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第十湯 那須高原ドライブ


「えっ?」


首を傾げた夏帆は、センタークラスターのスマホを覗き込んだ。そこに映っているのは一直線に伸びる道と車を表す矢印マーク。それ自体はナビとして通常の表示だけれども、車がいくら走っても表示が更新されないのだ。


「ホントだ! あたしのスマホで確認してみるよ」


そう言って夏帆はスマホを取り出して地図アプリを起動した。そして少しの間があってから絶望的な表情をこちらに回した。


「あ、あたしのスマホもダメみたい……」


「まぁ、そりゃそうだろ……」


「どういうこと……? ふたりのスマホが使えなくなっちゃうなんて……」


夏帆は神妙な面持ちで考える人のポーズをした。そして一つの答えに辿り着いたらしく、バッと顔を上げた。


「はっ! まさか……これがサイバー攻撃っていうやつ? いわゆるアニサキス!?」


「ヒェー」と小さな悲鳴を上げて、見えない敵を怖がるように狭いシートで身体を丸めた。

たしかにアニサキスは怖いけど、たぶんアノニマスのことを言いたいんだろうな……。そうだとしても、国際ハッカー集団が私たちのスマホをハッキングして何か得はあるのだろうか。スマホに格納されているデータは、最近撮った伊豆のランチとか風景の写真くらいしかない。


「そうじゃなくて、ここだと電波が入らないんだよ」


「あ、なるほどね」


夏帆はこぶしで手のひらをポンと叩いた。

私たちが今居るのは地下のトンネル内。Wi-Fiが飛んでるわけでもないので、いま現在私たちのスマホは、ただの金属部品の集合体にすぎない。

目に入ってきた案内板によると、私が進んでいる右車線は環八を走り続けるルート。左車線は地上に出て関越道・笹目通りに向かうルートらしい。


「うーむ……。ここで曲がるべきなのか、それともまだ先なのか……」


「とりあえず、ここから出るのがよさそうだね」


「だな。……とは言うものの、左車線は混んでて入れそうにないし」


先程まで流れていた車たちは鈍行になりながら渋滞を成していた。おそらく左車線が正解ルートなのだろうけれど、……諦めるしかなさそうだ。


「しょうがない。トンネルを出るまでまっすぐ進もう」


溜め息をつきながらそう言う私に対して、


「おっけ! サヤちゃん、ふぁいと! たぶん、あっという間に出れるよ」


夏帆は青天井のテンションとヘリウムみたいな軽さで激励の言葉を投げてくれた。


ただ、そこからが想像以上に長かった。もしかすると距離的にはそこまでなかったのかもしれないけれど、焦る気持ちが勝ってしまい無限の時間の中を過ごしている気分だった。

まだか! 地上はまだなのか!? もしかして私たちは一生抜けられないトンネルを走っているんじゃないのか……。

疑心暗鬼になり、夏帆との会話が少なくなり、エンジンの音とタイヤがアスファルトを転がる音だけが響く、緊迫した空間となっていた。

ようやくのことで、白文字で「目白通り300m」と書かれた青色の看板が見えた。天井が四角く切り取られ、そこから青白い光が差し込んでくる。そして、ようやくの思いで私たちは地上へと射出された。


「で、出れたぁ……」


「おつかれさま! いやー長かったねぇ。……結局あれから左に曲がるとこなかったね」


言いながら夏帆はドリンクホルダーの飲み物を差し出してくれた。

「ありがと」と受け取って一口飲むと、甘いクリームが私の心を癒やしてくれた。氷が溶けて味が薄くなっているけど。

スマホは電波を取り戻したことで復活し、現在地に画面が切り替わった。それを確認する限り、想定していたルートからはそれほど大きく離れていないようだ。


「よかった。これならロスなく行けそうだよ。……やっぱりあの渋滞が正解ルートだったね」


渋滞しかり、長いものには巻かれるべきだと痛感する。

落ち込む私に対し、夏帆はポジティブシンキングの精霊のような笑顔で慰める。


「まぁ逆に言うと、あんだけ混んでたんだから、むしろこっちの方が早いかもしれないよね」


それは一理ある。というか、そう思いたい。

普段首都高とかトンネルの多い場所を通らないから気にしてなかったけど、通い慣れない道でアプリが使えなくなるのは辛すぎるな……。今度からは地下でも止まりにくいアプリを使おう。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



