10.言えない過去
夕日が沈みかけたオレンジ色に輝く街並みは、ほんの少しだけ私の心を癒してくれる。
開演までゆとりをもって出たので時間が余り、私と駿先輩は会場の近くの喫茶店に入って時間をつぶすことにした。
「僕には翔太君と実花ちゃんって、ただの『好き』だけじゃなくて、何かもっと深いもので繋がってるように見えたけど……。実花ちゃんは翔太君の事もう信じられなくなっちゃったの?」
突然駿先輩の核心をついた質問に、私は戸惑ってしまう。
でも……『深いものでの繋がり』そんな言葉に、今まで誰に話すことのなかった過去の出来事を私は思い出していた。
駿先輩に聞いてもらおうか……
翔太はもしかしたら『好き』ではなくて、『責任感』で一緒にいてくれたのかもしれないということを……
「実は……」
私はゆっくりと重い口を開いた。
あれは私たちが五歳くらいの頃の話。
翔太が内緒で、空き地で親犬とはぐれてしまった仔犬を可愛がっていた。
家族の目を盗んで、ミルクや毛布などを運び、早く親犬の元に返してあげようと毎日足を運ぶ。
私はもちろんそれを翔太から聞かされて知っていたけど、言わないように口止めされていたから、ずっと見守っていた。
その日は穏やかな日差しで、日向ぼっこをしていたらついつい居眠りをしてしまうようなうららかな日。
「ゴンちゃん、今日はあったかくてきもちいいね」
翔太は仔犬の隣で、可愛い寝顔を眺めながらついうとうとしてしまう。
いつの間にか陽は落ちて、辺りはすっかりと暗くなっていた。
いつまでたっても家に帰ってこない翔太を心配した両親は、当然私の家に居るのではないかと連絡が来る。
私は翔太に『誰にも内緒だよ』そう言われていたけど、仔犬の事は翔太の両親には言わないでとお願いした上で、お母さんにたぶん空き地だよとこっそり伝えた。
「分かった。翔太君迎えに行ってくるから、実花はここで待ってて」
お母さんはそう優しく私に最期の微笑みを向け出て行った。
「翔太君!! 起きて!! みんな探しているわよ?」
お母さんが仔犬と寝ている翔太を見つけて揺り動かした時だった。
翔太よりも先に目を覚ました仔犬が驚いて、逃げるように道路に飛び出したらしい。
お母さんは遠くから近づいてくる車のヘッドライトに気づいて、懸命に仔犬を追いかけ抱きかかえた。
急ブレーキの音を耳にしながらも、結局避けきることが出来ず……
車の速度はそれほど出ていなかったらしいけど、頭に強い衝撃を受けて、そのまま帰らぬ人になってしまった。
不幸中の幸いか……翔太は眠りこけたままだったので、現場は見ていない。
とはいえ、翔太の両親と病院に駆け付けた時に、冷たくなったお母さんの傍でずっと泣いていた私をみて、相当なショックを受けたのは間違いないと思う。
言葉も出ずに立ちすくんでいた翔太の横で、ただただ私のお父さんに謝罪する翔太の両親。
今思えば、たった五歳で背負ってしまったものの大きさは計り知れないと思う。
そんな翔太が病室を出て行く後姿が余りにも小さく見えて、私は彼を追った。
誰もいなくなった空間に安心したのか、堰を切ったように止め処もなく流れ落ちる翔太の涙の粒が、パタパタと床を濡らしていく。
私にとって、両親と同じくらい大切に思っていた翔太の肩を震わせ声を殺して泣いている姿に、もうこれ以上私の大切な人が悲しむ姿を見たくない、それ一心で翔太をギュッと抱きしめた。
「みか……、みか……、ごめん。ほんとうにぼくのせいで……」
途切れ途切れの翔太の声に、翔太の辛い気持ちを少しでも持ってあげられたらいいのに……
抉られるような彼の心の痛みを感じ取って、一緒に深い悲しみに吸い込まれそうになった。
このまま二人で落ちてはいけない……
幼いながらにそんな感覚をもったのが鮮明に記憶に残っている。
「しょうたのせいじゃないよ。おかあさんも、しょうたも、こいぬを守りたかっただけでしょ? ふたりともやさしかっただけでしょ? だれも、なんにもわるくないよ……!」
その時考えられたすべての事を、私は必死に言葉にして翔太に伝えた。
小さな手で翔太を一生懸命抱きしめ、どうか翔太の震えを止めてあげてくださいと神様にお願いした……
「実花ちゃん……。ごめん、こんな話させちゃって……」
俯いて話していた私が顔を上げると、駿先輩の目が真っ赤に泣ていた。
「そんな……こんな暗い話、聞かせてしまってこちらこそ、ごめんなさい」
これから楽しく演奏を聞きに行こうって言うときに、やっぱり話すんじゃなかったかな……?
「実花ちゃんは……翔太君がそれで責任を感じて、傍にいてくれてるって思ってたの?」
駿先輩に顔を覗き込まれて、戸惑ってしまった。
嘘をついてもすべて見抜かれてしまいそうな彼のまっすぐな瞳で見つめられると、つい本音が零れだす。
「翔太に再会したときは、そんな事全く考えたりしなかったのに……
あんなに仲良さそうな、どことっても完璧な木内さんって女の子が傍にいるのに、どうして何のとりえもない私が翔太の恋人になれたのか、理由を考えだしたら……それしか思い浮かばなくて……」
無意識に涙が零れ落ちた。
ずっとずっと心の中で凝り固まっていた自信のなさがじんわりと溶けだし外に流れ出したようだった。
「実花ちゃん……。僕は実花ちゃんのことなんで好きになったかわかる?」
駿先輩は優しく私の頭を撫でる。
「僕は実花ちゃんの見た目だって可愛いって思うし、どんなに辛くても明るく一生懸命な姿に惚れたんだ。なんのとりえもないなんて、一度だって思ったことないよ。それは、翔太君もおんなじだって思ってたけどな……」
そんな駿先輩の言葉が心に沁みる。
翔太もそんなふうに私の事を好きでいてくれたらいいのに……
でも、やっぱり木内さんと二人の姿を思いだすととてもそんなふうに思えなくなってしまう。
「話してくれてありがとう。今日はさ、そういうの全部吐き出せたし、やな事忘れて純粋に音楽楽しもうよ? 僕はいつだって実花ちゃんのこと大切に想ってるし、今はユミだって同じ気持ちだと思うよ。また耐えきれなくなったら、いつだって聞いてあげるから、あんまり我慢しないで」
駿先輩の優しい眼差しに吸い込まれそうだった。
もうお父さんもあと数か月しか持たないってお医者さんにも言われてる中、正直気持ちが限界だったんだ。
素直に駿先輩の言葉に寄りかかって、私は音楽を楽しもうと、二人で店を後にした。




