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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
30/74

晶、悪巧みする9

 彼女たちが仕事を終えて店から出たのは、夜の部担当の全員と交代し終わった夜の八時を二十分ほど過ぎた頃だった。


 普段であれば晶は閉店後の後片付けまでやるのだが、今日は午前中に眩暈を起こしたことやヘルプ二人へのアフターフォローなどがあったため、杏奈と紗江にくっ付いて一緒に帰ってきている。


「でも勿体ないなぁ。二人とも結構お客さんから人気あったし、バイト始めちゃえば良かったのに」

 晶は駅に向かう道の途中、唇を尖らせて言った。


 仕事を終えた二人は、「館喫茶・崎篠」の店長から声をかけられて、状況的に仕方ない手渡しのお給金を受け取った後、正式にうちでバイトしないかとオファーを受けたのだ。しかし二人とも、バイトは考えていないからと断って店を出てきている。


 杏奈の方は、バイトする機会があれば前向きに考えると返事をしたが、

「私、本当にちゃんとできていたんでしょうか……」

 と、仕事を終えてからかなり不安そうになっている紗江は、その話をされている間も終始苦笑いを浮かべているだけだった。


「何言ってるのさ、ボクの初日なんかよりずっと良くできてたよー」

 晶が二人をかなり真剣な口調で褒めているところを見ると、本気で二人に入って欲しいと思っているようだ。


 ちなみに夕食のピークを終えた頃の交代時間間際に、杏奈はもう一度雪兎と話す機会があったのだが、その時に晶が仕事を始めた頃のことを聞いてみると、

――研修の頃からかなちゃんはやんちゃな子でしたよ。すぐに慣れてくれましたけど

 何やら曖昧な表現をしながら苦笑いを浮かべるだけだった。

――ゆうかちゃんもももちゃんも、ここ最近入った子と比べたらかなりレベルが高いです

 雪兎からは余談としてこんな評価も教えてもらえたことから、紗江も恐れずに始めれば早い内にいいメイドへと成長できる可能性があるのだろう。


 それは杏奈も同感だった。


 今日でかなりドジなメイドさんというキャラ付けをされてしまった雰囲気もあるが、杏奈からしてみても、初めての飲食店バイトという意味では彼女の慣れる速度は早かったのだ。何せ、普通は研修期間を経てからやるような勤務時間を最初からこなして見せたし、ドジっ子とされていても、決して大きなドジはしていなかったのだから。

 きちんと正式な研修から始めれば、成長が見込める少女である。


「わたしも、紗江は見込みがあると思うよ。初めてバイトする女の子には見えなかったくらいだ」

 そう思うからからこそ、晶に続いてその背中を押す言葉をかけると、紗江は少し緊張の解けた笑顔を浮かべた。


「そうですか? そう言ってもらえると嬉しいですけど……」

「大丈夫だよ、自信を持っていいと思う」

「そうですね……分かりました。少し考えてみます」

「……ボクとしては、杏奈にも入って欲しいんだけどなぁ」

 杏奈が紗江を後押ししてばかりいるのを見て、晶は呆れ顔で杏奈を見つめた。


 彼女は、お淑やかな大人の女性を演じていた仕事中の杏奈のキャラが、実は気に入っているらしい。


「うちって常に勢いのある個性派が多いから、杏奈みたいないつもは大人しいけど実は腹グロ系が欲しいって、店長いっつも言ってるんだよ」

「……おい晶、勝手に腹グロキャラを押し付けるなよ。否定はしないけどさ」

「ほら、否定しないんじゃん」

 ぶーっと唇を尖らせて、晶は不満な気持ちを隠そうともせず言う。


「でもやっぱり、今はちょっと無理だよ。わたしの状況的にもさ」


 他人から叩きこまれた性格ゆえに客観的な分析もできてしまう杏奈は、メイドとしての自分の性格は薄いようでそうでもないと思っている。そこを腹の黒い部分だと言われても仕方がないとも、自覚しているのだ。


 しかし杏奈にとって、メイドはたまにやるからこそという意識がある。


 自分で冷静に分析できてしまう性格ということは、つまりそれはどう足掻いても作った仮の人格でしかなく、杏奈自身の人間性ではない。

 今は少しでも自分を根っこから女らしくしたいと思っている段階なのだ。だというのに、メイド喫茶のバイトを始めてしまうと、バイトのキャラ作りに注力しなければいけなくなってしまう。それは今の杏奈が望まない形なのだ。

 自分が「女らしくなれた」と思える時がくれば、晶のいる店でのバイトもいいなと思っているのは、間違いのない本心でもある。ただ、高校でバイトが禁止されている以上は、大学に上がった後となる可能性が高いのだが。


 それらを考えての「状況」という言葉ではあるものの、友人二人からすれば、彼女のこの言葉はまた違った意味となってくる。そう、杏奈の生活環境が、一人暮らしを初めてまだ一ヶ月しか経っていない微妙な時期であるという意味合いに。


「まあ、そう言われると仕方ないけどさ」

 そして晶は実際にそう受け取ったらしく、手を頭の後ろに組んでため息を吐いた。


 彼女もまだバイトを始めたばかりとはいえ、既に、店のメンバーがもつ得意なキャラの人数構成を気にかけるほど、仕事に入れ込んでいるようだ。

 状況という言葉は狙って口にしたものの、真剣な彼女の態度を見ると、やはり、誤魔化したことに後ろめたさを感じてしまう。杏奈は小さく「ごめん」と友人に謝った。


「いいよ、気にしなくて。ボクも無理にとは言わないしさ」

 その代りまた手伝ってよと、晶もお返しと言わんばかりの一言を発する。


 とその時、前方にある赤緑線の高架線路を、彼女たちが帰る方面へ向けて電車が通り過ぎて行った。車内に電気が灯り、横並びの椅子に座る乗客の影もちらほらと見えるその電車が、回送ということはあり得ない。

