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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
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そして、何かが動き始める8

 達哉が杏奈を連れて(ほぼ引っ張って)歩いて行った先は、朱雀門通りだった。


 二人が食事をしていたラーメン店の場所は、「#」の形に位置する四聖獣の名のついた通りの内側に、「十」を描くように交差した道にある、青竜門通りから近い一軒である。

 ラーメン店からは、十字の中心部……廿夜ノ蔵と呼ばれる蔵の方へと向かい、敷地に入る手前で朱雀門通りへと続く道に入って行く形になる。


 そしてたどり着いた朱雀門通りは、ファッションの店が多く並ぶ通りだ。特に女性ものが多く、晶の行きつけとなっているロリータ・ファッションを専門に扱う店も、この通りに構えている。

 達哉からは直接そんな特徴のある通りだと説明はされなかったが、歩いて行くうちに「女モノの服屋が多いな」と思った杏奈は、先ほどの彼の言葉を思い出す。


 一緒に女の子らしくなりに行こう。と言っていたが「一緒に」とはどういうことだろうか。

 普通に考えれば杏奈を連れて行くためには一緒に行く必要があるから、単純にそう言ったのだと思われる。しかし、あの言い方では達哉も一緒に「女の子らしく」なろうとしているとも取れてしまう。

 まさかこの男には女装趣味でもあるのか? と一瞬疑ってしまう杏奈だったが、仮にそうであったとしても、男時代に無理矢理とはいえ散々女装を体験してきた彼女には、何も言うことはできない。


 もちろん、「無理矢理」と「自ら」では意味が全く違うのだが。


 ……という少々外れた仮定は置いておいて、素直に考えれば、彼もまた杏奈を着せ替え人形のようにしようとしているのだろう。


 まだ晶たちとはこういった服屋に来たことは無いが、彼女たち(主に晶)はもう既に、部の活動として杏奈に四着の服を用意して、部内の試着イベントを開催している。

 その内の二着はそれぞれ違うキャラクターのコスプレ衣装、そしてもう二着は一見普通の服なのだが、ちょっとあり得ない「アレンジ」の加えられた、着ていて恥ずかしい服となっていた。

 杏奈に言わせれば、晶が普通というこの二着の服でさえ、日常の中で着て生活なんてできない服である。つまり、意識の中では完全にコスプレと同じなのだ。


 そんな、自分では好んで着ないだろうと思うような服であっても、昔から色々な服を着慣れている杏奈は、「ちょっと着てみて」と言われれば何であってもノリで着てお披露目するまでになっている。


 しかし彼が言っているのは杏奈の普段着としての話で、ちょっとした着替えのはずだ。


「まずはここから見てみようよ」


 ところが、通りに点在する杏奈の目に留まるような、シンプルで着やすそうな半面地味さが増す服を扱う店には、達哉は目もくれなかった。彼が立ち止まったのは、フリルやレースをかなり多く使って可愛い印象が強く、明るい色の使われた服で統一された店である。


 どうやら二階まであるらしいその服屋は、通りに面した部分はほぼディスプレイスペースに使われていて、一階も二階も明るい色で可愛く決まった組み合わせの服や帽子やアクセサリーを身に着けたマネキンが立っていた。

 春から夏へと向かうこの時季ともあって、全体的に露出度は高めだ。


 その外見を目の当たりにして、杏奈はぱちぱちと目を瞬かせる。


「……楠本、一つ訊いてもいいか?」

「うん、どうしたの?」

「お前は、こういう服を着るような女が好きなのか?」

「オレが好き……というより、こんな服を好きな子が周りに多いのかな」


 彼がここに来たのは、いつも見て回っているからまず最初は、と思ったかららしい。

 それを聞いて、杏奈は店を見上げながらうーんとうなった。


 最初この店を見た時、彼女は本能的にここの服は自分に合わないと感じていた。正確には、こんな服を着ても常時可愛らしくしているなんて絶対に無理、という感覚だ。


 なぜならそこにある服は、着ていれば勝手に女子力がアップしたように見えるような、手軽に可愛らしさをアピールできる服なのだから。杏奈が着やすさや動きやすさを求めてこの服を着ているのと、方向は違えど意味は同じになる。


