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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
杏奈さんの懸念と秘密
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これも杏奈の役目5

「あの研究は……あの計画は、さっきの話を聞いてて分かったと思うけど、かなり非人道的な手段が使われていた。このことが世に知れ渡れば、そんなことを始めたヤツは悪だってなるのは目に見えてる。計画した人間、研究に関係した人間、人々を拉致した人間、そして……その活動に資金を与えた人間。全員悪だってさ。でも、研究資金を出していたのが楠本家なんだよ。警察が動けばそこにたどり着くのも時間の問題だし、そうやって小さな煙でも立てば、もみ消すにはかなりの金と権力がいるだろうな。わたしは達弘さんから大きな恩を受けてる。それをそんな形で返すなんてできないよ」


 杏奈は伏し目がちに、そして優しく語りかけるような声で言う。


 ここにも演技が入っている。本当なら、感情のこもらない淡々とした声で言うこともできた。しかしそうしたからといって、ことが円滑に運ぶとは限らない。感情を込めないということは隠すということ。そんな話し方をされた方がどう感じるか想像するのは難しいし、むしろどう取ってほしいか分かりやすくする方がコミュニケーションとしては正しいのだろう。そう思った杏奈は、多少オーバーとも思える口調で語りかけたのだった。


「弘が、こんなひどい研究に投資してたってこと?」

「正確には達弘さんじゃなくて、先代のご当主様だけどな」

「父さんが……」


 一方で達哉は、今まで知らずにいた事実が大きすぎて混乱した思考から抜け出せない状態になっていた。


 とはいえ、何も知らなかったのは今回だけのことではない。


 高校入学と同時に達哉もまた一人暮らしを始めているが、その理由というのが、楠本家から求められるあれやこれやに嫌気がさし、逃げ出してきたという部分が実は大きい。そのせいか、親や兄が他にもどんな事業へ投資してきているのか、何を考えてどんな人間関係を築いているのか、彼はその辺りもほとんど知らない状態なのだ。


 そんな中で明らかになった今回の事情。


 彼自身、自分の家が国内で最も力のある財閥を率いる当主家であることはもちろん知っているし、それくらい大きくなっていれば、闇の一つや二つや三つや四つ、もっとそれ以上だって抱えているのだろうと想像はしていた。ところが実態の方は何も知らず、明るみになってもまさか財閥全体がひっくり返るようなことはないだろうと思っていた部分もある。


 しかしこのことが明るみに出れば財閥自体の信用が落ちてしまうし、楠本家本家も責任を取って財閥からの脱退どころかどんな形で償いをする必要が出てくるのか想像もつかない。

 今はまだもしもの話だが、そんなもしもが積み重なれば不安は膨れ上がっていくものだ。次々と浮かんでくる連想にはまりかかって、達哉はうつむいたまま険しい表情を浮かべてしまう。


 そんな彼を見た杏奈は「勘違いしないでほしいんだけど」と前置きをして、

「先代のご当主様も、実験のことは知らなかったらしい。亡くなった後に達弘さんが投資先を調べなおして、実験のことを知って、それでぶち壊しに来たんだからむしろ正義の味方だよ」

 と最後の言葉には笑いも交えて言う。


「それに実際に投資してたのは牧原製薬の事業に対してで、そこの売り上げが裏の実験施設に流れてたんだ。直接ってわけじゃない」

「それでも実験が始まる発端を作ったんだから、このことが知られたら、どの道大変なことになるよ」

「まあ世間に知れ渡ったらそうなるな。でも、その前にどこかで達弘さんがもみ消すだろうから、よっぽどのことがない限り大丈夫だって」


 確かに何もしなければ達哉の考える状況もあり得るだろう。しかし、楠本家の現当主はそれが分かっていて何もしないような人間ではない。最悪の事態にはならないと分かっているからこそ、杏奈ははっきりとそう言葉にしたのだ。


 杏奈は内心、達哉を相手にそこまで言う必要はないだろうと予想していた。というのも、以前同じような不安を達弘にぶつけたとき、笑って

「心配しなくても大丈夫。そんなヒドイ状態までいかないようにする手段なんて、色々あるからね」

 こう言ったのだ。伝手も資金も影響力も十分だと言われれば、さすが楠本家と思ったものである。そして達哉も兄と同じ境遇で育ってきたはずなのだ、そこは十分わかっているのだろうと思っていた。


 しかし実家の事情に興味を持っていなかった達哉はその辺りのことがすぐに思いつかなかったようで、これほど不安そうな顔をされると、逆に杏奈の方が心配になってしまったのだ。達哉は彼女の言葉を聞いてようやく、

「そっか、そうだったね」

 と苦笑いを浮かべたのだった。


 それで彼が安心できたのかは分からない。それでもさっきまでの不安そうな表情が消えているのを見て、杏奈はとりあえず大丈夫そうだと判断する。


「で、今の話も関係してくることだけど」


 彼女は一区切りついた話題を切り上げて、もう一つ重要な話題へと流れを持っていく。


「お前がわたしのことをこうして知った以上、やっぱり今まで通りとはいかないだろうなって思うんだ」


 このご時世、自分は人造人間だと自己紹介したところで、それが本当のことだと信じる人間は恐らくいない。SF映画の見すぎだと馬鹿にされるだけだろう。とはいえ、人を遠ざけたいと思って発した言葉なら、頭のおかしな人間だと思われてそこそこ効果はあるかもしれない。