高速道路に入り、しばらく車を走らせる。

最初こそ夏帆が元気に話しかけてきたけど、今は静かにしている。やけに静かだと思ったら助手席のシートで気持ちよさそうに寝息を立てていた。朝起きるのは強いけど、やっぱ眠さはあるんだな。

なんか助手席で寝てくれると嬉しい。うるさくなくて済む……とかではなくて、それだけ安心できる運転と思ってくれてるのかもしれないから。


2時間ほど走って那須ICの出口へと向かう。

大きくカーブしながら降りると、遠心力によって夏帆の身体がぐらりと傾いた。

夏帆は「ぬぅ……?」とうなされながらぼんやりと目覚めた。


「あれぇ……、もう降りるの?」


「よく寝てたね。もう那須まで来たよ。……それじゃあ、ここからは」


ETCを抜けて信号待ちになったところで屋根を開放した。高原の清々しい空気が入り込み、髪をなびかせた。夏帆はそれで眠気が飛んだようで「おお!」と発しながら空に向かって元気いっぱいに両手を挙げた。


「オープンだぁ!」


栃木県道17号。那須の動脈となる那須街道を涼やかな風を受けながら進む。緑あざやかな木々が覆う道は一層涼しい風が流れ、道端に咲くあじさいと白百合が視覚的な涼しさを与えた。街道に構える建物は、ヨーロッパ様式のレンガ基調のお店や日本瓦を模した古風な家屋。落ち着いたトーンの街並みである。

夏帆はキョロキョロと視線を忙しなく動かして落ち着かない様子である。


「なんだかオープンって周りの視線を結構感じるね」


「あぁ、夏帆は昼間にオープンで走るのは初めてなんだよね」


前回、箱根で夏帆を乗せてあげたときは夜だったこともあり、人の目はほとんどなかった。

週末の那須。お昼前ということもあって人も車も多い。歩いている人が全員こちらを見てくる訳ではないけれど、赤色のロードスターは目を引きやすいというのもあるだろう。さらにオープンにしていれば意識しなくても視線がそちらに向くのも不自然ではない。


「恥ずかしい?」


そう尋ねると夏帆は空を眺めながら「うーん」と考えてから、


「なんだろな。どっちかっていうと有名人になった気分で落ち着かないね」


「……有名人気分はよく分からないけど、まぁすぐ慣れると思うよ」


「私もそうだったし」と言い加えてから、運転席と助手席では感覚が違うものだろうかと考える。私からすると、「大好きなロードスターをオープンで運転できて最高!」くらいの感覚だったから周りの視線がどうこうはあまり考えたことがなかった。市街地とか人の多い場所は屋根のある通常モードで走ったほうが助手席の人も落ち着くかもしれないね。

突然、隣の夏帆が「おお!」と感嘆をあげて、


「サングラス掛けると落ち着くね! なるほど、だから有名人ってサングラスするんだ」


おでこに乗せていたサングラスをキランッと装着してドヤ顔を向けてきた。

実際のところ車乗りでサングラスを掛ける人は多い。紫外線や路面の反射光の眩しさを軽減できるのだ。でも、夏帆の言うように他人と目を合わせる負荷が少なくなるからというのもあるのかもしれない。……私も買ってみようかな。


