領土を持たない系の渡邊帝国はアメリカ合衆国で外交上承認されるのか (4)
ジェイ砦 ガバナーズ・アイランド
アッパー・ニューヨーク湾 マンハッタン区 ニューヨーク市
昭和一四(一九三九)年 七月一日 土曜日
明治三一(一八九八)年七月一日金曜日のその日のことだ。
合衆国陸軍第一〇歩兵連隊に所属していたジョン・ドラム大尉は戦死した。米西戦争のキューバでのことだった。
その時、マサチューセッツ州のボストン・カレッジに通っていた、息子のヒュー・アロイシャス・ドラムは、父の後を追うように、合衆国陸軍少尉として任官することになる。
そして、父の戦死から、四一年の時が過ぎ、ヒュー・アロイシャス・ドラム合衆国陸軍中将は、ジェイ砦に司令部を置く第一軍【第一合衆国軍】七代目の司令官になっていた。
第一軍とは、第一次世界大戦中の一九一八年、アメリカ海外派遣軍として編成された部隊だ。ジョン・ジョセフ・パーシング陸軍大将を初代司令官としてヨーロッパに派遣され、第一次大戦終結と共に解散した。
それから、将来の大動員に備えて、アメリカ国内を四つに分けた四個軍が編成された。一個軍は、指揮下にある三個軍団の地域にある、常備軍・州軍・予備役を指揮・訓練する。
第一軍は、デニス・エドワード・ノーラン陸軍少将を三代目司令官に据え、一九三三年に再編成された。
当初は、実体のない幽霊のようだった第一軍だったが、今年の八月一三日から二七日まで、アメリカ史上最大になる平時での動員により、ニューヨーク州プラッツバーグ大演習を実施するまでになった。
常備軍、州軍、予備役を合わせて、動員兵力は五二〇〇〇人。ドラムが、第一軍と兼ねている第二軍団の司令官として、南北戦争以来、アメリカ本土では最大の兵力を率いることになっていた。
その準備に追われ、ドラムは、忙しいながらも充実した日々を過ごしていた。
ドラムは、合衆国陸軍参謀総長の有力な候補者と見做されている。アメリカ史上最大の大演習を成功させて、何としても参謀総長の座を占めたかった。
審判の日が来たかと思うような雷の音。ナイアガラのような雹の滝で、ドラムは目を覚ました。
彼方此方から、「コニー・アイランドとホフマン・アイランドに見慣れない大きな軍艦がある」「何隻も船が燃えている」といった連絡も入ってくる。
そのせいで、ドラムは寝そびれることになった。
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