3.沙彩との過去
「……あの子……一体誰なの……??」
中学一年の沙彩は音楽室の空きを確認しようと足を向けていた。
伴奏者だった彼女は、合唱コンクールの練習をするために順番待ちをしていたのだ。
遠くからうっすら聞こえていたピアノの音色が、近づくにつれてだんだん鮮明になっていく。
(まだ前のクラスの子が練習してるのかな……?)
そう思っていたものの、耳を澄ますと柔らかで優しい旋律に引き寄せられ、思わず音楽室の扉を開けてしまった。
目の前で演奏していたのは、とても同じ学校の生徒が作り出したとは思えない洗練されたメロディー。
小さいころからピアノ奏者のプロになりたくて、みっちり練習してきた沙彩は、キラキラと教室の空間を飛び回っている音の粒に釘付けになりながら懸命に聴き入った。
演奏に集中していて、音を作り出している主は、沙彩の存在に全く気付いていない。
「これ……『愛の夢』……」
輝く音が作り出されている大きな手の指先から主の表情を辿る。
その先には見覚えのない、美しい顔立ちの男子生徒が映り込んだ。
彼の表情は、悲しくて、切なくて……何かを心の底から求めているように見えた。
沙彩は心臓を突き抜けるような動悸に襲われ、一気に彼に心奪われる。
「あの……あなた……何者なの?」
演奏を終えて鍵盤から手を下した彼にすぐさま駆け寄る。
彼の驚いた表情に、沙彩は初めて会った人に不躾な態度をとってしまい、ハッとした。
「……ご、ごめんなさい……いきなり……。音楽室、次ウチのクラスの番だったから様子見に来たんだけど……」
もじもじと落ち着きを失っている沙彩をみて、彼はふっと笑顔を見せた。
「いいよ、こっちこそいつまでも弾いててごめん。久しぶりにグランドピアノに触ったからつい弾きたくなっちゃってさ」
静かに立ちあがり、彼女に席を譲る。
「……、あ、あの……わたし、木内沙彩っていうんだけど……、あなたは?」
暴れだした鼓動が彼の耳に届いていないことを必死に祈る。
「あぁ……、俺は狭山……狭山翔太。一年三組」
頭をくしゃくしゃしながら恥ずかしそうに答える。
「狭山……翔太君、あなたも伴奏なの??」
沙彩は何とか会話を繋げようと必死だった。
「あぁ。最近風邪が流行ってるみたいでさ。今日は練習早めに切り上がっちゃったし、みんな帰った後時間勿体ないから、こっそり弾かせてもらっちゃってた」
ハハと笑いながらも切ない目をしているのが気になった。
「あの……、私もプロ目指してピアノやってるんだけど……今度私の演奏も聞いてもらっていいかな? 翔太君の演奏……すっごく素敵だったから……」
真っ赤に頬を染めた彼女の姿を見て、翔太は沙彩にどこか実花の面影を見つけていた。
「いいよ」
そうして、沙彩は翔太の都合がつく日は必ず音楽室で、自分の練習を見てもらうのが日課になっていったのだ。
翔太は沙彩に実花を重ねて見るようになっていたのかもしれない。
彼女と逢えなくなった寂しさを誤魔化すように……