事件は会議室で起きているんじゃない! 花壇で起こっているんです!
毎日だいたい五時半に目が覚める俺だけど、今日ばかりはあの不吉な夢のせいで、四時半に目が覚めてしまった。
二度寝をしようかとも思ったが……まぁ、起きてしまったものは仕方がない。と、俺は割り切って布団から起きる事にした。
布団から起き上がった俺は、タキシードに着替え、紺色のネクタイを締めながら一階で経営している喫茶店へと降りる。
ここは自宅兼喫茶店――
それもただ『珈琲が好き』という理由で始めただけの喫茶店。
喫茶店と言ってもここは今どきのオシャレな喫茶店ではなく、60年代をモチーフにしたレトロな喫茶店だ。
俺はカウンターの中に入り、タバコを口に咥え、マッチを擦り、タバコに火をつける。
コーヒーポットのお湯を沸かしている間、俺はビートルズの『Here Comes The Sun』のレコードを掛ける。
曲に合わせて、俺はサイフォンにフィルターをセットして、焙煎したコーヒー豆を入れる。
それにしても……。毎日聴いても素晴らしい曲だ。
朝にうってつけの曲。この曲で朝が始まると言っても過言ではない。(※個人の意見です。)
曲が終わると、コーヒーポットのお湯が沸いた。俺はサイフォンにお湯を注ぎ、サイフォンを外し、コーヒーカップへとコーヒーを淹れる。
そして、カウンター席の方へと回って、椅子に座り、淹れたてのコーヒーを飲みながら、二本目のタバコを吸う。
そう言えば……。あの夢は何だったんだろう。
ふぅーと煙を吐き出しながら、俺はあの不吉な夢を思い返してみた。
だけど、いくら思い返してみても、あのシルエットの人間がただただ不気味だった事ぐらいしか思い浮かばない。
まぁ、こんな夢を見てしまうのは、日頃からあのバカ共に対して、ストレスが溜まっていたのかもしれん。
溜息を吐くように俺は煙を吐き出し、灰皿にタバコを擦りつけ、タバコの火を消す。そして、椅子から立ち上がり、カウンターの中に入って、ゾウの形をしたピンク色のじょうろに水を汲む。
これは日課だけど、ストレスが溜まったりしたら、花を愛でながら水をやったり、手入れをしたりするのが一番だ。まぁ、花の水やりは日課ですけど。
俺は口笛で『Norwegian Wood』を吹きながら、水を汲み終えたじょうろを持って、喫茶店前の花壇へと水やりに行く。
おお……。眩しいなぁ。
喫茶店のドアを開けると、太陽の日差しが眩しく、目に差し込んで来た。
俺は目を細めて、夏の青空を見上げ、ぼやく。
「いい……、天気だなぁ」
これだけいい天気だと、花もたっぷりと栄養を貰っているだろう。だがしかし、天気がいいからと言っても、せっかく育てた花が枯れてしまっては意味がない。
だから早く水をあげないと……って、
こ、こ、ここ、これは!!!!!
俺は、俺はまだ、俺はまだ夢でも見ているのか?
い、いや、し、しかし、タバコの味は本物だった……。
じゃ、じゃあ、一体誰が……、誰が俺の……、ガザニアちゃんとマリーゴールドちゃんを荒らしたんだぁあああああああああああああああああああああああああ!!
ハハハ……。おいおいおいおい。嘘だろ。なぁ嘘だろ。誰が嘘だと言ってくれぇええええええええええええええええええ!!
