表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
9/74

初めての委員長1

 既に通常授業が始まってから、一週間が経とうとしている。

 入学式まではなんとか花びらを残していた桜も、今はもうその枝からは桃色の花びらが完全になくなり、新芽が顔を出していた。


 三月末まで春先とは思えないような寒さが残っていたというのに、四月に入ると暖かい春が突然やってきた。その気温の変化を予想していたように、桜は三月最後の一週間で蕾を大きくしたのだが、月が変わって一気に咲いたかと思うと、その週末に降った雨でほとんど花弁を散らしてしまった。


 しかし散った桜の花を嘆く暇もなく、高校では始業式や実力テストが行われた。


 これまでテスト勉強というものを全くしたことのなかった杏奈は、進学後初となるテストもいつも通りに臨んだ。そしてその結果、この地域ではかなり有名な進学校である神海高校のテストの難しさは馬鹿にならず、返却された答案用紙を見た杏奈の顔を青ざめさせることになるのだった。


 唯一の救いは、実力テストに追試も補習もないということか。


 返ってきた五教科のテストの中には、赤点のボーダーラインを割る教科が二つもあったのだ。

 もし実力テストに補習や追試があれば、杏奈はクラスの生徒たちよりも先に教科書や参考書と親交を深めるはめになっていただろう。義務教育ではない高校では、あの点数を取り続けていては進学はおろか進級すら危うい状態であることは間違いない。


 そんな中、一番点数の悪い最後の答案用紙が返却され、自分の勉強不足を思い知らされた月曜日の放課後。その事実を突きつけられたショックでボーっとしながら、杏奈は「第一回生徒会定例ミーティング」と書かれた黒板を見ていた。

 そこは一年四組の教室ではなく、視聴覚室だ。周りには他にも、一年一組から三年八組まで計二十四クラスの各学級で選ばれた代表二名ずつが、そして各委員会の代表二名ずつも集まっている。彼らは全員が各クラスの、そして各委員会の代表……つまり正副委員長たちだ。


 もちろんそこに同席している杏奈も、自ら手を挙げたわけではなく他薦を受けたからではあるが、一年四組の委員長に選ばれている。

 中学からの知り合いもいないこの学校で、一体誰が杏奈を推薦したのか。それは、入学式の日に偶然仲良くなった、あの元気のいい小柄な少女だった。


 今更になって、成績の悪い不格好な委員長となってしまったことに思い至る。なぜあの時引き受けてしまったのかと思う杏奈だったが、もうこの場に座っている以上、後の祭りとしか言いようがない。



 それは、時間にして六時間半ほど前のことだった。


 すべての学級で、月曜日の一時間目には一週間で唯一のホームルームが割り当てられている。

 そして今日は、高校に入って最初の月曜日の授業だった。


 もちろんこのタイミングでやることといえば一つ。学級委員長をはじめとした、各委員会やクラス内での係りの選出、一種の儀式とも思えるあの時間だ。

 神海高校では、入学してからの一学期中は全員が部活か委員会に所属することが義務付けられている。つまり、委員会に入れば部活に入らなくてもよく、委員会に属さない場合は部活をしなくてはならないのだ。


 しかし、入部してすぐに幽霊部員になっても問題がない部活動に対して、委員会はその責任が大きくなるという問題があった。


 委員会の仕事が重荷になるのは、どこの中学校でも同じだったはずだ。それを体験してきている生徒たちだからこそ、やらなくても済むなら手を挙げないし、やらなくてはいけないとなれば楽な役職を選ぶに決まっている。

 そんな風に考え出してしまうと、ほとんど全員がどうしても避けたがる役職が一つ出てくる。それが学級委員長、つまりクラス代表のことだ。


 杏奈自身は、今まで(男時代)に委員長というものになったことはないが、絶対にやりたくないと思っているわけでもなかった。それでも、役決めのときはいつも「委員長は何となく嫌だ」と手を挙げたことがなかったのだ。

 とはいえ、頼まれたら断れない性格の杏奈は、他人から「適任だ」と推されれば断りきれないのは確実だ。しかし、今までは適任だと誰からも判断されることがなかったこともあり、委員長になったことはなかった。


 それに、一度なってしまうと何かが吹っ切れるのか、毎回同じ人が立候補していたのも理由としてあるのだろう。思い返してみると、一年間ずっと同じ人がやっていたような気がするし、その人と学年が変わっても同じクラスだと、やっぱりいつものように委員長に手を上げていたような気がする。