 しかし杏奈の場合は正真正銘の人造人間だ。それも、世界全体から見れば異端の手段で産まれたものである。

 自然の理から外れた存在となれば、色々な「想像」をしてしまうものだ。


 そしてそういったものを危険とみなして排除しようとするのも、人間の深層心理にはあるだろう。

 こうして自分の生まれた状況を知られてしまった今、達哉に拒絶されるのも仕方がないことだと覚悟している。


 もしそうならなくても、今までのように友人関係ではいられないだろうな、とも。


 だから。


「今まで通りいかないってことは、もしかして杏奈ちゃん、オレと婚約してくれる気になってくれた?」


 そんな言葉が飛んできて、一瞬何を言われたのかが分からず頭の中で三回ほど意味を理解しなおしたものの、どうやら聞き間違いではなかったことを悟り、加えて目の前の男が楽しそうにニコニコしているのを見せつけられては、むしろ杏奈の方が

「へ……?」

 と声を漏らしながら、いかがわしいものを見るような表情で体を引いてしまったのも、無理はないのだろう。


「何、言ってるんだ? お前……」

「何って、今までの友達同士がそのままじゃいられなくなったってことは、次は婚約するしかないかなって思ったんだけど」


 対して達哉はいつも通りだった。


 杏奈がさっきまでの話に乗せて暗い話題に切り替えようとしたのを感じ取って、冗談を返すことで拒否したのだ。


 彼とのやり取りにある程度慣れてきている杏奈は、普段であればすぐに負けを認めて「はいはいすみませんでした、今まで通りの関係でお願いします」と呆れ気味に返していただろう。そんな流れで終わらせておけばひどい恥さらしはしない。これまでの出来事でそう学んだはずなのだ。


 しかし、彼女にしてみれば真剣な話をする気満々だった。そんなところにこんな外し方をされては、さすがに頭に血が上ってしまう。


「お、お前なっ! さっきこの資料を読んだんだから分かってるだろ? わたしは人造人間で普通じゃないんだ。そんなのと婚約って……バカじゃないのか!?」


 普段から感情に飲まれて自身を見失うことはない杏奈だが、バンッと両手でテーブルを叩きながら立ち上がるほど、感情のコントロールができなくなっていた。


 対して達哉は、杏奈がこうなることも見越していたのか平然と笑顔のまま首をかしげる。


「そうかな? オレはそうは思わないけど」

「絶対バカだ! わたしは元々男だったんだぞ? それを知ったら普通は引くだろーが」

「でも、だから今の杏奈ちゃんなんだし、良いんじゃないかな。もし杏奈ちゃんが男に戻りたいって思ってるなら話は別だけど」

「いや、そうは思ってないけど……」


 杏奈の方も、最初こそ怒鳴っていたものの感情の爆発はそこで収まったようで、声の調子自体は早くも普段通りにまで落ち着いてきている。


 ただ、長い髪から少しだけ見えている耳は赤くなっていて、まだ怒り自体は収まっていない状態だ。


「でも、わたしから生まれてくる子供がどうなるかなんてわからないんだぞ! たまたまこの躰が安定してるってだけなんだ、遺伝子は滅茶苦茶かもしれない。そんなヤツに自分の子孫を産ませようなんて、よく思えるなっ!」


 そしてこの辺りのことは、杏奈が将来に不安を抱えていることの一つだった。


 元々は男だったため自分自身が出産するなんてことは無い性別だったこともあり、ほとんど気には留めていなかった。しかし女となった以上、もしもその時が来たら自分は健康な子供を産めるのか。そんな保証はどこにもないとなると、無意識のうちに結婚どころか恋愛すら気持ちから遠ざけようとしてしまっている。


 主張を口にしながら、杏奈はそんな自分の気持ちに気づいたのだった。


「え、この資料だと杏奈ちゃんの遺伝子は一般の女性と比べても個体差程度しか違わないってあるし、月経周期も排卵機能も問題ないってあるよ。基礎体温も大丈夫そうだし、ホルモンバランスのグラフはちょっとよく分からないけど、この辺りが全部オッケーってことは安定してるってことだよね」


 ところが、達哉は資料のどこからそんな情報を掘り出してきたのか、杏奈の心配が杞憂だと切り捨てるように、彼女が目を通した時には読み取れなかった情報を次々と並べていく。


「ちょ……お前、なに勝手に変なとこ見てっ!?」


 確かにその情報は杏奈にとって将来の不安をかき消してくれるありがたいものだった。しかしそれは同時に、自分の体に関するデリケートな部分でもあるのだ。


 それに加えて、研究所時代には女性職員とだけやり取りしていた生理に関するあれこれ、意識が覚醒してからの胸部の成長具合、生殖器の成熟具合といったことも書いてあったらしく、彼の口からそれらが全部説明される。

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