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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
杏奈さんの懸念と秘密
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これも杏奈の役目6

 元々男だったとは言え、そんな機密情報を仮にも接触しそうなほど接近すれば鼓動が跳ねてしまうような異性にズバズバ言われ、

「それに、健康状態もずっと良好だって。むしろこんな女の子と結婚したいって思うのが男ってものだよ」

 止めとばかりにこんなことを口にされては、さすがの杏奈もさっきとは別の意味で顔どころか耳まで真っ赤な状態になっている。


 果たして達哉に悪気があったのかは分からないが、杏奈からすれば「なるほどこれがセクハラされるってことか」と嫌でも思い知るような体験だった。確かに不安に思っていたことに対する有益な情報をもらってはいるが、訴えたら絶対勝てると確信するくらい完膚なきまでにやられた状態である。


 肩の震えとして現れるほどのそんな感情を、

「~~っ! もう見るなっ! 見るの禁止っ!!」

 と達哉が手に持つ資料をかっさらうだけでは抑えきれず、涙目のまま荒い呼吸で相手を睨み付ける。


 このまま勢い任せに全部引きちぎって燃やしてしまいたい気分だが、何十枚という用紙を一気に破れるだけの怪力はなく、この量の紙を燃やせば間違いなく火災報知器が作動する。という判断ができるくらいには冷静になり、ため息交じりにテーブルの達哉が座る位置から一番遠い位置に封筒を放りながら、椅子に腰を下ろす。


「分かった、悪かった。バカな話を持ち出したわたしが全部悪かったよ」


 力なく敗北宣言をして、背もたれに全体重を預けながら天井を仰ぎ見た。


 あまりの脱力感に、ここまで無気力になるのはいつぶりだろうなー、と現実逃避気味のことを考えていると、

「えっと……杏奈ちゃん、大丈夫?」

 そんな彼女の状態を見た達哉が、心配そうに声をかけてきた。大丈夫なわけないだろと返したくもなるが、そんな嫌味を返す気力すら抜け落ちてしまったらしい。


「お前から見て、どう見えるかが答えじゃないか?」


 とやる気のない返事が代わりにこぼれ落ちた。

 本当は杏奈自身、達哉の気持ちが変わっていないことに心のどこかでは気づいていたのだ。


 もし彼の気持ちが変わっていたら。それこそ、人造人間という存在に嫌悪感を覚えていたら、会話がもっと辛辣なものになっていただろう。例えば、今野が杏奈のことを実験体としか見ていなかったように、達哉の杏奈に対する見方もどこかのタイミングで変わっていたはずだ。


 もっとひどければ、言葉を交わすのも嫌だと思われても不思議では無い。


 しかし彼は、そうなるどころか杏奈の身を案じていた。誰かに狙われても守れる力が自分にはあると。正確には楠本家の、楠本財閥の力を使ってということが前提ではあったが、それでも杏奈のことを考えていなければ出てこない言葉であるはずだ。


 今までの状況が、そのことを物語っている。


 観察眼がそれなりにある杏奈が、そのことに気づかないなんてことはない。それでも、気づいていないフリをして、この男の恋愛対象から外れようとした。


 結局はこうして色々と言い負かされてしまい、失敗したのだが。


 加えて、この体もとんだ裏切り者だ。

 先ほどはセクハラ発言を浴びたものの、精神面が純粋な少女ではない杏奈にしてみれば、本当なら「だからどうした」で済むものだったはずだ。ところが、体の方が完全に恥ずかしがってしまった。


 最後の「こんな女の子と結婚したい」も、呆れるくらいド直球な言葉だ。それも杏奈のデータをこれでもかというほど並べた後での発言となれば、要するにプロポーズだろう。ところが、そんなことを言われても理性だけであれば「やだね」と返す自信があるのに、体の意見を聞いてみると「喜んで!」という答えが返ってくる。


 ではこの体が彼から浴びせられたような「発言」に弱いのかといえば、決してそんなことは無い。


 研究所時代、同じ世代の実験体としてグループになっていた康太という男子がいたのだが、彼からもそれは色々なセクハラ発言をぶつけられたものだ。近くに明日香がいれば、あの子は「康太ってば最低!」と猛反発していたから、あの男の発言もなかなかのものだったのだろう。


 康太は杏奈が元々男だったと知っていたが、時には「いつか結婚しようぜ」という言葉もぶつけてきたくらい杏奈に好意があったらしい。しかし彼女は全く取り合わず、体の方も普段通りだった。むしろ、その言葉を今思い出すと何とも言えないげんなりした気分になってくる。顔をしかめたくなるくらいだ。