『那須高原温泉郷』と書かれた看板を通り抜けて緩やかな坂道を登り始めると民宿や食事処が増え始めた。

夏帆は流れる景色を右へ左へ首を巡らせて「そばにうどんかぁ。おっ! 味噌おでん、おいしそう」と食べ物の名前を見かけるたびにヨダレをじゅるりとさせていた。

そこから少し走ったところで鳥居が見え、夏帆が指でそれを差した。


「あ、そこの神社寄ってみたい!」


その言葉に従って鳥居手前の駐車場に停めた。

車から降りて大きく伸びをしながら深呼吸した。緑に囲まれた空気がおいしく、大きく開かれた空は手が届きそうなほど近い。


那須温泉神社。平家物語で有名な那須与一が扇の的を射る時に祈願を掛けたとされる神社である。またパワースポットとしても知られている。境内にあるさざれ石や御神木に触れると願いが叶ったり生命力などのパワーを授けられるらしい。


「はわぁ~。たしかに大自然のパワーを貰ってる感じがするよ」


そう言って夏帆は腑抜けた表情で御神木であるミズナラの大木に抱きついていた。離れて見ている私からすると、逆にパワーを吸い取られているように見えるけどね。

本殿に行き、二人で二礼二拍手。

ここは必勝祈願の御利益があるらしいけれど、私は勝負事には疎いので願い事が思い浮かばなかった。なので「夏帆が免許を無事取れますように」とお願いしておいた。

顔を上げて横を見ると、夏帆はまだ瞳を閉じてじっくりと祈っている。「いや、長いな」と茶化すこともできるけれど、ずいぶんと穏やかに微笑んでいるので止めておこう。

それからパッと顔を上げて夏帆は笑顔をこちらに向けた。


「じゃあ行こっか」


境内を回った私たちは裏手にある殺生石を見に行くことにした。

美しい女性に化けて悪さをしていた九尾の狐が、退治されて石に変貌したという伝説がある。その石は毒気を放って周りの人や動物を殺し始めたので、近くのお寺の和尚さんのお経によって破壊された。そのとき残った石を『殺生石』と呼ぶようになったらしい。

殺生石のまわりは有毒な火山ガスが噴出しているので、それが動物たちの命を奪うとされているようだ。実際に、ガスの噴出量が多いときは立ち入りが制限されるらしい。

その殺生石に向かう道中、興味津々といった具合に夏帆が訊ねてきた。


「サヤちゃんは、さっき何をお願いしたの?」


「そういうのは他人に言うもんじゃないんだよ」


私はそっぽ向いて応えない意志を表明した。

対する夏帆は特に気にしない様子で、


「そう? あたしはねー」


「って、ただ夏帆が言いたいだけじゃん」


夏帆はえへへと笑いながら照れた表情になった。


「『今日だけじゃなくて、これから先もサヤちゃんのドライブが安全でありますように』って」


「……ありがと」


こういう時、どんな顔すればいいか分からないの。とりあえず、ゆっくりと下手な笑顔を作っておくことにした。

夏帆は広げた指を折りながら続けた。


「あと『お金持ちになって悠々自適に暮らせますように』。それから『グラマーな大人の女性になってイケメンIT社長の玉の輿になれますように』ってお願いしておいた」


神様、この俗物の願いは叶えなくて大丈夫です。大学生というモラトリアムで悠々自適に暮らして、男子が視線で追うような抜群のスタイルをしているくせに……。無い物ねだりどころか、すでにある物で満足できないとは随分と欲深い。

目の前に現れた殺生石は割れていた。


「思ったよりでかいね」


「最近割れたらしいよ。……なんだか不気味で怖いね」


気のせいだろうけれど、割れた殺生石が僅かに動いた気がした。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



温泉に向かうため私たちは車に戻った。

目的地は目と鼻の先にあるけれど、私は山の方を眺めながらウズウズしていた。


「ちょっとだけこの先走らせてもいい?」


山の峰を差しながら、私は夏帆に提案してみた。

夏帆は笑顔で頷いて応えてくれた。


「もちろん、いいよ。何かあるの?」


「目当ては特にないけど、もう少しロードスターを楽しみたくて」


ロードスターに乗り込み、もちろんのことながらオープンにした状態で走り出す。

両サイドにある木々の壁の間を通りながら、右へ左へカーブを曲がりながら高度を上げていく、栃木県道17号那須高原線。以前その一部は『ボルケーノハイウェイ』と呼ばれる有料道路だった。現在、その区間は無料解放されており、今でも多くの観光客の周遊に利用されている。

