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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
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初登校日5

「ほら、ここだよ!」


 晶がじゃーんっと得意そうに指し示したのは、路線バスが走っている大通り沿いにある、一軒のケーキ屋だった。

 結局、教室で晶が言った言葉に「行きたい!」と手を挙げる人間は誰もおらず、冗談とか、ただの天然な人間の行動と思われたようだ。


 よって、今この場に立っているのは杏奈、真奈、晶、紗江の四人となった。


「ケーキ屋か」

 そうつぶやいたのは、杏奈だった。


 見上げて店の看板を見てみると、そこには「高丘のお菓子工場」と店名らしい文字が書かれた両側に、ホイッパーとヘラが描かれている。どちらもお菓子を作る時に使う道具で、外見も店名も完全に「洋菓子屋です」という雰囲気をかもし出していた。


 まさか、いきなりスイーツの店に連れてこられるとは思っておらず、やっぱり女子は甘いものが好きなんだなと、ただただ感心する。


「ケーキ屋さんですね」

 そしてはしゃいでいる晶と同じく甘いものが好きらしい紗江は、早くも店内のショウケースに並ぶケーキへと、視線が釘付けになっていた。


「ケーキ屋じゃな。……こんな時間に」

 しかしジト目で晶を見つめる真奈は、この四人の中でただ一人だけ、現実を見据えていた。


「晶、念のため確認するが……ここに来てどうするつもりなんじゃ?」

「どうするって、もちろん買って食べるんだよ。そのために来たんじゃないか」

「食べる? 持って帰るんじゃないのか?」


 店内には、買ってすぐに食べられるようにテーブル席も用意してあった。しかし、元々男だった頃からスイーツにあまり縁がなかった杏奈には、もちろんケーキを買い食いするという発想がなかった。てっきり、おやつのために買って帰るものだと思っていたのだ。


「なに言ってるのさ杏奈。ケーキを何時間も持って、遊び歩けるわけないじゃないか」

「お主の方こそ何を言っとるんじゃ。今は昼食時で、ケーキを食べるような時間ではないぞ」


 時間はまだ十一時半をすこし過ぎた頃。

 おやつを食べるどころか、昼食を食べるのもすこし早いかも知れない時間だ。

 杏奈にとっては慣れないスイーツの店に来た上、こんな時間にケーキを食べたいというのだからテンションも上がりにくい。


「だよな。まずはどこかで昼食を食べるのが先じゃないか?」

 そればかりか甘いものにほとんど興味がないこともあり、ケーキ屋から目を逸らして、周りにどこか食事のできる店はないかと探し始めていた。

 そんな杏奈を後押しするように、真奈もスマートフォンを取り出して地図アプリを起動している。


「えー! でもここ、一日三十個限定のケーキが売ってるんだよ。食べたいって思わないの!?」

 しかしそんな二人の態度に反論するように、晶は大きな声を出した。


「昼を食ってからでも遅くないじゃろうに……」

「あまいっ! 昼休みに近くの会社員に買いつくされちゃうほど大人気なんだから!!」


「真奈ちゃん、これみたいですよ?」

 紗江は真奈のスマホの画面に表示された地図を覗き込んで、そこにあるポップアップされた情報を指差しながら言った。


「『平日限定。自家製のイチゴジャムを練りこんだタルト生地に、甘酸っぱいオレンジをはじめとしたフルーツと生クリームが絶妙なパイ生地のミルフィーユ』って書いてありますね」

「『昼休みになると会社員の女性が列を作るほどの人気』……か。確かにすぐ無くなってしまうようじゃな」


 声に出して紹介文を読んだ二人は顔を上げると、ゆっくりと互いに顔を見合わせた。


「食べるとすれば、今日くらいしかチャンスが無いと思いますけど」

「じゃな。学校は四時間目が終わるのは十二時過ぎ、来るとしても片道十分……並んだとしても順番が回ってくる前に売り切れかも知れん」

「買いましょう!」

「買うべきじゃな」


「えっ、買うのか!?」


 さっきまで昼食が先だと言っていた真奈も、三十個限定のフルーツ尽くしなミルフィーユに負けたようで、晶と肩を組んで意気揚々とケーキ屋に突撃を始めていた。

 あまりの変わり身の早さについていけない杏奈に対して、紗江は既に二人の後を歩いている。


 しかし、途中で少女が一人立ち止まっていることに気付いたらしく、振り向いて不思議そうな顔をした。彼女の「どうしたの?」と言いうような表情に、仕方なく杏奈も走って三人に追いつくのだった。