 つまりこの体は、そういう言葉に弱いのではなく、達哉を受け入れ、康太をそういう対象から外してしまったらしい。


 しかし、康太と達哉という二人の男子を意識の中で並べてみても、杏奈としては違いなんて何も感じられない。


 強いて挙げるなら、育った環境の良い達哉の方が普段の言動も柔らかいというくらいだ。


 ところが身体的な反応は全然違って、達哉の方に軍配が上がる。これはもう彼女自身では「何が違うか」を説明できない状態である。

 だったら直感的な反応を信じるのも選択の一つだろう。しかし理性としては、このまま達哉の気持ちを受け入れてしまうのは癪だ。

 体は魅了されているかもしれないが、心まで落とされたわけではないのだから。


 じろり、と目だけを動かして一人の男子を視界に入れると、杏奈は一つの決意をする。

 結論は先週と変わらない。第二ラウンド開始だ。

 と。


 対して達哉の方は、しばらくの間ぐでっと力なく天井を見つめていた少女が、突然横目で睨み付けてきたことをどう受け止めたのだろう。


 驚いたように一瞬だけ少し目を開いたが、すぐにほほ笑むような笑顔になると、テーブルから立ち上がる。


 そしてそのまま杏奈に近づくと、

「そうしてる杏奈ちゃんも可愛いね」

 なんて言いながら、杏奈の頭へと手を伸ばした。


 が、もちろん杏奈の方にはその手を受け入れるつもりなど全くない。


「どこがだよ。思いっきり不細工なことしてるつもりなのにっ!」

 と嫌味を返しつつ、ぺしっとその手を払いのける。


 そんな冷たいあしらわれ方をしても、達哉は笑顔を崩さなかった。


「良かった、もう大丈夫そうだね」


 それどころか、言いながら楽しそうに笑うほどだった。


 とはいえ、そんな態度もいつものことだと、杏奈は思う。言葉通り、杏奈の調子が普段と変わらないところまで戻ったのかを確かめたのだろう。

 ……なんて、一瞬でも油断した自分を次の瞬間には恨めしく思うことになる。


 彼は杏奈にちょっかいをかけた後もその後ろを素通りして、ダイニングテーブルの反対側へと回ると、杏奈の正面の椅子に腰を下ろしたのだ。


 そこは、先ほど達哉から取り上げた彼女の情報が書かれた紙の束が、封筒の中に入ったままになっている。あの書類は、いわば杏奈という少女の仕様書ともいえるドキュメントだ。好きな女の子にまつわる細かい情報があれば、男なら誰しもほしいと思うものだろう。


 悪夢のような時間を繰り返さないために、急いで押さえなければ!


 そう思って体を起こしたのだが、その行動は完全に遅かった。


 一刻も早くという思いで、体を起こすと同時に右手も伸ばしたのだが、その時にはもうすでに封筒は達哉が手に取った後だった。そして達哉は前を向いた杏奈と目が合うと、柔らかく微笑む。その表情が少女には悪魔の微笑みのように見えて、無意識のうちに顔をこわばらせてしまう。


「ねえ杏奈ちゃん」

「……なんだよ」


 この状況でこの男はどんな取引条件を突き付けてくるだろう。次に彼の口から飛び出してくる言葉が全く想像できない杏奈は、つい、体に力を入れてしまった。


 しかし。


「もし良かったら、杏奈ちゃんが研究施設にいたころの話、聞かせてくれない?」

「そんなことを聞いて、どうするんだよ?」

「何かするって訳じゃないよ。ただ、もっと知りたいなって思って。こんな数字ばっかりのデータじゃなくて、感じてきたこととか、見てきたこととか、杏奈ちゃん自身のことをさ」


 こんなことを言われては、力が一気に抜けて今度は机に突っ伏してしまう。


「なんだそりゃ」


 脱力とともにそんな言葉が出てきてしまうほど、今の杏奈は完全に空回りし続けている。

 先ほどの精神的な疲れは、どうやら簡単には抜けないものらしい。


「嫌なら別にいいんだけど」

「全然嫌じゃない……けど、そんな話を聞いて面白いと思うかどうか分からないぞ?」


 杏奈自身、そのことを話すこと自体やぶさかではなかった。

 達哉にはこうして自分の最大の秘密を知られてしまったのだ、いまさら隠すようなことでもない。


 本当は、ついこの間明日香の連絡先を知ったのだから、過去のことを思い出して話したくなったときは昨日みたいに彼女に電話しようかと思っていた。なにせ、研究所時代の話には明日香が相手だからこそ話せることがまだまだいくつもあるのだ。


 もちろん、彼女もあの実験に巻き込まれたことで触れられたくない気持ちを背負っているはずだから、考えなしには話せないのだが。


 そしてその一方で、身近に一人くらいは隠し事をせずに話せる相手がいたら良いなとも思っていた。『前世』では七海がそういう存在だったものだ。ただ、彼女の場合は杏奈(佑介)が隠そうとすると何が何でも秘密を暴こうとするような面があって、最終的にはいつも隠し通せなかったということもあるのだが。


「ホントに物好きだよな、お前。……じゃあ、コーヒーもう一杯淹れるか」


 時間はまだ、午後の買い物に行くには早すぎる時間だ。

 そんな暇をつぶすと思えば、昔話くらいお安い御用である。


 椅子から立ち上がると、杏奈はキッチンに立ってコーヒーの準備を始めるのだった。

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