 もちろん真剣に選んで組み合わせれば、マネキンの着ているような、誰もが「ちょーかわいい」と思ってしまうほどの着こなしもできる服が、店内には揃っているのだろう。逆にいうなら、これくらいできて当然という空気がその店にはある。


「ここの服、わたしにはちょっとな……」

 彼の気持ちも分かるのだが、しかし杏奈は考えるまでもなくそう返した。


 ファッションに強い興味を持つ晶からすれば、杏奈はモデルとしては静かな大人の美人系を当てたいのだという。可愛い系なら自分で、可愛くてスタイルも良く見せる服なら真奈に、大人系に可愛らしさも垣間見える服なら紗江と、彼女の中で分けられているらしい。


 杏奈の持つ感覚も、それに近い。


 着て似合うかだけではなく更に着こなせるかまで判断すれば、杏奈としては、ストレートに可愛らしさを表現する服となると普段着には遠慮したいのだ。


「そっか。杏奈ちゃんはどんな服が好きなの?」

「一番好きなのは今着てるような動きやすい服だよ。もっとお洒落するなら……落ち着いた雰囲気の大人っぽい服、と言うのが分かりやすいのかな」


 見て分かるような服がないかと見渡してみるが、歩く人が多くてほとんど他の店に置いてある服は見えなかった。


「あとは高校生として無難な柄の服とか」

「オレは大人っぽい服の杏奈ちゃんを見てみたいな」

「それだと……ってうわぁっ!?」

 杏奈が好む服を聞いた達哉は、その大人っぽい服を売っている店に心当たりがあるらしく、言うが早いか彼女の手を取って歩き始めた。


 強引な歩き始めに最初はよろけたものの、すぐに姿勢が安定する。そこで杏奈は手を振りほどこうとして……やめた。手を掴む力が予想以上に強かったのと、彼が人波の中に隙間を見つけては反対側まで渡って行こうとするため、このタイミングで手を離す方が色々な意味で危険だったのだ。


「ここだよ」


 ようやく人波を渡り切ったと思ったらそこが目的地だったらしく、達哉はそう言いながらも杏奈の手を引いたまま、店の自動ドアを潜っていく。


 いくら女連れとはいえ、女性モノの服と下着しか置いていない店に何の躊躇もなく入っていく達哉の精神の図太さには思わず呆れてしまう杏奈だったが、そのまま彼女が店に入らず立ち尽くしていては、彼が本当に変態と誤解されてしまうかもしれない。


 ブレーキを踏むことを忘れてしまったらしい達哉の姿にこの後の展開が嫌というほど読めてしまう杏奈は、しょーがないヤツだなと小さくつぶやきながらも、そのあとに続いて店の中へと入っていくのだった。



 そして。

 この後、杏奈は三時間近くの間、着せ替え人形にされることとなる。



「……お前もなかなか容赦のないヤツだな」

 朱雀門通りの中央付近に作られた休憩所のベンチに座りながら、杏奈は疲れた様子で言う。


 ようやく彼の暴走とも言える連れ回しから解放されたのは、ウェディングドレスの試着ができる店に引っ張り込まれそうになったのを、杏奈が全力で拒否した後だった。


「あはは、ちょっとした出来心だったんだってば」

「出来心であんなん着せられた上に、記念撮影までされてたまるかっ!」


 もしもそんな要求を聞き入れていたら、式体験か何かで本当のキスでもさせられかねないと、杏奈は本能的に感じ取っていた。


 彼が普通のお盛んな男子高校生であれば、既成事実といえば性交の方を先に思いつくのだろうが、日本一の影響力があるとも言われる楠本財閥会長の弟ともなれば、そういった手段は完全にタブーとなる。