 そして。


「ありがとうございました~」

 と言う店員の声と笑顔に送り出され、店から出てきた四人の手にはそれぞれフルーツのミルフィーユが入った箱があった。


 さすがにその場で食べるということはなく、持ち帰りにして後から食べることになったのだが、杏奈は一人、暗い表情でうつむくように財布の中を覗きこんでいた。

「ごめんな。そういえば今日は買い物しないと思って、あまりお金持って来てなかったんだよ……」

 そういうと、ため息をつきながらサイフをリュックサックのサイドポケットにしまう。


 ケーキを買った今、その中にはもうお札が一枚も残っていなかったのだ。

 銀行のキャッシュカードも、使う時意外は財布から抜くのが彼女の主義で、サイフの中にはあちこちの店のポイントカードしか入っていない。


「この残金だと、昼食と往復の交通費だけで精一杯か……取りに帰ればあるけど」

「そうなんですか……」

「じゃあ、一度取りに帰る?」

「そうだな……みんなはいいのか?」

 と迷ったような声を出す杏奈。しかし、高校入学初日、せっかく皆が誘ってくれたというのにそんな理由で「やっぱり遊ぶのは無理だ」なんて言い辛く、仲良くなれるチャンスを逃してしまいそうで嫌だった。


 キャッシュカードがないのでは、一度帰る以外にどうすることもできないのだが。


「家はそんなに遠いのか?」

「えっと、駅から更に五分くらい行った所だから、そんなに遠くはないな」

「それなら取りに行けますね」

「んじゃ行こっか」


 しかし他の三人は寄り道をそれほど気にしていないようで、杏奈を置いて早くも駅の方に向かって歩き始める。


 ノリが軽いなーと思いながらも、何だかそれに救われたような気がする杏奈だった。


 マンションに向かう道の途中で彼女たちの話を聞くと、彼女たち三人は皆、神海高校から一番近い駅でもある高丘西駅から出ている電車で通学しているようだ。

 つまりこの道は、この三人と帰る時はもちろん行く時にも会うかも知れない、共通の通学路ということになる。


「今朝もかなり乗っとったからなぁ、明日からも面倒そうじゃ」

「変な人がいないといいけどね、痴漢とかさ」

 やはり、女子としては変質者への恐怖は感じてしまうようだ。

 真面目な表情でそ言う晶は、今にもため息を吐きそうだった。


「お主は背が小さいから、並の大人じゃ手が届かんじゃろうに」

 しかしそれを茶化すように、真奈は晶の頭に手をおく。


「な、なにうぉう!!」

 さすがにそれには少しカチンときたようで、晶は真奈を追いかけ始めた。とはいえ、ふざけ合いモードになった二人はさっき教室にいた時と全く雰囲気が変わらないし、これでは本当に痴漢が不安なのかさっぱり分からない。


 この二人の仲良しコンビは、今までずっとこんな調子でやってきたのだろう。

 ずっと仲がいい友達がいるというのは、すごく羨ましい。そう思う杏奈だった。


「どうかしたんですか?」

 ふざけ合いながら前を歩く二人をボーッと見ている彼女に、紗江は少し心配そうに声をかけた。

「いや、大したことじゃないよ。ホントにあの二人は仲がいいなと思ってさ」

「ああ! いいですよね、あの二人。一緒にいてもすごく楽しいですし」

 杏奈の言葉に嬉しそうな表情を見せ、紗江は前で追いかけっこをしている二人に視線を移す。


 その時だった。

「あぁっ! こんな所にスカートがっ!」


 背が小さいと言われたことへの仕返しか、真奈に追いついた晶が彼女のスカートを後から思いっきりめくりあげた。

 後ろの二人の位置からでは晶の体に隠れてスカートがどうなったのか見えないし、周りには四人のほかに歩いている人はおらず、実際にはめくれ上がったスカートの中を目撃する人は晶以外に誰もいなかった。


