そして、何かが動き始める5
二人が再び商店街へと入ったころ、達哉が突然「実は」と切り出した。
「昨日、晶ちゃんに聞いてたんだよね。杏奈ちゃんの気持ち」
達哉曰く昨日は晶がバイトをしているという、「館喫茶・崎篠」という執事・メイド喫茶に、中学時代の友人と入ったのだという。
その時に彼は、仕事中の晶を捕まえて杏奈のことを聞いたらしい。
杏奈は、まさか達哉がそこまで自分のことを気にしていたとはと驚き、そして自身の情報を晶が達哉へ提供したことにも驚きだった。
「なんて言ってたんだ? 晶は」
「えっと、オレに対して好意は無いだろうとか、積極的に行かないと相手にされないだろうとか、だね」
「……あー、だからさっきのあれだったのか」
果たして晶がどういう意味で「積極的」という言葉を使ったのかは分からないが、確かに杏奈は普段から気持ちに正直な言葉を発することも多い。それが彼女たちと対等に話をする秘訣と思っているし、その形で今までは何とかうまくやれてもいる。
その辺りのことを晶が達哉に説明したのかも知れない。
しかし。となると余計に晶のことが分からなくなってくる。
彼女はかなり、達哉を敵視している部分があるのだ。それこそ、彼が過去に付き合っていた恋人であり、晶の幼馴染でもあった少女が死ぬことになったのは達哉のせいだと言ってしまうほどに。
それなのに彼女は、達哉に杏奈との接し方を教えたという。
一体この二人、実際にはどういう関係なのだろうと杏奈は心の中で混乱しかけていた。
「どうしても、自分のことを知って欲しいなって思うと暴走しちゃうんだけどね」
「人間、そういうものだと思うぞ。……でも、晶がそんなことをなぁ。実はお前って、あいつとすごく仲が良かったりするのか?」
「そんなこと無いよ。昨日だって仕事中に変なこと訊くなって怒られちゃったし、大きな貸しにするからとも言われちゃったよ」
「それ……わたしは何て返せばいいんだ」
あの少女に借りを作るとどんな結果が待っているのか、それを杏奈はまだ経験したこともないが、少なくともどんな取り立てが来るのか考えただけで、背筋が凍ってしまいそうだ。しかも杏奈がその借りをほとんど無意味なものにしてしまったのだ、彼がこの話をしたのは、その辺りをチクリと攻撃する高度な心理戦ではないかと、彼女は身構えてしまう。
「あはは、ごめんね。杏奈ちゃんは気にしなくていいよ。オレの我儘のせいなんだから」
「……我儘って言ったらわたしも一緒だよ」
結局のところ、達哉の気持ちを受け取らない彼女の考え方も我儘といえばそうなのだ。
しかし達哉は、
「それでいいと思うよ。恋愛って、我儘が大事なんだから」
と言う。
「我儘が大事?」
「うん。恋人関係になるのって、友達になるのより色々考えるべきことだから。相手の気持ちを適当に受け入れたり、受け入れるのが嫌で断ったり。どうしようって考えすぎちゃうと、分からなくなって勢いで自分の気持ちを否定しちゃう人も中にはいるけど」
「まあ……確かに」
「でも、付き合っていく間にもお互い我儘を言いたくなるんだから、恋人になるのに、利害が一致してるか考えるのは大切だよ。むしろ、嫌だって思う気持ちに嘘をついて受け入れられたりする方が、オレは嫌かな」
そして彼は「利害って言葉はひどいけどね」と言って、爽やかな笑顔を杏奈に向けた。
学校で見る彼からはとても想像できないような言葉に、彼女は目を見開いて彼へと視線を向けた。
彼の口から語られた考え方が独特であるかどうかは置いておいて、
「高校一年の男子が話す恋愛観じゃないだろ、それ」
一体どんな経験をすればそんな言葉が出てくるのか分からず、彼に視線を向ける杏奈は感心と呆れが入り混じった複雑な心境になっていた。
しかし晶の言葉を信じるのであれば、彼は今まで、一人としか恋人関係になったことがないはずだ。いくらその子と死別したからといって、それだけでこんなことを言うようになるとは思えない。となれば、今まで断ってきた少女たちの想いの数のせいなのだろうか。
「オレってこう見えて、腹黒い部分もあるんだよ」
と、好きな異性を相手にしているとは思えないような、とんでもないことを言う。
だからといって、杏奈はその程度で人間関係を決めるような性格ではない。もしそこまで計算して言っているのであれば、むしろ好感を持ってしまうほどだ。
「その恋愛観に共感してるわたしも似たようなものだってことだな。……だからって、お前に対する気持ちは変わらないけど」
「あはは! 杏奈ちゃんがそんな簡単な女の子だったら、オレも好きになってなかったと思うよ」
「……っ。あっそ」
彼の言う通り、いくら女子に人気がある男子相手でも簡単には籠絡したりしない。……のだが、一方では今の「好き」という言葉に一瞬動揺したのも事実。心臓がどくんと跳ねてしまったくらいだ。
その気持ちを隠すために、少し不機嫌そうな態度でそっぽを向いて見せる杏奈だった。
そして達哉の方は彼女が視線を逸らしたことをからかうように、彼女の顔を覗き込む。
その積極的な姿勢に押されつつある杏奈は、心の底で逆に仮面を着けなおしてくれないかと願ってしまうほどだった。