 時刻表も見ずに適当な時間に店を出てきたため、乗り遅れてしまった……そう思ったのだろう。

「あ、電車が……」

 紗江が小さく呟いた。


「大丈夫だよ、あれ急行だから。崎篠には止まらないんだ」


 ここまでバイトに来ていると、自分が帰るために使える電車がいつ頃やってくるのか、感覚で分かるようになっているらしい。

 晶は次に崎篠に止まる普通電車の時間と、柳沢までは急行に追いつかれないという話を、少し蛇足をくっつけた形で二人に説明した。


「……それで思い出したんだけど、杏奈って緑ヶ丘には行ったことある?」

「緑ヶ丘? あのバカでかい商店街のある所だよな?」

「うん。そうそう」

「無いけど。……なんで?」

「ほら、先週のどこかで……えっと一昨日くらい? 真奈とマイ・ツールズの話してたなーと思ってさ」


 晶の言うマイ・ツールズとは、学校で情報の授業の時に使っているマイ・テーブラーやマイ・ドキュスなどのパソコンソフトをまとめた通称である。

 杏奈はその単語を聞いて、「ああ、その話か」と呟きながら自分の記憶を探る。


 以前から杏奈の家のノートパソコンでは、マイ・テーブラーのアイコンが見つからないと話していたのだが、その原因がようやくつかめたのだ。

 正確には、真奈から調べるためのヒントをメールで教えてもらったのである。


 本当なら今日にでも彼女に家に来てもらいたかったのだが、残念ながら親戚の用事があるからと断られてしまった。その代りにと、かなり初心者向けに書かれている調べ方の手順が記されたホームページのアドレスを教えてもらい、そこにあった通りにパソコンを操作してみたのだ。


「結局わたしのパソコンにはマイ・ツールズが入ってないらしいんだよな。で、今度真奈と会える時に、買い方を教えてもらうんだーって話してた。……それが何か?」

「うん。杏奈が自分で行けるところでパソコンソフトを買うなら、緑ヶ丘商店街かなって思ったのを、今思い出したんだよね」


 晶の話は、マイ・ツールズに限らず色々なパソコンソフトを買うことができる場所として、緑ヶ丘の話をしているようだ。

 ただ、杏奈にとってはその手の話となるとかなり苦手意識が強く、興味を持ちづらい。

 そのことは晶自身も少しは知っているはずなのだが、どうも、彼女の口調には少し焦った雰囲気が含まれていて、どうしたのだろう、と杏奈は思う。


「色々な洋服や、本とかCDもあったりしますよね」


 しかし紗江は晶には不自然さを感じていないらしく、その話に合わせてまた違う情報もくれた。まあいいかと、杏奈も小さな違和感は意識の外に追いやって、紗江の話に「へぇ」と相づちを打つ。


 紗江も真奈も緑ヶ丘商店街のことはよく知っているらしく、晶も交えて話している時にたまに名前が出て来る「話題のスポット」ということなら、杏奈も知っていた。

 今時流行りのショッピングモールではないのだが、駅を出てすぐという立地らしいその商店街は、今でも集客力が強いらしい。


「杏奈ちゃんが必要そうなのは、日用品とか家電じゃないですか? 大場まで行けばホームセンターとかありますけど、高丘からでは車でしか行けないんでしたっけ?」

「そうなんだよ……身近にそういう店が全く無くて、前からどうしようかなとは思っててさ。緑ヶ丘なら、家電も買えるのか?」

「はい。歩いているとそういうお店も見かけますよ。滅多に入らないですけど……」


 そう、紗江の言う通り杏奈には、免許の取れない年齢の一人暮らしゆえに、少しだけ、機械類の大きな製品が機嫌を悪くしたらどうしようと、心配している部分が確かにあった。

 今はまだ大丈夫でも、引っ越しをした時の揺れなどで実は不具合が出ていた……という話も出てくるかも知れないし、機械には雷が天敵だと聞く。もし春の嵐の落雷で調子が悪くなったら、どうしていいのか分からなくなりそうだ。


 心配のし過ぎとも思えるが、楽観的に構えていても機械の故障はいつかやってくる問題でもある。


「へぇ。色々あるなら、探検ついでに見に行ってみるかな」

「え、行くの? いつ!?」

 行ってみよう、と杏奈が口にしたとたん、先ほどから少しそわそわした様子を見せていた晶が、突然食いつくように声を出したのだった。


「え? 行くなら明日とか、早めにって思ってるよ。どうせただの探検だから、ついて来ても面白くはないかも知れないぞ?」

 その態度に気圧されながらも、杏奈はとりあえず今の気分とはいえ、適当に答えを口にする。


「ふ、ふーん。明日はボクは用事があって無理だなぁ」

 すると晶は、どこか浮ついた様子のまま崎篠駅の改札に定期も兼ねたICカードを押し当てて、改札の向こうへと入って行ってしまった。

 カードを持たない杏奈が、切符を買わなければいけないことを忘れているらしい。


「晶、ちょっと待った!」

 彼女から教えられている電車の時間まで少しあるものの、様子が少し変な少女を放っておくわけにもいかず、杏奈は急いで高丘西駅までの切符を買うと、紗江と一緒に彼女の後を追いかけることになった。


 手早く切符を買って、帰りの電車がやってくる赤倉町方面のホームへと駆けあがったところで晶を捕まえて色々と尋ねると、彼女は、

「べ、別に杏奈を着せ替え人形にしたら楽しそうだとか、そんなことは全然思ってないよ!? ホントだよっ!!」

 妙に必死な様子で、そう答えたという。

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