 それ故に、なんちゃってで済む結婚体験であれば「黒手前のグレー」で済むと思ったのだろう。

 こういった手段でなければ欲求不満を解消できない身の上には同情するものの、その捌け口にされる側の身にもなって欲しいと、杏奈は思うのだった。


「もう、三時半過ぎてるんだね」


 達哉がスマホで時間を確認して言うのを聞いて、杏奈も着替えて露出するようになった左手首の腕時計を見る。

「ホントだな」


 今の彼女の姿は、白のシャツにデニムの上着を重ねて、黒いひざ下まであるプリーツスカートを穿き、腰上まである髪の毛先から二十センチほどの所を、赤いリボン飾り付きのゴムバンドでふわっとまとめるという、パーカーにジーンズよりもかなり女らしく、落ち着いた雰囲気も出たものとなっている。

 ちなみにこの服は、この三時間弱の間にようやく決まった……のではなく、最初の一時間ほど着せ替え人形扱いされた頃に「もうこれにしとく」と杏奈が決断した服装なのだ。


 着替えの服が決まるまでは、黒一色のドレスワンピースやチャイナドレスの他にも妖艶な雰囲気のする露出の高い服数着と、完全に達哉の趣味嗜好としか思えないような服に着替えさせられ続けていた。


 次々と止まることなく際どい服を選び続ける達哉に身の危険を感じ、いい加減に普通に着られる服を選んでくれと頼んで、ようやく彼の暴走は止まった(一時的に)。それからは比較的普通の服を選んでくれるようになり、最終的には杏奈が気に入った、達哉が選んだ中でも一番地味な部類の上と下を選び出し、買って着替えたのだ。


 レジで買ったものを受け取って、これで試着タイムは終わりとホッとしていたのだが、

「パーティドレスばっかり、二時間近く着続けてたのか……」

 何を思ったのか、達哉はドレス専門店に杏奈を連れて行くと、あれもこれもとパーティドレスを試着させ始めたのだ。


 可愛いものから落ち着いたもの、色が明るいものや暗くも艶やかなものまで、ありとあらゆるデザインのドレスを達哉が選び、杏奈が着る。その繰り返しだった。


 値段も二万円で買えてしまうドレスもありながら、数十万もする、これ試着していいの? と思わず確認してしまうような値段の一着を着たりと大忙しで、そのドレスシリーズの集大成としてウェディングドレスを、という流れになったという訳だ。


「あのドレス地獄に、一体何の意味があったんだ……?」


 確かに達哉の行きたい場所やしたいことに付き合う、と話したものの、まさか今日が今まで生きてきた中で一番値段の高い服を着る日になるとは、彼女も思っていなかった。

 しかもドレス類の方は、あれだけ着た末に一着も買っていないのである(買っても着る機会は無いが)。


「ごめんね、ちょっと調子に乗り過ぎちゃった。疲れた?」

「いや、それほどでもないけど。買わないのに試着してもな、とは思った」

 と言いながらも、ドレスを着ている内に、昔から憧れを持っていたお金持ちのパーティはこんな服を着て出るんだろうなと、少し楽しくなっていたのは秘密だ。


 普通ならあり得ないようなこういう店に躊躇なく入る達哉は、やはり普段からパーティの場に慣れ親しんでいるのだろう。そう思うと杏奈の中にある憧れの気持ちに羨望も加わり、この男の気持ちを断らなくてはいけない身の上が少し呪わしかったりもした。


 それでもなかなか心臓に悪い値段を見続けていた分、恐れ多さからくる緊張の方が勝っていたのも事実だ。彼のいる環境に羨ましい気持ちはあれど、貧乏性な部分も少なからずある杏奈の中では今、色々な緊張感から解放された反動が精神的な疲れへと変わってきていた。


 ようやく訪れた安息の時間に、杏奈は一息つこうと水筒を取り出して口を付ける。中身の方は何とか残っていたが、ここで全部飲み乾すことになった。


「もし杏奈ちゃんと結婚したら、どんなのが似合うのかなって……あ、大丈夫?」


 その最後の一口を飲み込もうとした瞬間に訳の分からない言葉が聞こえ、驚いた拍子に水分が気管の方へと入りそうになり、むせてしまった。


「けほ、げほげほっ」


 吸い込んでいた空気を全部咳と一緒に吐き出して、もう一度大きく息を吸う。それでも気管の違和感が取りきれず、もう何度か咳をすることになった。


「水あるけど、飲む?」

 水筒が空になったのを見て知っていた達哉は、今日二本目の、開けて少ししか飲んでいないペットボトルの水を彼女に差し出す。


「あ、ありがと……」


 ボトルを受け取ってキャップを開けながらも、何度か深呼吸して違和感がなくなるのを待つ。呼吸が安定してきたのを確認してから、受け取ったボトルの水をごくごくと飲むと、もう一度深呼吸を何度か繰り返して、ようやく落ち着くことができた。


