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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
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初登校日2

「行ってきます!」


 と言って、杏奈は玄関を出た。初登校の最初の一歩である。


 このマンションから杏奈が通うことになる神海高等学校までは、徒歩で約二十分程かかる。

 どうやらこの距離では自転車通学が認められないらしく、彼女は歩いて登下校をすることになっている。

 それでも二十分という通学に要する時間は、平均から見れば短い方だろう。


 マンションを出て学校の方へ五分も歩けば少し大きな駅があり、途中で横断する大通りにはバスも走っている。

 そういった公共交通機関で通学する人たちの中には、片道一時間とか一時間半、もしかしたら二時間ほどの時間をかけている生徒だっているかも知れない。

 それに比べたら、徒歩で二十分の距離なんてちょっとした散歩のようなものだ。


 しかし、このマンションのいいところは、交通の便や学校までの距離だけではない。


 買い物は徒歩で行ける距離に大きなスーパーがあるし、エントランスは自動ロックになっていて、セキュリティもかなりしっかりしている。

 これから一人暮らしになる人間にとって、駅やバス停が近いことはもちろん、買い物も便利だという点はかなり嬉しい。


 しかし、杏奈個人としては入る時に面倒なエントランスの自動ロックが邪魔なのだが、

「今どきこれくらい付いてなきゃダメよ」

 と言う香織の意見と、ここ以上の立地の良さが他には見付からず、仕方なく妥協したのだった。妥協点が「邪魔なセキュリティを我慢する」とは、何とも贅沢な話だが。


 そんな、杏奈にとっては不要な自動ロックが付いたロビーへと続く、西側の一階廊下を歩いている時だった。

 前方に、エレベーターから一人の男子学生が降りてくるのが見えた。


 杏奈の住んでいる部屋は三〇一号室。つまり三階の一番端で、階段のすぐ側にある。

 このマンションにはエレベーターが一基あるのだが、三〇一号室からは少し遠いのと、三階までの階段の上り下りはほとんど苦にならないこともあり、たまに米など重いものを買って帰ってきた時を除いて、杏奈はいつも階段で上り下りしていた。

 そのせいか、住み始めてまだ二ヵ月ほどの今、エレベーターを使うようなフロアの住人とはほとんど面識がない。隣上下ですら、まともに挨拶したかも定かではないほどだ。


 今エレベーターから降りてきた男子生徒も、今日初めて見る人だった。

 普段なら、そういう人とは目が合えば挨拶をする程度なのだが、その男子学生は例外で、杏奈は興味を惹かれていた。というのも、彼は神海高校の制服を着ていたのだ。


 神海高校のブレザーのデザインは見分けが付きやすいものとなっている。

 空をイメージした薄い水色の上着、そしてスラックスやスカートは海をイメージして、ブレザーより濃い水色と紺色のチェック柄をしている。

 だから、そんな制服を着た人間を見過ごすことの方が難しいだろう。


 とはいえ、同じマンションに同じ高校の生徒が住んでいたとしても、普通なら登校時間がピッタリ一致することもあまりないはずで、それも入学式の朝から出くわすとなればかなりの偶然だ。

 杏奈がそのことに少し驚いていると、向こうもこちらに気づいたらしく顔をこちらに向けて立ち止まった。


 しかし、それもほんの一瞬だけだった。


 ふいっと、まるで何も見なかったかのようにすぐに正面を向くと、エントランスの方へと歩いて行ってしまったのだ。


 確かにこのシチュエーションで、初対面の二人がまるで古くからの知り合いかのように声を掛け合うことはないにしても、同じマンションに住んでいて、さらに同じ学校の生徒だということは向こうだって見ればわかったはずだ。

 だったら、挨拶くらいしてくれてもいいんじゃないか?


 そう思った杏奈は、無意識のうちにその男子を走って追いかけていた。

 男子生徒との距離はおよそ二十歩くらいのもので、それほど走らなくてもすぐに追いつける距離だった。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 がしっと肩をつかむ……ことはさすがにしなかったが、杏奈が声をかけると、男子は今度は体ごと杏奈の方を向いた。そして少し面倒臭そうに

「……何?」

 と低い声で言う。


 もしかしたら、全くの初対面なのにいきなりタメ口で呼び止められて、気を悪くさせたのかも知れない。杏奈は、軽率な行動をしてしまったと少し後悔したが、既に話しかけてしまったものは仕方がない。


「あ、いや……いきなりごめん。ただ、折角目があったんだし挨拶くらいしてみるのもいいんじゃないかと思って」

 あまりストレートに言い過ぎるのもどうかと思ったが、何か気の利いた別の言葉が思いつかず、結局、呼び止めた理由をそのまま伝える形になった。


 ところが相手は、知らない人間からいきなり「挨拶くらいしろ」と因縁を付けられて動揺することもなく、何だそんなことかという様子で、

「そうなんだ。おはよ」

 と言った。


「あ、ああ。おはよう」

 見かけてからこれまでの反応から、もしかしたら無視してそのまま行ってしまうのではないかと思っていた杏奈だったが、意外にもすんなりと返ってきた挨拶に少しだけ拍子抜けしてしまった。


 しかし、挨拶をしたからといって「じゃあ一緒に学校に行かない?」という流れになることはなく、男子生徒はまた前を向いてスタスタと歩き始めるのだった。

 あまり人とコミュニケーションを取らない人間なのだろうか。


 最近では、同じマンションとかアパートとかに住んでいたとしても、何かきっかけがないと積極的なコミュニケーションはしないと聞く。

 以前杏奈が住んでいたアパートでは、そこの住人や近所の人たちと割と仲良くしていたせいか、ここに引っ越してきてから恐らく初となる大々的な他人との接触に、男子生徒の冷たい態度は衝撃的なものだった。


 それに、何となく避けられているような雰囲気も感じる。

 仲良くなるために追いかけて話もしたかったが、それを望まない人間へとしつこくまとわり着いて、更に嫌われるのは良くない。そう思った杏奈は、話しかけたい衝動を我慢した。


 人間は、必ずしも出会ったその瞬間から相手と仲良くなろうと思ったりはしない。最近では物騒な事件が多いこともあり、相手の性格が分かるまでは疑うくらいがちょうどいいという考え方だってあるだろう。

 地域によってはそういった風潮に偏りがあるかも知れないし、そういう暗黙のルールから外れるような行動をしすぎると、その地域で浮いた存在となってしまうこともある。


 それに無意味ないざこざを起こす気も、杏奈にはなかった。これから一人暮らしとなる彼女にとって、地域の除け者というレッテルを張られるのはかなり不味い。


 してしまった失敗は仕方がない。とりあえず忘れて、これからのことを考えよう。と気持ちを切り替えようとするのだが、最終的な目的地が同じ二人は、もちろん通学路も同じである。前を歩く男子生徒がどうしても視界に入ってしまい、結果もやもやとした気持ちを忘れられないでいた。

 しかもあまり印象の良くない出会い方をした後で追い越すのも気まずいような気がして、杏奈はその男子生徒から、十五メートルくらい後ろに距離をとって学校まで行くことにした。


 初登校日、学校までの二十分は思った以上に長かった。

面白いと思っていただけたら、ブックマークだけでもしていただけたら嬉しいです。


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