変わり果ててしまった花壇に少し……いや、かなりの情緒不安定になってしまい申し訳ない。
し、しかし、昨日まで。そう、昨日までは確かに綺麗に花壇で咲き誇っていた。だが今は、ガザニアちゃんもマリーゴールドちゃんも花びら一枚すら花壇に残っていない。そして何故か花壇の土は、花を抜いた形跡を残さない為なのか、平らに均されている。優しい奴なのか? 悪い奴なのか? 分からん。いや、後者だろ。
やられたよ……。ハハハ……。完璧にやられたよ。
俺はもう一度店内に戻り、カウンター席に座る。
クソッ……。花壇の前に防犯カメラを仕掛けとけばよかったぜ。
「うわぁあああああああああああああああああああ!!」
それから俺は、三時間ぐらい頭を抱えて落ち込んだ。
「マ、マスターさん! マスターさんは一体何があったのじゃ!」
白のワンピースを着た巨乳の女の子が、清楚さとは裏腹に、豪快に喫茶店のドアを開けて中に入って来た。
あぁ……もうこんな時間か、と俺は落ち込むのをやめて、椅子から立ち上がり、仕事の準備に取り掛かる事に。と、おっと。仕事をする前に、この巨乳の女の子を紹介しよう……と、それもその前に。
俺は彼女にヘアブラシを手渡す。
「髪がすごい跳ねているぞ。寝坊でもしたのか?」
「違うんじゃよ。これはついさっき、強い風が吹いたせいなのじゃ。おかげでお気に入りの麦わら帽子が飛んでいってしまったぞよ」
「そうか。それは大変だったな」
カウンター席に座って髪を直す彼女。話は違うが……。花壇の花がやられた俺には、お気に入りの麦わら帽子が風で飛ばされてしまった彼女の気持ちが痛いほど分かる。本当はこの痛みを明日の朝まで分かち合いたい……が、まぁでも今から、彼女を紹介しよう。
青髪のショートヘアーに、淡い青色の瞳をしている彼女の名前は吉岡瞳。
訛りのある独特な喋り方をしているが、彼女はこう見えても、都内でも有名なお嬢様学校に通っている超が付くほどのお金持ちのお嬢様だ。で、何故かそのお金持ちのお嬢様は何故か、本当に何故だか、うちの時給七百八十円の喫茶店のバイトをしている。
「どうしてなのじゃ? どうしてマスターさんが綺麗に育てたお花を、一本も残らずに抜いたのじゃ?」
髪を直し終えた瞳は、椅子から立ち上がり、カウンターの中に入って来た。175cmある俺の身長の肩ぐらいしかないそこそこ身長の高い瞳。顔を少し見上げて強く言う瞳に、俺は天井を見上げ、溜息を吐く。……あのですね瞳さん。
「それは俺が聞きたいぜ」
「何じゃ? マスターさんが抜いたんじゃないのか?」
「当たり前だろ。何の為に俺がそんなバカな事をしないといけないんだよ」
瞳は俺から視線を変え、顎に手をのせて考え始める。
「はて……。じゃあ、一体どこの嘘けがやったのじゃろうか?」
「さぁな」
目撃者もいなければ、防犯カメラも無い。この事件は迷宮入りだと思い、溜息を吐いた俺は、ポケットからタバコを取り出し、口に咥え、マッチで火を点け……る。
「マスターさん。ここでタバコを吸うのはやめるのじゃ」
瞳は、口に咥えているタバコを勝手に取り上げると、勝手に灰皿に擦りつけて火を消した。そしてタバコが入っている箱とマッチも取り上げられてしまった。
ジト目で睨んで来る瞳に、俺は溜息を吐き、冷めた声で言った。
「……一応、店内喫煙オッケーだけど?」
その言葉に瞳は頬を膨らませて、グイッと顔を近づけるようにして顔を見上げる。
「マスターさんは、タバコ禁止じゃ!」
「……何でだよ」
俺の店なのに……、よく分からない事を言う瞳に、俺は仕方がないと溜息を吐く。
「……分かったよ。じゃあ、自販機で缶コーヒーを買って来るから、店番を頼むぞ」
「ふん。マスターさんは嘘が下手じゃな。缶コーヒーを飲むなら、いつものようにここで作って飲めばいいじゃろうが」
「チッ……。バレたか」
「バレバレじゃ。嘘を吐く悪魔が許しても、神に仕えるガブリエルであるこのオラが許さないぞよ」
「……」
言い忘れていたが、彼女は少し……いや、かなりの厨二病が入っている痛い女子高生のお嬢様だ。
「タバコの代わりに……、マスターさんには飴ちゃんをあげるぞよ」
「あぁ……。ありがとうよ」
薄ピンク色の小さな肩掛けバックから手渡してきたレモン味の飴を、俺はさっそく舐めてみる……。
