用いた紛争が起きているようですが、モロトフ外務大臣の対応からすると、小競り合いのように思われます」
「ポーランドの件がなければ、海軍の艦艇を極東に派遣できたのだが。本当に、嫌な時に、嫌なことをしてくれる」
チェンバレン首相は、疲れ果てたように宙を睨んだ。
ミュンヘン協定の時は、あれほど持ち上げられたチェンバレン首相だが、今の挙国一致内閣の実情は、労働党、ユダヤ人によるチェンバレン叩きが収まらない。コミュニストとシオニストが共闘している有様だ。
一九二〇年代、アメリカでのKKKの馬鹿騒ぎの時には、カトリックとユダヤが共闘して対抗していた。ウッドが、インド総督に就任した一九二六年は、KKKのアメリカでの最盛期だったからか、記憶に強く焼きついていた。
「ニューヨーク港での『観艦式』を上海でやってもらいたいところですな」
ウッドは、チェンバレン首相の気分を変えようと、軽口をたたいた。
誰にも気づかれないよう準備した、一六隻もの大戦艦を模したフロートが、一度も動くことなくニューヨーク港に停泊している。そのイルミネーションは、イギリスでも評判になり、下院での質疑応答にも登場していた。
連日連夜の「観艦式」が、アメリカの日本海軍に対するメッセージという噂は、世界を駆け巡っていた。イギリスの情報部も、その噂を調べているが、フロートが何処で作られたすらわからない。もし、アメリカ政府の肝入りならば、鮮やかな手並みと言っていいだろう。
連日連夜の「観艦式」が、日本海軍の海南島占領に対するアメリカの反応なら、日本陸軍による天津の封鎖問題解決に役立てねばと、ウッドは思った。
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