 ボトルのキャップを閉めて返しながら、杏奈は恨めしそうに彼を睨む。

「……バカな冗談は休み休み言って欲しいんだが」

「いやー、さっきのは……。つい口が滑っちゃった」

「お前な……。結婚とか、発想が飛躍しすぎだ」


 苦笑いをしながら頭をかく達哉だったが、杏奈にしてみれば彼女自身の「諦め」前提の妄想とは違い、本当に結婚した後の姿に意識が向いていたなんて、流石に想定外の告白だ。


 そう思うと、つい反射的にそんな言葉が口を突いて出てしまった。


 午後になってからの達哉のノリは、好きな女の子に好みの服装をさせて楽しんでいたのか、単に女友達に普段はしないであろう服装を「着させてあげて」いたのか、そのどちらかだろうなと思っていた杏奈だった。もちろん彼女からは、途中から楽しんでいたなんて死んでも口にはしない。それでも、拒むことなく何着もドレスを試着し続ける姿を見ていれば当然達哉にも察しは付いたはずで、そう思うと彼が上から目線な後者の理由を口にしても違和感が無いと、杏奈は感じていた。むしろ彼女の方が「試着の機会をもらっている」という気持ちがあったくらいだ。


 しかしさっきの、杏奈が考えていた二者のどちらでもない発言にはさすがに驚いた。もしかしたら結婚体験の写真を既成事実として利用しようと、本気で思っていたのかも知れない。


「ホントにゴメンね。オレのこと、嫌いになった?」

「そんな簡単に嫌いになったりしないけど……好きになってもないか。まあ、お前がどういう人間なのかは良く分かったってくらいだよ」

「あはは。優しいね、杏奈ちゃんは」

 ますます好きになっちゃうよ、と達哉は力なく笑う。


「お前でも、いろんな妄想するんだな」

「もちろんだよ、特に好きになった子のことだとね。……こうして一緒にいると暴走する癖は、未だに直ってないけど」

「……」


 力の入らない目で空を見上げる達哉を、杏奈はちらりと目だけを向けて見る。


 その口ぶりからすると、恐らく、恵里子という元カノのことを思い出しているのだろう。

 晶たちから少し伝え聞いているとはいえ、杏奈の方から彼女のことを聞き出そうとは思わなかった。誰にでも触れられたくない過去はあるもの。もしかしたら達哉にとっては、その子のことがそれかも知れないのだから。


 色々な女子と数多くデートを重ねて来ながら、好きな女の子相手には少し感情が高ぶりやすくなってしまう。そういうところは少しだけ幼いのかも知れないが、杏奈だってそういった経験は少なからずある。


 好きな子に嫌われてしまったのではないかと、心配になったことも。


 楠本達哉という男子高校生は皆から、特に女子達から(達哉を嫌うという晶からでさえ)特別視される存在だが、意外と普通の男心を持っているらしい。


 この男の恋人になる気は全くなくても、こうして少し落ち込んでいる男友達がいれば、元気になれるような何かを提案することくらいはできる。


「よしっ」

 と杏奈は勢いよく立ち上がると、不思議そうに彼女の方へと目を向ける達哉に、ほれっと手を差し伸べる。


「まだ帰るには早いし、もう少し遊んでかないか?」

「うん、そうだね」


 達哉はその手を取って立ち上がると、沈んでいた表情から一変、笑顔になった。


「じゃあ、もう一度ゲームセンターに行こうよ」

 そしてそのまま、杏奈の手を引いて歩き始めたのだった。

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