コロコロと口の中で酸味のある飴を転がして思う。
やっぱり、タバコいい……と。
それから店内をきょろきょろと見渡し始める瞳。
「ところで……マスターさん。あやつはまだ来てないのか?」
「まだ来てないよ。まぁ、どうせいつもの寝坊で遅刻だろうな」
「何じゃ、今日も遅刻か。毎日だらしないのぉう」
その件に関しては……、同感だな。
寝坊野郎の事を噂していたら、
「おっはよーございまーす! 今日も清々しいいい天気ですね!」
元気な声で彼女《寝坊野郎》が喫茶店にやって来た……が、
「「…………」」
彼女《寝坊野郎》の格好に、俺と瞳は口を開けて固まってしまった。開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。
透き通ったような白い肌に、黄色のショートツインヘアーの彼女の名前は太陽日向。
幼女ぐらいな小柄な身長に、寂しくも真っ平らな胸をしている。その子供みたいな特徴のせいで、よくお客様から『マスターの娘さんですか?』と訊かれる事もしばしば。まったく……。迷惑な話だぜ。
日向は生まれて二十三年間『人を疑う』と言う言葉を知らずに、世の中を渡って生きて来た事もあるから、日向の瞳は赤ん坊並みの純粋で綺麗な瞳をしている。また、お嬢様の瞳と違って日向は超が付くほどの貧乏人。だから日向はバイトとしてではなく、正社員として雇っている。
つっても今は、こいつの自己紹介はどうでもいい。それよりも今は……。
「どうしたのですか? マスターもガブちゃんも口を開けて固まって? んん?」
首を傾げる日向。
「なぁ日向。お前のその格好は何?」
「日向の格好ですか?」
自分の格好を、下から見て訊き返す日向に、俺は重く頷く。
「……あぁ、お前の格好だよ」
「見ての通りですけど。今日の日向のファッションは、麦わら帽子の代わりに白のパンティーを被りまして、服は……、マ◯オブラ◯ーズのマ◯オが着ているオーバーオールを着て来ましたね」
俺は「はぁー」と重く溜息を吐く。
「……そうか。じゃあまず何で、頭にパンツを被っているんだ?」
俺の質問に日向は『ん?』と首を傾げる。
「何を言っているのですか? マスター。これはパンツじゃなくて、パンティーですよ。パ・ン・テ・ィー。さぁマスターもご一緒に、パ・ン・テ・いったぁああああああああああああああああああああああああああ!」
朝っぱらからバカな事をほざく日向に、俺は日向の頭に目覚めの一発として拳骨を落とした。
「もう一度訊く……。何で頭にパンツを被っているんだ?」
たんこぶを押さえたまま日向は顔を上げる。
「実は……これ。通勤途中にシェ◯ロンから貰ったんですよ」
「あぁ……、そう」
シェ◯ロンから貰った……と言う下着にもツッコミたいが、今はそれよりも、気になるポイントがある。下着以上に……な。
俺はコホンと咳払いをする。
「じゃあ、訊くが……。お前が今手に持っている……それは何だ?」
その言葉に対し日向は、『見て分からないの? と言うよりも知らないの?』と言う表情を見せる。いちいちムカつくな。その表情。
「これはですね。ゾウさんじょうろと、土を掘る時に使うスコップ。と言います」
「……」
「で、こちらが、ナスときゅうりの種です。テストには出ないですけど、ちゃんと覚えといてくださいね」
「……」
俺は、静かに天井を見上げる。
そして、心の中で思う。
あぁ……やっぱりそうか。やっぱりそうだよな。
何となくじゃないけど、俺は何となく分かってしまった。花壇を荒らした犯人の正体が。
俺は改めて日向を見る。
「ちょっとばかし訊きたいんだが……。うちの花壇が誰かに荒らされたんだが……、お前、何か知らないか?」
「えっ!? マスターの花壇が、荒らされたんですか!?」
「あぁ……、荒らされてしまったよ。で、お前は何か知らないのか?」
「そうですね……。昨日の夜、日向が花壇を手入れしている時には……、特に怪しい人は見かけませんでしたよ」
「ほぉーう、そうか。日向は昨日の夜、俺の花壇を手入れしてくれたのか?」
「はい! ナスときゅうりを植えたくて。マスターの花壇を手入れしました。ちゃんとお花の花びらを、一枚たりとも残さずに綺麗にして、一応、お花を抜いたので、土も平らに直しました。おかげで日向は眠たいですよ。」
