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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
杏奈さんの懸念と秘密
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懐かしい仲間の声1

二章開始です!

 浴槽でお湯に浸かりながら髪をタオルで包んでいる杏奈は、蒸らしの時間の半分ほどが過ぎたのを給湯器のリモコンに付いた時計で確認すると、ザバァッ、と勢いよく湯船から立ち上がりながら、一緒に浴槽の栓を抜いた。そしてリモコンで給湯器の電源を落として、洗面所へ出るとバスタオルで体を拭く。


 四月末のゴールデンウィーク前半ともなっている三連休の最終日も、もう夜。


 今年のゴールデンウィークは間に平日がかなり入り込んでいて、しかも後半となる祝日の内の二日が土日と被るせいで、カレンダー通りに生活せざるを得ない学生にとっては大型連休などない状態となっていた。

 そのことを晶はかなり嘆いていたが、休日にはかなりの退屈を感じてしまう杏奈は、普段から、学校で授業を受けている方がよっぽどいいと思っている方なのだ。


 せめてバイトができれば時間つぶしもできるのだが、校則で原則禁止と定められている上に、家が学校と近すぎることもあって何かの拍子にバレてしまう可能性が高い。杏奈は今の生活をそれなりに気に入っているため、自分から危険を冒すようなことは極力しないと心に決めていて、つまりバイトをするつもりが無かった。


 しかし、学校へは電車で通わなければいけない距離に住んでいる友人の晶はメイド喫茶でバイトをしているし、同じく友人の真奈も空いた時間にはちょこちょことバイトを入れているらしい。


 よく神海高校のようなレベルの高い進学校に通いながらバイトができるものだと、入学直後に行われた実力テストで悲惨な結果を記録した杏奈は、心の奥底で思っている。

 自らの成績の悪さを目の当たりにしたあの日から、夜に予習と復習は欠かさずやっているのだが、これが一体どれだけ実力の底上げに結びついているかは分からない。休みの日に以前の単元をもう一度やってみる時には、まだ忘れていなさそうだということだけは分かったりするものの、五月末辺りから始まるという中間定期テストで安心できる点を取れるかまでは、正直分からない。


 とはいえ、授業はまだ一ヶ月しかやっていないのだ。復習なんてしなくてもすぐ忘れたりはしないだろうと思っているが、中学の頃はそのノリで過ごしていてテストで高得点を取ったことがない。それどころか、赤点ギリギリの教科がいつも二つはあった。


 勉強の仕方については、まずは次の中間テストで成果を確かめてから今後どうするかを考えようと、杏奈は思っているところだ。


 時間はまだ夜の八時。服を着て部屋に戻るとすぐに、ぽすっとベッドの上に座る。日課となった夜の勉強を始めるのは九時半。それまでにはまだ時間があって、その暇な時間を潰そうと、丸いガラステーブルに置いておいた紗江から借りている漫画を手に取り、しおりの挟まるページを開く。


 今回借りている漫画も、三巻の最後が近くなっている。


 現代風の世界を舞台にしたそのタイトルは、女子高生を主人公にした良くある恋愛の話で、同じ学校に通うかなりイケメンの先輩男子に恋をしているという設定だった。内容も、恋の相手本人と緊張しながらも話したり、ライバルらしい他の女子生徒たちが彼と話しているのを見て嫉妬したり、これまた良くありそうな展開なのだ。


 それでも杏奈は、ちょっと違和感があるくらいに主人公への態度が冷めている先輩にどうアタックするのか、強気な態度をとることの多い主人公の行動を楽しみにしていた。それが、ちょうど切り上げていたページまでの展開だ。


 ところがここにきて、それまで続いていたほんわかとした雰囲気が突然終わってしまい、シリアスな雰囲気へと変わる急展開を迎える。杏奈は物語へ引き込まれるように、思わず最後のページまで一気に読みきってしまっていた。


「こんなところで止められたら、続きが気になって仕方ないじゃないか……」

 

この漫画はすでに最終巻まで出ているものだが、もしこれが月刊雑誌で連載されている漫画で、しかも今の場面を最後に次回へと持ち越されていたら……間違いなく一週間は続きが気になって眠れなくなっていただろう。


 次の巻も借りておいてよかったと思いながら、杏奈は読み終わった本と四巻を取り替えるために、テーブルへと手を伸ばした。


 とそこで、すぐ横に置いていたスマホのLEDが一瞬赤く光ったことに気づく。

 赤色は電話着信を示す色だ。


 誰だろうと思い本の前にスマホを手にとって着信履歴を確認してみると、十五分ほど前……風呂から上がる少し前……の記録が表示されていたのだが、かけてきたのは杏奈の知らない相手だった。良く見てみれば、番号の右下にカセットテープのマークも表示されている。


