小さな嵐5
一年四組の教室に二人が戻ると、またまたというべきか、昼食に出て行った時と比べると更に様子が変わっていた。
というのも、達哉が女子たちに囲まれていなかったのだ。その代りに、時々会話しているのを見かける二人の男子生徒と、自分の席に座って話していた。
真奈と紗江の二人はその前の席、つまり杏奈の机を挟んで向かい合って座って、笑顔で話をしていた。時間としては彼女たちもそろそろ食べ終わっている頃のはずなのだが、おしゃべりでアツくなっているのだろうか、いつもと違ってまだ弁当箱が広げられたままだった。
一方で紗江自身の席がある廊下側の列には、普段の昼休みであれば達哉と話をしていたはずの女子たち数人が固まっている。教室に戻ってきた杏奈の姿を見つけると、こちらに体の正面を向けている二人ほどが一瞬睨むような視線を向けたものの、声をかけてくることはなく、ため息交じりに弁当箱を箸でつついていた。
雨が降っているからだろう、この時間にしては教室内にいる生徒の人数は多いのだが、あまり話声は聞こえてこない。
廊下側に広がる外の雨空にも負けないどんよりとした空気に呑まれて、いつもは会話をしている男子グループのいくつかが口を開けず静かにしているのも原因かもしれない。
後ろの出入り口から教室へ入るなり全体へと目を向けた杏奈は、いつもと違って雰囲気がよろしくない生徒の把握だけして、自分の席へと足を向けた。女子たちの落ち込んだ空気は気になるものの、そうなっている原因に恐らく含まれている杏奈が自ら動くのはあまり得策ではない。そう判断したのだ。
「やっほー二人とも」
そして晶は、さっきまでの葛藤なんてまるで無かったかのように、笑顔のまま二人の友人へと声をかけると、いつも通り「よいしょっ」と言いながら真奈の膝の上へと座り込んだ。
「あ、杏奈ちゃん。すみません、今退きますね」
そして紗江は自分が座る椅子を、本来の持ち主である杏奈へと返そうとするのだが、この昼休みの残り時間くらい立っているのも何てことはない。彼女の申し出は「いや、大丈夫だよ」と断って、そのまま座っておいてもらった。
そんなことよりも、紗江には伝えたい重要なことがある。そう、達哉とのことで。これを謝るべきなのかはっきりと答えが出ている訳ではないのだが、杏奈が色々な意味で抜けていたせいで起きた問題であることは確かなのだから、やはり自分から謝罪するべきだと思っているのだ。
ところが、彼女がその気持ちを伝えるよりも前に、
「良かった。杏奈ちゃんたち仲直りできたんだね」
左側からこんな声が飛んできたのだった。
まさか達哉がこのタイミングで声をかけてくるとは思っていなかったため、杏奈はきょとんとした顔でそちらを見つめてしまった。
どうやら晶も彼が会話に入り込んできたのは予想外だったらしい。先ほどまでの笑顔から一転、むっとした顔で威嚇するような視線を達哉に突き刺し始めた。
「そんな。別に喧嘩していたわけではないですよー」
「少々行き違いがあっただけじゃからな。すぐ元通りになる」
しかし反対に紗江と真奈はまるでそうするのが自然だというように、達哉へと笑顔を向けていた。紗江は彼と毎朝会話をしているため違和感はないのだが、真奈まで笑顔で話すとは、杏奈にとって予想外のことだ。
「委員長たち、いっつも四人で弁当食べに行ってて仲良いよねぇ」
「だよなだよな。俺らも女子とちょー仲良くしたいって思ってんだけどさ」
そこへ達哉が普段話をしている男子二人も加わってきたとなれば、これはもう、男女混合のグループになっているようなものだった。
十五分足らず教室を留守にしていた間に、どんなことが起きればこんな流れになるのだろうか。全く予想ができずにポカンとする杏奈だったのだが、ふと気が付けば、男子三人と真奈と紗江の視線がこちらに集中していた。どうやら先ほどの言葉は杏奈に振ったものだったらしい。決定権が全部丸投げされてきたような雰囲気だ。
慌てて咳ばらいを一つすると、
「別にいいんじゃないか? 学校でクラスメイトと仲良くするのに、理由なんていらないだろうし」
当り障りの無い言葉を選んで、こう答えるのだった。
「マジで? さんきゅー」
「っしゃー、めっちゃ夢広がるわー!」
その返事にテンションを上げて喜ぶ二人だったが、杏奈としては、誰かに限定して発言したつもりはなかった。だからこそ教室全体に聞こえていてもおかしくないくらいの声で言ったのだが、ちらりと廊下側の席へと目を向けてみれば、そこに座る女子たちの目は冷めたままで、視線を合わせようともしてこない。
自分たちには関係のない話だと思っているのだろう。
これは、彼女たちとの間に溝ができてしまったのかも知れない。そう思わざるを得ない状況だ。しかも簡単には取り除けないような、とても大きな溝に見える。
