9.すれ違う二人
『……あ、あの……ごめん、今忙しいから……また今度ね!』
実花からこんな風に突然電話を切られることが、俺は初めてだった。
いつもだったら、繋がった瞬間から楽しそうに止まることなく話始めるのに……
嫌な予感がして、すぐにかけ直そうとしたが、実花への通話ボタンを押そうとした瞬間、沙彩からの着信。
電話の向こうではしゃぐ沙彩の声がその時の俺にはノイズにしか感じられなかった。
「沙彩、ごめん、今忙しい。また明日でいいかな?」
止まらない沙彩の声を遮るように通話終了ボタンを押した。
ふと思うと、今の沙彩に言った言葉が、ついさっき俺が実花に言われた言葉と重なった。
急に不安になり、その後何度も実花にかけ直したが、電源を切ってしまったのか、声を聞くことはできなかった。
そんなやり取りがあってから数日、俺は何度彼女に連絡を取ろうとしても電話が繋がらない。
一日の終わりに実花の声を聞くことが、今の俺の最大の癒しで、唯一彼女と通じ合える時間だったのに……
「狭山!! おい、狭山!! ボーっとするな!!」
サッカー部の顧問に怒鳴られハッとした。
「おい、最近どうしたんだよ? 可愛い彼女に乗り換えて浮かれてんだろ?」
からかうようなチームメイトの言葉の意味が俺には全く分からない。
「何言ってんだ?」
呆れたように言い返した。
「なぁ、お前さ、いい加減にしろよ? 静内の事文化祭であれだけ俺の彼女だって言い張っといて、簡単に可愛い転校生に乗り換えやがってさ。流石モテる男は違うな!」
訳の分からないことを皮肉たっぷりに、突っかかってくる。
「俺がいつ実花から乗り換えたんだよ? 適当な事言いやがって、いい加減にしろよ!!」
あんまり他人に対して感情を表に出す方ではなかったが、聞き捨てならない言葉についカッとなった。
そんな俺たちのやり取りを見ていたのか、祐介が走って間に入って来る。
「なになに、どうしたんだよ? 穏やかじゃないなー。翔太だって男なんだからさ、可愛い女の子が気になっちゃうのは男の性ってもんだろ? でも、本気じゃないんだもんな??」
祐介のヘラヘラと冗談を言う姿を見ていたら感情が抑えきれなくなった。
「祐介までなに言ってんだよ?! いい加減にしろ!!」
思わず祐介の胸ぐらを思いっきり突き上げた。
「おい、コラ!! 何揉めてんだ!?」
騒ぎを聞きつけ駆け寄ってくる顧問の声にハッと我にかえり、祐介の胸元から手を離した。
「ごめん……つい……」
最近実花に突き放されているような気がしていた俺は、ちょっとした言葉に周りが見えなくなってしまっていた。
「なぁ、お前の本音はどこにあるのか俺にはわからないけど、最近、木内沙彩とどれだけ噂になってるかちゃんと気付いてるのか? 静内がどんな気持ちで、その噂を耳にしてるのか、胸に手を当ててちゃんと考えろよ?」
掴まれた胸元を正しながら、祐介は言う。
「もし、木内さんの事、本気なんだったら、ちゃんと静内に逢ってケジメつけろよ? さすがの俺も見てらんねーんだよ、最近の静内」
祐介の真剣な表情が冗談じゃないことを代弁していた。
どういうことだ??
俺と沙彩が噂になってるって……
ただ俺は彼女のピアノの練習につきあってるだけだぞ……?
実花……
もしかして、俺、また実花の事を知らない間に傷つけてたのか……??
いろんな感情が駆け巡り、一気に血の気が引いていく。
もしかしたら、また実花にユミの時と同じ思いをさせているんじゃないか……??
「ごめん、俺今日帰らせて欲しい。ホント悪い!!」
実花……
今どんな思いで、何処にいるんだ……??
誰の返事を聞く前に俺は走り出していた。
実花……!
実花……!!
心の中で何度も彼女の名前を叫ぶ。
「ったく、なんなんだアイツ……」
祐介は翔太の鈍感な性格にお手上げな表情を浮かべながら、彼の背中を見送った。
暗くなった音楽室では、沙彩が一人翔太を待ち侘びる。
「いつも大体時間通りに来るはずなのに何かあったのかな……?」
何度も時計を見上げていた。
祐介はきっと沙彩が翔太を待っているんじゃないかと、部活終わりに音楽室を覗く。
案の定、音楽室で一人佇んでいる彼女に声を掛けた。
「木内さん、翔太、部活早退したから、今日はきっと来ないと思うよ?」
サラサラのロングヘア―を揺らしながら、声のする方へ彼女は振り向いた。
「……あの、翔太君、どうかしたんですか??」
心配そうな沙彩の表情を見て、祐介はやっぱり連絡してなかったかと翔太を頭の中で睨みつける。
「アイツ慌ててたから……。一応念のために聞くんだけど……木内さんは翔太と付き合ってはいないんだよね?」
もし本当に翔太が沙彩と付き合い始めていたとしたら大変なことだと、祐介なりに心配していた。
「……はい」
俯きながら答える沙彩が翔太に気があったら申し訳ないと思いつつも、彼女を見てはっきりと伝えた。
「翔太は、今アイツの彼女のところに行ってるよ!」
祐介は彼女の表情を視界に入れる前に、背を向けた。
突然の祐介の言葉を受け入れられずにいる沙彩。
全く気配を感じなかった翔太の彼女……
……一体誰なの……?
手に届きそうなところまで彼の心は近づいていると思っていたのに……
窓の外の暗闇のように沙彩の心は光を失っていく。
待ち人の来ない音楽室で、彼女は一人立ち尽くした……