 しかし、今は新しい学校に入学した直後なのだ。クラスの中によっぽど委員長をやりたいと思っている人がいない限り、そんな風に率先して手を挙げる人がいるとは思えない。


 もちろん杏奈が手を挙げたいと思っているわけもなく、今回もこれまで通り、適当にその場の流れに任せようと思っていたのだ。

 それはつまり、誰かが手を挙げてくれるのを待ち続けるということだ。他の大多数の生徒たちがそうするように。


 ところが、委員長と副委員長を決めるという流れになったときだった。


 杏奈は、しばらくの間は生徒たちがお互いに様子を伺い合う、あの重い雰囲気になるのだろうと思っていたのだが、

「はいっ!」

 その予想を裏切り、すぐに元気よく声を出した女子がいたのだ。


 まさかいきなり声を出す生徒がいるとは。驚きながらも声がした方へと視線を向け……ようとした時だった。

「はあぁっ」

 ため息にしては大きく、声を出しているにしては掠れていて小さすぎる『音』が、前の席から聞こえてきたのだ。


 杏奈は思わず、最初に声を出した人物よりも先にそちらへと視線を向けた。

 その『音』の主は杏奈のすぐ前の席に座っている、秋元真奈その人だった。


 彼女は俯き気味で頭に手をやっていて、その体勢のまま首だけ回すと、先ほどの声の主である女子生徒の方へ視線を向けた。


 その目線を追うように、杏奈も顔を右前の方へと向けてみると、

「お、元気がいいなー白川。どうしたんだ?」

 担任の岡本に指名される、手をぴんと上へ伸ばした晶の姿があった。


 気付けば、杏奈や真奈だけではなく教室にいるほぼ全員が晶の方へと顔を向けている。

 思いっきり目立っていて、文字通り注目の的状態だ。


 しかし、彼女が手を挙げたのはクラスの代表になるためではないだろう、と杏奈は思った。


 入学式が終わった後や、実力テストから解放された時、それに普段の授業を受ける様子から感じる印象は、オテンバこそふさわしいが委員長なんてとても務まりそうになかったのだから。

 それに、晶が委員長に自分から立候補するような性格をしていないだろうということは、まだまだ付き合いが短い杏奈にもすぐに分かる。


 きっと誰かを推薦するために手を挙げたんだ。杏奈がそう思ったときだった。

「はい。委員長には如月杏奈さんを推薦します!」

 晶は手を挙げたときのテンションのまま、そう言い放った。


「……は?」


 その言葉を聞いてから一秒ほどのラグの後、自分が指名されたことを理解した杏奈は、信じられないというような声を漏らすと、いつもより少し目を大きく開いて、そのままの表情で固まったまま動かなくなった。


 岡本も、まさか最初の係り決めから推薦が来るとは思っていなかったのだろう。硬直状態の杏奈の方を一瞬ちらりと見たが、すぐに晶へと視線を戻して言った。


「そうか。だが白川、ただ推薦しますと言うだけでは説得力が無いぞ。何か理由はあるのか?」

「もちろんあります! 杏奈さんはいつも周りを見ていて気配りができるし、優しい人です。委員長としてクラスのみんなをしっかりまとめてくれると思います!」


 岡本の言葉に戸惑うこともなく、クラス全体から集まる視線に緊張することもなく、おそらく事前に準備していたのだろう推薦理由を、晶はスラスラと言ってのけた。

 それを聞いていたひとつ前の席に座る真奈が「おいおい」と小さな声でつぶやく声で、杏奈はようやく我に返った。


 ふと教卓の方を見てみると、反対にこちらを見ている岡本と視線がぶつかった。


 杏奈と目が合ったのを確認した岡本は、

「だそうだが、如月はどうだ? 委員長を引き受けてもらえるか?」

 と言った。


 その視線と声にあわせて、クラス中の視線もまた、杏奈に集中してくる。

 恐らく晶が推薦相手の名前を言ったところで、まだクラス全員の顔と名前が一致していないはずのクラスメイトたちには、誰が推薦されているのか分からなかったのだろう。


 唯一全員の名前を覚えているらしい担任の岡本が視線を向けたため、ようやくどこに件の人物が座っているのか分かった。それで、今になって視線が集中してきたのだ。


 しかし、考えがまとまっていない上に慣れない数の視線にさらされては、

「はぁ……」

 と生返事しかできない杏奈だった。


「推薦されたからといってやらなければいけないことはないし、本人の意思が重要だからな。無理だと思うなら、きっぱり断ってくれてもいいんだぞ?」


 クラスの代表と言う重い役割だからだろう、岡本はあまり無理にやらせようという気は無いようだ。プレッシャーを与えないようにするためか、その口調は軽かった。

「いえ、大丈夫です。委員長やります。……推薦されたのなら」


 どうして晶が杏奈を推薦したのか。その「本当の」理由は分からなかったが、それでも晶は杏奈が適任だと少しは感じたのだろう。だから推薦するために真っ先に手を挙げた。そう杏奈は結論付けることにしたのだ。

 その気持ちを無碍にはできないし、もしここで杏奈が辞退してしまうと、後に待っているのはあの重い空気にクラスが包まれる微妙な時間だ。あの雰囲気があまり好きではない杏奈は、反射的に引き受けると意思表明してしまっていた。