それが分かっても、今の杏奈にはこれ以上溝が大きくなりませんようにと祈って保留にすることしかできなかった。達哉に近い側と遠い側。これほどはっきりと立場の違いができてしまっては、両者の溝を上手く解消する手段がすぐには思いつかないのだ。
顔を戻してため息を吐こうとしたところに、笑顔の達哉と目が合った。
今日、この男が半日の間に自身の側から遠ざけた女子の人数なんて杏奈には分からないが、そんなことがあったと知る杏奈からすれば、その顔が悪魔の微笑みにも見えてしまう。しかし一方で自らを「一途な人間だ」と言い切る彼からすれば、けじめをつけるのと同時に自分の気持ちを証明するための行動だったのだろう。
「別に仲良くするのは良いんだけどさ、ボク、そっちの二人は名前も知らないんだけど。……誰?」
達哉と杏奈が笑顔と苦笑いを向け合っていると、相変わらず不機嫌そうな顔を続けている晶が、投げやりな口調で言った。
その視線の先にいるのはもちろん、達哉にくっ付いて来た(と思われる)男子二人組だ。
彼ら二人はこの四組の生徒で杏奈たちよりは晶や紗江の方が席は近いのだが、彼女からすれば興味が無かったからだろう、クラスメイトである彼ら二人のことは苗字すら記憶していないらしかった。
「マジかよ、それねーわー」
「白川さんと僕、結構席近いけどなぁ」
「んなこと知らないよ。って言うか、何でボクの名前知ってるの? まさかストーカー?」
更に追い打ちとばかりに二人を不審者扱いすると、助けを求めるように真奈の体へきゅっと抱き付く。その仕草自体は可愛らしいのだが、彼らへ向ける目がかなり本気で嫌がっているところをみると、その言葉を冗談で言っているわけではなさそうだった。
晶から真顔でひどい扱いを受けた二人は、それまで笑っていた顔から一変してかなりの困惑顔になってしまった。
思春期の男子であれば、好意などがない相手であってもひどいことを言われれば傷つくものだ。例えそのショックが表情に出ていなくても。
さすがにそれ以上はやめてあげて欲しくなった杏奈は、
「いやいや、あれほど入学式の日から騒ぎを起こしてたんだから、誰だって晶の名字くらいは覚えてるって」
慌てて二人へとフォローを入れた。
「騒ぎ? ……ボク、入学式の時なんかしたっけ?」
「式の時じゃないけど、帰ろうって時にだよ」
「ああ、晶大声事件か」
「あれは恥ずかしかったですよね……」
「何それ。ボクの大声事件って」
杏奈の言葉で真奈と紗江は通じたのだが、肝心の本人は何のことを話しているのかピンと来ていないようで、不思議そうな顔で小首を傾げている。
「覚えてるぜ。あれだろ? 白川が大声で『皆で遊びに行こう!』って言ったやつな」
「大体そんな感じだったけど、ちょっと違ってる」
あの時の出来事は、杏奈たちの間では真奈の言ったように「晶大声事件」と名付けられ、中学時代も含めて晶の引き起こしてきた珍事件の一つとして数えられるようになった。もちろん本人の知らないところで、である。
ちなみに男子二人がその出来事を記憶していたのは、偶然その場にいたからだけではない。あの時、クラス中に聞こえる声でその場にいる全員を誘うかのような言葉を言った晶の元へ、また今度誘ってくれと話しかけに行ったのが彼らだったのだ。
そうした接点があったにもかかわらず、やはり晶はその出来事も二人の存在も思い出せないようで、首を傾げるばかりだった。
「杏奈ちゃんを委員長に推薦したのも、晶ちゃんだったよね」
そんな彼女の様子を見た達哉からは、もう一つ、周りに名前を覚えられたであろう出来事が飛びだしてきた。
「そうですそうです! 晶ちゃんは一番前だから分からなかったと思いますけど、真っ先に手を挙げた時はクラス中から注目されてたんですよ?」
「岡本先生から苗字も呼ばれてたしな。これで覚えてない方が逆に珍しいんじゃないか?」
紗江と杏奈はその話を補足するように言うと、顔を見合わせてあははと笑った。なにせ、こちらも真奈が「謎の杏奈推薦事件」と名付けて珍事件に登録しているのだ。
真奈としては、あの時、恐らく晶が誰かを推薦するだろうと予想はしていた。しかしまさかそれが、出会って一週間しか経っていない杏奈だとは思ってもいなかったそうだ。
彼女の中で何かしらの悪戯心が働いたからだろうとは話していたが、いくら考えてみても何がどうなって杏奈を推薦するという結論になったのかが分からず(あの時晶の言った推薦理由は真奈からでっち上げだと決めつけられている)、その不可解な行動から珍事件に登録されたのだった。
余談だが、真奈曰く珍事件の発生した間隔がこれまでで一番短かったらしい。
「あれは……確かにそうかも」
そして、さすがにこの件に関しては晶本人も覚えていたようで、そっかーとうなって、納得したようだった。
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