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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
杏奈さんの懸念と秘密
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変わらなかった関係、変わっていく気持ち6

 お茶と水の入ったピッチャーとコップ、それに端を杏奈が持ってくる間、達哉は食卓に並んだ皿に目を向けて、目を輝かせていた。


「杏奈の作ったあの弁当を知ってるからね、むしろすっごく期待してるよ」


 買い物中にしていた雑談では、達哉も今は杏奈のように一人暮らしをしているのだが、食事は全てコンビニの弁当かファミレスやファストフードで済ませていると話していた。本当であればお手伝いさんを雇っていたはずなのだが、ちょっとした手違いでそれが無くなってしまって今のような食生活になっているらしい。


 食事のバランスはあまり整っておらず、

「そのせいかな、何だか調子出ないんだよね」

 なんて言っていて、だから今回杏奈がした夕飯のお誘いには、もうこれ以上ないくらいワクワクしているようだ。


 普段なら「料理ができる」という女子がご馳走してくれるという話になっても、達哉は何かと理由を付けてお断りをしていただろう。しかし杏奈がそう言うと期待度が全然違っていた。


 というのも、杏奈たち女子四人と達哉たち男子三人が仲良くするようになって、昼食を一緒に食べる機会ができた。その時、一人暮らしをしているという彼女の広げた弁当が、とても美味しそうな「普通のお弁当」だったことに驚いたのだ。しかも友人である女子三人がなぜか自分のことのように彼女の弁当を自慢し始めたとなれば、心の奥で一度食べてみたいと思ったのである。


 その気持ちが、今密かに溢れ出しているのだ。


 一方、彼の期待がどれだけ大きいのかを何となく察し始めた杏奈だったが、なんでそこまで強い気持ちがあるのかまでは分からない。


「そこまで期待されても困るよ。ホントに普通に作っただけの和食だぞ?」


 苦笑いをしながら達哉の正面に腰を下ろしたのだが、

「むしろ普通のご飯が食べたかったから。作ってくれてありがと、杏奈」

 お礼まで言われてしまったのだった。


 いつだって、食事を作ってあげた人からお礼をもらうのは嬉しい。もちろん、「おいしい」も。


 ただ、今日だけで何度もドキドキさせられた達哉からのお礼で感じた「嬉しい」は、いつもよりも複雑で、いつもよりも温かかった。


 またも鼓動が早くなってしまった彼女は、

「い、良いよお礼なんてっ。ほら、冷めないうちに早く食べる!」

 照れ臭い気持ちに飲み込まれて早口で言葉を投げ付けてしまう。しかも、いつもの男っぽい口調がどこかに行ってしまっていることにも気付かず「いただきますっ」と言うと、箸を手にとって「はむっ」と大げさに口を大きく開いてご飯を頬張るのだった。


 急に照れ始めた彼女の様子に首を傾げる達哉だったが、それもまた可愛いと思いながら、彼女から少し遅れて「いただきます」と箸を手に取った。こんな風に、二人きりでいる時間が増えれば増えるほど彼女が見せる可愛いところが多くなっていて、しかも今日は手料理もご馳走になれるのだ、彼にとってはこれまでにない充実した一日になっている。


 ただ、杏奈からすれば終始笑顔が絶えない彼の心の中なんて分かるはずもない。


 さっきまでは視線が右に逸れていたのだが、それでも少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。箸を持った彼が味噌汁に口を付けた今、味の感想が気になる杏奈は、ずずっと啜るその様子を上目遣いで見つめている。


 その間に杏奈は咀嚼していた一口を飲み込んだのだが、気になりすぎて、次の箸は進まなかった。


 自分と彼では生まれ育った地域が違う。そのせいで口に合わないのではないかという不安も、やっぱり付きまとっていた。普段の昼休みに食べる弁当だったら、もしくは、そこに座っているのが達哉以外の異性だったら、ここまで気にはしていなかっただろう。


