領土を持たない系の渡邊帝国はアメリカ合衆国で外交上承認されるのか (8)
国務・陸軍・海軍ビルヂング ワシントンD.C.
昭和一四(一九三九)年 七月三日
「‥‥もしかして、その話は、ニューヨークに来たどこかの『皇帝』という子供の話の続きなのか?」
ハリー・ハインズ・ウッドリング陸軍長官は、目の前の気まずげな緑の制服の男達を眺めた。昨年一新された制服が台無しだな、とハリーは思った。
あれから、彼等のいう事をウッドリングが纏めるとこうなる。
一昨日、ガバナーズ・アイランドのジェイ砦を、事前の連絡をすることなしに「表敬訪問」した一一才の「皇帝」は、見たこともない回転翼機で、コニー・アイランドに停泊させた「戦艦」からやってきた。
そして、ニューヨーク市で行われる幾つかの野球の試合観戦の間に、領土を持たない「渡邊帝国」は、合衆国政府と、外交的に国家として友好条約を結びたい。
ウッドリングが聞いたところ、同時翻訳で会話が成立しているという、長方形のチョコレート・バーほどの機械は、無線機を使ったトリックだとしても、ジェイ砦の南の空堀に着陸させた回転翼機はそのようなものではなさそうだった。
その回転翼機が、ジェイ砦の中庭上空五〇メートルほどで、一〇分程空中停止し、その回転翼の直径ほどしかない、ジェイ砦南に面する空堀の中に着陸するところを、ガバナーズ・アイランドにいる多くの者が目撃したというのだから。
リバティ島にある自由の女神から、四〇キロ以内のハドソン・ラリタン河口を監督している、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社からも、水路を維持・管理している陸軍工兵隊に、その一六隻のフロートの問い合わせもあったらしい。
その結果として、第一軍は、「皇帝」訪問のその日のうちに、コニー・アイランドとホフマン・アイランドから、五キロも離れていない陸軍工兵隊の北大西洋師団司令部のあるフォート・ハミルトンへと調査を丸投げした。
そして、子供が戦艦だと主張しているフロートを調べてみたところ、次のことがわかった。
コニー・アイランドの八隻、ホフマン・アイランドの八隻。合わせて十六隻の戦艦を模したフロートは、あの子供が主張している本物の戦艦ではないことは明らかだ。
あれら全ては、杭のように、しっかりと海底に打ち込まれていた。舷側の装甲も、かなり厚みのあるもののように見える。
命令通りに、甲板に上がってはいないが、もしも、砲が本物だとしたら、戦艦ではなく、海上要塞の砲台だ。
もし、あの超砲身の砲に、フォート・ティルデンの一六インチ五〇口径砲の最大射程距離があれば、海軍の一六インチ四五口径砲の最大射程距離では、二二〇〇〇メートルもの差で打ち負けるだろう。
フォート・ティルデンの一六インチ砲に限らず、ニューヨーク・ニュージャージー河口での沿岸砲運用は、雨が降れば、雨に濡れる。雪が降れば、雪が積もる。砲、沿岸砲を運用している砲兵は、傘もささずの暴露した状態にある。
一六インチ砲三連装四基一二門を備えた海上要塞は、コニー・アイランド周辺に八つ。ホフマン・アイランドから、アトランティック・ハイランズに向けて八つ建設されているという。戦艦の砲塔と同等ならば、さぞや分厚い装甲で守られていることだろう。
もし、「皇帝」が主張しているように、砲が本物だとしたら、沿岸砲兵どうしの撃ち合いということになるが、陸軍工兵隊は、機雷敷設艦の準備を始めたらしい。
魚雷は使えない。相当の大型爆弾でなければ効果がないという見込み。海上要塞への補給を断つにしても、効果が見込めるまでは長い時間がかかるだろう。
もし、あれが本物だとすればの話だが。
ウッドリングは、コーデル・ハル国務長官に、面会の予約を取らせた。
ニューヨークに現れた「皇帝」の話は、昨日から、国務・陸軍・海軍ビルヂングでは一番の笑い話だ。
アーサー・ネヴィル・チェンバレン英国首相の義兄ウィリアム・ホレス・ド・ヴィアー・コールは、明治四三年(一九一〇年)に、「ドレッドノートのイタズラ」という事件を起こした。
コールは、エチオピア王族一行を装い、イギリス海軍を騙し、旗艦である弩級戦艦「ドレッドノート」見学後に、全部が悪戯であったことを超弩級に暴露した。
イギリス海軍の面目を丸潰れにした事件だ。
ウッドリングは、「皇帝」の要求から、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領への報告は、国務長官と陸軍長官の二人で行うよう、ハルに提案してみるつもりだった。
「皇帝」事件がどのような顛末を迎えるにしても、その内容からすれば、ウッドリングにも、ハルにも、一人の肩に背負うには重すぎた。
陸軍省、国務省とも、国務・陸軍・海軍ビルヂングという同じ建物にいるのだから、雨を避ける屋根を支える柱は多いにこしたことはない。
ウッドリングは、海軍省も巻き込みたかった。
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