 しかしそんな突然のできごとに、杏奈はつい反射的に顔を背けてしまった。女子のスカートの中を見ると何をされるか分かったものではない……というのは男だった頃の考え方だが、今は自分も女だということを、まだ認識できていないようだ。


 反対に、紗江は口元を手で押さえてクスクスと楽しそうに笑っていた。


「私が二人と初めて会った時も、ああいう感じでしたよ」

「へぇ、そうだったのか……」

 さもいつものことだと言うような紗江の口ぶりは、もう少しで取っ組み合いになりかけている状態の二人でも、心配する必要はないということなのだろう。


 杏奈と紗江が話しているところに、今度は追いかけられる側になった晶が「わ~っ」と奇声を発しながらやってくると、その後ろに駆けこんだ。


「助けて杏奈っ、鬼だよ、鬼が来るー!」

 テンションが上がりすぎているのか、晶は意味の分からないことを口走っている。


 そんなことを言っては余計怒らせるだけではないかと心配する杏奈ではあったが、鬼と言われた本人こと真奈は、逆にそんな晶に呆れているような表情で、追いかけると言うよりは歩いて戻って来た感じだった。


 真奈がこんな風にやめるタイミングを決めているのであれば、確かにひどい喧嘩になるはずもない。


「もう分かったから、杏奈から離れるんじゃ晶。歩きにくかろうに」

 おふざけはこれでお終い。

 そう言うかのように晶を杏奈から引き剥がす。


「ふふ、何だか真奈ちゃんってば、晶ちゃんのお母さんみたいですね」

「もう少し晶がしっかりしてくれれば、うちも楽なんじゃけどな」

 紗江の言葉に、苦笑いしながら真奈は答えたが、しかしそう言われることはまんざらでもないようだった。

 むしろ自分が付いていないと心配、とでも言いそうだ。


「なんだよー、二人して大人ぶっちゃってさ」

「とは言うが晶、うちらはもう高校生じゃ。そりゃ少しは気の持ちようも変わるじゃろ」


 中学生と高校生、その間にどれだけの違いがあるのかは分からないが、しかし今は入学式が終わった後。真奈の言うとおり、いつもと比べると少し違った気持ちになるのも分かる。


 そして杏奈自身は、中学生の頃と今とでは何もかもが違いすぎて、今の自分があの頃と精神的にどれくらい違うのかが、全く分からなかった。


 とはいえ、真奈たち三人を見ていると、中学の頃に一緒に遊んでいた男子たちと歩いていた時のことを思い出して、すごく懐かしい気持ちになってくる。さすがに男子と女子では盛り上がり方に違いはあるが、こうやって誰かと一緒にいると楽しい気持ちは変わらないものだ。


 今日の朝、香織に言われたあの夢と不安が関係しているということを少し気にしていた杏奈だったが、やっぱり今までどおり、あまり意識しなくても大丈夫そうだと思うのだった。

 人間、生きていれば少なからず環境を変えなければいけない日が来るものなのだ。


「でも確かに、高校生になったと意識してみると、ちょっとだけ大人になった気がします」

「晶が大人になって、うちらも振り回されなくなる日は来るんじゃろうか」


 さっきまでとは違い、落ち着いた様子でそういう真奈からは、確かに晶よりも大人っぽい雰囲気を感じる。

 しかし、そんな彼女たちの様子を見ていた杏奈は、恐る恐る真奈たちに声をかけた。


「ところで、あんなにはしゃぎ回ってケーキは……」


「ん、これか?」

 杏奈の心配そうな声に、真奈は「ほれ」と言いながら紙の箱を開けて見せた。


 絶対ぐしゃぐしゃになっていると思っていたのだが、その中には多少動いたような跡はあるにしても、形を保ったままのフルーツのミルフィーユがあった。

 まるでマジックを目の前で見せられたように、杏奈は不思議そうに顔をしかめる。


「ボクのも大丈夫だよ! ほらっ」

 明らかに振り回しているように見えた晶のケーキも、買った時の形を保ったままだった。

 余計わけが分からなくなったのだろう。ポカンと固まってしまった杏奈に、得意そうな表情で晶は言った。


「もう慣れちゃったよ。箱持って走り回るのも」

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