「本当にいいのか? 嫌々じゃないんだな?」

「はい」

「そうか、分かった。それじゃあ委員長は如月に頼む。みんな、異存が無ければ拍手してくれ」

 その岡本の言葉とともに、クラス中から拍手が巻き起こる。


 一年四組に、今年度最初の学級委員長が誕生した瞬間だった。



 一時間目のことを思い出していた杏奈は、はぁっと小さなため息をついた。


 今になって思い返せば、いや、今更思い返すことでもないのだが、委員長というのはクラスのまとめ役となる存在のはずだ。

 それは、クラスの中で意見が対立したとき、両者の意見のすり合わせを行うことも含まれるのではないだろうか。時には少しの反感を買うことも覚悟をして、強引な決定を下すことだってあるのではないか。


 たとえ、不満に思われることが一時的なものでどんなに小さな感情であっても、再び一人暮らしになった杏奈としては、嬉しくないものとなる。


 今までの経験から、長期間の一人暮らしを上手くこなすためには身の周りの人たちと仲良くなることが大切だと、杏奈は思っている。

 生活資金に困らないからといって、全てのことが解決できるわけではないのだ。

 一人では解決できない何かが起きたとき、周りに助けてくれる人がいなければどうしようもなくなってしまう。それを避けるために以前は同じアパートに住む人たちと仲良くしていた。


 その理論からいけば、学校の友達はあまり当てはまらないかも知れないが、だからといって敵を作ってもいいというわけではない。

 これから一年のほとんどを過ごすことになる場所に居場所がないのは、とても辛いことだ。


 だから仲のいい友達は増やそうと思っている。……のだが。

「どうしたの杏奈ちゃん。ため息なんて吐いて」

 一方で、こんな風にフレンドリーに話しかけてきた一年四組の副委員長こと楠本達哉を、杏奈はどうもすぐには信用できなかった。というのも、今こうして話しかけてきた達哉の表情が、女子と話すときにお決まりの笑顔の仮面を被った状態だからだ。


 入学式の日に話したときのような不機嫌さがないとはいえ、これはこれで感情を隠していることに他ならない。いわば営業スマイルのようなものだ。


 この一週間で彼の態度に変化があったことで杏奈は一瞬ホッとしたのだが、今となっては戸惑いの気持ちに戻ってきている。


「ちょっと、委員長の仕事って大変そうだなーとか考えてただけだよ」


 その不信感が出てしまわないように気を付けながら答えて、頭の後ろで手を組んで一つ小さく伸びをした。


 杏奈は、達哉の感情を読み取れないこの表情があまり好きではない。初めてあった時の少しイライラしていた態度の方が、まだ好感を持てたほどだ。


 思い出してみればあの日の夕方、杏奈は達哉に「友達として仲良くして」欲しいと言ったのだった。


 あれから数日、達哉がクラスメイトたちとどのように接しているか、その様子は目に入ってきている。


 この男は普段、他の男子生徒たちと話しているときは笑顔の仮面など着けていないし、テンションが低ければちょっとノリが悪く、逆に高ければ明るい顔で話をしている。見た目も中身も普通の男子高校生だ。


 反対に女子と話す時は、この笑顔の仮面。


 あの時に杏奈が言ったのは、男子にしているような「普通」の接し方をして欲しいという意味だった。

 しかし、あの日別れてから次に学校で会ってみると、こいつは杏奈に対しても他の女子と同じように、事務的としか思えないこの態度を取るようになっていたのだ。


 もしかしたら達哉にとってはこれが女子と接する時の「普通」なのかも知れないが、杏奈にしてみればそれは疑問なのである。

 なぜなら、男女で態度を変える理由が分からないからだ。


 だから余計に何を考えているのか分からないし、かといってこちらから距離を置くようなことはできないし、無理に仲良くなろうとも思っていない。杏奈の方からは、普通の友達付き合いの距離を保つことに決めている。


 それに、これからは二人でクラス代表をやっていくことになるのだ。無理に欠点を指摘して、かえって仲違いするのも良くないだろう。

 杏奈はそう結論付けて考えるのをやめると、「戻るか」と言って組んだ手を戻しながら席を立った。


 会議はすでに終わっていて、視聴覚室には杏奈と達哉の二人しか残っていない。


 この学校では、視聴覚室など特別教室は使っていた最後の人が戸締りをする、というルールが設けられている。

 つまり、最後まで残っていた杏奈たちが鍵を返却しなければいけないのだが、それはボーっとしていた自分が原因だ。仕方がないので杏奈は出入り口から一番遠くの開いている窓に近づき、そこから順番に閉め始めた。


 達哉も杏奈とは反対側の列の窓を閉め、ちゃんと鍵までかけたことを確認してから、二人は部屋を出る。がちゃりっと入り口のドアもロックした。


 少し面倒な作業ではあるが、クラスで特別教室を使う場合、毎回この作業を委員長と副委員長がやることになるのだ。それを考えると、今から面倒くさがっていても仕方がない。


「待たせて悪かったな、楠本」

 待っていてくれた副委員長にお詫びの言葉を投げかけて、杏奈は彼と一緒に、鍵を返すために職員室へと向かった。

面白いと思っていただけたら、ブックマークだけでもしていただけたら嬉しいです。


評価や感想、誤字脱字などの指摘もありましたら、

よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