「……留守録?」


 漫画の四巻は気になるが、ひとまず続きを読むのは後回しにしてそのメッセージを再生しようとして……そういえばどうやって再生するのか方法が分からない。


 ベッドの枕元にある本棚からスマホの取扱説明書を取り、留守録の再生方法を調べながらスマホの画面をつたない手つきで操作して、留守番電話サービスへの発信するところまでたどり着く。

 ちょっとしたことではあるのだが、まだまだ苦手意識の抜けきらないスマホの、したことのない手順を何とかやり遂げた疲労感でため息が出てくる。しかしそんな疲れに負ける前に、留守録は聞いておかなければと気持ちを切り替えて、杏奈は発信ボタンを押したのだった。


 すると、自動音声案内に続いて再生された一件だけのその内容は、ごく短い

「こんな時間にごめんなさい、明日香です。ちょっとしたらまた電話します」

 というメッセージだった。


「明日香? 何でわたしのスマホの番号を……」

 名前を聞かなくとも、その声ですぐに電話をかけてきた人物には見当が付いた。


 明日香という名のその少女は、杏奈と同じあの実験の中で生まれた実験体の一人だ。

 そして、彼女たち実験体が言う「前世」も女の子で、つまり杏奈とは違い今も昔もずっと女の子のままでいる実験体なのである。


 そんな彼女も研究所の解体直前に、研究員だった一ノ瀬という苗字の人に引き取られて、今は杏奈と同じように、高校へと通う普通の女子高生になっているはずだ。


 実験体としては同期に当たる彼女や他の二人の男子たちと離れて、もう三ヶ月以上。

 今どうしているのかと気になったことは何度かあったが、まさか向こうから連絡が来るとは思ってもいなかった。


 とりあえず留守番電話サービスとの通話画面を閉じて、再びディスプレイに表示した明日香のものらしい番号にかけ直してみようと、発信ボタンを押そうとしたちょうどその時だった。


 ぶるぶるぶるっ


 と、手の中のスマホが震え始め、同時に着信通知と番号が画面に表示される。並んだ十一桁の数字を見てみれば、ちょうど今発信しようとしていた相手と同じ番号……つまり明日香と思われる人物からの着信だった。


 彼女はすぐに通話ボタンを押して、電話に出た。


「はい、杏奈です」

「もしもし杏奈? 明日香です」


 そして聞こえてきたのは、予想通り明日香の声だった。

 電話越しとはいえ、十ヶ月以上も一緒にいた仲間の声を忘れるわけがない。


「明日香、久しぶり! 元気だったか?」

「ごめんね、夜遅くに突然電話して。うん、あたしは元気だよ! 杏奈の方はどう?」

「わたしも元気だよ、大丈夫」

 杏奈がそう答えると、明日香は安心したように「よかったぁ」と言った。


「実はね、今のお母さんに、杏奈の連絡先を聞いて欲しいって頼んだの。ホントはもっと早く連絡したかったんだけど、やっと今日教えてもらえて」

「そうだったのか。ごめんな、わたしの方は全然そこまで気が回らなかった」


 貧乏だった前世とは違って、こうしてスマートフォンを買っている。杏奈の保護者であり、今は離れて暮らしている香織がまだこの一室にいた頃に、明日香たち同期の連絡先を調べてもらえば、いつでも連絡できるようにすることも可能だったのに。

 香織とはスマホを買ったその日に連絡先を交換したのだから、あの当時、次に連絡先を登録したい相手として明日香たちのことを思い付いてもよさそうなものだった。


「そんな、気にしてないよ!」


 しかし明日香は、電話の向こうで首をぶんぶんと大きく振っているのが想像できる声で、杏奈を気遣うように言う。


「また一人暮らししてるって聞いたし、いろいろ大変そうだから」

「いやいや、わたしも慣れてるしな。今更一人暮らしに戻ったって、別に苦労はしてないよ」


 心配はしなくても大丈夫と言う代わりにそう返事をしながら、杏奈はベッドに仰向けに寝転がる。

 研究所で一緒だった時と、明日香は声の調子も思いやりの心も全く変わっていないようだ。


「かおりんは仕事で引っ越したわけだし。むしろ向こうの方が大変じゃないかな」

 香織の事情を伝えながら、彼女が引っ越してもうすぐ一ヶ月が経とうとしていることを思い出す。


 引っ越したと同時に一人暮らしになったはずの彼女がやっているであろう、仕事をしながら家事もこなすというのはかなり大変なことだ。

 初めは何でもやれていたとしても、そのうち何かが少しずつ億劫になっていって、部屋が片付かなくなったり、洗濯物が干しっ放しになったりする。そこへ突然、異性の友達がやってくることになったら……片付けるのにどれだけかかることやら。あるいは、片付いていない部屋へと通すことになってしまう。