助手席の夏帆は空を仰ぎながら、風の音にかき消されないように声を張った。


「風が気持ちいい! というか、あたし自身が風になったみたい!」


「これこそオープンカーの特権だよ」


伊豆に行った時に改めて気づいたのだ。風とか周りの自然を感じることのできる爽快感こそオープンカーに乗る一番の理由なのだと。そして今回、自分のためというのもあるけれど、なによりも、夏帆にこの気持ち良さを体験させてあげたかった。

私はバイクに乗ったことがないけれど、おそらくバイク乗りの人達も同じ気持ちなんだろうなと思う。流石にバイクの小回り能力まではいかないけれど、ロードスターは比較的小型な車両なので細い道も運転しやすい。そういったところで、ロードスターとバイクは近いかもしれない。


登り始めて程なくして『つつじ吊橋』という看板が目に入った。吊り橋って普通の橋と何が違うんだろう。橋を吊ってるんだから支えているのが両岸から伸びるロープだけなのだろうか。

気になったので駐車場に入ってみた。


「吊り橋かぁ……。あたし初めてこういうの渡るかも。怖くないかな?」


珍しく夏帆は自信なさげである。アクティブなものが好きなイメージが勝手にあった。


「私も初めてかもしれない。景色が綺麗だと思うし、ちょっと行ってみようよ」


夏帆を促してへと林の中へと進む。吊り橋までは木道が続いており、木漏れ日が明るく照らしていた。鳥のさえずりと風が草木を撫でる音が心地いい。

先程まで不安そうな表情だった夏帆の顔色が回復し、私よりも先を行っている。


「なんか草むらからポケモンが飛び出してきそう!」


まさに冒険しているようなワクワク感を出しながら夏帆が言った。たしかにトキワの森が実際に存在するならここのような雰囲気だろう。

木々を抜け、まっすぐと対岸へ続く吊り橋が目の前に現れた。夏帆は走り出して吊り橋の中腹まで行き、麓の景観を眺めた。


「わぁ、景色きれい! サヤちゃんも早くおいでよ!」


夏帆がジャンプしながら手招きしている。私は「はいはい」とはしゃぐ子供を追いかける親の気持ちで橋へと踏み出した。

途中まで歩くと下から風が吹き上がってきた。足元を見てみると40mほどの高さがある景色、鬱蒼と生い茂る緑がグレーチング越しに確認できた。

その瞬間、私は足が竦んで手すりに飛びついた。


「なんで空いてるの!? 空ける必要ないでしょ!?」


膝をガクガクと震わせていると橋がグラグラと揺れてきた。短く悲鳴を上げながら前を向くと、夏帆がキーン走り(今風に言うなら禰豆子走り)で対岸に向かって走っていた。


「や、やめなさい! 夏帆っ!」


子供を叱りつけるように叫んでみたけれども夏帆には届かなかった。ただただ背中が小さくなっていった。

それからしばらく夏帆が往復してくるまで、私は腰を抜かして橋の真ん中でしゃがみこんで手すりに抱きついていた。向こう岸から戻ってきた夏帆は不思議そうに私を見つめて首を傾げた。


「そんなに吊り橋気に入ったの?」


「違うよ。助けてよ……」


夏帆の肩を借りながら立ち上がる。少し気持ちが落ち着いてきたので遠くに目をやってみると、鮮やかな山々の緑と澄み切った青空、麓まで見下ろせる景色が目に入ってきた。

私が夏帆の腕にくっつきながら暫くその景色を眺めていると、


「ね、綺麗でしょ」


自分の手柄のように誇らしげな笑顔で夏帆はそう言った。


「うん、綺麗」


でもやっぱり真下は見れなくてもいいと思う。


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