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プロローグ──フィンランド空軍ナカジマKi-43 (1)

 第一二回オリンピアード競技大会

   ヘルシンキ・オリンピックスタジアム フィンランド

   昭和一五(一九四〇)年 七月二〇日 午後三時一二分


「選手宣誓が終わりました。そして、いま六千羽の白い鳩が放たれました。放たれた鳩は一団となって、スタジアムの中を大きく回っています」


「ラジオの前の皆様も、聞こえますでしょうか。遠くから飛行機の爆音が近づいてまいりました。その飛行機が、色のついた煙を出したところです。青色、黄色、黒色、緑色、赤色と、五色の色です。五色の色で、五つの円を描こうとしています。その円は少しずつ重なって、オリンピックの象徴となりました」


「雲一つないフィンランドのヘルシンキ・オリンピック競技場。その青空には、見事な五色のオリンピックのシンボルが、平和のシンボルが、描き出されました。素晴らしい。これは、素晴らしい第一二回オリンピックの幕開けです」


 オリンピックスタジアム内部に設置されたラジオブースでは、各国に割り当てられたブースの中で、開幕式を担当するアナウンサー達が喋り続けている。この感動をどう伝えようかと、他国に負けるなと。


 まるで、沢山のキャッシュレジスターが一斉に叩かれているようだ。調子を上げたり下げたりチンチン鳴っている。記者席では、本物のタイプライターが叩かれていることだろう。


 NHK(日本放送協会)から派遣されているアナウンサーの河西三省も、日本へと実況放送をしていた。


「先導機が一機、それに導かれた五機の戦闘機。フィンランド空軍戦闘機部隊六機による鮮やかな曲芸飛行です。そして、その曲芸飛行を支えていたのが、中島飛行機株式会社の設計により、フィンランド国内でライセンス生産された機体です。陸軍の試作名称ではキ43。フィンランド空軍では、ナカジマKi-43と呼ばれています。愛称はPuuプーです。フィンランド語では、木を意味する洒落になっています」


 前回のベルリン・オリンピックは、四九の国と地域が参加し、三二ヵ国ものラジオ放送陣が集まって、日本にとっても初めてのオリンピックの実況放送になった。ベルリン・オリンピックはラジオのオリンピックでもあった。


 河西も、「前畑!前畑がんばれ!」の放送が、『第一一回国際オリムピック大会・ニュースレコード水上競技実況放送』のSPレコードとして、十一万枚を超える異例の大ヒットになった。


 その時の川西の放送に対しては、毀誉褒貶も激しく、「この放送では、女子二〇〇メートル平泳ぎの一位が前畑秀子、二位がドイツのマルタ・ゲネンゲルであることしかわからない」と批判され、「放送部門のメダルがあったなら、前畑と共に金だったに違いない」と褒められもしたが、川西自身は、大いに反省をしていた。


 今回のオリンピックは、その反省をもって臨んでいる。


「先程、空に描かれた、青、黄、黒、緑、赤の五色に彩られた、オリンピックのシンボルは、その色を失って、白い五つの輪となりましたが、まだ大空にその形を残しています。七月のヘルシンキの空に五輪の花が咲き、七月ではありますが、紫陽花のように色を変えていきました。尚このオリンピックの模様は、NHKのテレビ実況放送でもご覧になれます」


 六二の国と地域が参加しているヘルシンキ・オリンピックでは、一四ヵ国が、テレビの実況放送をしている。ヘルシンキ・オリンピックはテレビのオリンピックでもある。


 本来、1940夏季オリンピックは東京市で、1940年冬季オリンピックは札幌市で、紀元二六〇〇(一九四〇)年を記念して開催されるはずだった。昨年から、1939ニューヨーク万博博覧会が開催されているが、東京市でも、紀元二千六百年記念日本万国博覧会が予定されていた。


 NHKの放送技研研究所では、オリンピック開催と同時のテレビ局開局を目指していた。日本万国博覧会にあわせて造られた、築地と月島を結ぶ勝鬨橋開通を祝うテレビ実況放送も、1940年東京オリンピックを放送するはずのテレビ中継車を用いてなされた。


 何ともはや間抜けな話だ。


 一九四〇年に開催されるはずだったオリンピックの開催権が返上されたのは、三年前の第七〇回帝国議会衆議院予算委員会で、政友会の河野一郎が、「満洲で一触触発の国際情勢にありながら、『オリンピック』開催は弛んでいる」旨を陸軍出身の林銑十郎首相に発言したことから始まった。

 不定期更新です。


 プロローグを長くするか、それとも、次の第一章を渡邊光の2023年から1939年へと転移するところから始めるか、時系列を入れ替えて、1940年オリンピック後の紛争、事変、戦争といった戦闘場面から始めるか、思案中。


 先に、「1930年代並行世界への転移」「さすらい人は終の住み処が欲しい」を改題して書き直すか、完全な新作を並行して始めるか、どういう形であれ、二作とも完結させているので、何の気兼ねもなく気ままに書けるのは素晴らしい。

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