ここまでくると、少々しつこい彼の行動も理性では軽くあしらえるだけの余裕があるのだが、体の方はそうもいかなかった。見るからにイケメンの男から好きだと言われた上に今までにない至近距離で顔を見つめられて、その視線に顔が熱くなってきてしまうのだ。加えて鼓動まで早くなってくる。このままでは、耳まで真っ赤になりそうだった。
体は正直だと良く言うが、まさかここまで反応するものだとは、杏奈自身も思っていなかった。
「あーもう、そんなじろじろ見るなっ!」
彼女はこれ以上火照って熱暴走するのを回避するため、右手で達哉の胸辺りをとんと軽く押して、自分から遠ざけた。
しかしそれは、少々慌て過ぎの行動だった。
さっきまであったシリアスな雰囲気とは合わない少し上ずった声で強引に遠ざけられた達哉は、一瞬呆気に取られたような顔をする。しかしすぐに、赤くなった顔で目をそらす彼女の姿にこらえきれず、くすっと笑みをこぼした。
「杏奈ちゃんって、意外と見つめられるのに弱いんだね。かわいいなぁ」
「言うなっ! 自分でも知らなかったよ……」
次に同じことをされても耐えられなさそうな弱点を知られたことに、余計に恥ずかしさを覚える杏奈だったが、それは言っても仕方がない。むしろここまで打ち解けてしまった雰囲気の今の達哉では、余計に面白がられる可能性すらある。
仕方なく、すぐにでも気持ちを落ち着けるためにバッグから水筒を取り出してお茶を飲む。
もしこれ以上こんなことが続いたら、とてもこの大きさの水筒では足りないなと、彼女は思うのだった。
しかし幸いなことに、達哉はそれ以上彼女の姿を指して言葉を口にすることはなかった。
「いこ、杏奈ちゃん」
その代わりなのだろうか、言いながら当然のように手を差し出してくる達哉だったが、もちろんその手を杏奈が取ることはない。
「そうだな」
未だ顔の熱が冷めていないことを誤魔化すように、再び不機嫌そうな声でそう返すと、彼の横を素通りして歩き始めた。
杏奈としてはあくまで誤魔化すためであって決して怒っているわけではないが、その振る舞いは不機嫌そのもの。であるにも関わらず、達哉はそんな彼女にも動じることなく笑顔で隣に並ぶと、
「ごめんごめん、つい見つめすぎちゃって。許してよ」
なだめるように言いながら、左手を彼女の頭の天辺へふわりと乗せた。
何をしてるんだろうと杏奈が思った途端、その手は優しく後頭部へと滑り落ちる。
そう、頭を撫でたのである。
「ふぇ……?」
これまで両親にすら頭を撫でられたことの無かった杏奈は、その感覚に一瞬で全身の力を奪われたような錯覚を覚えるのだった。
しかも先ほどの熱が冷めないうちにこんなことをされては、今の彼女ではとっさの防衛行動も取れない。無防備なまま二回三回と繰り返し撫でられる間に頭がぽやーっとし始め、次第に平衡感覚を失っていったかと思えば、最後にはぐらりと体勢を崩してそのまま達哉の方へとしな垂れかかっていた。
体が倒れそうになるのを何とか彼の服にしがみつくことで耐えるが、熱い視線に晒された後に優しくされるというコンボをまともに受け、しがみついた姿勢からすぐには立ち直れなくなった杏奈は、呼吸がかなり荒くなっていた。
「え……? 大丈夫?」
糸が切れた操り人形のように倒れかけたその様子は、彼から見れば突然意識を失いかけたような状態だった。
反射的に彼女を抱きとめたものの、まさかこんなことになるとは思っておらず、予想外の出来事にどうしたらいいのか分からなくなっていた。
「な、何てことするんだよ……っ!」
倒れかかった時には体調を悪くしたのかと思っていたのだが、やがて杏奈は自分から体を離して立った。そして、恨めしそうに涙を浮かべながらのジト目で睨みつけてくる少女の顔と少し上ずった声で、それが思い過ごしだと分かったのだった。
ちゃんと元気そうである。
「えっと、ホントにごめん。まさかこんなことになるとは思わなくて。大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。全く……」
トンデモないコンボを初体験した杏奈は、確かめるように自分でも同じ場所をできるだけ優しく撫でてみるが、彼が撫でていた時とは違い力が抜けたりはしないし、それほど気持ち良くもない。
以前、体育の着替え中に「達君に頭撫でられたら絶対に蕩ける」という噂を耳にしていたのだが、実際にされると、まさかここまで力が抜けるとは思ってもいなかった。
「ったく、初めてなんだから手加減しろよもーっ。心地良くて意識が飛ぶかと思ったぞ」
「杏奈ちゃん、それは色々誤解されちゃうから……」
醜態を晒すことになった杏奈は、顔の赤さが更に増した状態で、ついに熱暴走を起こしていた。のぼせた頭の中では今しがたの達哉にしがみつく恥ずかしい姿とその感触がぐるぐると回っていて、しばらくは火照りが冷めそうもない。
達哉の気持ちを知ったからといってそんな簡単に外堀なんて埋まるものじゃないと思っていたのだが、この短時間で、もう二つも弱点を見つけ出されてしまっている。
これ以上は弱点なんて見せたりするものか、と固く誓う杏奈だった。
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