「そうかそうか。それはご苦労様」
俺は、『どやさぁ』とドヤ顔を決める日向の肩をポンポンと叩き、
「日向にはお礼をしないとな――」
ギューと強く掴む。
「お仕置きと言うお礼を」
「えっ? お仕置き?」
そして――
「うわぁああああああああああああああああああああああ! や、やめてください! マ、マストゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
泣き叫ぶ日向。
「それを荒らしたって言うんだよ! このバカが!」
怒り叫ぶ俺。
「痛い! 痛い! 痛い! 痛い! いたぁああああああああああああああああああああああああああああい!」
俺は今、日向にお尻ぺんぺんと言うお仕置きを食らわせている。
ちなみに……、コンプライアンスという事もあるから言っておくが、俺は日向が着ているオーバーオールの上からお尻ぺんぺんをしている。だから決して、こいつの汚いお尻を生でぺんぺんしているわけではない。くれぐれも誤解のないように。
「うぅ……うぅ……ぐぅ、ぐぇ……ぐす、うぇん」
ぐすぐすと、店の真ん中で座りこんで泣きじゃくる日向。その姿を哀れみな目で見る瞳。
「だいたいお主は何故、マスターさんの花壇を荒らしたのじゃ?」
「ぐすん。あ、荒らしてない! 綺麗に手入れをしただけだもん!」
「お主はそうかもしれんが……、綺麗に花壇を手入れして来たマスターさんにとっては、荒らされたと思うのじゃぞよ」
「だからって、だからって、普通可愛い乙女のお尻を叩く? 普通叩かないでしょ!」
涙目で俺を睨む日向。俺はやれやれと溜息を吐く。
「どこに可愛い乙女がいるんだよ」
「聞き捨てなりませんね。マスターは今まで日向の事をブスって思っていたんですか? ひどーい!」
「……そうは言ってないだろ。後、ハンカチを噛むな……。気色悪い」
「気色悪いって言った! 今、気色悪いって言った! うわぁあああああああん! マスターが気色悪いって言った! うわぁあああああああん!」
あぁ……。朝からめんどくせぇー。
まだ営業すらしていないのに、従業員ごときに朝から疲れ果てていると、『カランコロン』とドアベルが鳴った。
「まだ朝の八時半なのに、相変わらずここは毎日賑やかですね」
爽やかな笑顔で喫茶店に入って来た彼の名前は秋山駿。
現役の大学三年生で、今年の春からうちの喫茶店でバイトとして雇っている。正社員の日向や、駿よりも早くバイトをしている瞳よりも、駿は仕事覚えが早く、丁寧に仕事をこなしてくれる。だから、正社員の日向をクビにして、駿を正社員として雇いたい。と、密かに思っている。
ちなみに今は、夏休みという事もあって、駿と瞳は、日向に疲れる俺に気遣って、シフト時間とは関係なしに朝からわざわざ手伝いに来てくれている。まったく……、ありがたいぜ。
「へぇー。『花壇を荒らしたのではなく、綺麗に手入れをした』日向さんらしいですね」
「さっすが駿君! どっかのマスターと違って話が分っかるぅ~!」
「おい駿。いちいちどっかのバカを甘やかすな。すぐ調子に乗るからよ」
布巾でカップを拭く俺は、カウンター席に座ってブラックコーヒーを飲む駿の隣で、カフェオレを飲んでいる日向をギロリと睨む。「ですが、日向さん。どうして野菜を植えようと?」
「いやぁ~、それがさ。昨日の夜、テレビを見ながらお尻をぼりぼり掻いていたら、何か急にナスときゅうりが食べたくなったんですよ」
「「…………」」
その言葉に、日向を除いた俺たちは『はぁ?』と思い、時が止まってしまったかのように固まってしまった。
「え、えっと……、日向さん。それだけ……ですか?」
「それだけですよ」
得意気に鼻息をフンと吐く日向に、駿は苦笑いをする。その苦笑いですらカッコよく見える。
「食べたかったのでしたら……、野菜を植えるのではなく、野菜本体を買った方がよかったのでは?」
日向は少し間を開けて考える。
「……ん? ん~ん?」
そして……。
「あちゃー。その手があったか!」
「お主はバカじゃな」
俺の隣でカップを拭く瞳は、ポンッと叩いて納得をする日向に、冷たい言葉を吐き捨てた。
それよりも俺は、この日向にバカな理由で花壇を荒らされたかと思うと、もう怒る気がなくなった。と言うよりも泣きたくなった。ぐすん。