 杏奈が自分の気持ちを認めていないだけで、もう既に心のかなりの大部分が達哉に対する興味で埋まってしまっているのだ。


 一口飲んだかと思えばことっとテーブルにお椀を置いた彼の動きに、一体どうしたのかと固唾を飲んでしまうのも無理はなかった。


「杏奈、あのさ」


 じっと、対流する味噌のつぶの動きに目を落とす姿さえ様になって見えるのは、心が奪われつつあることでフィルターがかかっているのか。


「ど、どうしたんだ?」


 しかしそんなことよりも、達哉がどうして一口しか食べてくれなかったのかの方が気になる。

 合わせ味噌なら赤味噌と比べれば断然白いし大丈夫だろうと思って使ったものの、彼にとってはまだ塩辛かったのだろうか。それとも、具材に嫌いな食材が入っていたのだろうか。それともそれとも……。


 心の中に心配がぐるぐると渦巻いてくる。まるで、最近ようやく薄まってきたはずの色々と感じていた不安が蘇ってきたかのようだ。


「毎日、オレにご飯を作って欲しいなって」


 そんな風にどうしようどうしようと慌て始めていたからか、彼の口にしたその言葉が何を意味しているのか分からず、

「へ……、毎日っ!?」

 裏返った声を出してしまった。


 その意味を理解するために何度か頭の中で繰り返して、二秒ほどしてからようやくハッとする。

「ってそれ、どこかで聞いたプロポーズの言葉じゃないか……」

 よく考えてみればそれは、いつどこで覚えたのかは分からないものの、男がプロポーズをするときに使う言葉として記憶しているそれに似ていた。


 お礼の言葉をもらってドキッとさせられてからのプロポーズの言葉。普通であれば多少雑ではあっても本気のチャレンジと捉えることもできたかも知れない。


 しかし彼女にしてみればそれこそ男だった頃から料理ができていたからか、「胃袋を掴まれる」感覚が全く想像できなかった。だからどうしても現実味というものが抜けてしまって、感情が一気に現実に引き戻されたような気がしてしまう。


 まだ、腕を見込んで雇いたいと言われた方が嬉しかったかも知れないくらいだ。


「ごめん驚かせちゃって。そこまで強い意味では無いんだけど、でも、杏奈の作ったご飯を毎日食べたいなって思ったのはホントだよ」


 杏奈は達哉の言葉をまたいつもの冗談かと思っていたのだが、彼の表情は真剣なままだった。


「オレさ、こっちに来てからずっとコンビニとか、ファミレスとかばっかりで……こんなにちゃんとした味噌汁食べたのも久しぶりだったから、感動しちゃったんだ」

「そんな、感動したなんて大袈裟な……」

「大袈裟じゃないよ。最近、疲れが全然取れなくなってたんだけど、一口ですっごく元気出た」


 色々なことで苦労をして来た杏奈ではあったが、それでも食事に関しては自分が料理好きなこともあって、手のかからない食事を連続して摂ることはない。だから、食の乱れで体調が悪くなるということは、何となく知識として知ってはいても体験したことがないのだった。


 しかし達哉にしてみればまさにここ最近がそんな状態で、いい加減バランスのいい食事をしなくてはいけないと気付きながら行動に移せないでいた。そんな矢先に杏奈からお誘いを受けて、飛びついてしまったのである。


「それも大袈裟だよ」


 一方、慣れない好評価を受けすぎて、杏奈はまたまた顔が赤くなってきている。照れ隠しをするようにぼしょっと呟いた言葉も、声が弱すぎて例え隣にいても聞こえなかっただろう。