 その経験を、幼馴染相手に何度も繰り返してきた杏奈としても、香織には是非とも気をつけていて欲しいところだった。


「……あれ、もしかして杏奈は聞いてないの? 香織さんが今どうしてるのか」


 しかし、杏奈の言葉に明日香は少し不思議そうな声で返した。


「かおりんがどうしてるか? いや、引っ越して行ってからのことは聞いてないけど」

 香織の現状については、引っ越してからは全然聞いていない。

 杏奈の方から訊ねるようなことはしないし、向こうからの報告もまだない。そもそも、一ヶ月で何かが大きく変わるようなことは無いと思っていた杏奈は、短期間で香織の生活に変化があるかもしれないということ自体、考えもしなかったのだ。


「もしかして、新しい仕事をもうやめたとか?」

「さすがにそれは無いわよ。でも……」

 明日香は言い辛いことを言うように語尾を濁したが、すぐに電話からははっきりとした声が聞こえてきた。

「香織さんは仕事の都合で引っ越したんじゃなくて、男の人と一緒に住むために引っ越したんだって聞いたけど」

「はぁっ、男ぉ!?」


 全く予想していなかった展開に、思わず杏奈は叫びながら飛び起きていた。髪を包んでいたタオルが外れかけ、あわてて左手で押さえる。


「じゃあ仕事っていうのは、その人との同棲を隠す口実……ってことか?」

「うーん、仕事はちゃんとしてるって聞いたよ。でも、新しい就職先はその男の人と同じ場所なんだって」

「そういうことか。このご時勢、職を失った割には焦ってないなと思ってたら」

 一度言葉を切ると、杏奈はばふっと再び布団に倒れこんだ。その衝撃が、ベッドのスプリングにぎしぎしと吸収される。その後もなかなか止まらない揺れにゆられて、二回三回と体が上下した。


「こりゃ、かおりんに一杯食わされたなー。四月までゴロゴロしてたのは、わたしだけじゃなかったのか」


 香織が時々、仕事を探しにいくとか新居を探しにいくとか言って家を出ていたのも、恐らく彼氏のところへ行くためだったのだろう。もしかしたら新しい仕事場へ書類を出しに行っていたかも知れないが、それでもそう何度も行くのはありえない。


 とはいうものの、夕方にはしっかりとこの部屋へと帰って来ていたため、裏でそんな浮いた話が進んでいたなんて、杏奈としては微塵も思っていなかったのである。ではなぜそのことを隠していたのか。それについては彼女に直接聞いてみないと分からないし、かといってその程度で電話をする気にもなれなかった。


 だからではないが、杏奈はその件を特に深く考えることもなく、軽い口調のままだ。


「あはは、ゴロゴロしてたの」

「そうなんだよ。暇で死にそうだったけどさ」

「えー、何それ。羨ましいっ!」

「いやいや、暇すぎるのも結構しんどいんだぞ? まあでも、道理で引越しの荷物も少ないわけだよ。全部彼氏の家に準備済みだったんだろうなぁ」


 香織が引っ越した、あの入学式の日。香織の私物を引っ越し業者が取りに来るのだろうと思っていた杏奈だったが、家に帰ってみれば全くそんな様子はなかったのだ。調べてみたら、無くなっていたのは香織の決して多くはない衣類一式と使っていたノートパソコンくらいで、布団はベッドごと残されていたし、部屋にあった家具も普段使っていた食器まで全てそのまま残されていた。

 あの時は釈然としなかったものだが、明日香の話を聞いてようやく納得のいった杏奈だった。


「あはは。……でも、杏奈ってばあんまり怒ってないわね。もっとこう、捨てられたっ! とか言うと思ってた」

 明日香が言い辛そうにしていたのは恐らく、杏奈が怒ると思っていたからなのだろう。

 しかし実際には、怒るどころか感心すらしているような状態だ。


「うーん、まあ確かにホントのことを教えてくれなかったのはどうかと思う。でも、わたしに普通の人と変わらない暮らしを始めさせてくれたわけだし、逆に感謝するほどだよ」

「そっかー……杏奈はすごいなぁ」

「すごいって、そんなことないよ」


 杏奈には、明日香が何に感心しているのかはあまり理解できなかった。良く言えばおおらか、悪く言えば無関心なこの態度のことだろうと察しは付くものの、彼女が何を感じてすごいと言ったのか、そこは分からない。

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