 照れると思っていた以上に熱暴走しやすいことはもう分かっているとはいえ、すぐに対処できるようになるわけでもない。


 テーブルをはさんだ向こう側に座っている達哉には、もちろんその声は届かなかった。


「コンビニ弁当とかだけじゃ、オレももう限界なんだ。だから杏奈、お願いっ!」


 しかもかなり必死なようで、言い終わるよりも前に彼は座ったままとはいえ頭を下げていた。


「頭なんて下げなくて良いよ! そんなに困ってるなら、ちゃんと助けるから!」


 熱が上がったのか少しぼーっとし始めていたものの、まだ頭の回転までは止まっていない。今まで見たことがないくらい必死になっている彼の姿に、杏奈は慌てて声をかけた。

 ほとんど反射的に引き受けると言ったとはいえ、もちろん無条件でというわけではなく、その辺りのことも一応考えてはいる。


「ただし、料理をこっちでもそっちでもやると洗い物とか二度手間になったりするから、お前が家に食べに来ること。まあやるからには基本毎食準備するけど、必要ない時が分かったら早めに連絡すること。それと、この件は達弘さんから……お前の家から受けてる恩を少しでも返すためって理由にするから、あの人にはそっちから説明しておいてくれないか?」


 無条件ではないといっても、ほとんどあってないようなモノばかりだ。


 食事の用意は自分の住んでいる部屋でしかしないというのは杏奈の我儘でもあるのだが、これには色々と理由がある。


 まだここに引っ越してくる前の分譲中だったころ、モデルルームとは別に見せてもらった、今は彼が住んでいる一一〇一号室。あの広すぎる一室にたった二人きりで食事をするというのは、想像しただけでも虚しくなってしまうのだ。

 この二十二畳半ある空間に一人きりというだけでも寂しいのに、あの場所で過ごせるほどの強い精神的な耐性を持てる自信がないのが理由という、一人暮らしの経験が長い割には寂しがり屋の杏奈だった。


 そんな心の内を隠すように、言い終わると杏奈はまた一口ご飯を箸で運んだ。


「うん、ありがと、それで大丈夫だよ。弘にはオレから伝えておくけど……それってお金はいらないってこと? 食費とか、必要なお金は出すよ?」


 しかしその気持ちが顔に出たわけでもないため、達哉が本当の意味に気づくことはなかったものの、彼からすれば実質「無償」である杏奈の出した条件には首を傾げるのだった。しかし杏奈は「いらない」と首を横に振って、ごくんとご飯を飲み込むと、

「こっちは恩返ししようとしてるのに、対価なんてもらったら恩返しにならないじゃないか……」

 そう続けた。


 その辺りの感覚が彼には分かりづらいだろうというのも、彼女は理解している。ただ一応はそれで納得したらしく、ようやく達哉も食事を再開するのだった。


 この話が終わったことで落ち着いて食事ができるかと思いきや、次の達哉は何を食べても一口ごとに「おいしい」と言うようになってしまって、結局落ち着けない。とはいえ、連発されれば慣れてきて嬉しさやありがたみも減ってくる。


 途中からはこれからのことを問いかけて、少しずつ話題を逸らしていくことで会話をつなげていくことにした。これからというのは、朝昼晩と毎日食事をしに来るのなら、それぞれ何時くらいに来ることになりそうなのかとか、杏奈自身が普段は何時ごろ食事をしているのかとか、そういったことである。


 達哉が朝にランニングをしていることは杏奈も知っている。ただ、毎朝その姿を目撃しているわけではないため「たまに頑張ってるのかな」と思っていたくらいだ。しかし話を聞いてみるとどうやら平日も休日も関係ない毎日の日課にしているらしく、時間がまちまちということだったようだ。


 反対に杏奈の方は、朝と夕方のスケジュールは予定が入らない限りほぼ毎日変わらない。


「朝食は六時くらいで、夕食は六時半くらいに食べてる」


 といつもの食事の時間を伝えると、

「じゃあ、オレが杏奈に合わせるようにするね」

 達哉は「自分が頼んでるんだから」と言って笑う。


 杏奈としては食事の時間がずれても構わないと思っているのだが、合わせてくれると言うのなら反論はしなかった。

次話で二章も最後になります。


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